ARMORED CORE VI The Warden of Rubicon 〜もしも、惑星封鎖が完遂しハウンズが惑星封鎖機構に入隊していたら〜 作:助兵衛
冷たい蛍光灯の光が、無機質な医務室内を照らしていた。シンプルな金属の壁面と白い医療用ベッドが並ぶその空間には、機械の低い駆動音だけが響いている。
621は衛星軌道基地医務室のベッドに横たわり、生命維持装置に繋がれた状態で眠っていた。戦場での負傷は深刻だったが、衛星軌道基地の医療技術により、命は辛うじて救われていた。彼女の顔には無数の擦り傷が残り、腕や肩には包帯が巻かれている。酸素マスクが口元を覆い、規則正しい呼吸音が微かに聞こえた。
医務室の端にはモニターが設置されており、621の身体状況をリアルタイムで映し出していた。心拍数、脳波、内臓機能──すべての数値がぎりぎりの安定を保っている。
薄暗い医務室の静寂を破るように、微かな電子音が響いた。それはベッドサイドに設置された通信デバイスの通知音だった。621の意識はその音に引き寄せられるように浮上し、薄く瞼が開く。
赤い瞳が天井の蛍光灯を捉えた次の瞬間、通信端末が再び電子音を発した。モニターには「ハンドラー・ウォルター」と表示されている。
621は腕を動かそうとしたが、包帯と医療用チューブに縛られた状態でほとんど動けない。それでも彼女は力を振り絞り、操作パネルに手を伸ばして通信を接続した。
『目が覚めたか、621』
ウォルターの低い声が医務室に響く。モニターには彼の象徴──複数の手綱を握る腕──が映し出されていた。
『まさかこんな無茶をするとはな。だが、良くやった』
彼の言葉に、621は無言で視線を向けるだけだった。まだ完全には意識が戻っていないのか、それともただ沈黙を選んだのかは分からない。
『医務スタッフからの報告では、命に別状はないそうだ。少なくとも、今回の無茶の代償としては軽い方だろう……今回の任務での報酬がお前の口座に振り込まれた。治療費は差し引かれているが、命を賭けるに値する金額だ』
その言葉を聞いた瞬間、621の目が僅かに見開かれる。通信端末の画面が二分割され、もう片方に彼女の傭兵口座情報が表示される。
少額の振込、引き落としが数件あるのみだった口座には、つい先程桁違いの大金が振り込まれていた。
『今回の任務では特例措置が適用され、通常の報酬に加え、四脚MT撃破の功績が特別ボーナスとして加算された。この額をどう使うかはお前次第だ』
ウォルターは無表情のまま話を続ける。
『分かっていると思うが、これは単なる金ではない。この額はお前が命を削り、戦場で得た価値だ。好きに使え』
621はモニターに表示された金額をじっと見つめた。目にするのは初めての大金だったが、彼女の表情には特に驚きや喜びは浮かばない。ただ淡々とその数字を認識しているようだった。
621の初任務から数日後。
彼女は衛星軌道基地の医務室での治療を終え、戦場での激しい負傷から徐々に回復しつつあった。両腕の擦り傷や打撲はすでに消え去り、肩や背中に巻かれていた包帯も外されている。ジェネレーターの異常な振動が身体に与えた影響も、医療スタッフの的確な処置により何とか治まっていた。
ただ、戦闘の記憶と激しい機体の損傷は、彼女の中に確かな痕跡を残していた。ベッドでの療養が終わり、車椅子を使って基地内を移動できるようになったものの、その足取りはまだ完全な自立には程遠い。医務スタッフが彼女の回復を喜ぶ一方で、621の赤い瞳には、安堵の色はほとんど浮かんでいなかった。
衛星軌道基地の食堂は、広々としていながらも冷たい無機質な雰囲気が漂っていた。金属製のテーブルと椅子が規則正しく並べられ、壁面には注意書きやモニターに流れる基地の状況報告が映し出されている。喧騒があるわけでもなく、どこか沈んだ空気が漂っていた。
そんな中、621は窓際の端のテーブルに車椅子で静かに座っていた。戦場での負傷を癒した身体はまだ完全ではなく、時折痛みに顔を歪ませる。
彼女の目の前には、淡い灰色のペースト状の食品が盛られた金属製のトレイが置かれている。栄養は完璧に計算されているのだろうが、味や見た目には全く期待が持てない代物だ。テーブルを囲む他の兵士やパイロットたちは、もっとまともな料理を食べている。湯気が立つ肉料理や色鮮やかな野菜のプレートが目に入るが、621はそれには目もくれない。
彼女はスプーンでペーストを無感情に掬い、口に運ぶ。味覚を刺激するものが何一つない食事を淡々と続けている姿は、傍目には無関心そのものに見える。しかし、621の赤い瞳は食事中もテーブルに置かれた端末の画面に釘付けだった。
「……」
端末の画面には、無数のACパーツが鮮やかに表示されている。ジェネレーター、ブースター、アームユニット、背部武装──各カテゴリごとに整然と並んだそれらは、性能や特性が細かく記載された電子雑誌のページだった。
621はペーストを口に運びながら、端末を操作してページをスクロールする。視線は一点の曇りもなく、まるで戦場で敵を追尾する時のような鋭さを帯びている。
その時、彼女の横に一人の人物が音もなく現れた。最初に621を基地内へ案内した士官、薄青の制服を身にまとった男が、トレイを片手に持ちながら、無言のまま621の隣の椅子を引き、腰を下ろす。
「うお、戦闘糧食2型か。これを食ってるやつは始めてみたな」
士官は彼女の目の前に置かれた味気ないペーストを一瞥する。彼のトレイには、温かそうなスープと焼き立てのパン、そして彩り豊かなサラダが載っている。それを見比べると、621の食事はあまりにも質素で無機質だった。
621は一瞥すると、また端末に視線を戻した。士官は肩をすくめる。
「戦場で命を賭けた後にそれか。君の報酬を聞いているからこそ、驚きだな。もっと贅沢をしてもいいんじゃないか?」
士官はスープを一口飲みながら、彼女の端末に目を向けた。そこにはACの最新パーツが詳細なスペックと共に並んでいる。士官は目を細めて画面を覗き込んだ。
「なになに……『業界の花火職人メリニット〜炸薬バカ一代〜』? お前……マニアックだな」
士官は苦笑いしスープを飲む手を止めた。
「企業パーツを見てるなんて知れたら、上尉に説教されるぞ」
621はその言葉を聞いても、特に反応を示さず、黙々と画面をスクロールし続ける。士官はその様子に少し呆れたように肩をすくめた。
「なぁ、せめて返事くらいしたらどうだ? 一応、俺も士官で、傭兵とはいえお前の上官に当たらんが」
その言葉に、621は一瞬だけ操作を止めると、端末を軽くタップして「了解」を示す短い信号を送った。彼女の態度は一切変わらず、言葉を発する気配もなかった。
「まったく、話さないのか話せないのか。まぁ、猟犬ってのは吠えない方がいいのかもしれないが」
少し冗談めかした口調だったが、621は反応せず、再び端末の画面に戻る。
「……仕方ない。今さらだけど、自己紹介だ」
士官は自分のトレイに視線を落としながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「俺はエリオット・ストラウス。LCパイロットで、お前が四脚MTを相手にしてた時、俺も別の区域で戦ってた。俺だって、二体四脚は倒したぞ……お前はMTでだがな」
彼の言葉に、621は再び端末をタップして短い応答を返す。「了解」。その反応に、エリオットはため息をついた。
「そうか、興味ないか」
彼はそう言うと、残りのスープを飲み干し、真剣な表情になった。
「さて、本題に入るか。グレイ上尉がお前を呼んでる。執務室に行けってさ。お前の機体の件や、今後の任務について話があるらしい」
621はそれを聞いても特に動揺する様子も見せず、端末に「了解」とだけ信号を送る。それを確認したエリオットは残りの食事をかき込むと椅子から立ち上がる。
「分かってると思うが、上尉を待たせるなよ。俺たちでもあの人の厳しさにはヒヤヒヤするくらいだ。お前みたいなやつが何を言われるか、想像もつかない」
彼はそう言い残すと、軽く手を振って食堂を去っていった。
621は一瞬だけ彼の背中を追うように視線を上げたが、すぐにまた端末に戻った。そして、メリニットの特集ページを保存して電子雑誌を閉じる。
静かな食堂の中で、621は無言のまま最後の一口を口に運び、冷めたペーストの味を感じることもなく飲み込んだ。