朝、いつもの様に5時に起きて部屋を出ると千夏先輩も出てきた。
「おはようございます千夏先輩。ずいぶん早いですね?」
「おはよう優君。うん、優君のランニングに付き合おうかなって。今日はリカバリーの為に軽く走るだけって言ってたから。」
夏のスポーツをする為の装いにちょっとドキッとする。薄着でラフな格好だから。
「迷惑だった?」
「いえっ、そんなことはっ!?………なら一緒に行きましょうか。」
「うん!」
2人揃って1階に降りて、外に出る。蝉の鳴き声とまだ朝だからそこまでではないが日本の蒸し暑い空気が身体を包む。
近くの公園に行き、5分程ストレッチをして走る準備を整える。千夏先輩と並んでゆっくりと走る。足首やふくらはぎ、膝、太もも、足腰に異常がないかしっかり目にチェックしながら走る。骨や筋肉、筋や腱や血流から感じられる微細な違和感もないかを。
「走る速度、遅くないですか?」
「ううん、大丈夫。それにしても優君ってリカバリーのジョギングもすごく丁寧にするんだね?」
「と……いいますと?」
「え〜〜と、身体の節々をしっかりとチェックしながら走っているのが私にも分かったから。それで流石だなって。」
気付かれていたようだ。
「一日置いてから出てくる不都合もありますし、体重や負荷をかけてみて分かることもあるので、そこはしっかりとチェックしています。不必要な怪我をするわけにもいきませんからね。」
「優君といると勉強になることが多いよ。智さんからも色々教えてもらったし、如月家にお世話になれて良かった。」
明るく朗らかに笑う千夏先輩の表情を見て、心から思っているのが伝わってくる。なら良かった。
「そういえばバスケ部は午後練でしたよね?」
「うん。サッカー部は一日練でしょ?頑張るよね〜。」
「ウチらは全国出れなかったのでビシバシ扱かれないと。冬の選手権には必ず出ないといけないので。」
インハイ予選のような無様な姿をするのは死んでもゴメンだ。
「お互い頑張ろうね!」
「千夏先輩達バスケ部は2回戦、順当にいけば前年優勝の湊崎でしたよね?」
「うん。高校日本代表もいるから手強い相手だけどやるからには勝ちを目指して頑張る。」
「応援しています。」
多分練習中だろうけど応援していると伝えると、千夏先輩が不意に立ち止まった。どうしたのかと不思議に思いながらも俺も立ち止まり、千夏先輩の方を向く。
「………応援、……言葉だけじゃ足りないな。」
“んっ!”と言って、両手を大きく横に広げていた。そんな千夏先輩に一瞬ポカンとしたが何をしてほしいのか分かるとちょっと躊躇した。でも千夏先輩も恥ずかしいからか照れているのか、はたまた緊張しているのか頬に朱が差しているのを見て、覚悟を決めた。
彼女の脇下に腕を回し、ギュッと抱き締めて身体を持ち上げる。やっぱり女の子だな。軽くて柔らかい。
「ひゃぁっ!!?」
急に抱き締めて身体ごと持ち上げられたからか変な声をあげる先輩にお構いなしにギューーーーッと強く抱き締めて身体を持ち上げてくるくると回る。
「ちょっ!ちょっと、優君!?」
「アハハハハ、応援してます。一日一試合一プレーを大事に全力で油断なく頑張ってきてください。遠く埼玉から勝ち続けて優勝するのを願ってます。」
言いたいことをしっかりと彼女に伝え終わると、そっと彼女の身体を下ろした。
そして彼女の顔をしっかりと見る。
「バスケは積み重ねです。一つ一つ丁寧に確実に積み上げてください。小さな隙や些細なミスをせずに我慢強く戦った事が後に大きな差になります。」
千夏先輩が俺の言葉を真剣な面持ちで聞いている。
「よく強豪同士の対戦で差がつく事がありますが、それはどちらがより細部にまで拘り、神経が行き届いているかです。」
「そっか………そうなんだ。」
「ええ。スタメンだけでなく、ベンチメンバーや監督、コーチも含めチームでどこまで油断も隙もなく試合終了まで戦えるか。頑張ってください。」
「うん。優君の言葉を胸に頑張ってくるね。」
彼女の決意に満ちた表情を見て、言った甲斐があった。
優君と朝のジョギングを終えてシャワー、朝食をすまし、街に出た。待ち合わせ場所の喫茶店に入る。
先に着いて、中で待ってるって連絡が来ていた。何処にいるのかキョロキョロすると奥から2つ目のテーブルで手を振ってくれていた。店員に待ち合わせで、あそこの人とですと伝える。
直ぐに案内してくれ、メニュー表を渡してくれた。
飲み物の所を開くと目についたメニューを注文することにした。
「レモンスカッシュをお願いします。」
「かしこまりました。」
一礼して、その場を離れていった。
「久し振り。元気にしてた、ちー?」
「うん。インハイ前だから忙しいけど元気だよ。花恋こそ仕事は忙しくない?」
「平気。まだまだ売れっ子の域には行ってないから。」
「そうなんだ。モデルも大変だね。」
そこそこ女性誌やファッション誌に載ることもあるけど、やっぱり上には上がいるようだ。
「これでも仕事は去年より明らかに増えたよ。優君と絡んでから色々と回してもらえる仕事も増えたし。」
スポーツウェアなんかの仕事が入るようになったらしい。
「それであんたの方はどうなのよ?今をときめく高校年代世界一の市場価値のサッカー少年との同居生活は?上手くいってるの?」
今年の8月に公開された18歳以下のスポーツ選手の市場価値が公開され、見事優君が1位になった。去年の活躍が評価されたようで、堂々1位に輝いた。まぁサッカーがバブリーなだけで値段が付いただけですって優君は冷めた感じで言っていたけど。
「うん。智さんも将史さんも優君もすごく良くしてくれるから居心地いいよ。変に気を使わないっていうか自然な感じで接してくれるから。」
「そっか。なら良かったよ。」
店員さんがレモンスカッシュを持ってきてくれ、他に注文がないか確認してから去っていった。
「で、優君とは何もないの?」
「えっと……その、………何もないよ。」
まずい。上手く答えられなかった。
「いや、それ何もない人の間じゃないから。」
やっぱり気づかれるよね。
「その………気にはなってるのかな?」
「何故に疑問形。」
「まだ自分の気持ちに整理がついてなくて。………友達以上の関係にあるのは確かなんだけど、それがどういった関係かは自分でも分からなくて。花恋みたいな親友ではないし、優君を男性として見ている部分があるのは事実なんだけど…………。」
迷い、悩み、考えているちー。つっかえながらも丁寧に言葉を選びながら自分の気持ちを話している。
「最初、優君の上半身裸を見て綺麗だなって思ったの。そこで優君を異性として意識するようになって………。そこからスポーツ選手としてのレベルや意識の高さ、優君自身の優しさや真面目さ、努力家なところ。色々な一面を見る度に少しずつ好きが積み重なって、惹かれていっているんだと思う。」
そっか。ちーも彼との同居生活で色々あるんだ。切磋琢磨する良い関係だと思っていたけど、そこから一歩足を踏み入れたお互いを思い遣る関係になってるんだ。
「ちーからは告白したりはしないの?」
私から尋ねると困った顔をした。
「しない………出来ないよ。居候させてもらってる立場で、今の関係性が壊れる事は出来ないよ。居候してなかったら学年も違うし、部活も違うからダメでも接点が少ないからいいけど、一緒の、一つ屋根の下にいるからどうしても関わりが生まれる。お互いに気まずくなるだろうし。」
「そっか………。側にいるっていいことばっかりじゃないのね。ならじっくりと関係性を深めて上手くいかせるしかない訳か。焦らず慌てず頑張りなさいな。」
「うん。」
素直に応援すると、素直に返事をした。
家に帰って、智さんが作ってくれた炒飯と西紅柿炒鶏蛋(シーホンシーチャオジーダン)、水餃子を食べてから部活に行く。
今日は13時からだけど少しだけ早く、12時過ぎに行くと校門前で渚とたまたま同じ時間になった。
いつもはこんなに早く来ないのにと思って聞くと、弟の湊君が盆明けから練習参加したいからサッカー部の岡本監督に許可を取ってくれということで少し早めに行って話をつけてくることになったそうだ。
せっかくなので私も付き合うことにした。少しだけ、一目だけでも優君の練習姿を見たいなって思ったから。
少し女子の声が聞こえてくる。
サッカー部専用のグラウンドに行くと、外の道路に面した所に多くの女子が見学している。日傘を差して、この暑い真夏の中、見ている光景は少し異様に感じる。
どうやらチャリティマッチの影響か、見学に来ている女子がいるようだ。
サッカー部は半面でゲームをしているのか激しい球際の競り合いやボディコンタクトをしている。
そんな中でも優君が何処にいるのか一目で分かる。これは優君から発せられるオーラというか存在感が目を引くからで、好意云々は関係ないと自分の心の中で言い訳をする。
そして足元のテクニックで躱したり、受け流したりと技術の高さを見せたり、鍛え上げられた身体で弾き返したりと総合力の高さを見せる。
今も足元でボールを受けた瞬間に、プレスに来た相手を躱し、即座にシュートを放つ。キーパーも触ったけどその強いシュートを弾くまでは出来ず、ゴールを決められた。
小さくガッツポーズをすると、ちょうど笛が鳴って岡本監督が休憩と言っていた。14時から練習再開と伝達して監督が此方に向かって来た。
「よう、船見に鹿野か。どうした?」
何か用かと聞いてこられた。渚が少し頭を下げてお願いをする。
「弟が盆明けの土曜日から練習に参加したいそうで。」
「おう、そっか。なら今から夏休みの日程表を渡すよ。職員室にあるから。」
「ありがとうございます。」
渚は先生と一緒に職員室に向かっていった。先に行っててと渚に言われ、部活に行く前に優君を一目見ようと探すと此方に向かいながらマネージャーと話していた。
仲良さそうというより、女の子のマネージャーが優君と仲良くなりたそうな感じに見える。ドリンクボトルを渡して、多分さっきのプレーが凄かったって褒めてるんだろうけど優君は素っ気なく返してるのが傍目にも分かる。
可愛い感じの一年生で私達の学年でも噂になってた娘なんだけど、優君は相手にせず、さっきのプレーで躱した相手選手を呼んで身振り手振りでアドバイスをしていた。
最後に背中をポンッと叩いて激励したんだろう。笑ってる顔が柔らかく可愛い感じだ。
あっ、私に気付いたのか小走りで駆け寄ってきた。
「お疲れ様です、千夏先輩。サッカー部に何か用ですか?」
「ううん、私じゃなくて渚が。弟が盆明けから練習参加したいから岡本先生にお願いしに来て、私はその付き添い。」
「渚先輩の弟ですか。ならしっかり面倒見てあげないとですね。」
「うん。湊君って言うんだけど私も知ってる子だからよろしくね。」
「分かりました。」
しっかりと頷いて、請け負ってくれた。優君の性格からいっても、何くれとなく気にかけてくれるだろう。
マネージャーの女の子が私を軽く睨んでから去っていった。
「最後のシュート、凄かったよ。見てたけど豪快なゴールだったからスカッとした。」
「あの位置はギリギリシュートレンジですから。それよりもDFが少し不用意にプレスに来ましたから。ああいった軽いプレーは無くしていかないと。シュートコースを切りながらで良かったのに。」
少しピッチに視線を向けて、さっきのプレーを振り返っているのだろう。自分だけじゃなくて相手、そしてチームとして向上心を持ってプレーする、させる所は学ばないと。
多分、新チームになるとキャプテン、副キャプテンのどちらかには選ばれるだろう。そういう意味では代表でキャプテンを務めている優君の立ち居振る舞いは勉強になる。
「さて、そろそろ昼メシ食いに行ってきます。千夏先輩もこれから練習ですよね?お互い頑張りましょう!」
「うん!」
並んで体育館、部室棟の方に向かう。
「今日は何時に終わる予定なの?」
「一応17時に終わる予定です。」
「そっか………私達は18時だから少しズレてるね。」
そっか………一緒に帰れないか。少し残念だな。
「いえ、居残りでFKの練習をする予定なので多分一緒くらいの時間になりますよ。」
「ホントに!?なら今日も一緒に帰ろうね。」
一緒に帰れるというだけでこんなにも嬉しくなってしまう。
「分かりました。」
体育館前で別れた。部室棟の方に去っていく優君に手を振って見送る。さて、今日も練習頑張ろう!
練習が終わり、部室に向かう。着替える前に優君に“今、練習終わったから着替えて向かうね”と送っておく。
校門前で皆と別れて、いつも優君と待ち合わせしている公園に向かう。………あれ、優君まだ来てないんだ?スマホを見るとラインにも既読がついていない。まだ練習しているのかな?
なら迎えに行こうかな。学校に戻って、部室棟に優君が居ないことを確認してからグラウンドに向かう。
見えてくると微かに“ボンッ”というボールを蹴る音と“パシャッ”というネットにボールが当たる音が聞こえる。
出入り口の所に岡本先生がもたれ掛かりながら優君の練習を見ていた。優君は今来た私は勿論、多分岡本先生にも気付いてない。それくらい没頭してFKを練習している。私が立てた音に気付いた岡本先生が此方に振り向いた。
「んっ?鹿野か。如月を迎えに来たのか?」
「はい。連絡しても返信がなかったので。」
「そっか。見ての通り、黙々とFKの練習をしているよ。俺が30分前に声かけて、切りの良い所で終わるように言ってから一度も集中力切らさず淡々と蹴り込んでるよ。」
「30分もですか?」
そんなに長い間、やってたんだ。
「一籠蹴り終わったらボールを回収して、場所を変える。その繰り返しだよ。アイツの何が凄いって俺が見始めてから今に至るまで30球は蹴ったけどほとんど決めてるよ。」
手でシュートするバスケならまだしも、足を使うサッカーでその精度なんて。
「同じフォーム、同じ強さ、同じ回転なら同じボールがいくはずだから決まるとか言うんだぜ。まぁ〜確かに理論上はそうなんだけどさ、再現性を極めて100に近づけないとダメだ。でもアイツはマジで言ってる。高校年代であの領域、観点でサッカーをしてる奴はいない。究極のサッカー変態だよ。」
サッカー変態って。前に智さんが言っていた将史さんの研究者気質、探究者気質な性格か。
「個人もチームメイトも、そしてチームとしての鍛錬を欠かさない。研究者でありながら、その道の求道者足らんとしている。今じゃあサッカーについて俺の方が教えてもらってるよ。」
座り込み、手に持ったペットボトルのお茶の底を芝生にグリグリと押し当てている。
「栄明はサッカー部の強化に力を入れることになった。如月が来ることになり、芝のピッチに改修された。如月を慕って一個下の超有望選手が3人も特待生で入ってくる。他にも推薦や自力で来るやつもいるだろう。如月がいる3年間は当然、アイツが卒業して以降も最強であり続けないといけない。それには監督である俺のレベルアップも必要だ。まさか一からサッカーについて勉強するとは思わなかったよ。そしてその勉強…鍛錬に終わりはない。」
優君が栄明に入ることによる影響を一番実感している立場だろう。今年から来年、再来年、その次も強さを維持する必要がある。でも毎年選手が卒業して入学する事によって入れ替わる。その選手の特徴を理解し、チームとしてどう使うか試行錯誤しながらも勝ち続けないといけない。茨の道を進むことになったのを後悔しているのだろうか。私の視線に気付いて笑った。
「そりゃあ世界一の選手を預かったプレッシャーはあるけど、こんな機会が俺のサッカー部監督人生の未来にあると思うか?アイツがどこまで行くのか……そしてチームをどこまで連れてってくれるのか………一サッカー好きの男が見たい夢だな。」
“さてと”と言って立ち上がった。優君がFKをポストを掠めて決めた。そこで声を張り上げた。
「おいっ、如月!!そろそろ止めろ!お姫様が痺れを切らしてお迎えに来たぞ!」
岡本先生の声に気付き、私の姿を見て慌てだした。籠を引っ張ってゴールに向かって走り、ボールを回収する。壁役のボードをゴールラインから出して片付ける。籠を改めて引っ張ってこっちにやってきた。
「すみません千夏先輩っ!迎えに来てもらってっ!」
「ううん。私も優君の凄さを再確認できたからよかったよ。私もあれくらい集中して練習できるようにならないとダメだね。」
恐縮している優君に気にしないでと言うも、申し訳なさそうな顔をしている。
「少しは怒れ、鹿野。栄明のマドンナを待ちぼうけさせたんだ。男子が知ったら袋叩きだな。」
「いや、そんなっ!?」
岡本先生がからかってくる。パンッと手を叩いて優君にさっさと着替えに行けと言うと、慌てた様子でダッシュで部室棟に向かっていった。
「すまんが、如月を頼むな。」
不意に言われ、岡本先生の顔を見ると少し困った顔をしている。
「部活中は俺が見守ってやれるけど私生活はそうはいかん。アイツの両親はしっかりした方だから間違いはないだろうが、どっちも昭和の時代のアスリートだから鞭は得意だろうが飴がな。鹿野の優しさや気遣いが必要になる時がある。色々と複雑な同居生活かもしれないが頼む。」
「分かりました。私にどこまで出来るか分かりませんが。」
私の答えに少し安心したのか顔を緩ませた。
「さてと俺も帰るか。ほら、お前たちも早く帰れ。鹿野は明日出発だろ?」
「はい。ではお先に失礼します。」
ペコリと頭を下げてから立ち去った。
ピピピピピッとスマホのアラームが鳴っている。ノソリと身体を動かして土下座みたいな格好になる。ん〜〜〜、まだ眠い。
グーーーっと身体を伸ばす。大きく息を吐き、小さく長く吸う。
少しずつ意識が覚醒していくのが分かる。上体を起こして、まだ開いてない目を擦る。
ベッドの縁に座ると、壁に掛けられた優君のロンドンブルーはユニフォームが目に入る。
チャリティマッチの時のユニフォームで日付とサインをして、プレゼントしてくれた。
せっかく貰ったのをタンスやクローゼットに入れておくのも勿体ないから、机の正面の壁に飾ることにした。
昨日、チームから貰ったユニフォームをとりあえず洗濯したそうで、智さんから畳んだのを受け取ると、“いりますか?”と聞かれた。反射的に“いるっ!”と答えると優君は優しく“はい、どうぞ”と差し出してくれた。貰うと広げて前後を確認する。後ろの大きな10番とYUUと表記されている。
せっかくならとサインをお願いするといいですよとあっさりしてくれた。
これを見る度に、真剣な眼差し、必死の形相、そしてゴールが決まった時に見せる底抜けな笑顔が脳裏に蘇る。そして背中をポンッと軽く押してくれたような気持ちになる。
今日は移動日で、明日からいよいよインターハイ本戦が始まる。去年行く事が出来なかった舞台。そして優君が行けない全国大会。競技が違うから代わりにとかは烏滸がましいけど、約束した全国で優勝を目指して戦ってくる。
1階に降りて、リビングに行くと優君がTシャツ、短パンのラフな格好で目の前にいた。
「千夏先輩おはようございます。」
「おはよう優君。相変わらず早いね。」
「習慣ですね。5時にアラームがなった瞬間止めてます。」
枕元にあるスマホを止めてるフリをする優君がおかしくて笑ってしまった。
「体調はどうですか?」
「うん、問題なし。身体の方も万全。」
「ならよかった。もう直ぐ朝食が来るので座っててください。」
そういえばいつもは椅子に座り新聞を読んでいる将史さんが居ないことに気付いた。私がキョロキョロと探した動作で気付いた優君が答えを教えてくれる。
「父さんはゴルフで、さっき出かけました。」
「そうなんだ。」
「はい。千夏先輩に悔いなく全力を出し切ってくるように、って伝えといてと言われましたので伝えておきますね。」
そっか………将史さんも。
「さあ、千夏ちゃん朝ごはんできたわよ。食べましょう。ついでに優も。」
プレートを2つ持って来てくれた。太刀魚の塩焼き、獅子唐と茄子の煮浸し、オクラとひじきのネバネバサラダ、とうもろこしのガレット、将史さんお手製の唐辛子入り胡瓜と茄子の漬物とボリュームたっぷりだ。
ご飯をおかわりもして、お腹いっぱい。
人心地ついていると優君が紅茶を淹れますよと言ってくれた。
キッチンにある食器棚の最上段の開けて、ティーセットを取り出した。ちょっと待って。凄く高級そうなんですけど。
カチャカチャと小さな音を鳴らしながら箱から取り出した。WEDGWOOD(ウェッジウッド)のだ。私でも知ってるイギリスの老舗ブランドのだ。
缶を開けると、ふわりと茶葉の良い匂いが微かに感じた。スプーンで計量器にのせ、ポットに入れる。沸いてから少し冷ましたお湯を注ぐ。そこでも微かに香る。
淡黄橙色の液体がポットからカップに注がれる。3等分にすると、その一つをスッと私の前に。“どうぞ”という声といつもの優しい笑顔の優君。そっとカップを持って口に運ぶ。
湯気と共に鼻をくすぐるような香りがきた。そして口内にフルーティーな味わいとスッキリとした清涼感、そして後追いで爽やかな渋みが現れ、スッとすぐに消えた。
「美味しい…………。」
これまでの紅茶とレベルが違う。専門店でも飲んだけど格段に美味しい。顔が綻んでいるのが分かる。
クックックッと笑っている智さんに衝撃の事実を教えられた。
「そりゃあそうよ。その茶葉、イギリス王室御用達で本当に特別な時にしか飲まない至高の逸品なんだから。それ、イギリスで飲もうと思ったら一杯3000円くらいはするんじゃないかしら?」
「え゛え゛えぇっっ!!!??」
驚いて優君の顔を見ると悪戯が成功したのを喜ぶようなちょっと面白おかしそうに笑っている。
「この紅茶、日本に帰国する際にカレッジで一緒だった友人に餞別のプレゼントでもらったんです。」
なんてことないように言うけど………。
「大切なものなんじゃないの?」
「そりゃあまあ、大切なものですけど………千夏先輩の大事な大会の始まりですから。開けるのにちょうどいいかなって。」
「誰から貰ったか言わなくていいのあんた?」
「いいだろ、友人で。」
「イギリス王室の王太孫。女王陛下の孫にあたる子よ。」
一瞬、智さんが何を言っているのか分からなかったけど頭が回転して理解した瞬間にバッと優君の顔を見た。
肩を竦めているから本当なんだろう。
「中等部のクラスメイトで、仲良くなったんです。それでお互いの家にも遊びに行ったことも………。」
「それって王宮にってことだよね?」
「そうなりますね。長期休暇は王宮で課題をやったりしました。」
スマホの写真を見せてくれた。テレビで見たことある女王陛下に髪をクシャリと撫でられている。凄い人と交流あるんだね。
色々とイギリスでの思い出話をしていると、いい時間になっていた。
「さて、そろそろ出ないと。」
そう言って、玄関に向かうと優君と智さんもついてきた。
「じゃあ頑張ってきてね。」
「はい。」
そして玄関先に置いてあった物を手に取った。そして両手に持ち替え、カチッカチッと音を鳴らす。微かに火花が飛んだから、多分火打ち石なんだろう。
「千夏ちゃんが無事に大会を終えられるように。この馬鹿みたいに怪我しないでね。」
隣にいる優君の頭をポカンと軽く叩く。優君は苦笑するしかないみたいだ。
「行ってきます。」
玄関を出ると優君もついてきた。
「俺は駅まで送っていきますよ。それに俺はこのまま仕事なんです。」
何の仕事か聞いたら、スターダストの冬服の撮影とサッカーの取材が入っているそうで、このまま東京のスタジオに行くそうだ。ラフな格好で小さいボディバックと保冷バックを持っている。
「バスケはウィンターカップもあるけどインハイで辞める人も多いです。今のメンバーで出来る最後のチャンスです。」
不意に言われた言葉にハッとした。そうだ。サッカーも冬の選手権が最後の大会だけど、その前に引退する人も多い。
サッカー部は紅林先輩以外の3年生は皆引退した。あの人、アホな事をするのに栄明でもぶっちぎりに頭がいいから。大学入試は問題ないらしい。
「一試合一試合、今のメンバーで出来る事を噛み締めて頑張ってきてください。………それとこれ、冷凍したメロンです。沢山あるので、よかったら皆で道中にでも食べてください。」
手に持った保冷バックを差し出してきた。それを素直に受け取ってお礼を言う。
「ありがとう。新幹線の中で頂くね。」
不意に財布から一万円を取り出して差し出してきた。ちょっと怖い。そんな簡単に出してこられると。
「母さんに明太せんべいを一箱買ってきてあげてください。あれ、母さん好物なんで。」
「えっと………分かった。お釣りは帰ったら返すね。」
「いえ、母さんへの土産を買ってきてもらうお駄賃にでもしといてください。」
「分かった。ならありがたく頂くね。」
「はい。」
父さんへの土産が何がいいか、明太系のお酒のアテでいいなんて話していると駅が見えてきた。大きなスーツケースを持った集団がいる。集合時間30分前なのにみんな早い。
「あれ優君は千夏の見送り?」
「優香先輩、おはようございます。半分正解です。偶然会って一緒に来ただけです。東京に用事あるのでその途中です。」
優君の返答に“ふ〜〜〜ん”とあんまり信じていなそうな相槌をする。
「頑張ってください。俺達は出れなかったので。」
「ありがとう。なら優君達の分も張り切ってくるね。」
「ええ。じゃあ、俺はここで。」
「またね〜〜!」「じゃあね〜〜!」
手を振ってその場を離れていった。
駅の改札に向かう前に一瞬目が合った。そしていつもの様にフワリと柔らかく微笑んだ。そして小さく頷いた。それだけで優君が何を言いたいか伝わってくる。
たったそれだけで百人力のエールを貰ったかのような気持ちになった。