あと現実逃避に書いた豊川祥子作品がプロローグ書き終わっちゃったよ。ままならないね。
ママーッ!
休みが開けても俺たちの日常に変わりはなかった。朝は睦の世話をして、昼は大学にいって、夜は睦の世話をしながら自分のやりたいことを片付ける。自分一人の世話がやっとで人と関わることを避けていた人間と同一人物なんて思えないほどにここ最近は人の世話をしている。
ほとんど睦の世話で埋まっているし、これでは同居人ではなく付き人とかお世話係──そう、クラスに一人は居る自分のことが出来ない人間の世話を焼く〇〇ちゃん係──に似ている。
違うのは家に住んでいるということと、餌付けしているということ。
ホームヘルパーと言ったほうが近いが、普通ホームヘルパーは同じ家に住まない。別々の部屋にしたのは正解だったと断言できる。男子大学生の性欲の手綱は脆くか弱い。
「しっかし、最近は本当に睦の世話ばっかりしてるんだよなぁ……」
連休明けの火曜日、二限から帰ってきてからソファに腰掛けたままずっと天井を見上げてここ最近のことを考えてみると、睦の世話をしている時間が多い。風呂には一人で入れるからいいものの、たまに一緒に入ることをねだってくるのだから心臓に悪くてかなわない。
風呂は命の洗濯だ、なんて言ったりするが命の洗濯をするには心の余裕が必要なんだ。
睦が来てからやることには困らないけど、一つ懸念点がある。
俺自身が飽き性なとこだ。やり始めたことを途中で投げるようなことはしないが、気持ちが萎えながらも意地でやっている部分は少なくないので怖いところだ。
他人の世話をするのは好きでも、継続的になにかをやれた試しは数えるほどしかないだけに、不安があった。そもそも俺は自分一人のことですらちょっと怪しい時期があった人間だけに、行動に自信が持てずにいる。
生き物を飼ってはいけないタイプ、と言われて否定できる材料がどこにもない。睦は愛玩動物ではないからこの表現は正しくないけども。
「……いや?」
「嫌じゃないんだけどな……いつの間に帰ってきた?」
「ついさっき。……ただいま」
本当に帰ってきたばかりなのだろう。月ノ森女子学園の制服を着たまま睦はぼんやりとした表情のままソファの前で立っている。その様子はまるで電池の切れた
座ればいいのに立ったままなのは律儀というよりは自分の意思で物事を動かす機能が欠落しているように思えた。意図してやっているのか、それとも無意識なのか……時々睦は人間性が薄くなる瞬間がある。
頭の回転が悪いわけではないのに反応がなくなる瞬間は同居人としては心配で、歳上としては先行きが不安だ。そんな俺の心中を察することが出来ないと言わんばかりに首を傾げる睦はぼんやりとした双眸を俺から離さない。
その瞳に薄ぼんやりと光が宿っているようで、単純に興味がないことには目を向けていないだけかとアタリを付ける。
「おかえり。手洗いうがいしてからギター触り始めてくれよ」
「……やってきた」
「えらい……」
ふと気になって両手を見る。僅かに湿っているもののしっかりと拭いてきたらしく、初日のように床を濡らしていることもなく安堵した。なんだかんだ床を片付けるのが一番面倒だ。
一人暮らしのときにうっかり床に水をこぼしてヘッドホンにかけてしまったことを思い出して渋顔を浮かべる。
「ガッコは?」
「……いつも通り」
「そっか」
「うん」
自分で選択したわけでもないものを勉強して、なんだかレールの上に乗っているみたいだと揶揄した高校時代は捻くれたガキだった。事実として、教育は社会のレールに乗せるための下準備なのだからその揶揄も的外れではない。
うんざりしてため息を吐く。我ながら性根がネジ曲がっている。
「……疲れたなら、休んでいい」
「疲れたってわけじゃ──いや、少し休むかぁ」
僅かに顔を歪ませた睦からは心配と不安の色が見える。人のことを考えられる優しい子だ。
そういえば先ほどの発言を聞かれていた。ここで下手に意地を張るよりも一度休んだほうが睦も安心してくれる。自分のために誰かが無理をしているように見えて気に病まない人間はいないのだ。
予定は全部キャンセルして久しぶりにゲームでもしよう。
「……夜は出前でもいいか?」
「うん」
「洗濯物は?」
「明日履いていくぶんはあるから」
「パンツの話はしてないんだよ。いやパンツもなんだけど」
下ろしたてのパンツしか履けない、なんて雑なキャラ付けでもない限り普通パンツは複数着あるんだよ。
なぜ女性の下着の話になっているのか、平然と流している自分にも愕然とする。パンツというのはもう少しロマンの塊であったはずだ。
「セーラー服の話だよ」
「二着あるから大丈夫」
「……洗濯物だけ回すか。ほら、セーラー服脱いで」
室内干しでも除湿機や扇風機で上手く乾燥させれば生乾きは防げるとしても、洗濯物がたまるというデメリットには目をつむることが出来ない。洗濯機にとりあえず全部突っ込めば解決するのはそうなんだが、色移りとか気にしなければいけない外向きの服はそうもいかない。洗濯ネットが足りないのだ。
「ん……」
「ちゃんと服着てきてくれ……」
「わかった」
その場で脱ぎ始めた睦に反応しないのはもう男として色々と問題な気はするが、生温かいセーラー服を受け取って洗面台に向かう。背筋が震えた気がするのは背徳感などではなく、外気と差のあるものに触れたことによる生理反応だ。おそらく。
洗濯物をいくつか洗濯機に放って一通りセットしてから戻ってくるころには睦もソファに座ってぼんやりと天井を眺めていた。この家に住んでいる人間は天井を見るクセでもつくのだろうか。
俺が入ってきたと分かるなりこちらを見る視線には少しばかりの色が乗っているような気がした。もちろん視線に色なんてものはないし、気のせいかもしれないが少し上機嫌なのがわかる。
「このあとはいつも通り?」
「……空を見る」
「俺を……趣味ってことか?」
こくり、こくり。二度頷いて俺の隣にぴたりと寄り添うように立つ。
子どもは体温が高いらしいし、そのせいだろう。若草のような香りが鼻腔をくすぐる。家の中なんだからそこまで近付かなくてもいいと思う。
「……二人でプレイ出来るようなものないけど?」
「いい」
「俺が気にするんだが……」
睦が来てから一度も起動していないPCは少し埃っぽく、起動すると僅かに臭気を放ちながらファンが回転してうっすらと光放つ。
「……ギターやらないのか?」
「……うるさくない?」
「そうでもないぞ」
「…………」
「あと、見られてるって意識すると落ち着かない」
「……なら、持ってくる」
とことこ、とリビングのほうにギターを取りに行く睦を見送ってゲームに必要なソフトウェアの起動をしていく。
あの病室の一件以来、睦は俺の部屋で演奏するようになった。最近はあらゆる書物が電子の文化に飲まれているのもあって、部屋に入れることに躊躇はない。俺の部屋、とはいえ実質PCと道具置き場なのもあって普段はリビングで過ごしている。
床が抜けそうなほど大きなキャビネットが置かれたのは自分だけの部屋ではなくなったのだな、という実感が湧いてくる。
最近はギターにもワイヤレスシステムがあるようで、シールド*1を繋ぐ手順なく電源を入れれば音が出せるようになっているらしい。
技術の進歩ってすごい、と思いながら自分のヘッドセットを首にさげる。USBレシーバーのワイヤレスヘッドホンは重く、少し触れなかっただけなのにずっしりと重量感を主張している。
そうこうしている間に睦が戻ってきて、ギターの調整をしているところに声をかける。
「多分これやってる間反応鈍くなると思うけど、本当に大丈夫か?」
「だいじょうぶ」
「そうか。なにかあれば肩叩いてくれ」
人が居るのに一人用のゲームをするのは人間としてどうなんだ、と思っているのだけれど、睦としては自分の世話ばかりしているほうが嫌らしいので気にしないことにした。
そういえば、他人が一緒の空間に居るというのに肌に嫌な感覚がない。気にならない程度には睦がこの家に馴染んでいる、ということだろうか。
ギターを鳴らし始める睦を横目で確認して、ゲームに意識を傾けた。
「…………」
空が好きなものを知りたくて、私のことを放っておいてほしいと言ってみた。
ずっとパソコンの前に座って画面を見続けてる。
部屋のなかにはいろんなものがある。
ドアの対角線上にゲーム機、本、他の人の家にもありそうなものが。
でも、だから。
部屋の角に押し込まれたダンボールに、たくさん積み上げられたクロッキーブックがおかしなものに見える。
まるで見ないようにしているみたいな置き方は誰かを入れることを考えてないから。
空は、隠すのが上手いから。
「これダメだな……」
苦いものを食べたみたいに顔をしわくちゃにして感情剥き出しの空。
これまで私に向けられたことのない表情にびっくりした。そして、気付いた。
これ、空をどれだけ見ててもきっと気付かれない。
ギターを止めて空のことをずっと見てるのに、ずっと画面を見てる。
「…………」
ほかの人からの視線は嫌なものが混じってる。
色々な欲と、嫉妬と、物珍しさ。
きっと今の私の視線にも、色々なものが込められている。
でも、空は気付かない。
集中しているときに、というのもあるけど多分空は自分に向けられる視線に鈍感。
私とは、多分生きてきた世界が違う。一緒のはずなのに、違う。
それがすごくさみしい。
少し鼻を鳴らすと、他の部屋よりも空のにおいが少し強い。
家にいるときの空はずっと本を読んでいるけど、声をかけたら必ず反応してくれる。
空はもう読んだ本の読み直しだから反応できると言ってるけど、きっと私がいるから集中してない。
でも、やっぱり嬉しい。それだけ空が私のことを見てくれてるってことだから。
大事にされてるってことは、離れられないってことだから。
優しさという
そういうものに、私は寝かされてる。
それが心地よくて、手放したくなんてなくて。
だから私は──。