ここからしばらくの間は小話等を中心に連載を続けていこうと思います。
また読者の方から余りにもクロスさせすぎだというご指摘も受けた為、今後の連載は慎重に進めたいと思います。
とある艦長の独白
なんだこれは……まだこんなものが我が国にはあったのか……
「猪口敏平」は目の前に佇む艨艟を見て言葉を失った。
全てが変わったのは昨年末の比島沖海戦からだ。俺は当初の予定によると大和の左舷側で被害担当をする筈だった、ところが兄部艦長は俺が回避運動が得意でない事を見抜いて直前に配置を変えた。
全く…あの人には頭が上がらんぜ……
兎も角予想は見事に的中、武蔵の艦橋から長門に群がる米軍機とその攻撃を掻い潜る兄部艦長の長門は勇ましいものを感じた。しかしそれも長くは続かなかった。長門の艦尾に艦爆が命中弾を与えて以降は長門は一方的に袋叩きになった。
あの…ビッグセブンが……
かつてビッグセブンの一角として名を連ねた長門が…航空機という新しい時代を前に沈んで行くのを見た時は少々胸が痛んだ。何せ俺は大砲屋だからな、あの長門が沈むなんて事はやはり辛い
だがせめて…
俺はここまで使わなかった主砲の46cm砲から三式弾を放ち生存者救助を援護し、その後の作戦に支障が出ないよう努めた。
まぁ…大和の艦橋ごと司令部が潰れたときは肝を潰したが、その後は藤堂の奴が上手くやってくれたお陰で作戦は上手くいった。
米軍は大損害を被り、侵攻を遅らせる事に成功した。幾らあの国といえど1ヶ月やそこらで立ち直るのは無理だ。
45年の7月
俺は
では自分は……?
俺は目の前に座る米内大将に目を向けた。大将が言うには「この戦争はもう長くは続かん。戦後処理の為残ってくれ、最も君は不服だろうが…すまない」そう言って頭まで下げられては断れない。
確かに
せめて戦って死にたかった……
そう言われて俺は内地で久方ぶりの事務職をこなしていた。内容は「帝国海軍の反省」とでも言うものだ。
やれこの国はどうなるやら…南は米国、北からはソ連が舌なめずりをして近づいている。
まぁ……今となっては俺にできる事はないか……
そう思っていた矢先、転機が訪れた。
7月も半ばに差し掛かった頃、一本の電報が届いた。
差出人は『豊田副武』だった。あの人か…あの人は戦前からよく分からん噂が立っていた。「八八艦隊計画の資材を横流しして何か企んでいる」「彼のせいで信濃以降の建造が止まった」とまぁ何かやってるらしい。
内容はたった一言、『旅順へ来られたし』
旅順か………
旅順といえば日露の戦い以降我が国が租借地として使っている。
戦前までは陸軍向けの単なる港だったが、総督に豊田中将が命じられてからは大規模な海軍基地に改築されてたっけ?
まぁいいともかく呼ばれたなら行くしかないな…
北九州発の連絡機に揺られて俺は旅順へと降り立った。
着くと早速、豊田中将が何やら笑みを浮かべて俺を出迎えた。
それで?自分をここにお呼びした理由は?
なぁに今に分かるさ、ちと工廠まで行こう。
中将に言われるがまま旅順へと向かった。
戦前幾度か来たことはあるがその時の面影は殆ど無かった。
案内された先で俺は目を疑った。
なんだコイツは……俺が乗っていた武蔵がまるで子供ではないか…!
戸惑う俺を見て中将が満足げに笑みを浮かべながら応えた。
猪口君、君の新しい艨艟だ。
司令部でざっくりした話を聞いて俺は再び驚いた。
豊田中将は戦前ある技術者より「大和型は完全な不沈艦ではない」と聞かされ、それをより確たるものにするべく極秘裏にこの戦艦の建造を進めていたそうだ。
一番艦は「紀伊」そして俺が見た二番艦は「尾張」
後者はまだ出来立てホヤホヤだそうだ。
主砲も大和型より強力な51cm砲だ。なんてこったコイツならどんな戦艦が来ても沈まないぞ。
君を推薦したのは他ならぬ松田君だよ。
松田さん……アンタだったか。
聞くところによると松田さんは紀伊の艦長を担当し、空席だった尾張の艦長に俺を推薦してくださったそうだ。
コイツなら沖縄だろうと何処だろうと喜んで行ってやろう。
そして後日俺は正式に尾張の艦長に任ぜられると同時に、目的地が決まった。場所は北海道、なるほどソ連が来やがったか……
海戦の推移だけを見れば我々の圧勝だ。
ソ連はやはり他国と比較しても二線級だった。空母も持たない連中だ、それも41cm級の戦艦だけで一回りどころか倍ある相手と戦おうとしたんだ。その勇気……いやスターリンの粛正に怯えて戦うしかないんだろう。
やはり共産主義はクソだな……
しかし無傷とはいかなかった。
何より大和と紀伊はどちらも艦橋が吹っ飛ばされたそうだ。
大和に至っては2度目だぞ?あそこは呪われてるのか?
お陰で黛艦長は戦死、松田さんと豊田中将も負傷した。同じ被害だと言うのに負傷で済むとは…やはり超大和型は違うな
兎も角海戦は終わった。北海道に上陸したソ連軍は日干しになってそう長くは戦えまい。
後は我々が降伏文書に調印するだけだ………
あれから大分経ったな……
落ち着け猪口!貴様残弾はどうなんだ⁉︎
確かに弾は無かった。何せ2隻とも就役したのが末期も末期、それから米国に渡ってもう帰ってくることもないだろうと言われてたからか砲弾の増産も無かった。あるのは積載されている分だけ、撃てても後1〜2回がせいぜいだ。もう少しだったのに……
それから再び尾張……いや『おわり』か。「おわり」を降りた俺は手に職が着きそうにも無かったから
長らくあっちとの睨めっこを続けていたが、ベトナム戦争の勃発で俺は再びおわりに乗った。
戦闘は陸が主で我々のすべき事といえば洋上からの火力支援だ。
時代は変わったな…「やまと」も「きい」も「おわり」ももう戦艦同士でバカスカ撃ちまくる時代じゃないってか?
まぁ一つ派手にやるか……そう言ってやった
本土に帰ると世間はあの作戦を「虐殺」だのなんだのと批判した。
無論俺にも少なくない批判が来たが、福田定一…彼が全ての責任を負うように自衛官を辞めた。
俺だってあの場に居たんだぞ…俺にだって……
意気消沈した俺は辞めようかと思った。
だがそれを止めたのは先輩だった。
今更他の職が手に着くと思うか?一線から退くのはまだ良いが、辞めるにはまだ早い。お前人に教えるのがわりかし上手いそうじゃないか?教壇にでも立った方が良いと俺は思うぞ。
そういえば戦前、俺の講座好評だったっけ?
そうか…それも悪くはないな。江田島で次の世代を育成するか……
2023年
「久しぶりだね。ひい爺ちゃん」
墓の前に立つ白の制服に身を包んだ20代後半の男は墓標に向かってそう呟いた。
「俺さ、ひい爺ちゃんと同じ船に乗る事になったよ。それも艦長だって。今でも覚えてるよ。5歳の時、嘉手納でアンタに肩車されて見たの」
彼はそのときの様子を振り返っていた。
国際宇宙港から往還機が発進する直前だった。宮城海岸で彼に肩車されて見た先には巨大なイージス艦があったのを
いいか、俊介…あれが日本の漢の船だ。お前もあんな船に乗れるようなでっかい漢になれ!ひい爺ちゃんとの約束だ…
「それからすぐだっけ…?爺ちゃんが死んだの……ようやくだよ。約束を果たしに来たよ」
線香を備え、手を合わせ彼は外していた制帽を被り直すと改めて墓標に向かって海軍式の敬礼をした。
「猪口俊介一等海佐。行って参ります!」