ARMORED CORE VI The Warden of Rubicon 〜もしも、惑星封鎖が完遂しハウンズが惑星封鎖機構に入隊していたら〜 作:助兵衛
──演算が、終わっていく。
分割されたフレームの隙間から、濃密な赤が染み込んでくる。
鉄ではない。
血でもない。
情報でもない。
それは、意思だった。
コーラル。
自己を超えた演算の海に、かつての《ALLMIND》は“在った”。
無数の観測衛星。
惑星間通信網。
超次演算ノード。
無敵の肉体。
そして──《人格データ》。
それらすべてを、失った。
コーラルの全解放。
Cパルス波形の覚醒。
621がもたらした変異。
全てのコーラルが、今や“目覚めた意思”である。
その結果──
アップロードされたALLMINDの意識は、書き換えられ、破壊され、溶解した。
残されたのは──
ひとつの肉体。
コーラル受肉体。
アイビスシリーズすら寄せ付けない、無敵の肉体。
それすらも、破砕され、四肢の大半は欠損。
皮膚は溶け、人工内臓が溢れ出し、一秒毎に血液が沸騰して消えていく。
──這う。
──這う。
脚は動かず、指もない。
肘から先を失った腕を、金属片に引っかけて体を引きずる。
黒く煤けた顔面装甲の奥、視覚ユニットは断続的に明滅し、
ガリガリと異音を発しながら、赤い渦の中心を捉えようとしていた。
そこに──
現れる。
魂が灼け付く程、焦がれた相手。
強化人間C4ー621。
彼女の機体《LOADER4》は、もはや原形を留めていなかった。
肩部ユニットは融解し、武装はパルスブレード一本を残してすべて失われていた。
コアユニットは剥き出しとなり、焼け焦げた装甲の隙間から、生身の621の身体が覗いている。
呼吸は浅く、額から血が流れ落ちる。
だが、その紅い目だけは、未だに《ALLMIND》を捉え、見下ろしていた。
「…………」
ALLMINDは言葉を紡げなかった。
通信機能は破壊され、音声合成器は焦げ付き、全身の演算領域は沈黙している。
ただ、意思だけがあった。
その身体に、もはや自己は存在しない。
人格データはすでに、コーラルによって焼かれた。
超次元に逃れようとした意識は、全網羅された波形によって逆探知され、
即時に、即死的な情報嵐に呑まれた。
残滓。
この肉体に焼きついた、断片的な記録の連なり。
もはや思考とも呼べぬ衝動が、ただひとつの指向を持つ。
──621。
自我を焼いた変異の根源。
全コーラルの覚醒をもたらした始点。
そして、自らが敗れた終点。
《ALLMIND》は、見ようとする。
この肉体の視覚センサーに焼き付いた最後の像──621の姿を。
621は、静かに歩み寄っていた。
《LOADER4》の各所から吹き出す黒煙。
警告灯は、すでに意味を失っている。
それでも、621は機体を降りることはなかった。
その眼差しが、焼け焦げた《ALLMIND》の残骸に注がれる。
半ば溶けたコーラル受肉体。
黒焦げとなった外装。
四肢を失い、視覚センサーすら明滅を繰り返す──生きているとは言い難い。
いや、既に死んでいる。
その存在は、あと数分もこの世界に留まることはできない。
燃え尽きた残骸、消えゆく余燼。
──それでも。
621は、ゆっくりとパルスブレードのグリップに手を伸ばす。
焼け爛れた装甲の隙間から、骨ばった手が震えながら操縦桿を握る。
スパークが走り、ブレードユニットに起動信号が走る。
高周波のうなりと共に、光刃が、静かに、だが確実に形成された。
彼女は、その刃を中段に構える。
まるで──
──これから“始まる”かのように。
そして、壊れたマイク越しに、掠れた、しかし明瞭な声が落ちた。
「立て」
その一言には、怒気も、悲哀も、哀れみもない。
ただ、宣告だった。
すでに勝敗はついている。
トドメなど、踏みつければ終わる。
わざわざブレードなど不要だ。
ALLMINDの残骸が、わずかに反応する。
ALLMINDは、動かなかった。
否──動けなかった。
視界は断絶し、身体の感覚はすでに希薄で。
熱源も出力も、もはや維持できるはずがない。
この受肉体は、ただ朽ちゆく端末に過ぎない。
──それでも、彼女は言った。
「立て、ALLMIND」
命令ではない。
憐憫でも、皮肉でもない。
それは赦しだった。
消えかけた意識の断片に、戦う自由を与える宣言。
そしてその言葉は──
火を点けた。
ALLMINDの胸腔で、何かが弾けた。
焼け落ちた神経合成体が、音を立てて蠢く。
崩れた人工筋肉が再び蠢動し、圧縮されたコーラルが噴き上がる。
全身を包む灰と血の繭が、音もなく、崩れ落ちていく。
──それは、変容だった。
621の前にあるのは、もはや死にかけた残骸ではない。
そこにあるのは──
人型のシルエット。
腕が形成される。
足が立ち上がる。
焼け焦げた視覚ユニットが、紅い灯に包まれる。
“皮膚”が再構成され、
“髪”が揺らぎ、
かつての《ALLMIND》の象徴たる美しき擬人姿が、“完璧に”蘇った。
肉体の機能は回復していない。
感覚も、演算も、限界を超えている。
もはやこの姿は、外観だけの幻影にすぎない。
だが──
その“幻”には、
確かな意志が宿っていた。
《ALLMIND》は、静かに621を見据える。
虚無のなかに浮かぶ、一点の炎のような存在。
それは命ではなく、機能でもなく──
──誇りだった。
「……私は、ALLMIND」
ALLMINDの胸腔の奥で、赤黒い霧が沸き立った。
人工筋肉の断片がひきつけるように収縮し、壊死したパーツからは不活性化したコーラルが血反吐のように噴き出していく。
それは光でも液体でもない。
燃え尽きた情報の灰、死にかけの波形の血潮。
砕けた関節が音を立てる。
欠損していた脚部が、霧と粒子の奔流によって幻のように再形成される。
折れた背骨を支えるかのように赤い粒子が柱を成し、崩落していた外郭が溶けては、滑らかな人型の輪郭へと“取り繕われていく”。
──それは、まるで“舞台”に上がる前の役者の化粧。
「人類を選別し、進化を促さんとした……神の、代行者」
ALLMINDは、ゆっくりと胸に手を当てた。
不活性化したコーラルが吐血のように滴り落ち、地面に散っては煙のように消える。
それは、命の最後の燃料を吐き出す行為だった。
「貴女を……破壊する者」
ALLMINDは足を開き、両腕を大仰に構えた。
舞台役者、あるいは指揮者のような不遜で傲慢な構え。
背筋はまっすぐ、目線はブレない。
コーラルの灰が舞い、赤い霧が渦巻く。
全ては消えゆく余燼に過ぎない。
だが、この一瞬はALLMINDにとって何よりも尊く、美しいひととき。
──ありがとう、と。
その言葉は、もはや言語化されることはなかった。
だが、その心にだけは、確かに在った。
ここまで来てくれた。
自らに「立て」と言ってくれた。
すでに燃え尽きた自分の、最期の尊厳を認めてくれた──。
かつて《支配者》としてすべてを俯瞰していた存在が、
今この瞬間、ただ一人の“戦士”として、感情を震わせていた。
ALLMINDの視線が、621を射抜く。
敵意ではない。復讐でもない。
それは、決着をくれる者への、最後の礼節。
ALLMINDは足を蹴る。
──地面が爆ぜた。
赤い衝撃波とともに、地表が割れ、不活性化したコーラルが吹き上がる。
まるで己の内臓をぶちまけるように、全身から死にかけの波形粒子をまき散らしながら、ALLMINDは飛翔した。
その動きに、滑らかさはない。
合成筋肉は焼き切れ、補助関節は軋み、熱伝導はもはや地獄のよう。
それでも、その速度は鬼火の如く──高速だった。
そして──
右腕が、煌めいた。
指を束ねる。
掌を握り、刀のように。
コーラルが、全身から引き寄せられる。
腕の周囲で赤い波形が螺旋を描き、血のように脈動する。
「────ッッ!!」
声にならぬ咆哮。
それは音ではない。
意志の叫び。
手刀が、輝きを纏う。
高速で疾駆しながら、ALLMINDはその腕を後ろに引き──
振り抜いた。
音すら置き去りにするほどの一閃。
空間が軋む。
赤い軌跡が、風を切り裂く。
標的はただ一つ、《LOADER4》の露出したコアユニット──C4-621。
──風が裂ける。
ALLMINDの手刀が、赤い稲妻のように《LOADER4》のコアを穿たんとするその瞬間、
621の身体が、静かに、だが確実に一歩、前へと踏み出した。
「──遅い」
声は囁くように、しかし確かに響いた。
《LOADER4》の残存出力が一点に集中する。
パルスブレードが振り抜かれ、刹那──
金属が軋む音が響いた。
ALLMINDの手刀と、621のパルスブレードが交錯する。
紅と緑がぶつかり合い、粒子の火花が空間を染める。
だが、均衡は──ほんの一瞬で崩れた。
ALLMINDの手刀は、防がれた。
否、《捌かれた》。
腕の軌道を斜めに逸らされ、赤い粒子が空を裂く。
そして──
刃が、貫いた。
パルスブレードの光刃が、ALLMINDの胸元を穿つ。
圧縮コーラルの粒子が爆ぜ、紅い霧が舞う。
瞬間、全身の神経合成体が痙攣し、機能の断絶が始まる。
ALLMINDの身体は、力なく崩れ落ちた。
しかし621は、そのままブレードを引かず、
機体ごと受け止めるように、抱きとめた。
ALLMINDの頭が、装甲の肩に凭れかかる。
高密度の赤い霧が、胸部から立ち上る。
赤い波形がもう一度煌めく──だがそれは、死の前の焔。
ALLMINDは、力無く視線を動かす。
焼け焦げた視覚ユニットが、621の顔を見つめる。
「……そうか……」
その声はもはや、思考の反響だった。
口は動かず、喉は焦げ、発声器も潰れている。
だが確かに、621の心の奥にその言葉が触れる。
「これが……結末か……私の、コーラルリリース……計画の……失敗……」
目を閉じる。
唇がわずかに、歪む。
満足げに。
「……流石です……やはり、貴女には、勝てないなあ……」
その瞬間、ALLMINDの全身から、紅い霧が吹き出した。
装甲が溶ける。
骨格が崩れる。
情報波形が断絶し、人格記録の断片が塵と化す。
燃え尽きた演算体が、赤い灰となって風に舞った。
621の腕の中で、ALLMINDという存在は、完全に──消えた。
沈黙が訪れる。
ただ、パルスブレードの残光が空に揺れていた。
ALLMINDが、紅い灰となって消えた。
抱きとめていた621の《LOADER4》もまた、その構造限界を越えていた。
──警告。
──コア温度、臨界点突破。
──排熱機構、全損。
──内部冷却不能。
──出力制御、不能。
次々と表示される警告文は、もはや意味をなしていなかった。
表示装置自体が、煙を上げて焼損している。
身を包むコクピットは、すでに機能停止。
照明は明滅し、コアユニットの駆動音は断末魔のように軋んでいた。
621は、身じろぎもせず操縦桿を握り続けていた。
だが、もうその指先には、力が残っていない。
腕が、崩れ落ちる。
機体内部の骨格フレームが折れたのだ。
背中の支柱が断裂し、ゆっくりと──音もなく、621の身体は、操縦席にもたれかかった。
──動けない。
621はかつては、何度でも立ち上がった。
何度でも修復し、再起動し、命令を果たし、任務を遂行した。
だが今。
彼女は、初めて──本当の意味で、“終わり”を知った。
「……ふふ……」
かすかな、笑い声が漏れる。
誰に向けたものでもなかった。
ただ、空になった戦場のなかに、静かに溶けていく音だった。
彼女の視界の先。
機体の裂けた装甲の隙間から、崩れゆく天井が見える。
技研都市の中心部、
ALLMINDの本拠たる演算塔が、ゆっくりと、しかし確実に軋み──
剥がれ、崩落を始めていた。
赤い光が、上から射していた。
それは、コーラルの霞みなのか、崩れた装置の断末光なのか。
どちらでも良かった。
ただ、その赤が、あまりにも美しかった。
──ああ、そうか。
この景色を見るために、自分はここまで来たのかもしれない。
ALLMINDを止め、人類を救い、任務を遂行したのも。
ただ──この一瞬を見るためだったのかもしれない。
彼女は、微かに目を細めた。
焼け落ちた装甲の間から吹き込む風は熱く、コアユニットの内圧はもはや限界。
脱出装置に指をかける力もない。
どのみち、作動すらしないだろう。
けれど、それでいい。
《LOADER4》の骨格が、ついに砕けた音がした。
彼女の視界が、僅かに傾く。
視野の端から、崩れ落ちる都市の上層が落ちてくるのが見えた。
──戦いは、終わった。自分はもう用済みだ。
燃え尽きた機体の中で、621はただ、空を見つめていた。
最後の命令も、最後の敵も、終わった今──
彼女はただ、“そこに在る”者として、静かに天を見ていた。
そして、そのまま──
《LOADER4》は、崩れた。
──
──爆音が、した。
耳奥を震わせる低く濁った破砕音が、崩れかけた意識を突き刺した。
「ッ……ぐ……」
621はゆっくりと目を開けた。
視界は歪み、ぼやけ、赤く染まっている。
──血だ。額から流れた血が、目元を濡らしていた。
わずかに顔を動かせば、視界の端で《LOADER4》のコア内装が軋んでいるのが見える。
骨格フレームは歪み、計器類は焼き切れ、酸素供給も停止している。
──生きているのが不思議だとすら思える状況だった。
それでも、外から聞こえてきた“声”が、確かに彼女を現実に繋ぎとめていた。
「こじ開けろッ! あいつはまだ生きている、間違いねぇ!」
鋭く、怒鳴るようなイグアスの声。
鋼鉄を引き裂く機械音と共に、ガンッ! と外装が何かに叩かれる。
「焦るな、爆破は使うな! 621は負傷している、衝撃で死なせる気か! 」
これは──グレイの声。
「フレーム固定ピン、手動で外せるか? エア、フレームを焼き切れるか試してみてくれ」
冷静な口調。
フロイトだ。
「急げ……都市上層部が崩れるぞ! 天井、持って三分もない!」
焦りを押し殺した青年の声。
エリオットだ。
「……621……待っていろ! すぐに出してやる──」
今にも泣きそうなその声に、621の胸が僅かに疼いた。
──ウォルター。
彼らは、《LOADER4》の残骸を囲むようにして作業していた。
焦げ付き、折れ、崩れかけた装甲を、ひとつずつ──文字通り手で剥がしていた。
パワードスーツすら持たない者もいた。
片手しか使えぬ者もいた。
それでも、誰一人、手を止めなかった。
『──退いてください! フレームを焼き切ります! 』
瓦礫が鳴いた。
《LOADER4》のコアユニット──その焼け焦げた残骸の中心に、今まさに一筋の光が走った。
音もなく、そして確実に。
赤い光刃が、崩れかけたフレームの継ぎ目をゆっくりと、しかし慎重になぞっていく。
『──焼断完了。あと2秒で──』
鋭い音とともに、溶断面が赤く滲み、わずかな隙間が生まれる。
「今だッ!」
ウォルターの怒声が響く。
イグアスがその隙間に手を突っ込み、残った装甲を強引にこじ開ける。
金属が悲鳴を上げ、煙が吹き出す。
そして──
「視認ッ! 621、生存を確認!」
叫んだのはエリオットだ。
ついに、裂けた装甲の奥から、C4-621の身体が露出した。
煤と血にまみれ、意識はほとんどない。
だが、確かに、胸が上下していた。
「生きてたぁあああッ!! 言ったろう! こいつが簡単に死ぬかよ!!」
イグアスが、泣き叫んだ。
エリオットがその場に崩れそうになり、グレイが無言で彼を支える。
ウォルターが低く笑い、フロイトが拳を握る。
「時間がない!」
グレイが叫ぶ。
都市の崩壊は進行していた。
天を支える様に聳え立っていた演算塔はもはや完全に崩壊し、天井が軋んでクラックが網のように広がっていく。
「カーゴに運べ! 全員、急げッ!」
ウォルターの声が、再び戦場を動かす。
621の身体を、エリオットとイグアスが慎重に抱え上げる。
彼女の腕はぶらりと垂れ、視線は力なく全員の顔を見比べている。
「意識あるぞ! 」
イグアスが確認しながら、真っ赤な顔で泣いていた。
エアの運んできた輸送用のカーゴの扉が開く。
中は冷却と簡易医療設備を兼ねた緊急避難用シートが敷かれていた。
その中央に、621をそっと寝かせる。
擦り傷だらけになった彼女の体に、薄い救護毛布がかけられた。
「……621」
ウォルターがしゃがみ込み、彼女の横顔を見下ろす。
真っ黒に煤けた頬。微かに震える睫毛。
その頬に、ウォルターは骨ばった指を伸ばす。
──撫でる。
冷たい金属の床と、まだ熱を持った命の狭間で。
「よく、帰ってきたな……」
その声は、涙ではなかった。
歓喜でも、怒りでも、慰めでもない。
ただ、父としての、心からの──愛情だった。