「……それ、本当か?」
宏樹が言った。ため息をなんとか飲み込んだあと、渋々頷いて天井を仰いだ。
大学内に併設されたカフェテリアの人目につかない場所に男二人で座り込んで話し合っている俺たちは周囲からすれば好意の標的だろうが、幸いにも誰も寄ってくる様子がない。
「その反応が一般的だよな……」
「そりゃあ、そうだろ」
二限が終わった昼下がり。昨日、なんの要件でクソ親父から呼び出されたのか聞かれ、その流れで睦のことも話した。
もちろん、名前や外見的な特徴のことは話さず親父の知人の子を家で預かることになったことだけだが、一人で抱えるには大きすぎる問題だと思って一応長い付き合いになった宏樹に話すことにした。
ただ、それは俺の勝手な信頼だ。彼からしてみれば、面識のない女の子を家に泊めているギリギリ成人男性。ロリコン野郎とでも、どんな誹りを受けても文句が言えない。
「……家出かぁ?」
「連れてきたのは親父だからな。俺には分からない」
「分からないってお前……」
呆れた様子でため息を吐く宏樹に内心で同意する。自分が抱えている爆弾の種類が分からないということは、適切な処理方法が分からないということだ。
親父の口ぶりではあの子の身元を知っているようだったが……あの口ぶりではしばらく教える気がないのだろう。問題を抱えているのだけは間違いないからどこかで聞き出さなければならない。
睦本人から聞き出すか、親父から間接的に聞くかは悩ましいところだ。
グラスを手の中で遊ばせて次の言葉を待つ。
「おめー、考えなしだな……」
「俺もそう思う」
もっとも、推測だけは立っていた。月ノ森女子学園といえば、このあたりの名門お嬢様校。苔が生えるような長い歴史と、カビの生えた古風な校則とは対象的に近代的で美しい外観の中高一貫校であり、学費がとんでもないことは有名な話だ。
あの学校に通えるのは大手企業の社長令嬢や、口の塞がらない金額を稼ぎ出す芸能人ばかりだと聞く。
記憶の端で引っかかりを覚えるが、気のせいだろう。
「そうじゃねぇよ。自分がどう見られるか意識してないだろ?」
「知らん」
大学生の男の家に転がり込む女子学生。親族をはじめとした身内ならまだしも、昨日今日知り合ったばかりの女性を泊めるのは世間一般では褒められたことじゃない。
事情を無視した客観的な状況は、「下心で女子高生を泊めている外道成人男性」といったところだ。
「住む場所がない、なんて言われて見捨てたら夢見が悪い」
「それだけぇ?」
「それだけだ」
下心が完全にない、とは言い切れない。睦が可愛らしいのは客観的に見ても事実だ。
「はぁ…………」
「なんだよ」
「もう少し周囲の目に敏感ならお前は絵を続けていたんだろうなと思ってな」
言葉の先は聞かなくても分かるが、わざわざ聞き返すつもりはない。おおよそ俺たちの……俺の周囲に人が寄ってこない原因の話をしているんだろう。
「……話を戻そう」
「わるいわるい。ん~……やっぱ事情分からない以上はどうしようもなくねぇ……?」
「本人から聞ければそれが一番……か」
当面の目標は彼女から事情を聞き出すために仲良くして最悪親父から聞き出せるようにする、といったところだろうか。
宏樹も同意見らしく、首を縦に振っている。
「それでいいんじゃね? 人預かったことなんてねぇから適当だけどよ」
「……助かる」
歳下の少女と同居する状況に混乱していたが、人と関わるには関係性を構築するべきだというのは当たり前の話だ。
そういえば、家に連れ帰ってから会話という会話をしていなかった気がする。正直、人と関係性を構築するのは苦手な部類なのだが、預かった以上は適当なことをしたくない。
「あ、そうそう。大事なことがあったじゃねぇか」
「なんだよ」
天井を見上げながら考えていると、宏樹の声色が不意に変わる。
「……その子、かわいいのか?」
「……絶対に確かめさせてやらん」
「なんでだよぉ!」
泣き言を垂れ流す友人にため息を吐いて、すっかり汗をかいたコーヒーを飲んだ。
宏樹の課題に付き合っているうちにすっかり夜の帳が降りていた。街灯が僅かに撒き散らす音を横目に夜空を眺めてもロクに星が見えない。もう少し田舎のほうなら違うのかもしれないが、都内は街の明かりに遮られて本当に見たい星の光が見えない。
時刻は夕飯時なこともあって、通り過ぎる家々から漏れる夕食の香りが鼻腔をくすぐる。手元の買い物袋は一人暮らしでは考えられないくらい多くの食品で占領されていた。今日の夕食はカレーにでもする。夏場は怪しいが、カレーはある程度手軽で数日持つ家庭料理の代表だ。
人によっては市販のルーを使わずに様々なスパイスを組み合わせて好みの味付けをするらしいが、そこまではやらない。隠し味を少し入れるくらいのちょっとしたひと手間以上は一人暮らしが続くなかでやらなくなってしまった。
「……人の待つ家に帰るなんていつぶりだかな」
家族で同じ家に住まなくなってもう随分と経っているが、一人で帰る家の暗さには慣れない。夏は熱く、冬は寒い。そんな自宅は帰って一時間ほどは腰を落ち着かせることも出来ない。帰り着いた感覚がしないせいだ。
マンションのエレベーターに乗り込んで廊下を歩く足取りも、一人暮らしのときとは違ってゆったりとした歩調だ。
鍵を開けてドアを開くと、想像していたものとは違う光景が目に入る。
「……暗いな」
高校生くらいの年齢なら部活が終わって家に帰ってきているような時間。どこでなにをしているのか、保護者としては放っておくわけにはいかない。
そんなことを思いながらスマホを取り出して連絡先の交換もしていなかったことに気が付いた。
「昨日は俺も疲れてたんだろうな……」
ため息を吐いてドアの付近にあるスイッチを押して明かりをつける。靴を脱ぐために自然と下に向いた視界が、見覚えのないローファーを見つける。サイズからして女性モノの靴を買った記憶はない。
「家に帰って、そのまま出かけたか?」
書き置きくらいは置いてあるだろうか。女子高生の女の子が出歩くには少々危ない時間だが、言い含めていなかった自分が悪い。まずはテーブルのうえを確認しよう。居間に繋がる扉を開いて室内をぐるりと見渡すと、ソファに座り込んだ人影を見つける。開きっぱなしの窓から月明かりが差し込んでいるおかげで、長髪なのが確認出来る。
「……睦?」
「……なに?」
試しに声をかけてみて声が返ってきたことに安堵のため息を吐く。
「なんで真っ暗なんだ?」
口調を柔らかくして問いかけると、不思議そうに首を傾げたあとに納得するように首を縦に振る。
「付けていいのか、分からなかったから」
「…………付けてくれ。心配になる」
「わかった」
反射的に出そうになった言葉を飲み込むのに苦労した。
まさか、家では好きに電気も付けられないのか……いや、考えすぎだ。ただ人の家のものを勝手に触っていいか分からなかったから、電気も付けずにぼんやりと外を見ていたのだろう。
「家では、どうしてた?」
「……ずっと電気、ついてるから」
「家にずっと人が居るのか?」
「お手伝いさん」
家のなかがずっと電気がついていて、お手伝いさんも居る。想像するに、かなりの豪邸に住んでいるのだろう。一般家庭でお手伝いさんはなかなか聞かない──そこまで考えて、彼女は月ノ森に通っていることを思い出す。
お金持ちの人間の生活を知らない以上は想像の範疇を出ない。
そして、今探るべきじゃないと分かっている。
「そうか。うちにはお手伝いは居ないから、家を出るときには消して、返ってきたら付けてくれ」
「うん」
「あと、俺の部屋以外のものは好きに触っていい」
「うん」
「それから……俺の見てないとき、キッチンには近付かないように」
「どうして?」
「調理器具の場所が変わっていると俺が不機嫌になるからだ」
本当は火の近くに寄せたくないからだが、仮にも高校生に対して過保護すぎると思って嘘をついた。
これまで見てきた限りぼんやりとしている彼女が機敏に料理をするという姿がどうにも想像出来ない。世の中には料理が出来ない人間も居るらしい。身近なところでは宏樹が料理をできないらしい。実際に料理をしているところを見たことはないので、本人談に過ぎないが。
俺の主張に納得したのか、していないのか。よく分からないぼんやりと視線のままこくりと頷いて黙り込んでしまう。思った以上の難敵に渋面を浮かべているのが自分で分かるのだから、実際に表情が動いているのだろう。電気がついていなくて正解だった。
こういうとき、自分が人と関わることを苦手にしているのが悔やまれる。もっと多くのことが喋れたなら、きっと相手に気まずい思いをさせなくて済む。
そこまで考えたあたりで、ぐぅ……と腹の鳴る音がする。驚いて音のしたほうを見ると、恥ずかしかったのか睦が俯いているのが見えた。
「この時間だから腹も空くか。昼食は?」
「……食べてない」
「は?」
つい語調が強くなる。成長期の人間にとって、三食は欠かせない。どれだけ食の細い人間でも減らすのはたいてい朝で、昼夜は家庭の方針や学校で食べることも多い。初対面の人間が作る弁当は信用出来ないだろうからと、諭吉さんを二人ほど持たせておいたのだから、昼食が買えないというのはないはずだ。
「購買とかないのか?」
「ない」
「カフェテリアや学食は?」
「あるけど……好きじゃない」
「好き嫌いか……」
昼食を抜いてしまったという話なのだが、子どもらしいところもあることに安心する。経験上、無口な人間はこれまでの人生で嫌な経験をしたせいで幼さを内側に隠していることが多いからだ。
「普段、お弁当だから……」
「弁当……そうか、弁当か……」
一般的に給食のほうが多いとされる中学校でも、一部学校では弁当が主流なのだそうだ。自分が高校に通っていたころがどうだったか思い出せないが、弁当を持参している生徒も居た記憶があった。
「……弁当のほうがいいか?」
「……」
「正直に言ってくれ」
「……うん」
「そうか……わかった」
正直、朝起きるのはそれほど苦じゃない。朝に予定が詰まっていることが苦だ。だから必修科目以外は1限に取らない怠惰な大学生活を送っているのだが、同居人が昼食を食べていないというのは、自分の昼食に影響だから仕方がない。
「……いいの?」
「人に料理を食べてもらうのは嫌いじゃないからな」
歳上としては叱るべきなのだろうが、関係性を築いていない人間からの説教は鬱陶しいだけだろう。一日の折り返しになる昼食で好きなものを食べたいという気持ちは少し理解出来るし、俺も似たようなものだ。
「ただし、前日の残りものは入る。そのつもりで」
全部朝に料理をして弁当箱に詰める。理想的なのは事実だが、現実的じゃない。同時並行したところで一人暮らし用の部屋にあるコンロは限られているのだ。
「あと、卵料理が多い」
「……好きなの?」
「俺が好きだから」
卵が冷蔵庫からなくなったことがない程度には卵が好きだ。だし巻きたまご、スクランブルエッグ、名前の分からない創作料理に至るまで卵が使われている料理が好きだ。味付けの好みは砂糖。塩はサンドイッチを作るときにしか使わない。
「私も」
「意外に家庭的なんだな。」
「おだしが好き」
「和風だな……」
お手伝いさんが居るくらいだから、料理も凝ったものが出てくると勝手に想像していたのだが、違うのだろうか。
「……さきが、作ってくれたから」
「さき?」
「幼馴染」
「幼馴染か……」
さき。その名前を口にしたとき、僅かに表情が動いた。笑っているような、愛おしいような、心配なような複雑な表情に一瞬あっけに取られながら、自分の幼馴染のことを思い出そうとするのを頭を振って誤魔化しているあいだにぐぅ、と腹の虫が二度目の鳴き声をあげた。
飯を寄越せと主張する腹の虫を黙らせるために棚からフライパンを取り出す。
「……とりあえず、飯を食いながら話そう」
「うん」
裏話:実はこの作品は豊川祥子作品を書こうとして出来た作品である。