長崎に睨まれながらコーヒーブレイクを楽しむこと2時間。
いつの間にか三杯目になっていたコーヒーも冷たくなったころにはそろそろ話題も尽きてきたかな、という空気が出たころに荷物をまとめ始める。旧友と話す時間は相手に嫌われているのに意外と苦痛にならないもので、むしろ懐かしさが込み上げたのは男の脳みそが都合のいいように造られているからだろうか。
「……そろそろ行くよ」
「そ。気を付けて」
「……」
「なに?」
思い浮かんだことを言うべきか悩む。
怪訝な表情をする長崎の前で誤魔化すのも出来なくはないが、後々面倒になりそうだと開き直ってから口を開く。
「その服、似合ってる」
「…………」
白のローケージニットに茶色のロングスカートを基調とした服装は彼女の容姿と合っており、小物でピンクがかったネックレスを付けている。微かなやさしい花の香りは落ち着いた雰囲気と合わさって彼女を以前より数段大人の女性に近づいたことを意識させられる。
俺のことを嫌っていることを知っている。けれど、頑張ったのは報われてほしい、なんて傲慢なことは言わないけど……せめて自分がいいと思ったものについては率直な感想を言った方がきっとお互いに気分がいい。
そんな考えで発した言葉に長崎は髪をいじりながら、それはそれは大きなため息を吐いた。
「はぁ……ほんと、さいあく……」
「そんな言うことなくねぇ?」
無視するなり怒るなりすればいいのに律儀に返す長崎は分かりやすいくらいに頬を染めている。怒りたいなら目くじら立ててでも追求すればいいのに、彼女の様子を見ている限り意外と嫌われていないのかもしれないと思いつつ、本人が嫌っていると明言しているのだから気のせいだろうと自分を納得させる。
自分が好かれているという勘違いほど痛々しいものもない。
「唐変木」
「物分かりはそれほど悪くないつもりなんだが」
「……察するつもりもないでしょ」
「言わないことを読み取れるほど人と関わっていないからなぁ」
実際、察することが難しいのは事実だ。人間と関わるというのは人間機微を察する力を養うところもあるし、人と関わることが少ない俺に察しろというのも無理がある。
心底ウンザリしたのか大きなため息をひとつ漏らして紅茶を飲む長崎はそっぽを向いてこちらを見向きもしない。罵倒して落ち着いたのか、ゆっくりと視線を俺に戻して話を戻される。
「……思ってたの、それだけじゃないでしょ」
「うん?」
「言ったでしょ。空くんは分かりやすいの」
「理解してもらえると喜べばいいのか、隠し事ができないと悲しめばいいのか……」
「ばかじゃないの?」
切実な問題なのに鼻で笑うように一蹴されてしまったことに肩をすくめる。数年越しの友人に隠し事を見透かされているということは、宏樹はおろか睦にも気付かれている可能性があるということだから、俺のとっては文字通りの死活問題だ。
どうにか誤魔化せないかな、無理か……と諦めていると、長崎が呆れたため息が吐く。ため息を吐かれてばかりだが、嫌っているという彼女の言葉や雰囲気に嘘がないようで安心する。出てくる反応が一定なのは楽でいい。
「……それで、私に言いたいことあるよね」
確信を持った鋭い瞳は逃げることを許さないと言わんばかりに爛々と輝いて瞬き一つしない。言いたいことは、ある。
しかし、それはただのお節介ではないかと俺は思うのだ。
なにか行動を起こそうとしている人間の行動には独特のリズムがある。会話の途中に左下に視線を流し……日常の雰囲気……特定のものに囚われている顔。特殊すぎて数え切れないくらいのヒントが散りばめてしまっていることに、彼女はおそらく気付いていない。
なぜなら、人間は自分のしたことを他人がやっているのか気にする生き物だから。
なによりも、彼女は考えごとをするときに髪をいじるクセがある。このことさえ抑えておけば、あとは連想ゲームでおおよそのアタリがつけられる。
もっとも、それなりに付き合いがあったからだ。
そんなに強いつながりがあったのか、と聞かれれば首を傾げるが、一緒に過ごしていれば自然と仕草やクセを覚える。
「…………」
言い訳が思いつかないのはどこまでいっても俺自身が関わるべきなのか悩んでいるからだろう。答えを求めて天井を眺めたところで、ダウンライト照明があるだけで答えなんて転がっていない。
この言葉を吐いたときに自分の意思と関係なく誰の味方をするか決まってしまうような気がして、その重圧に喉を鳴らす。言葉は嫌いだ。自分の意思に反する言葉を発したときの重みに耐えられなくなる感触に慣れることが出来ないから。
重く閉ざされた口をなんとか開いて音を鳴らす。
「悪巧みなんて似合わないからやめたほうがいいぞ」
「……悪巧みなんてしてないけど」
「そうか、言い方が悪かったか。視界に入るようにやるな」
おそらく、CRYCHICとやらを復活させたいと思っているのだろうが……一度壊れたものは元通りにはならない。
どれだけ願っても、どれだけ焦がれても。
手を伸ばしたところで、きっと届かない。
そもそも、なくなってしまったのだから。
広く浅い交友関係ばかりだった長崎が特定の人間に固執していることを喜びたい気持ちもあるが、半ば依存しているような関係性にコーヒーよりも苦く喉越しの悪いものが口に広がる。
まるで雛鳥の刷り込みみたいだ──俺が睦にしていることもそう変わらないのではないか、そんなごちゃごちゃした思考を一蹴してから、注文票が括り付けられたバインダーを持って立ち上がる。
「どうせ、私のことなんて気にもしないクセに」
「気にはする。お前は俺に懐かなかったかもしれないけど、俺にお前を嫌う理由はないよ」
克服したいトラウマも、悲しい過去も、直面している壁だって俺たち二人の間にはなにもない。
嫌ったから離れたのではなく、踏み込むことがお互いに出来なかったから離れただけなのだから。
だからこれは、それだけの話。
「……はぁ」
久しぶりに空くんに会えたのに、憎まれ口ばっかり叩いちゃった。お会計も、持っていかれちゃったし。ああいうの、本当にどうかと思う。気にしてるとか、気にしてないとか……本当に嫌われてると思ってるのかな。私、それなりにしつこいのに。
色々言ってたし、気になることはいっぱいあるけど……。
「なんでCRYCHICのこと、聞いてきたんだろ」
少し長くなってしまった長崎の小言に蓋をしてスタジオに足を向けると、睦はもう出ていたようで、ラウンジにあるラウンドツリーベンチに腰掛けて外を眺めていた。
窓越しに見える空は晴れ渡るような青空から茜色した細長い雲が色づいた西空に変わっていた。
あまりに無防備な後ろ姿に、心配になりつつも肩に触れてから声をかける。
「待たせたな」
「ううん、今来たところだから……」
「そうだとしても、ごめんな」
「……うん」
普段に比べてほんわりとした雰囲気の彼女はギターを弾いたおかげかご機嫌に見える。
素人の俺からは弾いていることに違いはないように思えても、やっぱり違うんだろうなぁ。うん、きっとそうだ。
「他に用事とかある?」
「……ない」
少し悩んで答えていたから、多分本当にないのだろう。
買い出しは……必要なもの特になし、帰ろう。
「……花のにおい」
「花?」
よほど気になったらしく、すんすんと鼻を鳴らす睦に倣ってくんくんと鼻を鳴らす。
RiNGの花壇に生けられている花から香っているものではないらしく、花から芳香は感じない。
「……誰かと会ってた?」
「ああ、知り合いと会ってた。どうした?」
「……多分、香水かなにか」
香水の香り、なるほど。
なるほど……。
「さ、帰るぞ」
「…………」
少し責められているような視線から逃げるためにRiNGの外に出る。睦の防音室の問題が片付けば来ない場所だとは思うが、コーヒーが美味しかった。
長崎が居ると判明した今となっては、あまり来たくない場所にもなってしまったが。
「……くさい」
「うっ!?」
帰宅早々唐突に呟かれたひとことの衝撃床へ倒れてピクリとも動けなくなる。歳下の、しかも女子高生の子にくさいと言われる心理的ダメージは計り知れない。自分は嫌われたり、悪い言葉を言われないというユメを壊すような、ちょっとした銃撃だ。
頭上にある影はなにを考えているのか、たいして動いてはいないのにどういうわけだろう。彼女の心は大きく揺れているように感じた。
ただ、やはりというか。
自分の意図していない言葉を吐く悪癖が睦にあることを念頭に置いて彼女と過ごしていても、実際に言われてしまうと心にクるものがあるらしい。ずぅんと心におもりをつけられた気分だ。
「汗、かいただろうから……」
「ああ、うん……分かってるから……気にしてないから……」
言いつつも、自分の心にトゲのようなものがあることに気付く。言葉は内容ではなく、言葉を発した人物が起点となって染み入る。
少し焦った様子の睦の頭を乱雑に撫でて脱衣所に入って服を脱ぐと洗濯かごの中に突っ込んだ。洗濯物は既に干したあとで、放り投げた自分の衣服以外にはなにも入っていない。
ボディタオルと大きなバスタオルを三枚を浴室に近い洗濯機のうえに置く。
洗面台にはライムグリーンの歯ブラシと、きゅうりが描かれたコップがある。一人暮らしのときとは違う、自分以外の人の痕跡。彼女はパステルカラーの小物をよく好む。なんだか女の子らしいな、なんて思い浮かんで自分の気持ち悪さに呆れる。なんだ今の感想。
洗面台で自分の櫛を軽く洗ってからバスタオルの横に置いておく。
浴室に入ったと同時にため息を吐く。デカい金の動きを見て、旧友に再開して、最後に歳下の女の子に臭いって言われる……最後は少し違う気もするが、今日は色々とあった。挙げ句の果てに気持ちの悪い考えを思い浮かべて自己嫌悪に陥る。なかなか忙しい一日だった。
自分のほうを向いているシャワーヘッドを見る。シャワーのレバーを引くと、細やかな水の束が俺の身に降り注ぐ。冷たい水が身体を濡らし、一瞬息が詰まった。
「冷たっ!?」
どうやらお湯と冷水を間違えてしまったらしい。柄にもない大声を出してしまったことに恥じらいを覚えてから慌てて温水に戻すと、息を吹き返したように収縮していた全身の血流が暴れ出した。食い荒らされたかのように空っぽになった頭で天井を見上げると、冷たかった温度が急激に温められたことで発生した蒸気が周囲を巻き込むようにして換気口ダクトに吸われていった。
そんなとき、唐突に浴室の扉が開く。
「あぁ、悪い。大きい声──」
音に誘われるように振り返ると、睦がぼんやりと立っていた。服を脱いだ状態で。
「なんで……?」
頭が真っ白になる。睦の裸は見慣れたもの──いや、見慣れてはいけないんだけれども──だとしても、なんというかいつもと雰囲気が違う。いつも僅かに感じる人間味を、今はほとんど感じない。
自然と近寄って、シャワーに打たれ始める。ハッキリとした双眸で天井を見上げて温水を浴び続ける睦の瞳の水晶体は光を反射するばかりで映しているようには見えない。まったくの、がらんどう。黒い色はいくら重ねて塗っても黒。吸い込まれるような力強さはなく、単なる空虚だけがそこにある。
これではまるで人形のようだ。睦は何度か鼻を鳴らして、ぼんやりと俺のほうを見上げているうちに、次第に光が戻ってくる。
「あれ……なんで……?」
「しらん……」
どうしたのか聞きたいのはこっちだ。ぼんやりとした意識を取り戻したのか、いつもの眠たげな眼差しが帰ってくる。ひやりとさせるのは勘弁してほしい。
一息入れたあと視界の端に捉えた髪が現実に意識を戻す。シャワーを長い時間浴び続けた若葉色は、光を十分に吸収して輝いているように見えると同時に、気付いてはいけない事実に気付く。
これ、追い返すことが事実上不可能になったのでは?
「…………」
ため息をなんとかこらえていい方向に捉える努力をしよう、ギターを思いっきり弾いたのだから高揚感とか解放感とか色々なもので汗をかいただろうし早めにシャワーを浴びるために一緒に入るのは問題なし!
なわけねぇだろ。目下やるべきことは陶器のような肌を覆い隠すことだと思いつき、洗濯機の上に置いてある大きなバスタオルを取って睦に巻き付ける。
「これはこれで……」
妙なことを考え始めた頭を壁に打ち付ける。とても痛い。見えないエロスというのはあるものだ、と少しでも思い浮かんだ脳みそをへこむくらいに殴りたい。へこんでいるのは心だ。
一人で忙しなくしている間に、睦は風呂椅子に腰掛けてじっと俺を見ていた。
「あのー……睦?」
「……?」
やってくれないのか、そう言ってきそうな視線を受けて諦めのため息を吐く。自分が出ていく選択肢もあったが、シャンプーもしていないのに浴室から出るのは気持ちが悪いから諦めた。
こんな場面で誰かが入ってこようものなら現行犯でお縄。初めて実家住みでないことに感謝した。
「……ブラッシングは?」
「……忘れてた」
「んもー……!」
風呂の前にブラッシングをしておかないと絡まって洗いにくい。また浴室の戸を開けて、櫛を取ってから髪を梳き始める。毛先からゆっくりと絡まりをとって、全体を梳いていくとリラックスしたように肩のちからが抜けていった。
「痛くないか?」
「……あったかい」
「うむ」
鷹揚に頷いてブラッシングを終えシャンプーにうつる。手始めに予洗いを、手のひらでシャンプーを少し、髪の中間あたりで泡立てていく。
「こういうのって背中流すんじゃないのかねぇ……」
女は髪の命、なんてフレーズは使い古されているけれど、実際その通りだと思う。睦の人形のように透き通った印象は髪もひとつ大きな理由だ。
人には命が宿っている。決して人形ではない。
では、人間を人間たらしめているものとはなんだろう。
「……これからもやって」
「やるんだったら俺は睦のこと介護対象としてしか見なくなるけど?」
「……やだ」
「なら我慢してください」
「……しょうがない」
「妥協したみたいに言ってんじゃないよ。たまにな、たまに」
この歳で介護は御免だ。