雛鳥のカーテンコール   作:鳥籠のカナリア

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 失言と掘り返しと掘り起こしのオンパレード。つまりは睦


春日狂想

 全部放り投げてゆったりとしたい日が、年に何回かある。大人になれば許されない無責任な行為だと分かっていても、模範的大学生たる自分はその魅力に抗えない。

 

 朝の段階でぼんやりとした休日。

 今日はなにもしないと心に決めて、睦と二人家で過ごしている。

 

「暇だねぇ……」

「ひま……」

 

 連休中というのは待ちわびている平生と比べて暇なものだ。

 ただゆったりする時間が増えて楽だなぁ、と思うけれど、予定のない日を過ごすというのは落ち着かない。今年は睦が居て外に出る用事がチラホラと出るだけマシだが、他に予定はない。

 

 目の前のローテーブルで課題をこなしていく睦を横目に見ながら、ソファに腰掛けて自分の読んでいる本に目を落とす。多趣味といえば聞こえはいいが、俺はその日によってやりたいことが変わる。ゲーム、読書、散歩……飽き性と言われても文句が言えない。

 

 これをしたいと強く思うわけでもなく、したいときになんとなくすることも手伝って睦が来てからは自然と手が離れてしまっていた。全体的に一人でやるものだし、散歩は……少し年寄りくさい。華の女子高生を連れて行かないだろう。

 

「連休最終日だけど、どこかいく?」

「行きたいなら」

「……いい」

「なら家に居よう。明日からガッコだし」

 

 休日のゆったりとした空気感をじっくり噛みしめて本を読み進めていく。室内には紙のにおいと、コーヒーのにおい、微かな自分以外のにおいが混ざっている。落ち着くような、そうでもないような微妙な空気感は人と共同生活を送る障壁のひとつなんだろう。

 

 幸いなのは微かな違和感があるとはいえ、彼女が発する生きるにおいを不快だとはあまり思わないことだろうか。

 

 つけっぱなしのテレビから漏れ聞こえる音を背景に、お互いのやることに手をつけている。

 同じ空間を共有しながら気を遣わなくていいのは楽だ。

 

「課題終わりそ?」

「……たぶん」

「そもそもなにをやって……美術かぁ……」

 

 机に広がっているクロッキーブックを横目に眺める。小学生のころに栽培した記憶のあるヘチマと似たようで太さが違う。ウリ科ではあると思うが、この細さをよく見ているような──。

 

「きゅうり好きなの?」

「……育ててるから」

「きゅうりを?」

 

 彼女が言うには、園芸部になることで自分の花壇が手に入るらしく、そこで自分の好きなきゅうりを育てているのだという。しかし、きゅうり。ぬか漬けでさっと白米と一緒に口のなかに放り込めば次の白米がいつの間にか箸で掬っていたこと請け合いのきゅうり。

 

「いいな……」

「うん……」

 

 言いたいことは伝わったらしい。ぽやぁ、ほんわかとした空気で場が弛緩するのを感じた。

 しかし、美術課題か……。

 

「長い休みに出される課題って苦痛だよなぁ」

「……そう?」

「もっといえば、出された課題に対する創作って義務感があって好きじゃない」

 

 大概の創作は作りたいという衝動からなるもので、たとえ好きなものであっても外から課題や期限を与えられてしまえばそこには義務感が発生する。それがどうにも苦手で、芸術系の課題はいつも遅れがちで教師からため息を吐かれたものだった。

 

 触れなければ、知らなければ興味を持つ機会すらないと言われればその通り。いつか興味を持ったときに足掛かりがないことがないようにするのが学校の勉強なので、学習している際の興味を教師はともかく、指導要綱としては考えていないのかもしれない。

 

「……空は?」

「俺? 終わってるよ」

 

 睦が一緒に暮らすようになって大変な部分はあるが、そこは元から一人暮らしだから家事は元から自分でやっているし、生活の時間が変わっているわけでもない。風呂の時間を自由にできないのと、睦の風呂上がりのケアをする時間だけは負担が増えたが、共同生活にはつきものだろう。

 

 前者はともかく、後者は普通の共同生活では起こらないと思う。

 

「そうじゃなくて、絵とか……」

「あぁ、表現者かって話? それはないよ。俺より才能あるひといっぱいいるもの」

 

 表現者はそれに付随する技術と心がある人間たちで、彼らには敬意を払うようにしている。

 あのクソ親父がその畑の人間なのは、奇妙な縁だ。

 

「……一人暮らしをしてるのは?」

「あー、それはまた別件」

 

 あまり深刻そうに言えば睦が気にしそうだったのでさらりと、あくまで気負わないように告げると、睦の動きが不意に止まった。

 

 トパーズのような輝きを宿している瞳には少しの後悔がちらつき始め。微かな違和感を感じたのかもしれない。傷つけることを恐れている彼女はきっと俺の言葉の裏をうっすらと読み取ってしまった。

 

「……そう」

 

 睦は話すのをやめてクロッキーブックに向き直った。

 

 華奢な指先と細い鉛筆が織りなすリズムは眠気を誘うようにゆったりと規則性がある。

 閉じていきそうな瞳をなんとか持ち上げていると、彼女の声が耳朶を打つ。

 眠気があると心の輪郭がボヤケて見えなくなる。

 

「……母の日」

 

 テレビから漏れ聞こえてくる内容はいつの間にか母の日特集と銘打った番組になっていたらしく、睦が思い出したかのように呟いた。

 

 基本的に睦の家庭環境を連想させる話題を振るのはあまりよくないと思っていたのだが、気にした様子がないことに少し安堵して頷く。

 

 母の日、カーネーションだのなんだの、色々な定番どころがあるものの、結局のところは親しい人間に感謝を伝えましょう、という日。

 

 普段うざがっていても、無条件に愛を注いでくれる相手であっても人である以上は限界がある。だからこそ、感謝と継続の意思を告げるためにプレゼントを贈る──というのは理屈っぽいだろうか。

 

「母の日か……」

 

 ぼんやりと漏れ出た言葉は空気に溶けて消えていく。自由奔放な母親の後ろ姿を思い出す。あの人もクソ親父と結婚しただけあって意思の固い人だった。

 

 おそらく、何の気なしに言った言葉だったのだろう。

 世間的には親の存在は大きなものだし、一つの話題なのもわかる。

 

「なにか、しないの?」

「母親死んでるからなぁ……」

 

 母の日が来るときにふと思い出す。ああ、自分の母親はもう死んでいるのだと。

 

 死後の世界を信じるような信心深さも、死者の安寧を願うような優しさもあいにくと持ち合わせていない。心のなかで会いにいけば会える存在と、実際に生きている人間のなにが違うのか証明する術はあるけれど、ない。

 

 死ぬという現象は理解しがたい。夜に寝て起き上がれなかったためしは人生に一度たりともないのだ。そんな現象に理解が及ぶのだとしたら、よほど想像力が豊かか、分かったような口を聞いているに決まっていた。

 

 そんなことを考えている時点でもしかしたら、自分のなかで母親の死という事象に了解しようとしていないだけなのかもしれないけれど。

 

「ごめ……」

「ん、あぁ。だいじょうぶだいじょうぶ」

「言いたくないなら……」

「いや、言いたくないっていうか……」

 

 しまったな。暗い雰囲気にするつもりもなかったのに、ふと漏れ出した弱音のようなものが睦の表情を歪めてしまった。歪な形はすぐに見破られる。長い時間で積層させていったただの砂では少しの風で吹かれればすぐに消えてしまう。

 

 もう一人暮らしをしている理由も白状してしまったほうがいいのかもしれない。

 

「まー、あれだ。ここは元々別の用途で使ってた家なんだけどな。母親が死んだときにクソ親父と距離を取ることにしたんだ」

 

 きっと今の自分は血色のいい表情をしていないのだろうけど、もう終わったことを気にしてもなにも生まれない。あれほど渋っていた言葉がするりと抜け落ちるように発せたことに苦笑して、委ねるように言葉を発した。

 

「大丈夫、俺はこれでも環境に恵まれているのだからさ」

 

 安心させるように髪に櫛を通すようにやさしく撫でる。ほんのりと香る若葉と我が家のシャンプーのにおいは彼女がこの家に馴染んできた証拠なのだろうか。それとも、馴染みきれていないことを主張しているのだろうか。指の間をすべらせているときに感じるこの肌触りがすきだった。自分の髪を触ったところでギシギシと乾いているばかりでキューティクルのきゅ、の字もない。

 

 同じようなケアをしているはずなのになぜここまで違うのか。造り物めいている容貌(ようぼう)と違って血の通った温かみに自然と頬がほころぶ。半分どころか全部セクハラだ。

 

 ぱちくり、ぱちくり。数度瞬きを繰り返したあと、睦のぼんやりとした視線に僅かな光が灯ったのを感じる。

 

「……わたしがいる、から」

 

 慰めたつもりだろうか。母親と、一ヶ月前から居候している歳下の女の子。時間も、関わりの深さも何もかもが足りない大言壮語。

 

 手探りで壁を見定めようとする傍から見れば無様な足掻きでも、心に通じる言葉はひねり出せるらしい。もうちょっと器用な言葉が吐けたらな、とは思うが。

 

「ありがとう……?」

「ん……」

 

 ただ。会ってから一ヶ月も経っていないような人間に対する信頼と言葉ではないよなぁ、と思うのだ。普通はもっと、より長い時間をかけて引っ張り出される言葉は彼女に言わせればいとも簡単にひねり出せるものなのかもしれなかった。もっとも、彼女は言葉に怯えすぎる性分だから自分のなかのこころを過剰な言葉で表現してしまっただけなのかもしれないけれど。

 

 ぼんやりとした意識をコーヒーで溶かして昨日親父に言われたことを考える。

 

 ──お前はいつも残していく側のことを考えるよな

 

「愛するものが死んだときには、自殺しなけあなりません……か」

 

 そんなフレーズが脳裏をよぎる。『春日狂想』と銘打たれたその詩は、中原中也という詩人によって詠まれた詩だ。栞紐をして本を閉じ、睨むようにして天井を見上げる。詩はいい。

 

 絶対の答えがあるくせに解釈の幅があり、誰も彼もが勝手な想像と解釈を胸に秘めて生きていける。ただ、誰かの言葉を借りて生きていくのは酷く重苦しいとも同時に思う。自分のため、と思える言葉でも自分の心そのものを(かたど)ったものじゃないのだから。

 

 最近、よく天井を見上げている。まるで(よすが)でも探しているかのような自分の姿を想像して苦笑した。この身体は宙を浮いているわけでも、水底に沈んだわけでもないのに自分探しとは贅沢なことである。自分のなかのせかいと向き合う哲学とは元来そういうものであるが、外から見れば奇異に映ることも否定しない。

 

「……それ、いや」

「え?」

「…………」

 

 ぐ、と息をつまらせて視線を右往左往させたあと、喋らなくなった睦を見て首をかしげる。

 

 微かに諦めのような、途切れてしまったような印象を受ける。繋がるべき場所を自分から手放してしまったような感触は頼りないものを含んでいた。

 

 致命的なまでに言葉足らずな彼女の思考は読み取れることのほうが珍しい。幼いころから一緒に居れば察することも出来るのかもしれないが、それは受け取り側に余裕があって、なおかつ読み取る気概を見せるかどうかが大きく関わる。

 

 その全てが足りていない俺は彼女が言ってくれるまでただ待つ。

 

 おずおず、とまるで昔読んだ本を久しぶりに開くような手つきで言葉を探す睦は世界の感触を確かめるように三度唇を動かしたあとに言葉を紡ぐ。

 

「あ、え……えと……」

「うむ」

「……みんな、いらないから」

「いらないって、お前」

 

 人が生きていくうえで周囲の人間がいらないという話でも、人は一人では生きていけない、なんてお題目の話をしているわけでもない。

 

 きっと彼女が言いたいのは、愛した人が死んだときに悲しさに身を委ねて自殺しなければならないのであれば……みんな一人残らず死んでしまうということ。身を引き裂かれたような痛みに耐えかねて自分の手で世界()を引き裂いたところで、どこにも救われる保証はないというのに、自然とその選択肢が浮かび上がってくるほどの深い絶望。身近な人間の死というのは、どんな人間にとっても大きな変化だ。

 

 無限に続くと思われた物語(幸福)を、勝手な形で終わらせられてしまったということに他ならないから。

 

「私と同じだから」

「同じ……?」

 

 同じってなんだ。たとえば彼女には愛するひとが昔居て、希死念慮か自殺を実行したことがあるのか。もしくはセルフネグレクトだろうか。

 

 セルフというよりはネグレクトを疑っているこちらとしては嫌な汗が滲む。他人から大切にされたことがない人間というのは自分をどう大切にしていいのか分からないことが多いからだ。

 

 外にあるものを寄せ集めて心は出来上がる。人の心はその世界のすべてを表す地図であり、それは私の限界でもある。経験にないものは想像できないのだ。だから人は経験したものに追いすがる。既知の感動は人々を安心させる。

 

 ふむ、と理屈っぽく考えていた思考を切り上げて思考の水面でぷかぷかと浮かぶ。あんまりにもヒントが少なすぎるうえに、彼女が自分から言い出したことなのに切り上げたそうに瞳を伏せていた。

 

 仕方がないか、とも思う。彼女が自分のことを話すときは想い出をなぞるというより、傷をえぐっているかのように酷く拙い。おおよそ隣人にさせるべきではない表情に、否応なしにもうしわけなさのようなものが心に根付くのを自覚する。

 

「……まぁ、終わるのが遠いといいよなぁ」

 

 ただ、ひとつだけ。春日狂想は国語や道徳の教科書に書かれているようなものじゃない。

 

 誰かに教えられたものだと思うが、いったい誰に教えられたのだろう。

 

「……っ」

 

 唐突に身体がひんやりと体温が下がって言うことを利かなくなる。特に頭が重く、考えることすらできない。血の気が引いて動くことすらもままならないほど強い立ち眩みにソファへ身を預けて、ゆっくりと深呼吸をする。

 

「……だいじょうぶ?」

 

 男の髪なんてギシギシ引っかかるばかりで触り心地が悪いだろうに、無垢な赤子が真似事でもするように、母の役を演じるようにゆっくりと髪を梳いてくれる。もしかしたら、人の頭を撫でる機会も、撫でられる機会もなかったのかもしれない。

 

 もっとも、人の髪を撫でる機会なんてそうないが。

 

 答えられるほどの余裕もなく、目線だけで頷いて目を閉じる。意識が乖離していくような感覚は形容できない不快感を伴って酸素と熱を運んでくる。5分もすれば収まって呼吸も安定してくれた。原因は分からないが酷い不快感を残された頭ではそれ以上の思考は許されない。

 

 ぼんやりと考えて、心地よい包容から逃れるために息を吐いた。

 

「……ふぅ。悪い、もう大丈夫だ」

「……だめ」

 

 ちゃんと休まないとダメ、と言いたいらしく、押し付けられるようにソファに再び腰掛けると長い嘆息と同時に立ち上がる気力がなくなっていく。思っていたよりもずっと身体は限界だったらしい。

 

「……聞かないの?」

「うん?」

「私のこと」

 

 本音を言えば聞きたい気持ちは山々だし、話してくれないのが寂しくもある。

 クソ親父が言っていた記憶の話だとか、睦の家が友達親子だとか気になることもたくさんある。それでも無理には聞かない。

 

「話したくなったら話せばいい。俺は今、話したいから話しただけだし」

 

 自分の話なんて小っ恥ずかしくて、信頼するのが怖くて、裏切られたら嫌で、だからそう。だいたいそんな感じだ。

 

「……そう」

「そ。急いでないからな……ゆっくりでいいよ、ゆっくりで」

「ゆっくり……」

 

 反芻するように瞳を伏せて考え込む睦は喋りかけてもしばらく反応しなかった。

 自分は睦が話してくれることに期待しているのだろうか。おそらく、している。

 

 期待とは過去への祈りである。こうあったのだから、これからもこうなっていくだろうという儚い祈り。それが薄氷を踏むような行為であり、踏みつければすぐに崩れていくことなど分かっているというのに人は期待することをやめられない。

 

 だから、ということではないけれど。時間は待ってくれなかった。




Q.なんでこいつこんな髪触ってんの?
A.コミュニケーションとして求められていると思っているから

次の更新ちょっと遅れます。ちょっと書いてたやつをどうするか決めかねてるから……ごめんね。
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