雛鳥のカーテンコール   作:鳥籠のカナリア

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本当は、ずっと前に出会っていたのだ。


symbolumⅠ: Overture (修正後)
ライト・オープン


 桜もすっかり葉桜に衣替えした昼下がり。

 大学の構内を柔らかな春の陽射しが包みこんでいる。

 

 廊下にはたくさんの新入生が居た。

 下ろしたての服に、シワのないズボン。まだ汚れの少ないスニーカーがまだ高校生の延長線上にある時間を輝こうと軽やかな足音を刻み続けている。

 

 新しい生活に慣れ始めた時期特有のきっちりとした、それでいて微かに弛緩した周囲の空気とは対照的に、俺がくたびれた歩調で廊下を進む足音はカーペットにすっかり吸収されてしまう。

 

 現実逃避のように外を見れば、敷地内に埋められた大木で羽を休めている小鳥がとぼけたような視線をよこした。

 

 春は始まりの季節だ、とよく言われる。パステルブルーに染め上げられた空はふよふよ漂う雲たちがこの季節をなぞらえるように流れていく。

 

 桜が散った四月下旬。開かれた窓から踊り入る風に乗れるのは始めようとする意思がある人間に限られる。

 

 環境の変化とは縁遠い大学三期生ともなれば、特に。

 

 くぁ、と欠伸を漏れる。

 

 昼時の喧騒に包まれた食堂の入口を人の隙間を縫って通り抜けると、内部は人でごった返していた。

 

 他の曜日はそれほど混んでいないのに、必修のくせに軽い気持ちで単位を落とす授業が水曜日にあるせいだ。おのれ教授、という恨み言を内心で思いながら肉類が注文出来るカウンターでカツカレーを注文する。

 

 邪魔な前髪を梳いてからスマホのインカメラで自分の顔を見ると、野暮ったい茶髪にやる気のないくすんだ青い瞳が垂れ下がっている男が映っていた。

 

 いつも死にそうな表情を浮かべている人間。

 それが、梔子 空(くちなし そら)という人間に対する周囲の評価だ。

 

 そんなことを考えている間にカツカレーが出来上がったようだ。食堂のおばちゃんにお礼を言いながら受け取って、いつも昼食を食べる待ち合わせ相手を探す。

 

 食堂の端っこ、窓の外を眺めるような席に見つけた。

 

「よ」

「お、空か。先に席確保しといた。感謝しろよ~?」

「はいはい。ありがとう」

 

 昼だというのに元気だな、と素直に感心しながら相手を見る。

 

 大学生らしく派手なコバルトブルーの髪が特徴的な男は同じ学部の渡辺 宏樹(わたなべ こうき)

 

 大学内の評判は人誑し、その一言に尽きる。

 

 頼んでいないのに昼食の席をわざわざ取ってくれるあたり、その評判も正しいのだろう。

 

「あ、教授が課題出せって言ってたぜ?」

「面倒だな……」

 

 眠気が一気に冷めてしまった。

 頭を抱える俺を見て、宏樹が何度も頷く。

 

「いや~、やっぱ男と居るほうがいいなぁ……」

「気が楽なのは同意する」

「言葉が少なくても誤解されねぇし、告白してこないのが特に楽だ」

「普通に断ればいいだろ。お前と一緒に居ると俺まで好奇の目を向けられる」

「そう言うなよ。色々あんの」

「そうか」

 

 はぁ、とため息を吐いた。面倒だったらそういう態度を取ればいいと思うが、下手を打てば集団から爪弾きにされるのだろう。俺には縁遠い話だ。

 

「空もその適当な髪さえどうにかしちまえばモテるんじゃねぇの?」

「なんでそういう話になるんだ」

「モテなくていいのか?」

「それなりにやれれば十分だ」

 

 自分の口調が人によっては不快になることは自覚している。変える気は今のところないが、積極的に人と関わる機会を増やさない理由のひとつだ。

 

 普通に喋るのは構わないが、異性は遠ざけておきたい。

 

 仲良くなるのは、構わない。

 

 仲良くなれば、衝突する。

 

 衝突するのは、疲れる。

 

 空気が重くなってしまったのを誤魔化すために下がった視線を上げて──ニカっと笑った宏樹に嫌な予感がする。

 

「まぁ空は人形みたいな子が好きだもんな?」

「……誰がロリコンだ」

「言ってなぁい!?」

「半分くらい言ってただろうが!」

 

 邪推を始めた友人に手刀をひとついれる。

 妙な方向に話が逸れたおかげで重い空気から逃れられたことにそっとため息を吐いた。

 

「お前と一緒に居ると疲れる……」

「掴みかかってきたの空じゃん?」

「煽ってきたのはお前だ」

「またまた~。嬉しいくせにさぁ」

「この表情を見て嬉しいと判断出来るのは才能だろうな」

 

 鏡で見なくても自分がしかめっ面を浮かべているのがよく分かる。

 

「な、空。昨日のドラマ見たか?」

「悪いな。ドラマは見ない主義なんだ」

「いくつかおすすめしたやつは?」

 

 ゆっくりと首を振って否定する。

 

「森みなみも出てるのにもったいない」

「誰だそれ?」

「おめー……国民的女優だぞ! 森みなみ!」

「……写真見せろ」

 

 向けられた画面に映り込んだ妙齢の女性は30代くらいの女性だろうか。緑の長髪に整った顔立ちはテレビで見た記憶が何度もある。

 

 専門家が言うには、特筆すべきは泣きの演技らしい。

 専門家がいうなら、きっとそうなのだろう。

 

 ただ、どこかで見た記憶が……。

 

「……ああ、親父の知り合いか」

「誰が?」

「森みなみ」

「はぁ!?」

 

 ガシャンと卓上を叩きつけながら立ち上がった友人は信じられないものを見たような表情を浮かべている。

 

 大きな音を立てて静まった食堂に向かって何度か頭を下げて、腰を下ろす宏樹は先が気になるとばかりに口を開く。

 

「本当か?」

「ちょっと話した程度だ。相手も覚えてないだろ」

「見て思い出すってことはそれなりに前の話だよな?」

「まぁ子どものころの話だからな……」

 

 まだ義務教育を受けていたような時期の記憶は年齢を重ねるぶんだけ薄くなっていくのは仕方がない。

 

 事実、父親経由で知り合ったという薄い記憶だけなのもあって知り合いだという感覚はない。ただ過去に会ったことのある大人だ。

 

「子どものころでも羨ましい話だけどなー」

「……個人的にあの人は苦手だ」

 

 記憶のなかに残る森みなみの姿は生きている人間なのか、脚本通りに舞っている演者なのか判別がつかなかった。

 

 常に計算された仕草と話し方をする人間を好きになれない。

 

「あ、子どもで思い出した。森みなみってたしか──」

 

 宏樹がなにかを言おうとしたタイミングで携帯が鳴る。

 二人で顔を見合わせ、沈黙が降りた。

 

「……どうぞ?」

「悪い」

 

 取り出して相手を確認して見ると、画面上にはクソ親父と表示されていた。

 

 実の息子を日本に置いてアメリカに居る父親からの連絡は自然と身体が強張った。

 

「電話か?」

「ああ、親父だ……珍しいな」

「あんまりかけてくる人じゃないものな。なんか用があるんじゃねぇの?」

「かもなぁ……絶対面倒事だ」

「なら片付けといてやるよ」

 

 嫌な表情を浮かべているのが気になったのか、片付けを提案してくれる。いいやつだ。

 

「代わりに明日の昼食奢ってくれよ」

「高い片付け代だ」

 

 冗談めかした笑顔を浮かべる宏樹に感謝しながらスマホ受話ボタンを押す。

 

「もしもし」

『おう、空。数ヶ月ぶり。元気だったか?』

「……まぁ、それなりに」

 

 実家へ帰省するとき以外に聞かない親父の声は記憶にあるより少し疲れて聞こえる。

 俺と違って冗談と軽口を愛する人だから軽薄さとは切っても切り離せないと思っていた。

 

「疲れてんのか?」

『おー、親に向かって生意気な口きく歳になったか。お父さん嬉しいぞ』

「やかましい。要件は?」

『今暇か? よし暇だな』

「聞けよ人の話。一応暇だけど」

 

 三限目は座学。宏樹が一緒に取っている授業なので最悪サボっても宏樹にノートを貸してもらえれば大丈夫だろう。

 

『なら、今から送る住所に来い。会わせたいやつがいる』

「おい、アンタ日本に帰ってきて……切りやがった」

 

 無機質な音がスマホから返されて大きなため息が漏れた。

 

 

 

 電話が切れてすぐ送られてきた住所にあったのは真っ白な総合病院だった。相当古いらしいエントランスのタイルにはヒビが目立っているせいでいつ倒壊してもおかしくない印象を受ける。

 

 病院の受付で親父の名前を言うと長期入院患者が並ぶ最上階の病室に案内された。

 

 ノックをすることなくがらがら音を立てて開いた扉の先にはベッドが1つだけ。こうした病院には珍しい個室で窓から流れる風にカーテンが揺られるなか、一人の男が悠々と本を呼んでいる。

 

 名前は梔子 蒼汰(くちなし そうた)。落ち着いた色合いの茶髪に茶色の瞳。180cm近い身長の割に威圧感を感じさせない優しい顔つきをしていると他人事のように思った。

 

 人生2度目の入院服を見て動じないのは少し予想していたからだろうか。

 

 音に引き寄せられるように顔を上げた親父と視線が合う。 

 

「よう、元気か?」

「電話越しでも聞いた。少なくとも、入院してる人間よりは元気だよ」

「まったく……どうしようもないガキだな。お父さんを見て学ばなかったのか?」

「あんたを見て学んだことは猫背はカッコ悪いってことくらいだ」

「そりゃ大変だ。姿勢はちゃんとしなきゃな。姿勢は人の生き方だ」

 

 姿勢は人の生き方、そうやって笑ってベッドに身体を預けている親父の背中は不自然なくらいに真っ直ぐなのに首だけが前に傾いている。猫背の人間特有の身体つきに苦笑する。

 

「だとしたら、親父はとんでもない回り道をしてきた人生ってことになるぞ」

「回り道か……」

 

 親子とは思えない軽口を叩き合っているのに俺たちの間には険悪な空気はない。むしろクソ親父は俺が反抗している様子を楽しんでいる節がある。その証拠に心底楽しいとばかりに破顔しているのは少し居心地が悪い。

 

「それで、なんの用だ?」

「あ、それなんだけどな。パパ余命宣告を受けちゃった」

「……まぁ、病院嫌いのアンタが入院してた時点で察してたよ」

 

 仕事をしていたアメリカから帰国して、日本の病院に入院しているのだから察しは付いていた。ただ、こうして死に向かう身内の姿を見るのは二度目だ。

 

 少し思うところがある。

 

「あら全部正解。もうちょっと動揺するかなって思ったのに」

「母親のほうが好きだったからな。その後だと衝撃も薄まる」

「ま、そんなわけでもうちょっと生きるはずだった俺は死んでしまうわけだ」

「そうか」

 

 余命宣告をされたとは考えられない軽い口調だ。

 

「予定通りだったのか?」

「それがな、ちょっと想定外だったんだよ」

「だったら人間ドックにちゃんと行けばよかったろ」

「やだよ。病気が見つかっちゃうじゃない」

「そこに倒れている以上は病気が見つかったんだよ」

 

 早期予防のためにある人間ドックは、こうしてからでは遅い。

 

「ちょっと心残りがあってな……」

「俺は成人したんだ。心残りなんてあるのか?」

 

 大学卒業こそしていないが、貯蓄はある。今死なれても社会に出るまで苦労がないのは親父も理解しているだろう。

 

 こほん、と咳払いをした親父の表情は真剣なものに切り替わる。

 

「お前って今カノジョ居るの?」

 

 真面目な話だと思って損をした。心の膿を吐き出すように深く長い溜息を吐いてから、ゆっくりと答える。

 

「……あれから人と関わってない」

「なんだよお前、まだ引きずってんのぉ?」

「解決しようがない問題は忘れられないんだ」

「絵も辞めちまうしさぁ。ほら、あの子──」

「……帰る」

「あー待った! 悪かったわるかった……!」

 

 沈黙に耐えかねて、部屋の端に鎮座するギターに視線が吸い寄せられる。壮年の男には似合わないファンシーな色合いは親父の持ち物じゃないだろう。

 

「これで頼みたいことがあるって言ったら受けるか?」

 

 親父の手からなにかが投げ渡された。

 

「……通帳?」

 

 手の中に収まった長方形は、銀行の通帳。

 パラパラと手の中で遊びながら入出金を確認して、最後のページに度肝を抜かれる。

 

「億単位の金じゃねぇか」

「全部やるよ。遺産贈与ってところか?」

 

 生前の財産分与は10年単位で分割譲渡するから安くなるのであって、一括譲渡したらとんでもない税金を持っていかれる。

 

「会わせたい人間と関係があるのか?」

 

 言いたいことを全部飲み込んでようやく吐き出した言葉は疑問だ。会わせたい人間と頼み事が頭のなかで結びつかない。

 

「後ろに居るだろ?」

 

 不意に洋服の裾を引っ張られて咄嗟に振り向いて俺の真後ろに少女が立っていることに気が付いた。

 

 美しく長い若葉色の髪、心配になるくらいに真っ白な西洋人形のような肌。動く様子のないきゅっと閉じられた唇は意外なことに瑞々しい桜色で彩られており、造り物めいた美しさを持つ少女がそこに立っていた。見た目年齢は中学、もしくは高学生だろうか。

 

 推測を裏付けるように、紺色の変形襟が付いたセーラー服にグレーのスカーフ、二本の白いラインが入ったスカートを着ている。記憶が確かなら、都内にある月ノ森女子学園の制服だった。

 

 どことなく既視感のある女の子は言葉を発することもせず微動だにしない。

 

「……この子は?」

「悪いがその子をしばらく預かってくれ」

「はぁ?」

 

 性欲の塊である男子大学生の家で預かるとか正気じゃない、とかあんたが預かればいい、だとか色々言いたいことはあるが、横に置いておく。

 

 会わせたい人間は、おそらく彼女のことだろう。

 

「挨拶出来るか?」

「……若葉 睦(わかば むつみ)

「俺は梔子 空(くちなし そら)

「……」

「よろしく、でいいのか?」

 

 こくり、と頷いたきり黙ってしまう女の子を見てため息が漏れそうになる。昼間に宏樹が言った、『人形みたいな子が好き』という話を思い出して首を振る。

 

 ここまで喋れない子は心配だ。

 

「で、どこで?」

「そりゃ、お前のマンションだろ。高かったんだぞあそこ」

 

 親父のもとを離れて一人暮らしをすることになった俺は親父が持っていた物件に住むことになった。一人暮らしにも関わらず1SLDKは分不相応で、もう一人住めるくらい広い。

 

「いくら広いって言ったって出会ってすぐの女の子と1つ屋根の下に暮らすとかありえないだろ!」

「そ? じゃあお前は出会ってすぐの女の子に手を出すような外道なのぉ?」

 

 出会ってすぐの、とクソ親父が言った瞬間に睦と名乗った少女が視界の端でピクリと動いた。

 

「反応するとこじゃねぇだろ……世間的にマズいって話をしてんだよ」

「ガチガチの貞操観念持ち過ぎなんだよ。アレだろお前、据え膳されても手ェ出さねぇタイプだな?」

「女子高生と大学生って絵面がまずいだろ!」

 

 明日の朝刊に載ってもおかしくないほどショッキングな内容だ。

 すんなりと受け入れろというのは無理だ。

 

「……女の子が同じ屋根のしたに居て心休まるわけがないだろ」

「あーあ。空が匿わないとその子宿なしになっちゃうなー。困ったなー」

「はぁ!? いや……あー……なるほど……」

 

 声を荒げようとしてはたと気付く。中高生くらいの女の子が知らない相手の家に転がりこむのは、世間的には家出だ。家出少女の末路は水商売が精々で、夢見が悪い。

 

 彼女はどんな気持ちで会話を聞いているのだろう。横目で瞳を見て──無機質な瞳が微かに揺れているのを見つけて、睦と視線を合わせる。

 

「お前はどうしたいんだ」

「…………帰りたくない」

 

 返されたのは予想通りの答え。親父はここまで予想して俺を病室に呼びつけたに違いない。

 

 彼女の意思を拒否出来ない俺は親父を一度だけ睨みつけて深呼吸をする。誰かを見捨てられるほど強くない俺はここに来た時点で面倒を抱えることが決まっていたようなものだと考えれば諦めもついた。

 

「わかった」

「……いいの?」

「ああ、行くぞ」

 

 全部手のひらの上だった苛立ちを胸にしまってから彼女の手を取って病室から出る。

 

「…………これでよかったのかねぇ」

 

 閉じた扉越しに誰に問いかけるでもない声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 病院を出て帰り道を歩くころには夕日が目を焼くほど赤く燃えていた。忙しない毎日を少しだけ彩る痩せ細った街路樹に、車道と歩道を隔てる鉄柵が囲む街中は、普段来ない土地なのに見慣れた風景みたいに感じる。遠くを見渡そうにも高層ビル群に阻まれる東京という街はちょっとした悪さでも覆い隠してくれそうな冷たい印象を受ける。

 

 あるいは、日常に落とし込まれた物以外を目に入れないという排他的な空気かもしれない。

 

 後ろからとてとてと小さな背丈で懸命に足を回す背中には大きなギターケースがあるだけで、まさに家出少女といった風貌だ。

 

 通報されても文句が言えない状況に笑ってしまう。ほとんど犯罪者だ。

 

 僅かに上下が激しくなってきた肩を見て、歩く速度を落とす。

 

「それ以外の荷物は?」

「ない」

「じゃあ生活用品買ってから帰るべきだな……」

 

 滅多に人が来ない我が家には誰かが泊まる準備がない。スウェットを貸してもいいが、肌着だけはどうにもならないだろう。

 

「普段着てる服は……どこで買ってる?」

 

 言いかけて止まる。男子大学生が女子高生に服を、ひいては下着の買う場所を聞くのはセクハラだ。

 

 少し考えて、必要なことだと諦めた。

 

「ここ」

「……いい服着てるんだな」

 

 俺の普段着と比べて倍以上の金額が平然と置いてあるブティックが表示されている。女の子は金がかかる、と世間で言われる理由がよく分かる。

 

 以前あった収入のおかげで余裕はあるから、一式揃えても生活は出来るだろう。

 

 浪費癖がなくてよかった、と安堵する。

 

「だいじょうぶ?」

「んー、ああ。大丈夫。……若葉さん?」

「睦」

「……わかった」

 

 声が心配そうに揺れている睦に頷きを返す。考えていたより金銭感覚はしっかりしているらしい。

 下の名前で呼んでいいことに驚いたが、睦からしてみれば普段関わらない歳上の人だからだと納得する。

 

 高校生から見た大学生は別の世界を生きている人間だった記憶があるし、そういうものだろう。

 

「……手、繋いだまま?」

「あぁ、悪い」

 

 親父が妙な喩えをしたせいで、捕まえておかないといけないと考えてしまった。

 

 人と手を繋いだのもいつぶりだろうか……少し考えてやめる。

 

「……ううん。大丈夫」

「そうか」

 

 表情に嫌悪感が混じっているわけでもないから本当に大丈夫なのだろう。

 

 夕暮れの優しい風が、失敗を慰めてくれているような気がした。

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