雛鳥のカーテンコール   作:鳥籠のカナリア

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活動報告には書いていますが、現在カーテンコールはプロット段階から修正中になります。流れが変わる可能性がありますので、よろしくお願いします。


はじめまして

 病院を出て帰り道を歩くころには夕日が赤く燃えて目が焼かれるような時間だった。

 

 忙しない毎日に見向きもされない痩せ細った街路樹、車道と歩道を隔てる鉄柵が囲む街中は見慣れた風景だ。遠くを見ようと上を向いても、高層ビル群に阻まれる街では空が狭くて見渡せない。

 

 今、圧迫感を感じているのは兄妹のように後ろをとことこ歩いている女の子のせいだ。たいして年齢も離れていないはずなのに、高校生というだけで背筋に冷たいものが走るのはなぜだろうか。

 

 預かった以上は約束を反故にするわけにはいかない。ようやくマンションのエントランスに到着してエレベーターに乗り込んだところでため息が漏れそうになるのをこらえる。

 

 女子高生が他人の家に預けられるシチュエーションが健全じゃないことは本人も自覚しているだろう。指摘して気に病ませるわけにはいかない。

 

 自分の住む階層にたどり着き、緩慢な動作で部屋の鍵を取り出して解錠すると聞き慣れた音が帰宅を歓迎する。

 

「なにもないけど、ゆっくりしてくれ」

「……お邪魔します」

 

 ぺこりと頭を下げて、脱いだ靴を揃え、絨毯の上で待っている様子から育ちの良さを感じた。

 

 滅多に出番のないスリッパをラックから取り出して床に置けば素直に足に履く。かぽかぽと後ろをついてくる姿は外を歩いているときと変わらないのに、不思議な愛嬌がある。

 

「……意外」

「男の部屋にしては片付いてるほうだろ」

 

 ぱちん、と電気を付けると白熱電球が室内を優しく照らし出した。

 

 そこに広がるのは大した面白みもない普通の部屋だ。大して使い道のない二人掛けのソファにカーペットとローテーブル。多少物珍しいのは雑多な本棚と、端っこのほうに主張しているコンポくらいだろう。

 

 私室に並ぶのは、シングルベッドとサイドテーブル。部屋の端に置いてあるデスクのうえにはほとんど使っていないPCがある。

 

 あとはほとんど物置部屋になっている小さな窓だけがあるサービスルーム。

 

 俺が住んでいるのは一人で住むには広い1SLDKだった。

 

「……部屋に入るの、初めて」

 

 睦の言葉にギョッとして、人の家という主語を喋っていないことに気付いた。

 

「同級生の家には行ったことないのか?」

「女の子だから……」

「ああ、男の家には初めてだって言いたいのな……」

 

 この部屋に女の子が来るのは初めてのことで、ひとまずソファに腰掛けさせた。

 

 そのままキッチンに入り、温かい飲み物を用意しながら小さなため息を吐く。

 

「高校生くらいの女の子ってどう扱えばいいんだ……」

 

 棚からココアパウダーを取り出して小さな手鍋に放り込みミルクをいれてペースト状にしてから少し時間をかけて、さらにミルクを足して希釈。

 

 砂糖を入れて加熱しながら溶けやすいようにして混ぜてしばらく経ったころにはココアの芳醇な香りが空間を満たしていた。

 

 考えのまとまらないまま完成したふたり分のココアを持ってリビングに戻ると、睦はちょこんと座ったまま姿勢を動かした様子がない。楽にしろ、と言ったところでむしろ緊張するだけだと無視して、ローテーブルのうえに出来たてのココアを置く。

 

「ココアは飲めるか?」

「うん」

 

 睦はカップを持ち上げて、ゆっくりとココアを飲み込む。

 

 表情には出さなくても緊張していたのだろうか。後先を考えずに連れてきたが、見た目ほど感情が読めない相手でもなさそうで内心で安堵のため息を吐く。

 

 彼女がくつろいでいる間に使える部屋を考える。リビングはベッドがないから却下、俺の部屋……好ましくはない。

 

 現実的なのは半ば物置と化している部屋を片付けて住んでもらうことだが、片付けには一日はかかる。

 

「悪いが今日は俺の部屋で寝てくれ。俺はリビングで寝る」

「……なんで?」

「なんで、ってあのな……」

「一緒でいい」

 

 同じ屋根のしたに住んでいるとはいえ、同じ部屋に住むわけにはいかない。お互いのプライベートは確保されていたほうが、お互いに自立した生活を送れるだろう。

 

 まして、相手は女子高生だ。子どもと断じるには身体の成長が見受けられるし、大人というには精神が追いついていない年齢の少女は扱いが難しい。

 

 同年代だったら突き放すだけで済むだろうが、こちらが歳上である以上は世話を焼きたくなる。ふわふわと地に足が付いていない彼女のような子にはどういうわけか世話を焼きたくなる。

 

「それはダメだ。片付けてくるから風呂にでも入ってこい……」

「手伝う」

 

 あの部屋に触れられるのは、あまり気分のいいことじゃない。

 

「…………気持ちだけでいい。一人で掃除したい」

 

 会話を打ち切って、クローゼットから出来るだけ新しいバスタオルを引っ張り出してきて睦に手渡す。

 

「……わかった」

 

 渋々、といった様子で風呂場に向かう睦の後ろ姿を見送って、締めきっていた物置部屋を開ける。

 

 そこは、他の部屋とは違ってものに溢れている部屋だった。

 

 壁に掛けられた絵画と、部屋のなかに残る油の残り香に混じって微かな埃っぽい空気が充満する。

 

 平積みにされた大量の紙が封のされていないたくさんの段ボールのなかにはなにが眠っていたか思い出せない。

 

 窒息してしまうほど重苦しい空気に包まれて動けなくなった。このままでは部屋が空かないと、言い聞かせるためにゆっくりと息を吐いた。

 

 

 

「風呂から上がったか」

 

 部屋と倉庫を何度か往復してひとまずの休息を始めたころに浴室の扉がガラガラと開いた。どうやら睦が風呂から上がってきたらしい。

 

 少し間をおいてペタペタと床を踏む音に釣られ視線を向ける。

 

 しっとりと濡れた髪の毛、赤らんだ頬、先ほどと同様の無色透明な瞳。ただ風呂に入ってきただけなのに、妙な色っぽさに視線が自然と落ちて──バッと視線を逸らす。

 

「服はどうしたんだ……」

 

 バスタオルが辛うじて大切な部分を隠しているが、西洋人形を連想するしなやかに伸びた身体は未熟ながらも女性らしさを感じさせた。

 

 恥ずかしがることもなく、ただ突っ立っているだけにおかしいのは自分なんじゃないかとすら思えてくる。

 

「服、他にないから……」

「バッグのなかに体操服とかないのか」

「使った」

 

 時刻は20時で、服屋はもう閉まってる。

 もう少し早く言ってもらえれば、と思いながら急いで部屋から使っていないシャツを取り出して手渡す。

 

「下着はあるか?」

「うん」

「ならいい。洗面所で着てこい」

「着させてくれないの?」

「初対面の男に頼むことじゃないだろ」

「……わかった」

 

 渋々、と言った様子で洗面所に戻っていく後ろ姿を眺めながらソファに腰掛ける。しばらくすると微かに布の擦れる音が聞こえてきた。

 

 現実が認識に追いつくというのはこういうことをいうのだろうか。今更になって女子高生を自分の部屋に連れ込んでしまった事実を理解して背筋が寒い。

 

「綺麗な身体してたな……」

 

 先ほど横目に見た彼女の身体には傷が付いていなかった。つまり、暴力を振るわれていたというわけではないらしい。

 

 ソファに腰を下ろしてどうしたものかと頭を抱えていると、ドライヤーの音が聞こえないことに気が付いた。

 

 まさかな、と思いながら洗面所の扉を数度ノックして扉を開く。

 案の定、洗面台の前でドライヤーとタオルを抱えた少女が立ち尽くしていた。

 

 ぶかぶかのワイシャツが肌色を隠した代わりに服の裾から見える脚には極力目を向けないようにする。

 

「ドライヤーの音が聞こえないんだが、大丈夫か?」

「……やりかた、わかんない」

 

 髪の乾かし方が分からない現代人は居ない、と思っていたが目の前に居る少女は自分で髪を乾かしたことがないらしい。宿泊学習なんかでも人にやってもらっていたのだろう。

 

「家ではどうしてたんだよ……」

「……お手伝いさんが」

「……リビングに来い。ヘアブラシは?」

「バッグのなか」

 

 人の髪に触るのは抵抗がある。

 

 ただ、不満を抱かれてしまうよりはマシと割り切ってリビングに連れて行く。床に座らせるのも気が引けて、ソファに座らせてからローテーブルに小さな鏡を置いた。

 

 櫛とタオルを持って人を見下ろすと、不思議な気分になる。

 

 人の髪を梳くのは久しぶりだが、上手く出来るだろうか。

 

 まだ濡れたままの髪からは我が家のシャンプーに混じって微かに違う匂いが立ち昇ってくる。

 

 自分が気に入ったシャンプーの匂いが他人からすることに少しだけ違和感があった。

 

「痛くないか?」

「だいじょうぶ」

「そうか」

 

 それ以上かける言葉も見つからず、ドライヤーが間抜けな叫びをあげはじめる。

 

「……慣れてる?」

「昔、歳下の女の子の世話をしていたことがあったから」

 

 睦と同年代だったろうか、すっかり疎遠になった少女は世間的には幼馴染というやつだ。ドライヤーで髪を乾かしてから、櫛を手にとって彼女の髪型を細かく覚えていないことに気が付く。

 

「普段の写真あるか?」

「……なんでもいい」

「女の子の印象は髪からだろうし、適当じゃダメだろ。なんかないか」

 

 少し悩んだあとに見せられた写真には五人の少女が写っていた。ほとんど知らない五人組は、睦を含めてそれぞれ楽器の前で楽しげな表情を浮かべているように見える。

 

 それなのに、今目の前に居る少女の表情は写真を眺めていても変わらない。会話の糸口になるかもしれないが、今はこれ以上触れないほうがいい。

 

 何度も上から下に優しく梳くと若葉色のストレートヘアが櫛を通って楽しげに揺れる。鏡越しに睦の顔を見ても仏頂面のまま動いた様子はない。

 

 ある程度形を整えてから冷風でセットして一旦の完成。

 

「終わったぞ」

「……ありがとう」

「あとは自由にしてくれ」

  

 心なしか柔らかい睦の声を聞き届けてから、台所に入る。

 

「夕飯どうしたものか……」

 

 睦を連れ帰ることばかり考えていたせいで、夕飯の買い出しを忘れていた。冷蔵庫を覗いてみると、手抜き飯用の具材しか残っていなかった。

 

「……女子高生に、チャーハン?」

 

 女子高生といえばカルチャーの中心で、アサイーボウルでダイエットをする人間らしい。カロリー大丈夫なんだろうか。

 

「……ご飯?」

 

 睦はなぜかギターを胸元に抱いたまま台所にやってくる。初めて来た家で放置されて不安になったのだろうか、酷く不安げな瞳がこちらを見ているような気がした。

 

「ああ。チャーハンでも大丈夫?」

「……なんでもいい」

「わかった」

 

 希望の食事はない、と解釈して今朝忘れていた皿を洗い始める。油汚れのヌメリとした感触から、指先で撫でても引っ掛かりがなくなっていくのは気持ちいいものだ。

 

 手元の作業が一通り終わっても、睦はその場を離れようとしない。

 

「あー……ギター、好きなのか?」

「大切」

 

 大切なものには、大切に思える時間が宿っている。彼女のようにずっと持ち歩いているものなら、普通よりもずっと大切な思い出があるんだろう。

 

 彼女の持つピンクのラメ加工がされたギターを眺めてみれば、微かな傷こそついているが、汚れが付いていないことが分かる。

 

 さっき見せてくれたバンドの写真でも持っていたから、丁寧に手入れをしていることが楽器に触れたことのない人間にも想像出来た。

 

「油使うから離れないとギターにかかるぞ」 

「あとで拭くから」

 

 新しい環境に緊張していると思ったから俺から離れて自由にしてもらおうとしたが、思っていた以上に人に飢えているのかもしれない。

 

 「料理するところなんて面白くはないだろうけど、好きにしてくれ……」

 

 人の視線を感じながら作業をするのは好きじゃないけど仕方がない。

 

 米の炊き上がりまで5分というところでエプロンを着てから大きなフライパンを取り出してごま油を大量に注ぐ。

 

 冷蔵庫のなかからチャーシュー、野菜室からネギを二本取り出して切って、切ったチャーシューをフライパンに火を通し、溶いた卵を入れ込む。

 

 このあたりでちょうどご飯が炊けるのでフライパンにご飯そのまま投入。

 

 家庭用のコンロは火力が足りないため振らなくていいというのはよく知られた話だが、そもそも振れるほどの技がない。

 

 米を炒めるように木べらでかき混ぜながら様子を見る。味付けは醤油と中華スープのもと、そして水を適度に混ぜた混合液を投入して混ぜ直し、最後にネギを入れて炒めればチャーハンの完成。

 

 口に含むと、香ばしいごま油の香りとチャーシューの旨味が主張する美味いチャーハンに仕上がって満足感とともに静かに頷く。人に出しても大丈夫な出来栄えだ。

 

「できた?」

「まだ熱気が残ってるから近付かない」

「手伝う」

「分かったから少し下がってろ」

 

 危なっかしさを覚えながら、あまり使う機会のない皿を準備する。一人で暮らしているとフライパンのまま食べることもあるのはズボラだから……ではないだろう。

 

 平べったい大皿を2皿持ってきて、片方は大盛りにしてもう片方で手が止まる。

 

「どのくらい食べられる?」

「……あんまり」

「あー……この程度か?」

「うん」

 

 その細い身体だもんな、とは言わないでおく。言いたいだけの余分なことを言いそうになるのは悪い癖だ。

 

「持ってく」

「ちょっと待て」

 

 小盛りの皿と大盛りの皿を2本の細い腕で持っていこうとするのを止めて、トレーのうえに2つの皿とスプーンを乗せる。

 

「俺は洗いものをやるから先に食べておいてくれ」

「……」

 

 1つ頷いて見せた睦の後ろ姿に不安を覚えながら使ったフライパンと炊飯器を片付けてから冷蔵庫から烏龍茶を2つのコップに注いでリビングに向かうと、行儀よくローテーブルの前で正座している睦が見える。

 

「……食べててもよかったんだぞ」

「……ううん」

 

 目の前に人が居たら落ち着かないだろうから先に食べていていいと言ってみたが、見当違いな気遣いだった。

 

「じゃあさっさと食べるか。いただきます」

「……いただきます」

 

 味を見ているから分かっていたが、改めて美味いと感じる。 

 

 ただ、これは俺の感覚。

 

 彼女は月ノ森女子学園に通うような家庭で育った子。口にあうのだろうか、とふと気になって横目で見てみると文句を言わずに食べている。少し注意深く観察するとリスのように小さく膨らませた頬が緩んでいることに気付いた。

 

 注視しなければ分からないような些細な変化だったが、美味しそうに食べてくれるだけで胸が満たされるような気分になれるのは料理を作った人間の特権だろう。

 

 顔が僅かに綻んだ気がした。

 

「うまいか?」

「うん」

 

 素直な言葉が返されると思わず、食事の手が止まる。自分の作った料理が人から感想を受けるのはいつぶりだろう。絵をやめたくらいだろうか。

  

「……そうか」

 

 人のために料理を作りたいと思うのは久しぶりだ。

 それが妙に心地よくて、口角があがるのを感じた。

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