また、アニメ本編後、この小説も本編終了後のウルトラハッピー次元です。
If:ウルトラハッピー次元バレンタインデー
バレンタイン。西暦三世紀に処刑された司祭からとったイベントだ。
若者が戦争に生きたがらないのは故郷に残る恋人と離れるのが嫌だからなのでは、と結婚を封じていたことが発端で──なんていうのは、日本人にとってどうでもいいこと。
百貨店で行われたセールで、「バレンタインにはチョコレートをプレゼントしよう」というキャンペーンが展開されたのがきっかけらしい。
なるほど、戦後に奇跡の経済復興を遂げるのにも納得出来るほどいいキャンペーンだ。贈り物にはお返しをするという日本人ならではの習慣から生まれたホワイトデーも含めていい経済促進だと言えよう。
この国に住む人間が一番甘い香りに包まれる日にも関わらず、いつも通りキャンパスで授業を受けて遅めの昼食を食べていた。ガラス窓から漏れる寒風は心すら
この時期の空気は、俺──
街中を歩いていれば赤やピンクを代表に、ときおりチョコレートの意匠が視界に入る季節はある種の同調圧力を感じてしまって気が滅入る。
「お前、もらう予定は?」
「あると思うか?」
いつも通りのキャンパス内の学食でカツカレーを食べる。去年は色々あった。Ave mujicaが解散したり、睦がモーティスに乗っ取られたり、元に戻ったり……心労で何度倒れそうになったのか分からない。
「まるでもらう機会があると思われてるみたいな言い草じゃんね」
「……殺すッ!」
なにを、とは聞かない。バレンタインといえばチョコレートだ。
もらえる可能性のある人間を並べる。……いない。
何度目か分からない取っ組み合いをやめて腰を落ち着けているうちに悲しさが込み上がってくる。
とてもかなしい。
「いやマジで居ねぇな……悲しくなってきた……」
「ドンマイ、きっと良いことあるさ」
「殺してやろうか、お前を」
「なんで倒置法?」
恨みを表現するには一番だと思った。だいたい、毎年のように俺も知らないような人間からたくさんのチョコレートを受け取っている人間が言っているとはとても思いたくなかった。
「でも、好きでもない人間からもらうのってあんまりだぞ……」
「モテる側のセリフじゃねぇかよ」
「まぁ聞けって。既製品だったらいいんだよ、手作りだった場合が厄介だ」
「……まぁ、言われてみればそうか」
既製品なら売られているままのものが渡される確率が高く、味や安全性が保証されている。手作りだった場合は味がわからないし、なにを混ぜられているか分かったものではない──と、目の前に居る男が去年言っていたことを思い出す。非モテなのにこうして無駄な知識が増えていくのだ、とため息を吐いているとなにかを宏樹がなにかを言いたそうにこちらを見ている。
「好きな人間から一個もらえればいいんちゃう? ほら、モーティスちゃんとか」
「……その名前はやめろ」
彼女自身は嫌いではないが、睦の身体を使って周囲に悪意を振りまいたのだけは許していない。自然と声が下がっていたのだろう、苦笑する彼をひとつ小突いて続きを促す。
「じゃあ、睦ちゃんからもらえばいいだろ?」
「あー……あいつ、そういうイベントごとって自分からやるイメージないわ」
「あ、そうなん?」
「おそらく」
去年の春先から同棲状態にある若葉睦という少女を思い浮かべる。
基本的に無口で無表情。感情を表に出さないが実際は心優しい性格……と、普段受ける印象を並べていく。常識からズレているとまでは言わないが、どうにもチョコレートを渡してくるというのが想像できなかった。むしろきゅうりとか渡されそうだ。
そもそもシーズンから外れているけども。
「あー……でも、一応恋人じゃねぇの?」
「マジでやめろ」
「すまん」
俺自身が言われてどう感じるか、ではなくせっかく立ち直ったAve mujicaが今度は熱愛報道でスキャンダルからの崩壊とか笑えない。
そこに思い至ったのか、素直に謝ってくれる。半分くらい手遅れな気もするが、気のせいだ。気のせいということにした。
「……今からマカロンでも作ろうぜ」
「なんで?」
脈絡のない話に困惑する。逆チョコをするって話だとしても、普通チョコでは……。
「甘いよ、甘いぜ空」
「チョコだけに」
「やかましいわバカが。朴念仁」
誰が朴念仁だ、と言いそうになるのをぐっと堪える。付き合うきっかけがきっかけだっただけに、否定したら怒られそうな気がする。
「……それで、なんでマカロン?」
「マカロン贈る意味って知ってるか?」
「……さぁ?」
「ほんとに疎いなぁ……」
呆れ混じりの視線を受け流してカツカレーを胃の中に流し込む。だって仕方ないじゃないほとんどもらった記憶なんてないんだから。
例外はあるけども……義理だと言いながら嫌な顔をして渡してくれる亜麻色の髪が思い浮かんでため息を吐く。
「マカロンを贈る意味はな──」
この季節になると、お嬢様学校なのに空気が色めき立つ。
笑顔だったり、優しい笑みが増える季節に首をかしげる。
ただの2月の中頃だっていうのに、どうしたんだろう。
「睦ちゃん、誰かに渡す予定はある?」
同じクラスのそよに聞かれてようやく思い出す。
今日は2月14日、バレンタインだった。
「……ない」
渡す相手はいるけど、一人じゃ作れないし……。
「……空くんは?」
「空は、そういうのじゃないから……」
私たちは恋人、バレンタインは片思いの相手にやるもので、そもそも空はそういうことを気にしてない。イベントごとをちゃんとやったのはクリスマスとお正月だけだった気がする。
「はぁ……あの人、もらえなかったら普通に悲しむからね?」
「えっ……」
「カッコつけてるだけだよ、意地張って……ばかみたい」
そよに言われてどきりとする。空は自分の欲しいものとかあんまり言ってくれたことがない。聞いたら教えてくれるし、私のやりたいことも叶えてくれるけど自分からなにかを言ってくれるわけじゃない。冗談として言ったりはするけど、本当にほしかったり私に負担がかかるようなものは避けてた気がした。
なにより、そのことに気付いてるそよにもやっとする。あの人、私の
でも、作れないし……そう悩んでいると、心のなかのもう一人が背中を押してくれる。
『睦ちゃんが作ってくれたもので喜ばないわけないじゃん!』
「そうかな……」
『そうだよ』
「なら、作る」
助けを求めようと、そよのほうを向いたらため息を吐いてた。
「……手伝わないからね」
「えっ……」
「もう空くんに渡すつもり、ないから」
空のコーヒーを飲んだ私みたいな顔でそう呟いてそよは離れていく。
誰に助けてって言えばいいんだろう。
「というわけで手伝って」
「……まぁ、構いませんけれど」
私にはチョコなんて作れないから幼馴染のさきに手伝いをお願いすることにした。
羽丘の制服じゃなくて、真っ白なブラウスに吸い込まれそうなほど真っ黒なスカートを着ていた。
当日に呼び出したせいで呆れられてる気がするのは気のせいじゃない。
「なんで当日にやることにしたんですの……」
「今日知ったから……」
後期になって授業が変わったみたいで、空は前とは少し違う時間に出ることが増えた。
それでも料理は作ってくれるし、髪も触ってくれるからすき。
「前日に用意していればこんなことには……」
「さきは?」
「私はもう作って渡しましたわ。空ではありませんけれど」
誰だろう──と考えたけど
「せっかく恋人になったのに恋人らしいことをしなくてどうするんですの……」
「……」
その通りだと思う。いらないって決めつけて、用意しないのは恋人がやることではない……のかな。当日に気付いたせいで、有名な板チョコ数枚と必要な材料を用意するのがせいいっぱいだった。失敗できない。
心のなかでモーティスが両手にペンライトを振って応援してくれてる、がんばろう。
一回目の焼き上がりを待つ間に空は喜んでくれるかな、と考える。嫌な顔をされる未来が想像できなくて、ほんのりと温かい気持ちになる。……量を間違えた。
「どうして分量通りにやらないんですの……!」
「……私がやると、全部悪いほうに」
「本当に悪いほうに転がることがありますか! おばか!」
「……ごめん」
「お菓子作りは分量通りにやることが大切ですの! 200グラムって言ってるのになんで300グラム入れたんですの!?」
料理以前の問題ですわ……と頭を抱えるさきに申し訳なさが募る。最近ちょっとずつ料理が出来るようになっていた気がしたけど、よく考えれば分量なんて空も適当だった。料理って、分量通りに作らないといけないんだ……。
「勝手に絞り袋に入れるんじゃありません! どうして分かってくれないの!?」
「ごめん……」
「硬すぎて出てきません……スズメの涙以下ですわ、これでは」
絞り袋って思ったより出が悪いみたい。生地が詰まってどうにもできないからノズル部分を切って成型してオーブンに入れる。20分くらいでいいのかな。
「どうして焦げ臭いんですの……?」
「やりすぎたかも……」
オーブンの時間を間違えちゃった。よろよろと崩れ落ちるさきを見てごめんなさいって言いたくなる。
「……もうホットチョコレートのほうがいいかもしれませんわね」
「ホットチョコレート?」
「ええ、ココアみたいなものですわ」
ここに来たとき、初めて呑ませてもらった飲み物。ミルクブラウンの心が温かくなる液体は、気持ちを伝えるのに一番だと思った。
「……やりたいんですの?」
「うん」
「チョコとココアの違いなんて私もわかりませんわ」
「うん……」
「気付かれないかもしれませんわよ?」
「……うん」
「しょうがないですわね……」
気付かれなくてもやりたい。気付いてもらえなかったら、それはそれで、仕方ない。
「じゃあやりかたを教えますわ……」
「うん……」
「今作るものは冷めてしまいますから、ちゃんと自分で作ること。いいですわね?」
「え」
「え、ってなんですの……もしかして渡すときまで私が居る前提でしたの……?」
こくり、と頷くと呆れたため息を返された。でも、どこか優しさが混ざっていて……やっぱりさきはこういう表情をしてくれたほうがいい。
「……そういえば、チョコレートってなんだか不思議ですわよね」
「不思議?」
「ええ、私たちにとっては特別ですけれど……少し年齢があがれば特別でもなくなるでしょう?」
言われてみればそうかもしれない。友達同士でチョコレートを渡すとか、普通だから。
「マカロンなら特別なひと、なんて言ったりしますわね」
「マカロン……」
「つ、作りませんわよ! そもそも今からでは時間が足りませんわ」
「そっか……」
「用意するなら、来年にしましょう」
「来年……」
「ええ、一緒にいるのでしょう?」
「……うん」
私にとって特別だって気持ちを伝えたい気持ちもあるけど、しょうがない。
今年はホットチョコレートをがんばろう。
「……なんで知ってるの?」
「それは……」
「?」
「いいではありませんか! それよりもホットチョコレート! ですわ!」
時間はもう20時。部屋のなかは真っ暗で、家にいるときは電気をつけてという空の言葉を横に置いて玄関先で待つ。手のなかにあるマグカップには空が帰る時間に合わせて作ったホットチョコレートを用意している。
手先を焼くような熱に耐えながら彼を待つ時間は心臓がうるさいくらいに跳ね回っているのに、不思議と温かい気持ちばかり。
どう渡せばいいだろう。こういうイベントはこの家に来てから彼にやるのは初めてで、どうすればいいのか分からない。
『もー、睦ちゃんすぐ不安になる』
「ごめん……」
『空くんが相手なんだから、もっと気楽に! 自分を追い詰めるのは健康によくないよっ!』
「気楽……」
気楽に、と言われて心のもやが取れることなんかない。喜んでくれるって分かっていても、もしもが怖い。
ずっとそう、私は臆病だ。
自分の頭にもやがかかり始めたとき、玄関口の解錠音が聞こえる。
どう渡そうか、決めてないのに。
ドアの隙間から流れ込んできた月明かりと空っ風に身を震わせながら、入ってくる人影を呆然と見上げる。雑誌に乗るようなカッコよさじゃないけど、私のすきなひと。周りの誰に言われてもこの人だけは一緒に居てくれると胸を張れるおもいびと。
顔はほとんど見えないのに、気だるそうにしているのが姿勢から分かる。今日はつかれたのかな。
「ただいま~……って、暗いし帰ってないか?」
「……おかえり、なさい」
びくり、と肩を跳ねさせて驚く空にごめんなさいって言いたくなる。
言っても許してくれるから、さいきんは言わないようにしてる。
「びっ……くりしたぁ……明かりは付けろよ目が悪くなるんだから」
驚かせたことに怒られてもおかしくないのに空からかけられる言葉は温かいものばっかり。
だから、私も温かいものを渡したかった。おずおずと差し出すマグカップに首を傾げる空は今日がバレンタインだって分かってないようにも見える。
「……これ」
「マグカップ? わざわざ用意してくれたのか?」
こくり、と頷くと暗闇でも顔をほころばせて喜んでくれたのがわかる。
このひとはほんとうに分かりやすい。わたしも、わかりやすい。
「助かる。2月だってのに寒いのは勘弁してほしいよなぁ」
「……飲んで?」
「うん? ……うん」
不思議そうに首を傾げてから自然な動きでマグカップを口に運ぶ。
その瞬間でもどきどきだったのに、ふとした拍子に彼の動きが止める。
なにかおかしかったのかな、疑問に感じているあいだに空はくんくんと香りを嗅いでいた。
「んー……?」
そして、ズーっとひとくち。
その様子を私は、じ~~~っと見ていた。
「あぁ……これもしかして……」
一口飲んだ空はつぶやくみたいに言葉をもらした。
なにかに気付いたような、でも確信は持ってないような。
もう一口、ゆっくりと味わう時間は永遠にも思えるくらい長かったけれど、パッと私のほうを見る。
その表情は優しくて、眩しくて、綻んでいて──そして、嬉しそうだった。
「これホットチョコレート?」
「うん」
気付いてくれた、それだけで私の心臓はそのうち止まってしまうんじゃないかって思うくらい激しく脈動し始める。待っていた時間ですらうるさかったのに、これ以上うるさくなったらほんとうに死んじゃう……。
「なるほどなぁ……不意打ちだ」
「わ……」
横にマグカップを置いてから、ぎゅっと抱きしめてくれた。そんな彼に私も背中に手を回す。
この腕じゃ包み込めないほど大きな背中にいっぱいの感情が溢れていく。
ちょっとくさい、でもいいにおい。私のすきな、におい。
「……ありがとう、睦。すごく幸せだ」
「……うん」
気付いてもらえないなら、それはそれで仕方ないと思った。
面と向かってラッピングしたチョコを渡すことは出来なかったけど、届けられればいいなって思ってた。そんな乙女心が叶って、自分の表情がほころぶのがわかる。
「……じゃあ、俺からもお返し」
「え?」
「友達が作ろうぜって急に言ってな。作ってきた」
丁寧にラッピングした小袋を私の手のうえに乗せてくれる。
宝箱を開けるみたいにラッピングをほどいていくと、指先でつまめるようなお菓子が
入っていた。
「……マカロン?」
「えっと、だからその……一般的な、バレンタインと同じ意味だよ。いや、お返しだからホワイトデーか……?」
さきに教えてもらったことを思い出す。
マカロンを渡すのは、特別なひとだって。
私は、空にとっての特別になれたんだ。
あぁ──あったかい。ゆっくりと、彼の手を取る。
この温かさは、彼からもらったものだから。
私よりも大きくて、ちょっとだけ冷たい手なのに、どうしてこんなにこころが温かくなるんだろう。
「……離さないで」
「……もう二度と、離す気はないよ」
一回離れた。もう、それだけでじゅうぶんだった。
たくさんなんて、望まないから。あなたの本物がほしい。
夢のようなこの時間を、私の本物にしてほしい。
そんな言葉は、きっと上手く伝えられないから言えないけれど。
ほんの少しでも伝わればいいなって、そう思った。
──泡沫みたいな、夢を見た。