ARMORED CORE VI The Warden of Rubicon 〜もしも、惑星封鎖が完遂しハウンズが惑星封鎖機構に入隊していたら〜 作:助兵衛
車の車輪が乾いたレールを叩き、一定の間隔で軋みを返す。
窓外に広がるのは、未舗装の赤土を均したばかりの開拓地と、遠くに林立する建設用クレーン群、建設が始まったばかりのグリッド。空気は濁ってはいない、まだ「整備されていない」匂いを残していた。
イグアスは硬質な座席に腰を沈め、新聞を開いた。今時珍しい紙製の新聞は粗悪な印刷でインクが指に移る。だが見出しは明確だった。
──「ALLMIND戦役終結より六年。主要星域における復旧率、六割を突破」
短い活字群の下には、各地の復興指標が並んでいた。惑星間輸送網の再開、エネルギー供給網の再建。数字は徐々に増加に転じ、人類が再び「秩序」を取り戻しつつあることを示している。
次の段落。
──「惑星封鎖機構、再設立。人類評議会の直轄下に」
イグアスは紙面から目を離し、車窓の外を一瞥した。未完成の居住区に掲げられた白旗には、新設された評議会の紋章が印刷されている。かつての封鎖機構が掲げたエンブレムとは異なり、そこには円環を囲む幾つもの点があった。各有人星系を代表する印。
新聞の隅には、軍事欄の記事が小さく載っていた。
──「ルビコン3宙域、依然として立入禁止。調査隊派遣計画は議会審査待ち」
乾いた活字は、過ぎ去った戦場をまだ「現在」として扱っていた。
イグアスは唇をわずかに歪める。列車は減速を始め、前方の拠点都市の輪郭が曇天の下に広がっていった。
列車のブレーキが擦過音を響かせ、揺れが収束していく。
イグアスは新聞を畳み、無言で視線を窓外へ移した。
隣の座席では、人型インターフェイスが足をぶらつかせていた。
銀色の繊維髪、鮮やかなコーラルピンクの虹彩。その表情は常に明るく、緊張感の欠片もない。
「ねーねー、また新聞? 活字ばっか見て、目ぇ痛くならない?」
返答はない。イグアスの横顔は微動だにせず、外の建設用クレーン群に視線を止めている。
女は頬を膨らませ、新聞の端を指で突いた。
「てか、電子端末で見たらいいじゃん! わざわざ紙にインクで印字されたニュースを見るなんて、今時だれもしないよ! 」
イグアスは肩をわずかに揺らしたが、やはり言葉は返さない。
そのそっけなさに構わず、彼女はさらに身を乗り出す。
「かっこつけすぎ! 好きだった人に会いに行くからってさー! 振られたのに未練たらたらだなあ! わたしだって、こうして人型インターフェイスになったんだよ? ご飯食べて、転んで、青あざまで作れるんだよ? すごくない? なのにイグアスったら、新聞と外ばっかり!」
声は車内の騒音に混じり、軽く弾む。周囲の乗客がちらりと視線を向けたが、女は意に介さない。
イグアスは短く息を吐き、新聞を折り畳む手を止めた。
視線だけを向け、慌てて訂正する。
「す、好きとか意味わかんねえ事言ってんじゃねえよ! 振られたとか……振られてねえ!」
声が少し上ずり、周囲の乗客が一斉に振り返った。イグアスは咳払いをし、新聞を鞄に押し込みながら顔を背ける。隣の女はしてやったりと笑い、わざと声を弾ませた。
「ほら見て! 図星だから慌ててんでしょ! ほんっと分かりやすいんだから! 私と言うものがありながらなー!」
列車の警笛が短く鳴り、減速が完全に止まる。扉が開き、冷たい外気と人の喧噪が一気に流れ込んだ。
駅構内は労働者であふれかえっていた。汚れた作業服、積み上げられた工具箱、訛りの強い会話。ここは開拓惑星、外部からの出稼ぎが主力を担う。
その群衆の中に、違和感のある姿が混じっていた。銀や青の人工繊維髪、過度に鮮やかな虹彩。人間の輪郭を持ちながら、どこか情報ノイズを帯びたような存在感。
──人型インターフェイス。
イグアスの隣で足をぶらつかせていた女と同じ人型であって、人ではない存在。
数体が労働者の列に自然に混ざり、荷を担ぎ、声を交わしている。その動作はぎこちなくも楽しげで、周囲はすでに「共に働く仲間」として受け入れているようだった。
隣の女はイグアスの腕にしがみつき、わざと大声を出した。
「ねー、すごいでしょ? わたしたち、もう“危ない怪物”じゃないんだから! 政府公認だよ!」
イグアスは迷惑そうに顔をそむけ、雑踏を縫って歩を進める。
だが目に入ってくるのは、駅の電光掲示板に表示された注意文言だった。
──「Cパルス変異波形体、公共空間では必ず人型インターフェイスを使用のこと」
無機質な表示の下に、さらに説明が続いていた。
──「本義務は、変異波形の持つ高次ハッキング能力を制限し、人類社会との協調を維持するための措置である」
イグアスは鼻を鳴らす。
それは事実だった。621が接続し、ALLMINDを打倒すべく目覚めさせた変異波形の総数は数千万体に及ぶ。そのほとんどが人類に対して敵意を示さず、むしろ共存を望んでいた。だが、彼らは電脳空間において絶対的な優位を持つ──精神体そのものが、強力なハッキング兵器に等しかった。
世間はその存在の扱いに困り果て、結果として「受肉」を強制する形で落としどころを見出した。
──人型インターフェイス。
精神体を制限し、物理世界へ縛り付ける義務的装置。奇しくも、その設計思想はかつて巨悪として知られたALLMINDの“受肉体”を参考にしている。
群衆に混じる数体のインターフェイスは、それぞれ荷を運び、笑い声をあげ、汗を拭っていた。見かけはただの人間。だがその背後に潜む莫大な演算力を知る者は、誰も声に出さない。
人類はこの奇妙な隣人を、受け入れつつあった。
隣の女は腕をぶら下げたまま、得意げに胸を張る。
「ね? もうわたしたち、“怖がられる存在”じゃないんだよ! ちょっとだけ不便になったけどさ──イグアスと一緒に歩けるなら、それでいいんだ!」
イグアスは短く舌打ちをし、視線を前に戻す。
「……そうかよ」
駅の喧噪の中、彼の声は雑音にかき消された。だが隣の女は、嬉しそうに笑みを浮かべ続けていた。
「うんうん! さ! いこういこう!」
駅前の広場には、舗装が不完全な赤土の上にバス停が設けられていた。錆びた屋根付きの待合所と、古びた路線図が貼り出されている。
イグアスは群衆を抜け、無言で停留所の列に並ぶ。次の便は十五分後と表示されていた。
隣の女はきょろきょろと辺りを見回し、目を輝かせる。
「わぁ! これがバスってやつ? 列車よりちっちゃいんだ! タイヤで走るの? いいねいいね、乗ってみたかったんだ!」
興奮気味に声を弾ませ、車体を指さす。新造とは程遠い、くすんだ塗装の輸送バスがちょうど停車していた。
イグアスは露骨に眉をひそめた。
「……不便極まりねえな。こんなもんが唯一の足だなんてよ」
切符を無造作に買い、狭いステップを上がる。冷房の効きは甘く、車内には油と埃の匂いが混ざっている。
女は楽しげに席へ飛び込み、窓に張り付くように外を眺めた。
「ねえねえ! これって発進したらガタガタ揺れるんでしょ? 映画で見たことある!」
イグアスは重い溜息を吐き、隣に腰を下ろす。
「……よりによって、こんな田舎に居を構えやがって。軌道住居だとか……それこそ地球に住む事だって出来ただろうに」
吐き捨てるような声。誰に向けたものかは明らかだった。
バスは低い唸り声を上げ、舗装の甘い道路を走り出した。タイヤが石を踏み、車体が小さく跳ねるたびに女は嬉しそうに声をあげる。
「わっ! ほんとにガタガタする! すごいすごい、列車と全然ちがう!」
イグアスは無言で窓に肘をつき、外の景色へ視線を投げた。赤土の大地はどこまでも続き、点在する集落と資材置き場が流れていく。
停留所ごとに人が降り、やがて車内はがらんとした。作業服姿の労働者たちが降りるたびに埃っぽい風が吹き込み、残された席は静まり返る。
一時間、二時間。
バスは道なき道を縫うように進み、終点に近づくたびに乗客は減っていった。
ついに残されたのはイグアスと女だけとなった。車掌は慣れた様子で運賃箱を叩き、後部座席の二人に目を向けることもない。
女は窓ガラスに額を押し当て、外の荒野を食い入るように眺めている。
「ねえ、見て見て! あんなに大きいクレーター! あ、あそこには風車! あっちは牛みたいなのが歩いてる! いいなあ、ずっと見てても飽きない!」
イグアスは溜息を吐き、視線を戻した。
荒野の向こうに建設途中の送電塔が立ち、鉄骨が夕陽に鈍く光っている。
「……偶には悪くねえかもな」
小さくこぼした声は、バスのエンジン音にかき消される。
夕陽は傾き、荒野を深い橙に染め上げていた。バスは長い道のりを揺れながら進み、やがて最後の停留所に辿り着いた。
車体が軋みを立てて停まる。運転手が短くブザーを鳴らす。
イグアスは無言で立ち上がり、二人分の運賃を無造作に投じた。硬貨が金属音を立て、運賃箱の底で転がる。
女は弾むように立ち上がり、ステップを飛び降りた。
眼前に広がるのは、一面の麦畑だった。風が吹き渡り、金色の穂が波のように揺れている。収穫期にはまだ早いが、畝の規則正しさが人工的な開拓の痕跡を示していた。
その中央に、木造の館が佇んでいる。黒ずんだ梁と剥げ落ちた塗装。古びてはいるが、どこか頑なに立ち続ける気配を纏っていた。
女は目を輝かせ、両手を広げた。
「わぁ……すっごい! こんな広い畑、初めて見た! ほら、風が気持ちいいよ!」
イグアスは片手で鞄を提げ、建物を睨むように見据えた。
「よりによって、こんな辺境に建てやがって。もっと都会に建てろよな」
声は低く押し殺され、夕暮れの風に消えていく。
彼の視線の先で、館の窓にかすかな灯がともった。
麦畑を抜ける細い道を進み、イグアスは館の前に立った。近づくにつれ、漂ってくる匂いに気づく。
──煮込んだ肉と野菜の濃い香り、焼き立てのパンの香ばしさ、香草のほのかな苦み。
戦場や移動生活で嗅ぐことのなかった、穏やかで、腹を満たす匂いだった。
さらに、館の奥からにぎやかな声が響いてきた。何十人もの子供たちの笑い声、食器のぶつかる音、走り回る足音。幸せな喧騒。
隣の女は目を丸くし、頬を綻ばせる。
「ねえイグアス! 中からいっぱい声がするよ! 子供だよね? すごい、楽しそう!」
イグアスは眉間に皺を寄せ、片手で鞄を持ち直した。
視線は木の扉に釘付けになったまま、動かない。
イグアスは無言で立ち尽くした。
拳を上げかけては下ろし、呼吸を整えようとするが喉が妙に渇いている。
扉の向こうに漂う温かな匂いと、にぎやかな声が足を縫い止めていた。
女はその様子を横目で見て、呆れたように肩をすくめる。
「……あー、もう! こんなの私がやる!」
言うが早いか、彼女は軽快に扉へ駆け寄り、勢いよく拳で叩いた。
木材が乾いた音を返し、館の奥の喧噪が一瞬だけ静まる。
「お、おい待てッ!」
イグアスは大慌てで女を引きはがし、扉から無理やり引き離した。
彼女は「ちょっとー!」と文句を言うが、イグアスは聞いていない。
鞄から古びた小さな手鏡を取り出すと、慌てて髪を撫でつけ、襟を直し、埃を払う。
戦場では見せたことのない、落ち着きのない仕草。
女は腕を組み、面白くなさそうに小声で囁く。
「ふーん……わかりやすーい」
イグアスは睨み返したが、その瞬間──
ギィィ……
木の扉が内側から開いた。
暖かな光が溢れ出し、香草と肉の匂いがより濃く漂ってきた。
中からは子供たちの声が重なり合い、笑い声とざわめきが風に流れ出す。
イグアスは思わず背筋を伸ばし、手鏡を鞄に押し込んだ。
「お、おう……久しぶりだな」
「……」
扉を開き顔を覗かせたのは、独特の雰囲気を纏った美しい女性だった。
腰まで届く長い白髪が柔らかく肩に流れ、深紅の瞳は夕暮れの光を映してなお鋭く、しかしどこか温かい光を帯びている。
彼女は少しふくよかな体を、ゆったりと車椅子に預けていた。
C4-621。
かつてイグアスや仲間たちと共に戦い、数千万体もの変異波形を目覚めさせ、人類を救った英雄。
新聞にも名を刻まれ、記録にも残り、誰もが知る存在。
だが今、館の扉口に立つ彼女は、英雄というよりも「子供たちを見守る母」のように見えた。
館の奥から、さらに子供たちの声が響いてくる。
「ごはんだー!」「まだー?」と騒ぐ声。食器の音。走り回る小さな足音。
C4-621は静かに笑みを浮かべ、目を細めてイグアスを見た。
戦場で交わした冷徹な視線ではなく、遠い昔を懐かしむような柔らかい眼差しだった。
「ひさしぶり、イグアス」
短い言葉。
だがそれだけで、イグアスは思わず息を呑んだ。
隣の女──変異波形のインターフェイスは、ぱっと顔を輝かせて飛び跳ねるように声を上げる。
「わーっ! やっぱり621だ! 本物だー!」
C4-621は穏やかに頷き、手元の車椅子を器用に操作して扉を大きく開いた。
その仕草は戦場の鋭さではなく、母が子を迎えるような緩やかさに満ちていた。
「ちょうどご飯、出来てるよ。おなか、すいた?」
「あ、ああ。邪魔するぞ……」
その声に導かれ、イグアスと女は戸口をまたぐ。
屋敷の中は、外から聞こえていた通りの喧噪に包まれていた。
大広間には長い食卓がいくつも並び、そこに数十人の子供たちが我先にと腰を下ろしていた。
パンをちぎり合い、皿を奪い合い、笑い声と叫び声が重なり合って、空気はひときわ熱を帯びている。
調理場とつながる奥の方では、年長らしい十代後半の子供たちが慌ただしく立ち働いていた。
大鍋から湯気の立つスープをよそい、焼き立てのパンを籠に詰め、皿を両手に抱えて運び出してくる。
その手際は粗削りだが迷いはなく、互いに短い声をかけ合いながら、次々と食卓へ料理を届けていた。
イグアスは思わず目を凝らす。
──その場にいる子供たち全員が、621と同じように白い髪と深紅の瞳をしていた。
小さな子供から、背丈の伸び始めた少年少女まで、年齢は幅広い。
だが髪と瞳の色が揃う光景は異様で、同時に、ひどく整然とした規律の匂いを感じさせた。
「……うまくいってるみたいだな」
イグアスが低く呟くと、621は微笑を深めた。
「うん。元気で、困るくらい」
彼女の言葉に合わせるように、料理を運んでいた少年が振り返り、元気よく声を張った。
「姉さん、スープもう一鍋仕上がった!」
「ありがと、641」
続いて、髪を二つ結びにした少女が皿を抱えながら駆け寄ってきた。
「姉さん! 637たちがパンを焦がしちゃって!」
「いいのよ、628。ちょっとくらい焦げてもお腹は膨れるわ」
呼び声に応じる621の口調は、戦場を猟犬の如く縦横無尽に駆けた兵士ではなく、子を導く保護者そのものだった。
子供たちは「姉さん」と彼女を呼び、競うように彼女のもとへ報告を持ち込む。
隣の女はその光景に目を輝かせ、感嘆の声を漏らした。
「すごい……! こんなに大勢! みんな、621にそっくりだ!」
イグアスは腕を組んだまま、広間のざわめきに圧されるように視線を逸らす。
食卓の準備が整い、湯気を立てる皿が最後の一列に並べられた時だった。
年長の一人──白髪を短く刈り込んだ少年が、手を止めて621に声をかけた。
「姉さん、みんな揃ったよ。……呼んでくる?」
621は頷き、目を細めた。
「うん、お願い」
少年は駆け足で広間を抜け、奥の廊下へと消えていった。
やがて、子供たちのざわめきが少しだけ落ち着く。
──まるで、誰かを待ち受ける合図のように。
しばらくして、廊下の奥からゆっくりとした足音が響いてきた。
正確には、杖が床を叩く乾いた音と、それを支える小さな足取り。
少年に付き添われ、姿を現したのは一人の老人だった。
背は丸まり、足取りは覚束ない。
深い皺が刻まれた顔にはかつての険しさの名残があるものの、その表情は驚くほど柔らかい。
毛先の白い髪は乱れ、片手は杖に、もう片手は少年の肩にすがっている。
──ハンドラー・ウォルター。
かつて惑星封鎖機構の特別戦術顧問を務め、幾つもの戦場を導いた男。
イグアスにとっては、決して忘れられない人類最後の決死隊の指揮官であった。
だが、今の姿は記憶に刻まれた人物とは似ても似つかない。
戦場で鋼のように命令を下した「ハンドラー」ではなく、足腰が弱り、時折視線をさまよわせる、ただの穏やかな老人だった。
「……おお、匂うなあ……いい匂いだ」
ウォルターは嗅覚に導かれるように呟き、広間をゆっくりと見回す。
深紅の瞳の子供たちが「おじいちゃん!」と声をあげて立ち上がり、両脇に集まってくる。
老人は小さく笑い、震える手で一人ひとりの頭を撫でていった。
「ハンドラー・ウォルター……」
思わず漏れた声は、戸惑いに近かった。
621は車椅子に腰掛けたまま、穏やかにイグアスを見やる。
「あの戦いが終わって、この屋敷を買って……戦いから離れた途端に急に老け込んだ」
イグアスは、子供たちに囲まれたウォルターの姿を見つめた。
かつての鋭い眼光も、張り詰めた声もそこにはない。
ただ柔らかく微笑み、子供たちを慈しむ、ひとりの老人──。
隣で621が車椅子を少し動かし、視線を合わせる。
「でも、もうウォルターは高齢だから……こっちが、素のウォルターだったのかも」
イグアスは言葉を失い、ただ鼻から息を漏らした。
「……あんたまで、すっかり“母親”だな」
621は小さく笑みを浮かべる。
「親になれてるかな。私は、この子たちにちゃんとした未来を見せてあげれるかな」
イグアスは記憶を呼び戻す。
──数か月前、粗末な便箋で届いた一通の手紙。
621が『倉庫』で眠る子供たちを全て買取り、共に暮らしていること、そして旧世代強化人間の支援のために孤児院を設けたことが、淡々とした文字で綴られていた。
戦場に命を投げ出すしかなかった者たちが、今は食卓を囲む子供たちを育てている──。
その現実を目にした瞬間、胸の奥にじんわりとした温かさが広がる。
「……へっ。なんだよ」
イグアスは鞄を投げ出すように床へ置き、空いていた長机の椅子に腰を下ろした。
その動作に合わせるように、子供たちが一斉に「いただきます!」と声を張り上げる。
熱々のスープの匂い、焼き立てのパンの香ばしさ、笑い声と騒がしさが混じり合い、広間は一気に温度を増した。
イグアスは手元の椀を受け取り、蒸気に顔をしかめながらも口をつける。
──味は素朴で荒削りだ。だが、不思議と胸の奥を落ち着かせる温かさがあった。
子供たちの笑い声が響き渡る中、視線を巡らせる。
かつて戦場にしか居場所がなかった621とウォルターが、今は子供に囲まれ、穏やかに笑っている。
その光景に、イグアスは無意識に口元を緩めていた。
「……621。お前は、戦場なんか向いてなかったな」
低く呟いた声は、湯気と笑い声に紛れて誰にも届かない。
だが彼の胸には、確かに久しく感じたことのない──安らぎが満ちていた。
イグアスはその安らぎをほんの刹那味わっただけで、椀を掴み直すと軍人らしい荒々しい所作で一気に掻き込んだ。
熱さも味わう暇もなく、湯気を立てるスープとパンを喉へ押し流す。子供たちが驚きの目で見守る中、彼は一瞬で椀を空にし、皿のパン屑を指で払った。
立ち上がる音が、ざわめく広間に鋭く響く。
イグアスは鞄を掴み、中から一枚のカードを取り出すと、621の前に無造作に押し付けた。
「もらっとけ。送り返したりなんかするなよ」
重みのあるカード。そこには戦場を渡り歩いた彼の全ての報酬が詰まっていた。
621は目を見開き、思わず問いかけようとしたが、イグアスはそれを遮るように背を向ける。
隣では、機械の体ゆえに食事を摂れない女が、それでも楽しげにニコニコと子供たちの食卓を眺めていた。
「行くぞ」
短い一言。
女は「えー? もう?」と不満げに頬を膨らませながらも、嬉しそうに彼の後を追った。
イグアスは背を向けたまま、扉へ歩を進める。
子供たちの声と食器の音が背後に遠ざかり、館の外の冷たい空気が頬を打った。
木の扉が音を立てて閉じられたあと、館の中には子供たちの笑い声と食器のぶつかる音だけが残った。
だが、廊下を滑るように進む車椅子の音がその喧噪を割る。
C4-621は、迷いなく屋敷を抜け、夕陽に染まる麦畑へと出た。
金色の波が風に揺れ、その中を歩くイグアスの背が見える。
「──イグアス!」
呼びかける声は、かつての戦場で指示を飛ばした鋭さではなく、柔らかいが確かな力を宿していた。
イグアスの足が止まる。だが振り返りはしない。
621は風に髪を揺らしながら続けた。
「ありがとう、イグアス──また来てくれる?」
一拍の静寂。
イグアスは深く息を吐き、ようやく肩越しに視線だけを戻した。
「……無理だ」
短い言葉。
麦畑を渡る風の音にかき消されそうになりながらも、低く重く、確かに届く。
「ここは……戦場から戻ったあんたやウォルターが作った、“新しい居場所”だ。
子供たちが笑って、腹を満たして、生きていける場所だ。……軍人が出入りしていい場所じゃねえ」
621は口を開きかけたが、その表情を読んだイグアスが先に続ける。
「俺は、もう来ねえ。……二度とだ。
ただ──」
イグアスは麦畑の方を見据え、わずかに目を細めた。
「……あんたとウォルターが始めたこの孤児院が、ずっと続くことだけは祈ってる」
イグアス何か言おうとした621を無視して歩き出そうとした、そのときだった。
背後から小さな足音がぱたぱたと響く。
「まって!」
振り返ると、麦畑の中を駆け抜けてくる白い影があった。
長い白髪を背で揺らし、深紅の瞳を輝かせる──621によく似た小さな女の子だった。
幼いその手には、小さな鉢に植えられた花が抱えられている。
少女は息を切らしながらイグアスの前で立ち止まり、両手で花を差し出した。
「今日はありがとう! お土産!」
差し出されたのは、掌ほどの鉢に根を張る、小さな深紅の花。
麦畑の金色の中で、それはひときわ鮮やかに咲き誇っていた。
イグアスは思わず言葉を失う。
粗野な戦場の記憶しか持たないその手に、こんなにも柔らかく、無垢な贈り物が託されるなど。
少女は満面の笑みを浮かべていた。
世界の何も知らず、ただ目の前の人を喜ばせたいと願う、純粋な笑顔。
621が戦いを終わらせ、子供たちを戦場から遠ざける事で生まれた幸せ。
イグアスは花を受け取り、低く呟いた。
「……ああ、世界を救った甲斐があったもんだ」
その声は風に紛れ、少女には届いたかどうかもわからない。
だが彼は花をしっかりと胸に抱え、再び歩き始めた。
麦畑の波を背に、遠ざかるその姿はもう振り返らなかった。
──それでも、彼の足取りは、どこか軽やかだった。
月明りが金色の大地を染め上げ、星々が煌めく。
子供たちの笑い声と、館の灯火が遠くに揺らめく中──物語は静かに幕を閉じた。
ARMORED CORE VI The Warden of Rubicon ~完~
この物語はここで完結となります、お付き合いくださりありがとうございました。
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