雛鳥のカーテンコール   作:鳥籠のカナリア

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(書いた内容を二度見して酒飲んで諦めてGOサイン出した顔)


保護者の会

 青々とした空が一面に広がっている。覇気のない歩調で普段立ち寄ることがない商店街を歩いて目的の場所を目指す昼下がりには羽丘や花咲川の制服がまだら模様のように入り混じっている。

 

 このあたりでは青春の色である灰色とベージュ色は散発的に視界に入っては消えていくばかりで留まることを知らない。時折楽器ケースを背負った少女が居るのは大ガールズバンド時代が成す景色だ。

 

 もしこの世界が商店街を染め上げるタイルであるのならば、灰色とベージュ色で構成されていて、ともすれば俺はそんなところに入り込んでしまった配置ミスのタイルだった。

 

 重い足取りを引きずってやってきたのは羽沢珈琲店。商店街の一角にあるバンドガール御用達の店で、若者に人気の赤いバンドやアイドルバンドのキーボードが働いているらしい、とはCircleでアルバイトをしたときに聞いた情報だ。活用する機会はないとばかり思っていた知識は意外なところで役立った。

 

 シックな色合いの内装に、壁にかけられた絵画、端っこに置かれた観葉植物が落ち着いた雰囲気を作っている珈琲店は華やかさよりも落ち着いた雰囲気がある。なによりも注目するべき鼻腔をくすぐるコーヒーの匂いだ。インスタントでは味わえない芳香につられてカウンターに目を向ければ、ドリップコーヒーを手作業で抽出しているのが見える。

 

 明らかに女子高生向けではない店内には制服を着た子が数人居るが、俺もバイトで知ったのを思い出す。

 

 ガールズバンドのコミュニティでは有名なのかもしれない。店内を見回していると、カウンターの奥から茶髪の少女がこちらにやってくる。

 

「お一人様ですか?」

「いや、待ち合わせなんだが……ああ、あの窓際の子」

 

 若葉色を視界の端で捉えて視線を向ける。今日足を運ぶきっかけになった一人だ。

 

「あ、あのお二人ですね。椅子をお持ちしましょうか?」

「ああ、緑の子の横にお願いしてもいいか?」

「もちろんです!」

 

 人の笑顔を見て元気が出るというのはこういうことだろうか。向日葵のように眩しくはないが、ふんわりと優しい笑顔は看板娘としてこれ以上ないほどの魅力を携えていた。

 

「いい笑顔だな」

「えっ……あの……あ、ありがとうございます……」

「すまん。口説くつもりはなかったんだ。ただいいな、と思っただけで……」

「だ、大丈夫ですから……! こ、こちらの椅子を使ってください!」

「あぁ、うん。ありがとう」

 

 慌てた様子でカウンターに戻っていく後ろの姿に心のなかで詫びる。悪いことをしてしまった。

 

「さて……」

 

 現実逃避をそこまでにして、若葉色の髪──睦の隣に腰掛ける。

 

 テーブル上のコーヒーとオレンジジュースは残り三割ほどまで減っていることからそれなりに長く話し込んでいたようだ。ふぅ、と気付かれないようにため息を吐く。人間の集中力はそれほど続かない。中身がある話で呼び出されたわけではないのかもしれないな、と胸を撫で下ろす。

 

「……ごめん」

「暇だったからな。謝ることない」

 

 大学の終わり際、つい30分前に連絡を受けたときには睦がなにかを要求することがないこともあって驚いた。

 

 ただ、今日の本当の呼び出し主は睦ではないらしい。重苦しい空気から逃げたくなる足を懸命に抑えつけて呼び出した主の方を向く。

 

 まず目に入ったのはお上品にリボンでまとめられた水色のツインテール。陶磁のように透き通った白い肌、そして睨めつけるようなキツいイエローダイアモンドのような瞳は微かに翳っている。

 

 その翳りからなにかを読み取ろうとした瞳を伏せる。

 

 こういうとき、自分の観察眼に嫌な気持ちになる。心を暴き立てるようなマネを無意識に行ってしまうのは、行儀がいいとはとても言えない。気付かなかったフリをして、自己紹介を始める。

 

「さて、と……呼び出したのは君だよな。俺は梔子空(くちなし そら)

(わたくし)豊川祥子(とがわ さきこ)ですわ」

「……ですわ?」

 

 このご時世に痛いキャラ付け以外にですわ口調をする人間が居るとは思わず反芻する。

 

「なにか?」

「いや、物珍しかっただけだから気にしないでほしい。なんと呼べばいい?」

祥子(さきこ)で構いませんわ」

「それはちょっとな……豊川でいいか」

「ええ」

 

 わざわざ言ったりしないが、歳下の少女を下の名前で呼ぶのは照れくさい。そんな仲でもないのだから上の名前で十分だろう。言外にそう伝えると察してくれたのか頷いてみせた。

 

 二人の間に寄り添う様子はないが、確かな心配の色を豊川が睦に見せるのは彼女たちの関係性が友人以上であることが読み取れる。微かに見える絆の糸のようなものは親愛か、もしくは別のなにか……そんなもので編まれている。

 

 妙にキツいというか、無理をして強い口調になっている印象を受ける。

 

「未婚の、しかも未成年の女性を同じ屋根のしたに住まわせているような人間には妥当な態度では?」

 

 人の心を読まないでほしい。逃げるために睦に声をかける。

 

「睦。こちらのお嬢さんとは……」

「……さきは、幼馴染」

「ああ、なるほど……」

 

 最近なにをしているのか、という話の流れでつい口が滑ってしまったのだろう。旧い知り合い相手に自分のことを隠し立て出来るような人間だったのなら、もっと器用に生きているだろう。つくづく睦の将来が心配だ。

 

「……ごめん」

「いいよ。どうせ俺の社会的信頼が低下するだけだから」

 

 元からないものがなくなったところで気にすることじゃない。

 

 ただ、今回は元から関係性を築いていないのにマイナスからスタートしてしまうような相手と仲良くしなければいけないというだけで……。じわり、と背中に嫌な汗をかくのを自覚しながら助け舟のように冷水を起きに来てくれた看板娘についでに注文を済ませる。

 

「睦、腹に余裕は?」

「……ある」

「豊川は」

「間食はあまり……」

「甘いものは苦手か?」

「……いえ」

「なら、飲み物はこの子たちに同じものをもう一つとキリマンジャロ。あとはショートケーキを3つ」

「かしこまりました!」

 

 コーヒーを待っている間に水に口をつける。春も中頃の5月は水分補給を軽視するには高すぎる温度だったようで、ひんやりと喉を伝って胃に流れ込む液体が心地いい。

 

「ちょ……お待ちに……!」

「払うから心配するな」

「そういうわけでは……」

 

 業腹、と言わんばかりに声を荒げそうになる豊川を宥める。彼女が言いたいのはもっと別の社交的なマナーの話だろう。見た目に違わず、いいところのお嬢様なのだろう彼女はすらっとした手足から伸びる背筋すら美しく見えた。

 

 姿勢は生き方、親父の言葉を思い出す。

 

「礼儀の問題か」

「ええ。あなたが食べるのは、構いませんわ。私まで食べたら筋が……」

「その言い分も分かる。ただ、マナーっていうのは相手と対話する気概を見せる行為だろ」

「……そうですわね」

「だったら、食べてくれないか。正直、甘いものが食べたいんだ」

 

 口の中にものを入れて話すな、飯のときに席を立つな、フレンチのときは内側から食器を使うようにしろ……マナーは色々あるが、崩していいときは往々にして存在する。

 

 出来るだけ優しく微笑みかけると、たじろいだ。恐ろしいものを目にしているような受け取り方をするのはやめてほしい。視線を合わせようにも逸らされるばかりで意図が伝わっているのか怪しく、視線を合わせるのを諦める。

 

 友好的な対応をもらえなかったことに一抹の不安が残るが、彼女の立場からすれば俺は幼馴染に毒牙をかけかねない危険人物なので、そのような態度を取られるのも仕方はない。

 

「……ならせめて、お会計は」

「きみは歳下、俺は歳上。年長者の顔は立ててくれよ」

 

 彼女はぐっとなにかを言おうとして数度喉を震わせたあと、言葉にならずにそのまま口を閉じる。それ以上は口にしないようにコーヒーを口のなかに流し込んだあとに、口元に柔らかい微笑を浮かべて口を開く。

 

「……毒気を抜かれましたわ」

「俺の態度は人によっては気に障るらしいからな。よかった」

「そうですわね……少し上の世代の方が聞けば憤りを感じたかもしれません」

「……………………」

 

 心当たりが山ほどあって苦虫を100匹ほど噛み潰したような渋面を浮かべているのが自分で分かる。

 

 目つき悪い態度悪い人相悪いの三拍子が揃っている人間の自覚はあるから否定のしようはないが、昔絵を描いていたときに当時の画壇先生たちを怒らせてしまったのを思い出す。生意気なこと言った記憶はあるし、仕方がないことではあるんだが、今にして思えばクソガキだった。

 

「初めてお見かけするタイプで、その……」

「困惑した?」

「……ええ。聞き及んでいた評判とは違いましたわ」

「評判」

 

 画壇には財界と関わっているような人間も少なくない。絵画と金はよく結びつく。

 

 壁にかかった大きな絵画、カーペット、豪奢な内装。実際、金持ちの家はそんなもので埋められている。

 

 俺の下賤な視線をものともせず、豊川はくすりと花のような微笑みを浮かべる。

 

「思っていたより純粋で安心しました」

「……褒めてるのかそれ」

「ええ。親しみやすくていいですわね」

 

 歳下とはいえ美少女に親しみやすいと言われて悪い気がする男は居ない。誤魔化すように咳払いをして睦の耳元に顔を寄せる。こちらも顔がいいが、普段見ているだけあって刺激には少しだけ慣れた。

 

「……睦、お前なにか言ったのか?」

「なにも」

 

 本当になにも言っていないのだとすればここに俺が呼び出されているようなことはなかっただろう。喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。こんなことで一々突っかかっていたら時間がかかる。あとでたっぷり聞けばいいのだから、急ぐ必要もない。

 

 申し訳なさそうに歪められた表情を浮かべる睦にひとつ頷くと、安心したように表情を元に戻す。睦の無表情ぶりもだいぶ分かるようになってきた。察せるのは眉が僅かに動いたときと、瞳の色や雰囲気が変わったときだけだが、当初に比べれば随分な進歩である。

 

 そんな成長を実感して、コーヒーが届いたところで話を切り出す。

 

 自慢じゃないが、俺は腹の探り合いがあまり得意じゃない。だからマナーを持ち出して話の中身を混ぜっ返して緊張した空気を弛緩させた。でも、出来るのはその程度。本題を話さないわけにはいかないからこそ自分から話を振る。

 

「……それで、豊川。どうして俺は呼び出されたんだ?」

 

 馥郁(ふくいく)たる香りが鼻腔をくすぐるのを自覚しながら手をつけない。こちらから話を切り出したのだから一段落するまでは口をつけるのは待たなければならない。

 

「単純な話ですわ。幼馴染と一緒に住んでいるひとの顔を見たかった」

「……見定める、の間違いじゃないか」

「そうかもしれませんわね」

 

 やることは変わらないということだろう。思っていたよりも生温い対応に肩の力が抜ける。想像では罵詈雑言の嵐を投げつけられて有無を言わさず引き剥がされると思っていたのに、彼女にはそういった様子が見えない。

 

 コーヒーを飲む彼女に倣うようにカップに口をつけた。豆から挽けばインスタントと違うのは素人の舌でも分かるのはありがたい。普段濃ければ濃いだけいい生活習慣病まっしぐらの料理ばかり作ってるし。

 

「私は今すぐ離れるべき、と思っていますわ」

「………………」

 

 彼女の言葉は正鵠を射るように背筋を凍らせる。

 

 一人の人生に深く踏み入っている自覚はあった。未来の呼び水となるか、地獄の第一歩となるか……そのどちらとも知れない手を伸ばしているのだけは間違いない。

 

 泥水のような鬱々とした黒で染め上げられた液体が素晴らしい香りを放っているというのに、彼女の言葉が脳の深いところに染み込んでいく。真っ白のカーペットに液体をぶちまけたような心地に歯噛みする。

 

「恋仲でもないというのに、一緒に住んでいるというのはおかしな話でしょう」

「そうだな」

 

 指摘するような人間が睦の周囲に居たことを安心するくらいだった。彼女がある程度の自己を持っていられるのは豊川祥子という女の子が隣に居たからだ、という確信がどこからともなく湧いて出てくるほど、彼女の人間性は好ましいものだと思える。

 

 人の優しい部分を信じて、真っ直ぐな視線は微かに黒を混ぜながら美しい姿を保っている。

 

「なるほど。どうやらお前はいいやつらしい」

「……嫌なことを言ってますわよ」

「うん、めちゃくちゃ嫌なことは言われてるが」

 

 なんだこいつメンヘラか? 

 自傷癖こじらせてそうな反応をしないでほしい。

 

「その気持ちは自分が気に食わないからじゃなく、睦のことを考えているからだろ。だからいいやつだな、って」

「……へっ?」

 

 思ったことをそのまま伝えたつもりなのに、分かりやすいくらいに動揺する豊川に苦笑する。なるほど、睦とは対照的に表情と声色に感情がよく乗るタイプだ

 

「俺を信用しないのはどうでもいいんだが……」

 

 特段、出ていかれること自体には問題はない。睦が安心出来る場所を提供してくれるだろう幼馴染というのも悪くない。

 

「ただ、決めるのはお前でも俺でもない。睦だろう?」

 

 物事には順序があって、行動には理由がある。

 クソ親父から世話を頼まれていようと、そこだけは間違えてはいけない。

 

「…………睦のことはご存知でしょう?」

「俺は身の回りのことがびっくりするくらいに出来ないお子様ということしか知らない」

「あら……身の回りのことが……?」

 

 末っ子タイプだよなぁ、と苦笑している俺とは違う印象を持っているたしい豊川が目を見開いて驚いた様子で睦を見ても、彼女は首を振るだけで何も言うことはない。

 

 なにかを察したのかため息を吐いてこちらを見る豊川さんの瞳には、僅かに責めるような色が混じる。なんで俺責められてるんだろうか。

 

「それだけの瞳を持っていても分からないことはあるんですわね」

「どういう意味か分からん」

 

 コーヒーの水面に反射する自分の瞳を覗いてもそこにはやる気のない瞳が映るばかりで価値があるようには思えずに困惑する。凡庸な瞳で、睦のような美しさもなければ豊川のような輝きもないこの瞳は今この瞬間を認識できているかどうかすら危ういガラス玉だった。

 

「そうでしょうね。睦が苦労するわけですわ……」

「苦労?」

「……なんでもありませんわ。これは私から言うことではありませんもの」

「そうか」

「それで、この子のことを知りたいとは思いませんの?」

 

 睦のことを知りたいか、その質問にはどれほどの意味があるのか分からない。細められた瞼から覗く鈍い黄金色はこちらを誰何(すいか)しているようにも見えるが、値踏みというにはあまりに幼い視線を向けられていることだけは確かだった。

 

 ふぅ、とため息を吐く。最近ため息を吐いてばかりで幸せが逃げていくばかりではないか──確かめようもないことを思いながら、唇を開く。

 

「睦が教えてくれるまでは自分から知る気はない」

「冷たい、とも取れますわね」

「好きにとってくれ」

 

 コーヒーを口の中に含んで嚥下する。

 

「いつまでも、その関係は続きませんわ」

「そこは睦次第。心地よくはあるが、本人の意志次第だ」

 

 (あずか)ることを決めたとはいえ、書面的なやり取りどころか彼女の親がどういった人物なのかすら知らないのだ。

 

「……本当に知らないみたいですわね」

「…………うん」

 

 知らない、というのはどれのことだろう。追求したかったが、二人の間で話は済んだのか掘り下げる空気ではなくなった。諦めて別の話題を振ることにしよう。

 

「他に聞きたいことは?」

「……あなたのことは教えてくれるんですの?」

「睦を心配してる人間と喧嘩したところでメリットがない」

 

 高圧的であればそれ相応の対応をしてもいいが、話し合う気概があるうちはお互いの上辺の情報は共有したい。

 

 なにより、帰ったときに家に誰かが居るという今の状況は自分でも驚くほど気に入っている。時間も、心も、言葉すら十分に交わしていない相手ではあるが、頼られた以上は睦が納得できるまで付き合いたい。

 

「私、あなたとは仲良くできそうにありませんわ」

「そうか。俺は好ましい人間だな、と思うが……」

「なっ……なにを……」

 

 自分のカードを隠しながら取引をする商人のようなタイプではないことに胸を撫で下ろす。動揺した表情すらも巧みに操れるような人間だとしたら厄介、そんな警戒はする必要性がない。

 

 頬を朱に染めた豊川がコーヒーを口に含んで気を逸らしていた。

 

「……なるほど。睦、強敵ですわよ?」

「………………うん」

 

 照れと呆れと色々なものが混じった視線が向けられた。解せないが俺が悪いようだ。窓から入ってくるそよ風はこの空気を変えてくれるほどの大きな力はなく、ぼんやりと外から差し込む光に目を細める。

 

「それで……睦の幼馴染のきみから、聞きたいことはあるか?」

 

 人の記憶の根底に根付くものというのは取り除きようがない。特に、長い付き合いのある相手のことは嫌われていたとしても幸福を願ってしまうほどに大きなもの。彼女らの間には双方向性の生きた想いが行き交っているように見える。

 

 長崎と俺の間にはない確かな繋がりが、彼女たちのなかにはあるような気がした。

 

 その関係に割り込む気はない。ただ、今の関係性が続くためには豊川の納得が必要、そんな直感がある。あとからなんか言われたら面倒そうだな、とかそういったことではない。

 

「一つ、よろしいですか?」

「答えられることであれば」

 

 僅かに瞳を伏せて開いた視線は凪いでいる。姉のような慈愛に満ちた表情でありながら、俺を推し量らんとする瞳の色は月のように正しく、罪を暴いてしまいそうな力を持っていた。

 

 内心で納得する。これは長崎がこだわるわけだ。

 

「梔子さんは、睦を大切に思っていますか?」

「嫌われたくはないと思う程度に」

 

 真意を問うような瞳と言葉に俺はにべもなく返答する。

 

 今の生活が気に入っていて、睦もきっと嫌だとは思っていないならこの程度は示して問題がないはずだ。

 

 呼吸を幾度も繰り返すような長い沈黙のあと、表情が和らぐ。

 

「そうですか。……私から言うことはありませんわ」

「いいのか?」

「ええ、睦が懐いているようですから」

 

 それなら悪い人でもないのでしょう──試すような口ぶりに正直なところ、困惑していた。

 

 感情的になったのは最初だけで、あとは理路整然とした口調の確認。話し合いの場ではなく、唐突に呼びつけられたのだから感情的な否定をされるものだとばかり思っていたこともあって意外だった。

 

「豊川、お返しじゃないがひとつ聞いていいか?」

「ええ」

「なぜ否定しない?」

「……否定しましたわよ」

 

 歯ぎしりの音が聞こえてくるほど苦々しい顔をした豊川の表情に嘘偽りは見受けられない。

 

 否定しようとしたのなら、どうして連れて行かなかったのだろう。

 

「睦が聞いてくれませんの」

「あぁ………………は?」

 

 豊川の言葉に固まる。睦が言うことを聞いてくれないというのがあまりに想像が出来ない。彼女は生活回り、特に風呂に関してはどう頑張らせようとしてもやってくれないものの、否定する選択肢自体が欠落しているように頷くことばかりの睦。

 

 そんな彼女が、幼馴染からの言葉を拒否するということにどれほどの意味があるのか検討がつかない。

 

「…………ほんとうに?」

「うん」

 

 躊躇うことのない真っ直ぐな視線に頭を抱えそうになる。俺のなにがお前にそんなことをさせているんだ、普段のお前はそういう感じじゃないだろう。

 

 俺の困惑を他所にストローに口をつけてオレンジジュースをちゅーちゅー飲んでいる睦からは内心を窺い知ることは出来ない。

 

 探ることを諦めて豊川を見る。

 

 自分の理想、そうするべきという考えを跳ね除けられるというのは、思われている以上に不快だ。どんな人間だろうと、どんな関係だろうと僅かばかりの不快感を伴ってしまう。睦という少女は、知り合って一ヶ月経っていない俺でも分かる程度には従順な子だ。

 

 相手の意に従い、拒否することがない人間から否定が返されるのは怒りすら抱くかもしれない。長い付き合いだから時折主張することがあったにせよ、その怒りを表に出さない豊川祥子という少女はきっとお人好しだろう。

 

 歩く貧乏くじ、そんな言葉が脳裏を過ぎる。

 

 知らない男と対面し、本意を探ろうとする視線は真剣そのもので、不躾に思えない程度に遠慮もある分別のついた少女。興味を持った人間特有のギラギラとした視線と相手を慮っているように見えてその実、自己保身に走っているような人間からは見えない力強い姿。

 

 庇護欲など刺激されない、どちらかといえば心配が勝って──ある意味、睦よりも危なっかしい。

 

「なんですの……?」

「いや、なんでもない」

 

 考えているうちに自然と瞳に視線が吸い寄せられていたのだろう。

 断りもなく女性の顔をじろじろと眺めるのは褒められたことではなかったことを反省して、目の前にショートケーキが差し出された。

 

 お辞儀をして去っていく看板娘の後ろ姿に黙礼してケーキを口に含んで甘ったるいクリームの味に顔をしかめる。

 

「……甘いな」

「それはそうでは……?」

「まぁ」

 

 相槌を打ちながら横目で睦が舌鼓を打っているのを確認する。

 

 一人で甘いものなんて食べない。他の人間が居れば食べる。

 

 食事なんて、そんなものだ。

 

「いや、あったわ聞きたいこと」

「あら、なんですか?」

「……睦の髪ってこれでいいのか? 女の子の髪ってあんまり結ったことないんだよ」

「……………………いま、なんと?」

「だから、睦のヘアセットってこれでいいのかなって話……?」

 

 豊川の見事なセットを見る。後ろは流して、左右は編み込んで……似合ってるけどどんな髪型なんだろう。

 

「あなたがやってるんですの!?」

「いやまぁ、そのくらいは妹世話してるようなもんだし……」

 

 妹なんて居ないが、妹みたいなやつが居た時期があるからなんとか形にはなる。ただ、普段から気にしているところではないのもあって人から意見をもらいたかった。

 

 そんな俺の腹積もりの俺に対して、豊川は今日一番の怒りを露わにしてわなわなと身体を震わせる。

 

「睦は私の妹ですわ!」

「苗字違うよな……?」

「……さき」

「睦も、そう思いますわよね……?」

「……髪は、空がいい」

「がーん……」

 

 すごい、ガーンって口で言うやつ初めて見た。あれってただの効果音じゃねぇのかよ。

 

 愉快なお嬢様口調の女に対する第一印象は、悪くなかった。




日常回書きたい……(小声) 
 光のお嬢様豊川祥子概念大好き。
 某作品がバンドリで書きたいな、ってなった要因の一つだから。
 豊川祥子はこの時点だとちょっと余裕あるはずだから今のうちに書いておきたかった。
 そもそも、豊川祥子は人の心を混ぜっ返せるだけの悪意を持ってないじゃん。
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