ARMORED CORE VI The Warden of Rubicon 〜もしも、惑星封鎖が完遂しハウンズが惑星封鎖機構に入隊していたら〜 作:助兵衛
──ハウンズの兄らが格納庫を出てから、数時間後。
格納庫のモニターから戦闘ログの再生が止まり、621は静かに息を吐いて、背もたれへと身体を預けた。
《バルテウス》の最終調整は完了。冷却システムは安定し、すべてのサブプロセスが正常作動を報告していた。
心の中に残るざらつきは消えないまま。しかし、少しだけ──ほんの少しだけ、胸の奥に空気の流れる感触があった。
彼女がメンテナンスベイの端末をシャットダウンし、車椅子のフットレストに足を乗せると、その気配に気づいた。
「621」
格納庫の入り口。静かに立っていたのは、C4-618だった。
「談話室に来い」
一瞬だけ、621は眉を寄せた。何かの報告か、あるいは新たな任務か。だが、618の声にはどこか、微かな躊躇と柔らかさがあった。
「少し付き合え」
621は数秒だけ彼を見つめ、やがて静かに頷いた。
──案内されるままに、談話室の扉をくぐった彼女を待っていたのは。
《謎の陳列空間》だった。
整然と並べられた金属製のテーブル。その上には、見慣れない──いや、明らかに“場違いな”アイテムたちがずらりと並んでいた。
──うさぎの耳が付いたナイロン素材のヘルメットカバー。
──医療室から持ち出されたカラフルなストレスボール。
──アーキバスグループ公式キャラクター「アーキ坊や」のぬいぐるみ。
──パッケージの表記が全て読めない、輸入品と思しきシリアルバー(恐らくチョコ味)。
──娯楽室の古い棚から発掘された、花柄のマグカップ──ただしヒビ入り。
そのすべてが、“可愛い”という単語をどこか勘違いしたかのように、健気に並べられていた。
そして、そのど真ん中に立つ三人──C4-617、619、620。
いずれも、どこか誇らしげな表情を浮かべていた。
「どうだ」
617が、ごく真剣に問いかける。
「艦内の“可愛いもの”をすべて集めた。順に調査・選定し──配置も最適化した」
「本当はケーキも用意したかったが、補給データには存在しなかった」
620が補足する。
「代用として、糖分の高いエナジーバーを用意した」
619は、いつも通りの無表情だった。
「どうだ」
617が再度問い掛ける。
621は、ただ立ち尽くしていた。
整然と並んだ“可愛いもの”の数々──その不器用な温もりに、思考が追いつかない。
戦闘ログの再生。調整作業。任務。破壊。再構築。
彼女の中にあるすべての“行動”は目的と合理性に基づくものだった。
だが、この空間は──不器用な家族愛で形作られていた。
「……これは」
それは疑問でも、問いかけでもない。
まるで感情の行き場を失った心が、ぽろりと零した言葉だった。
だが兄たちは誰も、笑わなかった。
冗談も、皮肉も、気まずさもなかった。
ただ、真っすぐに彼女を見ていた。
621は、ゆっくりと視線を巡らせた。
ストレスボール。マグカップ。シリアルバー。そして──
アーキバスグループ公式キャラクター、アーキ坊やのぬいぐるみ。
それは、ぬいぐるみとしては不格好な部類だった。
顔はどこか間延びしており、縫製の甘さが所々に滲んでいる。手足は左右で長さが違い、目のボタンも片方は焦げていた。
──でも、そこには。
どこか、ツィイーがくれたクッキーと同じ匂いがした。
不器用で、ぎこちなくて、それでも確かに「誰かが自分のために何かをくれた」という、あの時の、あの甘さ。
621は、手を伸ばし。
ぬいぐるみを──抱き上げた。
ぎこちなく、ぎこちなく、胸元に抱きしめた。
「それは俺が作った」
618が慌てて名乗り出る。
妹が一番気に入ったプレゼントを用意したのが自分であると、アピールせずにはいられなかった。
「材料は被服の予備を裂いて、デザインは通販サイト購買者数年間一位の物を流用……どうだ」
わずかに震える唇が、ふるりと動いた。
ほとんど使ったことのない表情筋が、初めて大きく稼働する。
その動きは不自然で、ひどく未熟で、まるで壊れた人形が笑みを模倣しているかのようだった。
「へっ……ふふ……」
だがそれでも、それは確かに──
《笑顔》だった。
感情の名を知らない兵士が、はじめて見せた、幼いような、壊れそうな、けれど確かな“嬉しさ”。
その場の空気が、ふっと和らいだ。
「……やったな」
619が、ぽつりと呟く。無表情のまま、それでも、少しだけ声に柔らかさがあった。
「見ろ!AIより効果がある」
618が誇らしげに言うと、620は鼻を鳴らして小さく笑った。
「……それは、それとしてAIは進めておく。保険だ」
617がひときわ小さな声で、唇を震わせていた。
拳を握り、胸を張り──その表情には、確かに達成感が滲んでいた。
「元は俺の、提案だったんだ……座れ、621」
そう言ったのは617だった。照れ隠しのようにそっけない口調で、だがその指は彼女のために空けておいた椅子を、わずかに引いて差し出していた。
621は、ぬいぐるみを胸に抱いたまま、小さく頷いて歩を進め──ぎこちない動作で、その椅子に腰を下ろした。
普段のブリーフィングでは硬直しきった姿勢の彼女が、いまはほんの少しだけ身体を丸めて座っていた。抱きしめたぬいぐるみは、膝の上でぽてりとした姿勢のまま、彼女の胸元に収まっている。
「……食べてみろ」
そう呟きながら、620が艦内で最も糖分の高いとされるエナジーバーのひとつを差し出す。
軍用品故に包装がやたらと固く、どう考えても子供向けではない。619が、黙って包装を裂いてやり、621の前に置いた。
「甘いぞ、女の子は甘いものが好きだ」
「それと、温かいものがいいと思ってな」
617がヒビ入りのマグカップを手にし、まだ蒸気の立つコーヒー代用品の粉末飲料を注いでいた。味は定かでないが、カップに描かれたピンクの花柄は、確かに艦内で最も“可愛い”部類に入る。
「……こういう会はなんと呼称する」
と、ぽつりと618が首をかしげる。
「激励会?応援会?あるいは──」
「語感は柔らかい方がいい、“はげまし会”だ」
兄弟たちは、そのまま無言で彼女を囲むように椅子を引き、彼女と同じテーブルを囲んだ。
それぞれがそれぞれの“得意分野”を投げ出して、ただ、ひとりの妹のために過ごす時間。
戦闘も、任務も、破壊も、そこにはなかった。
ただ、甘い味と、温かな空気だけがあった。
621は、差し出されたエナジーバーを恐る恐る口に運ぶ。
ぼそぼそとした食感。舌の奥にまとわりつくような、強すぎる甘さ。──でも、悪くなかった。
むしろ、ほっとした。
「……変な味」
そう呟いて、621は口元をわずかに緩めた。
エナジーバーの断面はぼそぼそで、甘さは砂糖の塊を直接舐めたような質感だった。喉にまとわりつく人工甘味料の後味に、思わず眉をひそめる。
彼女はしばし口をもぐもぐと動かし、ようやく喉を通す。
「おいしい」
「そうか!そうか……たくさん食え」
視線が、テーブルの上に置かれたマグカップへと向かう。
ヒビ入りの花柄。どこか滑稽で、どこか……懐かしいような、そんな存在感。
そして──
補給基地での記憶が、不意に脳裏に蘇った。
炭のように焦げた外皮。串に刺された巨大な芋虫。
得意げに「意外と美味い」と語っていた男の声。
――エリオット、ラスティ。
脳にRPユニットを埋め込んでまで機構に潜入していた、解放戦線のスパイ。
それでも、かつては戦友で。誰より戦場を知り、誰より自分の異質さを気にせず接してきた人間。
あのとき、彼が差し出した串を、621はただ無言で断った。
けれど。
今思えば、食べてみても、よかったかもしれない。
焦げていても、臭くても、不味くても――
《もう、彼はいないのだから》。
ふと、視界が滲む。
瞬きをしても、それは消えなかった。
そのまま、彼女は何も言わず、ぬいぐるみを抱きしめながら、ぽろり、と……涙をこぼした。
唇は微かに震えている。声は出ない。
ただ、表情が崩れていく。無音のまま、深い湖に落ちていくような静かな感情の奔流。
「……!」
真っ先に気づいたのは617だった。
「……な、泣いてる?」
困惑と動揺が、そのまま声に滲む。
すぐ隣にいた620が肩をすくめるが、その目は戸惑いを隠せなかった。
「いや……待て、これは――どうしたらいい」
「苦悩?悲嘆?感傷?もしくは糖分過多による神経反応か……?」
619が無表情のままぶつぶつと呟く。
「応答がない。621、応答してくれ」
617が静かに声をかけるが、621はぬいぐるみを抱いたまま、ただ俯いている。呼吸がわずかに乱れ、涙が止まらない。
答えは返ってこなかった。
「……これはまずいぞ」
620が立ち上がりかけるも、何をすべきか分からず、その場で停止する。
「触れるのか?いや、そういうときは静かに寄り添うべきという文献があったはず……だが、寄り添い方が不明だ」
618が慌てたように腕を組み直す。
「621、次はケーキを用意する、必ずだ」
617はエナジーバーの味に原因があったのかと危惧し、慌てて通信端末で甘味を注文する。
621は、声を出さないまま、ただ涙を零し続けていた。
ぬいぐるみを、ぎゅっと、ぎゅっと抱きしめたまま。
兄たちは、戸惑い、立ち尽くし、それでも。
その輪を壊さないように──そっと、静かに彼女のそばにいた。