「こっちです、旦那。あの正面にある茂みの裏手にある長屋でさぁ。」
男は鼠の案内で郊外に来ていた。夜は既に更けている。子供が寝静まるのを見計らっての行動であった。
「いいか、ガキ1匹につき米3合だ。ここに居なかったり、逃したりしたら支払いはなしだからな。」
流魂街に通貨はなく、物々交換が基本である。
「へぇ。承知いたしました。ただ旦那、一つお願いがありやす。」
「なんだ?」
「アタクシの手柄でガキを捕まえた際には、追加で報酬を頂きたく。」
鼠はこういった人追いが得意であった。生前は前科者の岡っ引きとして、犯罪者を何人も捕らえたことがある。寝ぐらを見つけて、寝込みを襲うのが最も良い。今回もあの長屋周りの目ぼしい逃げ道にあらかじめ罠を仕掛けていた。無法である
「わかった。お前が捕まえた場合、2合追加してやる。」
「へへぇ。ありがとうございやす。」
「あのガキ、ここらでずいぶん盗みをしていたようだからなぁ。きっとどうこうしたい奴らが沢山いるだろうよ。そいつらに売っぱらって盗まれた分を取り返してやる。」
男は皮算用をしながら下卑た笑みを浮かべた。手にある麻袋をしっかりと持ち直す。
「それじゃあ向かいやす。ここからはなるべく足音を静かに、ゆっくりと歩くようお願いしやす。」
鼠の後を追って、男は少女たちの眠る長屋へ向かった。
**********
気配がする。
肌でも目でも耳でも鼻でもない何処かで少女はそれを感じた。体の“ふよふよ”を意識するとより鮮明に感じる。隣の兄のものと比べるとずっと小さいが、確かに二つ、こちらに近づいていた。
「おにぃ、起きて。」
「……どうした?」
「なんか近づいてくる。」
兄は起き上がると、少女が指した方をじっと見つめる。少女と同じように五感ではない何かに集中しているようであった。少女は兄よりもこういった感覚に優れていて、異変があると時折こうやって兄を起こし、知らせるのであった。
「……ここから離れよう。念の為、このまま次の場所まで移動する。」
「うん、わかった。……あーあ、せっかく盗ったごはん、勿体無いなあ。」
食べ物を惜しみながら外へ出る。明かりのない長屋周りは真っ暗で気を抜けばお互いを見失ってしまいそうだった。
「行くよ。」
少女の手を引いて兄が歩き出す。
兄の手は冷たかった。
茂みの脇道に差し掛かったところで、立ち止まって様子を伺う。近づいていた二つは現在長屋にいるようだった。
「……やはりここを離れて正解だったね。このまま、静かに移動しよう。」
「うん。」
道の先へ歩き出す。転んだり音を立てることのない様、浮き石を避けて木の近くをなるべく歩く様にする。その時、
「!?」
突然左足を何かに引っ張られた。右足の踏ん張りがきかず、そのまま前に倒れ込む。
頭上でガラガラと喧しい音が鳴り響いた。
**********
男達は長屋に近づき、壁伝いに慎重に戸口へ向かった。そっと中の様子を伺う。人の気配は感じない。思い切って中を覗くもそこには誰も居らず、夜の冷えた空気だけが長屋の中で静かに佇んでいた。
中へ踏み込むと体重でギシギシと床が軋む。途中で何かが足を掠めて、ちゃぷんと水音が聞こえた。桶か何かに水でも入っているようだった。
「おい、どうなっている。誰もいねえじゃねえか。」
「おやぁ、あの子供、随分と勘が良いようですねぇ。でもご安心ください。手は打ってありますから。」
その時、遠くで木を乱雑に打ち鳴らした様な音が響いた。
「おい、今の音は!?」
「ちょうどアタクシが事前に仕掛けた罠にかかったのでしょう。あれば鳴子の音でござんす。」
「おい、行灯をよこせ。もうこそこそせずに、堂々と行くぞ。」
男は行灯に火を灯し、音のした方へ駆け出していった。
**********
少女の足首に紐が巻き付いている。
それは罠だった。しくじった、と少女は思う。自分だけならまだしも、兄まで危険に晒してしまった。
「おにぃ、先に行ってて。」
「……わかった。」
暫しの逡巡の後、兄は了承した。
万が一の時は、どちらかが一方を見捨てて逃げるとあらかじめ決めていた。ここで兄も捕まるくらいなら、今ここで自分が死んだ方がマシだ。
走っていく兄の背中を見送る。
だが、まだ諦めたわけではなかった。追手がたどり着くまでに、この紐をなんとかすればまだ助かる。
紐を思いっきり引っ張る。──だめだ、力が足りない。“ふよふよ”を手に集める。もう一度強く引っ張る、引っ張る。思っていたよりも、丈夫な紐だった。引っ張るたびに紐の先の鳴子がガシャガシャと音を立てて、罠の仕掛け主に獲物の居場所を知らせる。
「おい、この辺じゃないのか!」
「はい、こちらでございやす。」
遠くから声と明かりがが近づいてくる。紐からみしりと音がする。まだ時間がかかる。まずい、このままじゃ──。
「いたぞ!」
男の持つ行灯が少女を照らす。
突然の強い光に少女は思わず目を閉じた。
「お前、昼間のガキだな。」
──あともう少し。時間さえ稼げれば切って逃げ切れる。
「盗みはいけないことだって生前にお母さんから教えてもらわなかったか?」
──男の隣にいる奴はなんだか弱そうだ。話しているコイツを何とかして、時間を稼げば……。
「……旦那。」
「ああ、わかっている。これはお前の手柄だ。報酬を増やそう。」
麻袋を持って男が近づく。
紐を引っ張る手を止めて、手に集中する。昼間にやった”アレ”をもう一度やろう。集まった“ふよふよ”を一つにまとめる。いつもよりもたくさん集めて、強く、打ち出す──。
パァンッ
およそ人が発することのない、水気のある破裂音が響いた。落ちた行灯が枠を燃え上がらせる。大きくなった炎の光が照らしたのは、首から上が弾けた男の死体であった。
「ッヒ、ヒィ!」
痩せた男が悲鳴を上げながら後ずさったかと思うと突然、倒れ込んだ。気絶しているようであった。男の背後から、兄が歩いてくる。
「おにぃ!」
──そうだ、紐。
異様な光景を前にして、意外にも頭は冷静だった。さっき投げたのと同じくらいのふよふよを手に集めて、力一杯引っ張った。ブチィッと音がして今度は引きちぎることができた。
立ち上がって兄の手を取る。兄は、首から上が吹き飛んだ遺体を見つめていた。
「おにぃ、これはえっと、その……いつもみたいに脅かそうと思って、でもいつもより強くやらなきゃってしたら、なんかこうなっちゃって……。」
「……気に病むことはない。ただコレが、弱かっただけのことだよ。」
「うん……。」
兄はそういってくれたが、気に病まない訳はなかった。罪悪感が胸に広がる。
「もう追われることは無いだろうが、コレが目を覚ます前にここを発とう。それとも、こっちも──」
殺しておくかい?
兄が言いかけた途中で妙な気配を感じて二人で振り返った。
背後では、空間がひび割れ、隙間から這い出た指が裂け目を広めていた。空間の奥から覗く虚ろな仮面と目が合う。──
「走るよ。」
手を引かれて走る、走る、走る。
次々に後ろへ流れていく景色のように、先程のことが少女の頭に浮かんでは消えていった。
人を殺した。いや、でももともと死んでるのか。じゃあ私がやったことは何?殺霊?霊って何?死ぬって何?
死とは何か──命が尽きること。活動が止まること。生きていないこと。そう、終わりだ。死とは、明確な終わりでなければならない。死から有が生じてはならない。……では、このあり様はなんだ。死した者が見て、聞いて、嗅いで、味わって、感じている。生と何が違おうか。この歪みはなんだ。一体どうしてこんなことになっている?………そうか、この世界は「もう少し早く走れるかい?」
兄の声で思考が遠ざかる。なんだかとんでもないところまで思考が飛んでいった気がするが、その大半は目の前の現実の中に沈んでいった。案外動揺していたみたいだ。
後ろを振り返ると
「まだいけるよ。」
足にもっと力を込める。地面を蹴る時により強く込めるのが、コツ。足を前へ前へと出す。
ぐんぐん速度が上がっていく。よし、これなら振り切れそうだ。
と、その時、進む先の空間にも亀裂が入るのが見えた。──不味い、正面からも!
咄嗟に止まろうとするも、すぐには止まれない。このままでは突っ込んでしまう──。
刹那、黒い疾風が二人を攫った。
また別の黒い影が
黒い着物を着て、刀を持っている──死神だ。
死神が通り過ぎた
「怪我はない?」
二人を抱えた人影が声をかける。
女性の声だった。彼女もまた、死神のようであった。
「君達、危ないところだったね。」
もう一人の死神が近づいてくる。こちらは男性の声をしていた。
女死神に降ろされ、二人の死神と向かい合う。自分達よりも強い“気配”に、圧力を感じて少し後ずさる。
「助けていただき、ありがとうございました。」
兄がお礼を口にした。
──なんだろう、何となくいつもと雰囲気が違う感じがする。
それが初めて目にする兄の自分以外との会話であった。普段よりも心なしか柔らかい雰囲気に違和感を覚える。今の少女にはよくわからなかったが、後にこの時を振り返ると、これはただ彼が猫を被っていただけの話だった。いつも仏頂面であった彼が人をどこか安心させる微笑みをしているところも、後ろに立っていたため少女に見えることはなかった。
取り敢えず違和感は置いておいて、兄に遅れて「ありがとうございました。」と口にすると、遠くから目の前の二人と似た気配が近づいてくるのを感じた。
暫くして若い死神がこちらへ駆けつけくる。
「
「わかった、向かおう。それじゃあこの場は失礼するよ。」
そう言って、死神達は去っていった。
**********
「さっきの子供達のあの走り、“瞬歩”でしょうか。」
「いや、恐らくだが違う。単純に霊力で脚力を底上げしただけだろう。流魂街にもたまに霊力を扱える者がいるが、実用化に足るほど扱えるのは珍しいな。」
話しながら現場へと向かう。遺体の回収も彼らの仕事の一つだった。遺体は放っていてもいずれ霊子に帰るが、完全に霊子となるまでに時間を要することから回収して霊安地へ安置することになっている。
現場へ駆けつけると、隊士と、痩せて背の曲がった男が脇道に立っていた。隊士がこちらに気が付き、声をかける。
「お疲れ様です。この者が言うには、これは
「はい、死神の旦那。アタクシは嘘は申しておりません。確かに、子供がなにかを投げて、次の瞬間には……!」
そこには、首から上のない遺体が横たわっていた。断面から流れ出た赤い液体が道上に広がっている。
見て、確信した。あの子供達は恐らく天才の類であろう。
この遺体が作られた原因は鬼道によるものではない。では、何か。恐らくは単純に霊力を集めただけのものだろう。時折この流魂街にも霊力を持つ子供はいるが、精々できることといったら光る玉を浮かべるくらいだ。人が弾けるほどの密度なんて死神の隊士程度の霊力がないと不可能だろう。そして、あの走り。これを、子供が──。
「あの子供たちを探してくれ。会って話がしたい。」
「承知しました、──藍染殿。」
──ようやく、見つけた。この男には感謝しないとな。
男死神は内心で笑みを浮かべ、横たわる遺体を眺めた。もう動くことも、感じることもない、遺体。
男は、二度目の死を経てようやく、物言わぬただの骸となったのであった。