もしヨン様に理解者がいたら   作:肩パルト

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 長らくお待たせいたしました。
 環境の変化があり少しバタついていたため、更新が遅れてしまいました。
 今後もしばらく投稿ペースはゆっくりになりますが、最低月1回以上の更新は続けていきたいと思っています。
 引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




日常②

 

 

 午後の陽が斜めに差し込む隊首室の中で、静かに紙をめくる音が響く。

 

「ただいま戻りましたわ」

 

 隊首室の扉越しに、年相応の、あどけなさの残る声が届いた。美代は読んでいた書類から顔を上げると、部屋へ入ってきた少年を一瞥する。

 

 少年は愛想の良い笑みを顔に貼り付けながら、ゆっくりと部屋の中へと歩みを進めた。

 美代の前でぴたりと立ち止まったその時、ちょうど障子窓から差し込んだ日差しが少年を照らし、その銀髪を鈍く輝やかせる。

 

「ご苦労様。今度はこっちのをお願いね」

「姐さん、ちょっとボクのことコキ使いすぎやあらへん……?」

「そう? ……まあでも、今五番隊(ウチ)は主力が不在なんだから多めにみてよ」

 

 というのも、隊長副隊長の二人は現在、現世へ派遣された隊士らの巡視業務で長期出張中なのであった。

 

「……はぁ」

 

 ──一体、いつまでかかっているのやら。

 

 大正と呼ばれる現代の急激な文化や習俗の変化に手こずっていると報告はあったが──それにしても遅すぎる。

 美代はため息をつき、今更ながら思った。目の前の少年──市丸ギンとこうして二人で過ごす時間が、思いのほか長くなっていることに。

 

 ギンは、相変わらず顔に笑みを貼り付けながら、次の指示を待っている。

 兄の下で磨きのかかったように思える愛想笑いと飄々とした態度に、もう一つ溜息がこぼれた。

 

 最初に会ったときの姿が、ふと脳裏に浮かぶ。あの時はまだ、今よりもう少し無垢な面影があったのにな──と、美代は目を細め、そう遠くない過去の記憶に浸った。

 

 

 

***

 

 

 

 

「ほな、コイツのことはオマエが面倒みたれ」

 

 それは、ギンが入隊して間もない頃の記憶。

 ギンを指して、平子は兄へそっけなくそう言った。

 

「わかりました」

 

 兄は静かに頷き、腰ほどの背丈しかない少年に視線を向ける。

 そして、いつもの柔らかな微笑みを浮かべた。

 

「では、市丸四席──」

「惣右介。そうやなくって、名前で呼んだれや」

 

 突然の指摘に兄が視線をずらすと、なぜか隣のギンまでもが首を傾げる。

 

「なぜです?」

「理屈やあらへん。俺がオマエのこと藍染って呼んだら──どう思う?」

「…………」

 

 微かに眉を顰めた兄を見て、平子がニヤリと笑う。

 

「そういうことや。関係を築くンには、まずは形からやで。ちゅうことで、俺のこともシンジでええよ」

「それは……遠慮しておきます」

 

 まさか断られるとは思っていなかったのか、平子は面食らったように目を開いた。

 

「なんでや? 俺がええ言うとるんやぞ」

「隊長は、隊長ですから」

「ほうか……ほな、もし俺が()()()()()()()()()()どうや?」

「そうですね。……まあ、その時は考えても良いですよ」

 

 そして少し考えると、兄は微かに首を傾げて言った。

 

「……まさか隊長、護廷を抜けるご予定でも?」

「んな訳あるか、ボケ! ただ、オマエが他隊の隊長になる可能性もあるやろ」

「なるほど。……でも、良いのですか? 僕を手放しても」

 

 レンズの奥の瞳がスッと細められるのを見て、平子は苦笑まじりに肩をすくめた。

 

「あくまで例え話や。オマエを放っておいたら……碌なことにならんやろ?」

「……なら、良いのですが」

 

 その返答が、思ったよりも気に入ったらしい。

 どこか満足気に歩き出した兄が、まだ無言で控えていたギンに向き直る。

 

「それじゃあ、ついておいで……ギン。まずは隊舎を案内しよう」

 

 広い歩幅で歩き出した兄の背を、ギンが小さな足でトタトタと追いかける。

 そのあとを、一匹の地獄蝶がひらりと舞い上がっていった。

 

 黒い影が宙を揺蕩うのを目で追っていると、その視線の先──二人の背を見送っていた平子がちらりとこちらを振り返る。

 

「なあ、あのギンって子、惣右介目当てでウチに入ったんやって?」

「そうらしいですね。……よくご存知で」

「惣右介が言っとったんや。理由までは知らへんけどな」

 

 危うい子やね。小さくなる二人の背を見つめながら、平子はそうポツリと呟いた。

 そして少しの沈黙の後、再び口を開く。

 

「ギンが悪いことを覚えへんように見とかんとな」

 

 平子の言う“悪いこと”とは、果たしてどこからを指すのだろう。彼は、一体どこまでを許容するのだろうか。

 その境界はまるで“蝶”と“蛾”のように、見る者によってその姿を変え、決して定まることのない曖昧なものなのだろう。

 

 それがわかるのは、きっと全てが済んだ後だ。その時彼は、今と変わらず自分たちを受け入れてくれるのだろうか。

 

「そうですね」

 

 美代はただ曖昧にそう返すと、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 兄を目当てに異例の速さで死神となった少年。平子もそのことを承知で兄に世話役を任せたのだろうが──果たしてそれで良かったのか。

 

 まさか兄が、ギンのことを平子へ話していたとは。正直驚きは否めなかった。

 

 最近、平子が兄に随分と気を許している様子があり、兄もまた満更でもないような空気を漂わせている。

 

 ある日を境にやたらと親密な距離感へと変わった二人の関係。

 

 兄曰く、「特段支障はないから、気にしなくていい」とそれ以上は語らず、平子に尋ねてみれば「男同士のヒミツや」と笑って誤魔化されるばかり。

 

 ならばと、気にせずこちらも調()()()の方を進めていたわけだが、それもどうやら平子にはお見通しのようで、どこかやりずらを感じていた。

 とはいえ、今のように自由に動ける時間は案外貴重なのかもしれない。

 

()()()の方はどう?」

「二番隊のほうに、ちゃん誘導しときました」

 

 読みかけの資料に目を落とす。最新技術──義魂技術について詳細に書かれた機密資料。その内容を反芻しながら、美代は考える。

 

 果たしてこれで、()の目に留まるだろうか──。

 

「……まあ、なんとかなるか」

 

 

 その時。

 伝令神機から、連絡が入る。

 

 

『六十二区花枯(かがらし)にて、(ホロウ)が発生したとの報告が──』

 

 

 本来ならば、流魂街における(ホロウ)の討伐は実践部隊である十一番隊の領分であるが、彼らが出払っており、尚且つ緊急性を要する場合に限り、臨時戦力として五番隊に業務が回ってくることがあった。

 

 ──また、綱彌代時灘の改造虚か。

 

 美代は額に手をやり、ひとつ息を吐くと、伝令神機を手に取った。

 

「私が即対処に向かいますので、それまで間、現場近くの隊士には住民の避難誘導の指示を。──ギン、貴方はここで待機ね」

「ボクも行きます」

「……うん?」

 

 思わぬ返事にギンの方を振り向くと、真剣な眼差しと視線がぶつかる。

 

「ボクもついて行く、言いました」

 

 普段飄々としている彼が突然見せた気迫に、美代は思わず目を丸くした。素の兄を前にしてもほとんど動じなかったこの子が、なぜ今、こんな顔をみせるのか──。

 

「さっきまで面倒がってたのに、急にどうしたの?」

「……なんとなく、ですわ」

 

 本音は胸の奥にしまい、それでいて一歩も引かなそうな様子のギンに、美代は仕方ないなといった風に小さく息をこぼした。

 

「まあ、別に良いけどさ。ただし、勝手な行動は慎むようにね」

 

 ギンはただ無言で小さく頷く。

 常に油断なく、腹の中を読ませまいとするところまで兄に似てきたなと、美代は内心で肩をすくめた。そしてそれ以上は何も言わず、流魂街へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「粗方、片付いたかな」

 

 

 美代の周りには(ホロウ)の残骸が散らばっていた。ひしゃげた個体、千切れた個体、折れ曲がった個体。そのどれもが時灘によって改造された異形の姿のまま、無惨に地に伏している。

 

「ひゃー、ほんまに、えげつないわ」

「霊圧で全部吹き飛ばそうとするのと比べたら大したことないよ」

「どっちもどっちやないですか。……って、それ、あの人のこと言うてます?」

「さあ、どうでしょうね──ん?」

 

 美代は涼しい顔で笑いながら、不意に足を止める。

 周りには、(ホロウ)の骸が変わらず静かに横たわっている。

 

 異常だ。

 死神に討伐された(ホロウ)は浄化され、尸魂界(ソウル・ソサエティ)へと還るのが常だ。それなのに未だにこうして骸が残っているということは────

 

 刹那、骸が霊圧を放つ。正確には、その内部が。

 

 

「ンギャギャキキキ」

 

 奇怪な産声が辺りに響く。

 骸の中から外装を食い破り、小型の(ホロウ)が肉の上を這う蛆のように身を捩りながら這い出てきた。やがてそれは折りたたまれていた三対の人型の腕を広げると、腹を引きずりながら地の上を獲物を探して這いずり回り始める。

 

 ────これは……。

 

 美代には見覚えがあった。

 これは、兄の手がけた改造虚だ。

 

 寄魂(メタスタシア)計画──(ホロウ)の死神化の前段階として想定した、(ホロウ)の魂魄に転移・侵食作用を付与し、存在を変容させるための検証。そのプロトタイプとして作られた、(プラス)や死神と(ホロウ)の違いの一つである生殖能力を宿した個体。

 

 この(ホロウ)は、他の(ホロウ)に寄生し、霊力を喰らいながら胎内で増殖する。

 時灘はこれを寄生させた上で自身の改造虚を放ったようだ。

 大方、対処に手こずる護廷でも眺めて嘲笑したかったのだろう。相変わらず碌なことをしないものだと美代は肩を竦めて冷笑した。

 

 死骸から次々に(ホロウ)が這い出る。

 その光景にうんざりしながら、美代は部下へと指示を出した。

 

「ギン、警戒区域外へも避難指示の連絡を────」

「きゃーーっ!」

 

 可愛らしい叫び声が言葉を遮った。

 遠くで淡い亜麻色の髪の少女が(ホロウ)に襲われかけている。

 なぜまだ住民がこんなところに残っているのかと考えが浮かんだ一瞬の間に、ギンが瞬時に斬魄刀を抜くのが視界の隅で見えた。

 

 不味い。美代は思った。

 この(ホロウ)のもう一つの能力は────、

 

 

「──────射殺せ、『神槍』」

 

 

 瞬時に伸びた斬魄刀が、(ホロウ)の群れを纏めて両断する。半身と泣き別れになった(ホロウ)が次々と地の上に転がった。

 その向こうでは、尻餅をついた少女が、呆然とこちらを見つめている。ギンはなぜかその視線から隠れるように、美代の後ろへと下がった。

 

「あっちゃー」

 

 美代は苦笑いを浮かべながら、軽く言い放つ。

 

 真っ二つになった(ホロウ)は、討伐された(ホロウ)のように霊子へと還ることはなかった。

 それぞれの半身が再生を始める。それらは決して元の一つに戻ろうとしているわけではなく、分たれたまま、別の個として復元されようとしていた。

 

 もう一つの能力。それは超速再生による分裂。無性生殖する生命のように、自身を複製し、増殖する力。

 

 美代は再生を終えようとしている(ホロウ)を眺めながら、静かに思考する。

 

 ──さて、どうしたものか。

 

 この(ホロウ)に、大概の外傷は逆効果だ。他の手段が必要になる。

仕方ないな、と一息ついてから腰の斬魄刀を抜いた。

 

「あら、姐さんが刀抜くところ初めて見ましたわ」

「ま、あんま使う機会も無いし。ちなみにこれから見ることは内緒にね」

 

 あの女の子、下がらせといて。そう言おうとしたその時──遠くに見知った霊圧を感じ、ふと足を止める。

 

 首を傾げたギンが口を開くよりも早く、遠くで閃光が放たれた。

 

 鬼道によって放たれた光が、直ちに辺りを照らす。その光に遅れて音が弾け、(ホロウ)の注目が一斉に集まった。

 

 

「ほな、みなさまご注目~~!」

 

 

 声のする方を見ると、そこには穿界門を背に、両手で口元を囲って大声を張る平子と、隣で静かに佇む兄の姿があった。

 (ホロウ)らは突然の出来事に警戒を強め、ギチギチと威嚇音を鳴らす。

 

 そんな中、二人の斬魄刀が同時に解放された。

 

 

 

「倒れろ─────『逆撫』」

 

「砕けろ─────『鏡花水月』」

 

 

 

 (ホロウ)らは、既に逃れられない死地の只中にいるも同然だった。美代はそっと斬魄刀を鞘に戻し、これから起こされるであろう惨劇を見守る。

 

「ほないくで、惣右介──」

 

 言葉と同時に、平子の斬魄刀が軽やかに宙を回る。次の瞬間、(ホロウ)たちの挙動が異様なものへと変わった。

 

 自傷、共喰い、同士討ち。視線を彷徨わせながら暴れ回るその惨状の中、錯乱と混迷の咆哮が響く。

 

 美代はギンを連れて後方へ下がりながら、二人のもとへと向かった。その耳に、平子と兄のやり取りが届く。

 

「面白い形の刀ですね」

「感覚を支配するんがオマエの斬魄刀だけやと思ったら大間違いやで」

「成程、相手の認識を逆転させているんですね。興味深い能力です」

「せやろ? どうしてもっちゅうなら貸したってもええで」

「まあ、僕の鏡花水月は五感すべてを支配できますがね」

「……オマエって、ほんま可愛げがないよな」

 

 引き起こされたのは、感覚の誤認と認識の逆転。それは正しく、味方同士を傷つけ、喰らい合う悪夢の舞台だった。

 

 そんな只中、どこ吹く風で二人の軽口は途切れず続く。

 

「っちゅうか、俺の能力見るの初めてなんに、よう噛み合っとるな」

「あなたの癖くらい、把握してます。……それに、(ホロウ)の動きからも推察できますしね」

「流石やわ。息ぴったりやもんなあ」

 

 やがて、(ホロウ)は共喰いによって自壊し、数を減らしていった。万が一増殖した際の防衛策として、同種を喰らえば魂魄自殺を引き起こすよう、あらかじめ仕組まれていたのだ。

 

「──あら、姐さんの秘密、見損ないましたわ」

「そりゃ残念。滅多にない機会だったのにね」

 

 こちらの存在に気がついた平子と目が合うと、彼は斬魄刀を揺らしながらニヤリと笑う。

 逆撫の能力の一端なのだろうか。どこからか、爽やかな甘さの奥にほろ苦さのある、不思議な香りがした。

 

「なんや、迎えに来たんか?」

「そんなわけないでしょう。たまたま(ホロウ)の討伐要請で来てただけですよ。いやあ、良いところで戻ってきましたね」

 

 目線で狂乱する(ホロウ)を指すと、その視線を追った平子が眉を顰める。

 

「せやったか。……にしても、えらいキショい見た目しおるな、コイツら」

 

 それ、今あなたの隣にいる部下が作ったんですけどね。美代は無関心な様子の兄を横目で見ながら内心で肩をすくめた。

 大方、性能を確認したらそれで満足したのだろう。微塵も興味なさげに滅びゆく(ホロウ)を眺める姿からは、その創造主だとは想像もつかない。

 

 

「────ギンッ!!!」

 

 声の方を向くと、先程(ホロウ)に襲われていた少女が、こちらに駆け寄る姿が見えた。平子が首だけでギンの方を振り返り、尋ねる。

 

「なんやギン、知り合いか?」

「…………ウン」

「なら、はよう行ってやれ」

「…………、……行ってきますわ」

 

 ギンは小さく頷くと、少女の方へと走っていった。その背中を見送りながら、平子がどこか遠い目をする。

 

「最近の若いモンは色恋も早いんやなあ」

 

 年寄り臭い平子の呟きは無視して、美代は不満を口にした。

 

「……で、なんでこんなに遅かったんですか?」

「いやほんま、色々あってな……」

 

 平子が頭を掻きながら、遠い目をする。

 

「ワケあって現世の通貨が尽きてしもうて、惣右介が俺の髪を担保に──」

「隊長、よそ見してないで目の前の(ホロウ)に集中してください」

 

 横からの兄の指摘に平子がわざとらしくため息をつく。

 

「別にええやろ、オマエが見とれば十分やし」

 

 そう言いながらも、平子の能力はきちんと作用しているようだ。(ホロウ)は相変わらず呻き声を上げながら、仲間に嚙みついたり、自らの肉を裂いたりと狂気じみた動きを繰り返している。

 

 やがて、あれだけいた(ホロウ)も数を減らし、残すところあと一体だけとなる。

 最後の個体は平子の鬼道によって燃やされ、塵となって消えていった。

 

 刀を鞘に納めた平子が、両手をパンパンと叩く。

 

「──ま、なんとか式典に間に合うて良かったわ」

「ああ、たしかもうすぐ、十二番隊の隊長が新しくなるんでしたっけ」

「せやねん。ひよ里のヤツ、ずうっとスネとってな。ほんま難儀やわ」

 

 美代が微かに目を細める。

 

 護廷では稀有な、隊長昇進の話。

 現十二番隊隊長・曳舟桐生によって創り出された新技術である、義魂とそれを取り込む技巧。

 

 そこから察するに、昇進の条件は、尸魂界(ソウル・ソサエティ)の歴史に変革をもたらし得る、何かを生み出した者である可能性が高い。

 

 そして、四十六室にそのような技術者が居るという話は聞いたことがなかった。

 つまり──彼女の昇進先は。

 

 "王属特務・零番隊"

 

 そして、それによって空いた席座の後任は────

 

「──何や、もうエエんか?」

 

 いつの間にか戻ってきていたギンに、平子が声をかける。

 

「……ウン」

 

 ギンは地面を見つめたまま、じっと固まっていた。どこか陰りのあるその様子に、平子が目を瞬かせた。

 

「どしたん? 塩らしうなってもうて。あん子にフラれでもしたんか?」

 

 ギンはじっと黙っていた。

 平子はそれ以上は何も言わず、ギンの気持ちの整理がつくのを静かに待っている。

 

 もうじき、日が沈みそうだ。

 傾きかけた日差しの眩しさに、美代はそっと目元に手を翳した。

 

 やがて、ギンの幼さの残る手が、そっと袖を握り込む。

 

「乱菊──あの子に、叱られてもうたわ」

「まあ、女心っちゅうんわ難しいからなあ。俺も昔、散々痛い目見たわ」

「へえ、意外ですね」

 

 何事も飄々と受け流しそうな平子にしては珍しいなと美代は少し瞠目した。

 

「あん時は俺も若かったからなあ……」

 

 平子が懐かしそうに目を細める。

 そういった類の話にほとんど関心のない兄は、無表情に話の流れを見守っていた。

 

「……ほんで、何を怒られたん?」

「……勝手にいなくなったらあかん、て」

 

 そこに入隊してすぐ席官となった優等生の姿はなく、年相応のあどけなさが顔を覗かせていた。

 

「ボク、乱菊を守るために死神になろう思って、それで───」

「急にいなくなったんか?」

 

 ギンが小さく唇を噛んで、こくりと頷く。

 

「それはまあ、怒られてもしゃーないかもなあ。なあ? 惣右介」

 

 平子は隣の方を向き、これまで沈黙を保っていた副官へと同意を求めた。

 

「そうですね。では、僕もそろそろ隊長の急な外出に文句を言っていい頃かもしれませんね」

「あー、なんや。それはオマエらへの信頼の裏返しやけん……な?」

 

 今度は逆方向を振り向いて、こちらへ同意を求める平子に、美代は柔らかく笑った。

 

「へえ。なら私も、隊長への信用が裏返ってこれからは残った仕事を任せて定時で帰ってしまいそうです」

 

 このままでは分が悪いと悟ったのか、平子は正面のギンへ顔を戻す。

 

「──ま、事情はわからんし、オマエにはオマエの考えがあるんやろ。……でもな」

 

 平子は一泊間を置いて、真っ直ぐにギンを見つめる。

 

「一番大事なモンを見誤ったらアカンで」

 

 釣られたように、ギンが俯いていた顔を上げた。

 

「その子ンこと大事なら、ちゃんと気持ちも汲んでやらなアカンで。その子は、オマエと一緒に居りたかったんちゃう?」

「……ウン。やから、乱菊も死神になる言うてた」

「せやったか、ならええやん。こっち来たら、今度こそその子の“隣”にちゃんとおってやり」

 

 ギンが小さく頷いたのを確認して、平子は最後に自身ありげにニヤリと笑った。

 

「こうやって女の子ン気持ちを察して、そっと寄り添ったる……これでイチコロやで!」

 

 平子のその勢いに思わず、美代は首を左右に振りながら苦笑いを浮かべる。

 

「そういうの、案外下心見え見えで引いたりするんですよね」

 

 平子が何か言いたげな顔で美代の方を振り向くも、彼が物申すより先に、ギンの小さな声が割り込んだ。

 

「……ボク、相談する人を間違えてもうたかな」

 

 平子は堂々と胸を張ると、両手を袖口に差し込んだ。

 

「モテる俺が言うとるんだから安心せえ! なあ、惣右介?」

「僕は隊長のようにモテたことがないので、なんとも」

「嫌味か?」

 

 兄が眉を微かに下げて、困ったように笑う。その何もかもが計算された表情に、平子が顔を顰めたその時、視界の隅を黒い影が横切った。

 

 地獄蝶。

 現世との往来を共にする、小さな案内人。

 死神を導くその蝶は、誘うようにひらりと宙を滑ると、兄の肩にそっと舞い降りた。

 

「どっか行ったかと思うたら、こんなとこにおったんか。ほれ、隊舎に戻りぃ」

 

 平子がそう声をかけると、地獄蝶はふわりと天へ舞い上がり、瀞霊廷の方へと飛んで行く。

 橙に染まらぬその漆黒は、傾いた陽光の中で、空に開いた穴のように沈んで見えた。

 小さくなってゆく黒い影を見上げながら、平子は呟く。

 

 

「ま、俺らも帰るか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瀞霊廷に着く頃には、空はすでに薄暮の色に染まり、通りには行燈の灯りがぽつぽつと灯り始めていた。

 灯火に吸い寄せられた羽虫が、明かりの周囲を執拗に舞っている。

 

 視界の隅へと流れてゆく暖かな灯りを横目に、美代たちは、隊舎への帰路についていた。

 

 どこかの小料理屋で干物でも焼いているのだろうか。香ばしい匂いがどこからか漂ってくる。

 

「そういや、腹ぁへったな。……夕飯でも食って帰らへん?」

「後にしてください。まずは報告が先です」

「へえへえ、わかっとりますぅ──ん?」

 

 通りの先で、なにやら人の動きが不自然に乱れているのが見えた。その先に感じた見知った霊圧に、美代は内心眉を顰める。

 

 道ゆく人々は次々と道端に寄り、道の中央に向き直って面を下げていた。

 

「ギン、合わせて」

 

 流魂街から瀞霊廷に来て日が浅いギンへ、短く声をかける。道端に寄って平子の後ろへと下がり、そっと目を伏せた。

 

 道奥から歩いてきたのは、貴族だ。こういった光景は、こうして階級の高い大貴族が貴族街の外を歩く際に時折見られた。

 貴族は、人々に目もくれずたおやかに歩いている──が、やがて五番隊一行の前で立ち止まると、視線を伏せたまま静かに佇む平子へ気さくに声をかけた。

 

「ああ、ご苦労」

 

 その声を聞いて、ギンが我を忘れて身を強張らせる。咄嗟に目線を上げようとするギンの動きを察した兄が、即座に小さく咎めた。

 

「──ギン」

 

 低く名を呼ばれ、我に返ったギンは、僅かに息を呑んで動きを止めた。

 

 その様子を横目で眺めながら、貴族──綱彌代時灘は、親しみを感じる声色で言葉を重ねる。

 

「……こうして君たちのように任に励む姿を見ると、私も背筋が伸びる思いがするよ。

これからもこの調子で励んでくれたまえ」

「……はい。お心遣い感謝します」

 

 全く、気に入らないな。

 平子の口から出た、普段聞いたことのない言葉遣いを耳にしながら、美代は心中で唾棄した。

 放った(ホロウ)の引き起こす惨状を楽しみにしていたところで自分たちを見つけ、面白がって声をかけにきたのだろう。

 大人しく崩玉の作成に取り掛かれば良いものを、時折こうして見せる手癖の悪さを美代は心底鬱陶しく思っていた。

 

「ああ、それと──君の部下は実に優秀なようだね。部下をどう扱うか……それが上に立つ者の責務だ。そのためにも、決して見誤らないようにな。……()()()()()()

 

 それだけ言い残し、時灘は平子の前から去っていった。石畳を踏む音が、徐々に遠ざかってゆく。

 

 その音に耳を傾けながら、美代は冷笑した。

 果たして、見誤っているのは一体どちらなのか────。

 

 貴族と距離が離れると、やがて道端の人々が普段通り動き出す。その空気の中、平子が気怠げに不満を溢した。

 

「ハァ〜……肩凝るわ、ほんま。貴族サマと鉢合わせるなんぞ、ついとらんなあ」

 

 未だ体を強張らせていたギンが、そっと顔を上げる。

 

「……今の、なんやったん?」

「貴族サマのお通りや。俺らみたいな下々のモンは、道を譲らなアカンねん。

ま、ここまでなんも珍しいけどな。五大貴族かそれに並ぶくらいの大貴族やったんやろ」

 

 その一瞬、ギンの目に宿った僅かな敵意に、平子は目を細めた。

 

「なんやギン、むくれた顔しおって」

「別に、なんでもあらへん」

「そうか? 気に入らへんって顔に書いてあるぞ」

 

 的確に内心を突かれ、ギンは目を逸らす。

 だが平子は、それ以上追及することなく、あっけらかんと言い放った。

 

「ま、貴族が好きなヤツなんぞ、そうおらんわな」

「隊長、声が大きいですよ。誰かに聞かれたらどうするんですか」

「へいへい」

 

 平子は耳をポリポリと掻くと、体の向きを変えて歩き出した。その後に三人も続く。

 

「──それにしても、まさか俺の部下の優秀さが大貴族サマにまで知れ渡っとるとはなあ。鼻が高いわ」

 

 平子は前を向いたまま、淡々と言った。

 だがその背中からは、こちらを見定めるような気配を感じる。

 

「いえ。ただ単に、あの人がたまたま僕たちのことを知っていただけかと」

「ほーん、それで?」

「彼は、綱彌代時灘。五大貴族の現当主です」

 

 平子は両腕を組むと、静かに天を仰いだ。

 

「せやな。アレは五大貴族のモンや」

 

 平子の言葉を最後に、四人の間に沈黙が流れた。遠くから、居酒屋の客引きの陽気な声が響く。

 

 微かに身を強張らせるギン。飄々とした兄。無関心を装う美代。

 そこから何かを察した平子が額に手を当てた。

 

「ハァ〜〜」

 

 平子が深くため息をつく。

 

「ま、ええわ。俺も深くは聞かへん。でもな、これは年寄りからの助言や。碌でもないヤツと関わっとると、碌でもないことに巻き込まれんで、ほんま」

 

 さらりと大貴族のことを碌でなしと言ってのける平子に美代は思わず小さく笑みをこぼす。

 それが事実な分、殊更可笑しく思えた。

 

「でもあの人、気さくな感じでしたよ?」

 

 ──表面上はね。美代は内心でそう付け加えながら首を傾げてみせる。平子が再び呆れたように長く息を吐いた。

 

「アホか。オマエら見とると人の表向き何ぞなんの信用もならんっちゅうことがハッキリわかんやろ。……ギン、オマエはこうなったらあかんで?」

 

 親指でこちらを指す平子に美代は抗議の視線を送った。

 

「酷いですね。表向きも、その人の一部なんじゃないですか?」

「惣右介の面を見てみぃ。あれがアイツの一部やと思うか?」

 

 隣の兄と目が合う。

 護廷の誰もか信頼を寄せる、完璧な笑顔。

 

「……うーん、黙秘で」

 

 ほらな?と言わんばかりに、平子が片眉を上げる。

 

「ともかく、貴族サマの腹ン中がなんであれ、付き合う以上は気をつけることやな」

「──別に、その必要はないと思いますよ」

 

 静かに語られたその言葉に、三人の視線が集まる。

 

 いつの間にか日は完全に落ち、辺りは静かな闇に覆われていた。星明かりのない今宵、灯された行燈の光だけが道を照らしている。

 

 その灯りのもと、一匹の蛾がひらひらと舞っていた。まるで恋い焦がれるように、灯火の周囲を廻り続ける。

 

「善悪の定義など、いずれも主観に過ぎない。けれど──因果という摂理からは、誰も逃れることはできない。……そういうものですから」

 

 そう言って、兄は隣の少年を静かに見下ろした。その視線に気付いたギンが、じっと見つめ返す。

 

 

 優雅に光の周りを飛んでいた蛾は、ついにその中へ飛び組むと、そのまま燃え堕ちていった。

 

 






 気がつけば、なんと評価数が50件を超えていました。いつも読んでくださっている皆さま、ありがとうございます。
 そして評価を入れてくださった方には、心より感謝申し上げます。とても励みになっています。

 また、お気に入り登録や誤字報告、感想なども本当にありがたく拝見しています。一つひとつが創作を続ける力になっていますので、今後とも気が向いたときにでも、送って頂けましたら嬉しいです。

 ……と、ここまでお礼を述べたところで、最後に少しだけおまけを。


 現世で何だかんだあって賭博で稼ぐ羽目になった二人。

「なあ惣右介、そろそろ──」
「ここからが勝負どころだろう? 君は黙ってそこで観ていなさい」
「でも惣右介、それは流石に……マズいんやないか?」
「なにを言っているんだ。合理を手放し、不確かな運命に身を委ねる──理を超えた先にこそ、博打の本質があるものだろう」
「アカン、コイツ聞く耳持たへん……」

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