流魂街に囲まれた
そこは死神たちの本拠地であり、貴族達の居住区域でもある。
瀞霊門を潜った先は、全くの別世界であった。建物は大きく美しく、道には綺麗な石が敷き詰められている。そして人々の雰囲気も皆明るい。貴族街に入ってからは、それらがさらに顕著に現れていた。
藍染美代は、目に映るもの全ての物珍しさに思わずキョロキョロと辺りを見渡す。浮浪児が
道ゆく人皆が綺麗な着物を着ている。流魂街とは大違いだ。柄の悪い大人は一人も見かけない。それになにより、“気配”が、存在が大きい。沢山の気配をそこかしこから感じることができた。
「すっごいねぇ。本当に今日からここに住むことになるの……?」
「そうだよ。──ほら、家が見えてきた。正面に見えるアレが我が家だよ。」
大通りから逸れた脇道をしばらく進むと、棟門に囲われた立派な建物が見えた。棟門と玄関の間には飛び石と砂利が敷き詰められている。
少し躊躇いつつも門を踏み越えて、正面を見据えた。目前の家屋の大きさに圧倒される。踏みしめた砂利がしゃりっと音をたてた。今朝方まで小汚い家屋の床で寝ていた自分がなぜこんなところにいるのだろう、と今更ながら場違いな気がしてくる。
自分達以外に砂利を踏む音が聞こえてくる。女が一人こちらに向かってきていた。先夜の女死神だ。目が合うと彼女はにっこりと笑った。
「まずは、身体を洗っておいで。湯はもう沸かしてある。美代は彼女──近藤に面倒をみてもらいなさい。惣右介はこっちだ。」
近藤と呼ばれた女死神が朗らかに名乗る。
「この間ぶりね。私は近藤真樹、よろしくね。」
「私は藍染美代……です。よろしくおねがいします。」
「じゃあ美代ちゃん、早速お風呂に行こっか。背中流してあげる。」
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バッシャーーン
頭からお湯をかぶる。足元から立ち上がる湯気で一瞬視界が真っ白になる。
生まれて初めての湯浴みの気持ちよさに思わず口から吐息が漏れる。これまで身体を洗うと言えば、雨を浴びるくらいのものであった。
生身の肉体とは違い霊体は皮脂や垢が出ることはない。しかし、砂や埃などの汚れが長年の生活でこびり付いており、流れたお湯は真っ黒に染まっていた。それを見た真樹が着物の袖をたくし上げる。
「これはなかなか手強いわねぇ。気合い入れていくわよ!」
湯から上がり、全身を拭いてから肌着を身につける。
通された部屋には箪笥と姿見が置いてあった。姿見を見てギョッとする。
──中に人がいる。
鏡を見るのは初めてだった。恐る恐る近づく。中の人も恐々と近づいてくる。鏡の中には肌着を着た長髪の女の子が立っていた。
──これ、わたしだ。
まじまじと自分の顔を見る。兄とそっくりだ。試しにニィと笑うと鏡の中の顔もニィと笑った。
鏡越しに後ろで真樹が箪笥から着物を出して並べているのが見える。
「さあ、美代ちゃん。好きな着物を選んでちょうだい。」
真樹の方へ振り向く。畳に幾つかの着物が並べられていた。
「これ、私が着て良いんですか!?」
「そうよ。どうせ死神になったら死覇装ばっかでオシャレなんてできないんだから、今のうちに好きな服を着ておきなさい。あとで髪も結いましょうね。」
──死神になったら?
真樹の言葉に一瞬引っかかったが、目の前の着物への興味に呑まれて消えていった。どれもが今まで見たことのない鮮やか色彩をしていて心惹かれた。かなり迷った中で一番ピンときたものを指差す。
「これにします。」
着物を着て、髪の毛を飾り紐で結んでもらった。
鏡を再び覗く。
藤色の着物を着た可愛らしい女の子が、嬉しそうに微笑んでいる。
なんだか生まれ変わったような心地がした。
「その着物、髪色とピッタリね。さて、そろそろ男性陣も終わる頃かしら。」
**********
「えっだれ?」
「……そっちこそ。」
目の前にいる群青色の着物を着た少年をじっと見つめる。自分と同じ顔に見つめ返されると、姿見に映った自分の姿を思い出す。ただ記憶の中の姿と大きく違っているところがあった。
伸び切った頭髪が短くなっている。以前は男とも女ともわからないような見た目だったのに、髪型だけで随分印象が変わるもんだと一人で妙に納得する。
「美代も、見違えたなあ。着物の採寸も合っていたようでよかった。食事を用意してある。こちらに来なさい。」
部屋には人数分の配膳が用意されていた。献立は白米、味噌汁、冷奴、煮付けと、シンプルなものだったが、二人にとって初めて見る食べ物ばかりであった。
「これが、お米……だと……?」
初めて見る白飯に驚愕する。いつも食べていた生の米とは天と地ほどの差があった。柔らかくて、もちもちしていて、ほんのり甘い……。
隣を見ると兄の箸の手が止まっていた。どうやら四角くて白いやつを食べたようであった。見た目の奇怪さから後回しにしていたものだ。未知な物体から手をつけるとは、我が兄ながらチャレンジャーな奴だと、彼の勇気に心の中でこっそりと称賛を送る。
最後に満腹だと感じたのは一体いつだっただろうか。ずっしり重くなったお腹に言いようのない満足感を感じる。
おかわりを勧められるまま、何杯もご飯を食べた。あんなに美味しいものをこれから毎日食べられるなんて。胃袋を掴まれて、胸の中で燻っていた懐疑心がいつのまにか薄れていた。
「さて、一息ついたところでこれからのことを話そうか。」
湯呑みの中身を一口含んでから伊左雄が話し始める。
「君達二人には、これから色々と学んでもらう。まずは読み書きや簡単な計算からだな。そして次の春から真央霊術院へ入るんだ。」
真央霊術院は、山本元柳斎重國により設立された死神・鬼道衆・隠密機動を育成するための施設だ。
現在初秋であるので、入学は約半年後ということになる。
先程着物選びの時に真樹が“死神になったら”と言ってたことを思い出す。
──私たち、これから死神を目指すんだ。
「ここで生活していく中で、何か必要なものがあれば用意しよう。他にも困ったことがあれば何でも言ってくれ。」
藍染家の三男であり、若くから家を離れて死神として勤めていた伊左雄は、良い意味で貴族らしからぬ男であった。御廷十三隊で流魂街出身の者と関わってきたことも少なからず影響しているだろう。打算だけはでなく、可能な限り二人に愛情を注ごうとしている様が見てとれた。
「さて、二人の部屋を案内しよう。あとは部屋でゆっくりしていなさい。夕食の時間になったら声をかけよう。」
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用意された自室は、六畳ほどの広さを有していた。座敷卓と座布団が一組ずつ置かれている。障子紙から透ける陽の光が部屋を程よく明るく照らす。障子の向こう側には庭があるようであった。
部屋に入った途端、倒れるように畳に転がり込んだ妹が大の字になりながら言った。
「なんだか、疲れたねぇ。急に色々ありすぎて頭が回らないや。」
日はちょうど最も高いところを通り過ぎたところにある。まだ今日は半分も残っていた。
「最近出かけてたのって、今日のことで?」
「……うん。」
藍染惣右介は、妹の近くにそっと腰を下ろし頷く。
なんで私も連れて行ってくれなかったの、とは聞かれなかった。会話はそこで途切れ、沈黙が部屋を満たす。畳の目をじっと見つめた。
最近ずっと考えていることがあった。
「美代。」
「なぁに?」
「……これから僕たちは多分、死神になるんだろう。」
どこか自分自身に問いかけるかのように続ける。
「でもそれで良いのだろうか?自分はどう在るべきなのか、どこへ向かうべきなのかをずっと考えていたんだ。」
隔絶した力。他者を掌中にする存在感。常に躍進を望む大志。先の展望を見据える見識。
藍染惣右介の根底をなすそれらは、既に彼の中で芽吹き始めていた。
「今はまだわからない。でもだからからこそ、求め続けなくてはいけないと思っている。」
例えこの先誰一人として自分に比肩する者が現れなかったとしても、誰に理解されることがなくても、自分には成さなければならないことがあるという確信があった。
「ならさ、別に普通に死神を目指せば良いんじゃない?──
大胆で意外な一言に目を細める。
確かに
「万象の中で、神を目指すのか。面白い。──それはきっと、崇高で孤独な道なのだろうね。」
大志のためならばどんな道であっても進み成し遂げる覚悟はあった。
だが、願わくば──
不意に妹が起き上がり、真っ直ぐな瞳にでこちらを覗く。
「大丈夫。──私達は同じだから。」
この時の感情をどう表せば良いだろうか。ずっと欲しくてたまらなかったものが漸く手に入ったような。一つだけ欠けていた
この先何があっても妹だけは自分と同じ目線に立っているだろうということに疑いはなかった。
「“自分が産まれた日が何時か”なんて、覚えてる人は誰もいない。だからこそ、私思うんだ。志を持った瞬間、人は人たり得るんだって。
──だからきっと、今日が私達の誕生日!
────誕生日、おめでとう。」
後に三界の存在そのものに変革をもたらす双子が誕生したのは、今日この日のことであった。
この双子が生まれなければ、あるいは“欠けて”いたら、世界の結末はまた変わっていたであろう。
この日を境に、本来辿るはずであった物語は少しずつ変わり始めるのであった。