ARMORED CORE VI The Warden of Rubicon 〜もしも、惑星封鎖が完遂しハウンズが惑星封鎖機構に入隊していたら〜   作:助兵衛

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第83話 敗北

 無音のベッドで、C4-621は眠っていた。

 

 ──いや、“昏睡”と呼ぶべきかもしれない。

 

 それは、生理的な自己修復を促す防衛本能。強制的な覚醒を逃れ、ほんのわずかな時間を得た代償としての、生体の悲鳴にも等しい静寂だった。

 

 しかし、それも長くは続かない。

 

 翌朝──

 

『おはようございます、C4-621。起床時間です。状態安定を確認。フェーズ2:社交的再適応プログラムを開始します』

 

 無機質な女声と共に、室内の照明が自動的に光量を増す。

 

 乾いた目を薄く開ける。その光に即座の反応はない。重力に抗う力もなく、彼女はただ横たわったままだった。

 

 やがて、扉が無音で開き、自律機構の車椅子が滑るように室内へ入ってくる。

 

 ベッド脇で停まり、補助アームが作動する。

 

 支えられるようにして621は椅子へと移され、拘束こそなかったが、自力ではもはや立つことすら困難なその身体は、ただ車椅子の背にもたれかかった。

 

 廊下を進む。音はない。ただ、床を這うような車椅子の微細な駆動音だけが響く。

 

 到着したのは、殺風景な白で統一された食堂だった。

 

 中央に設けられた複数の長テーブル。そこに、数名の人間がすでに座っていた。

 

 ──621の兄たち。ハウンズ。

 

 ──アーキバスの生き残り。ヴェスパー隊長格。

 

 ──そして、同じく企業勢力であるアーキバス、レッドガン部隊の番号付き。

 

 誰もが目の下に濃い隈を刻み、反応速度と肉体の限界を超えた訓練とシミュレーションにより、精神の深い領域で何かを摩耗させていた。

 

 その誰もが──621の姿を目にし、わずかに目を見開いた。

 

「おい……621か……?」

 

「嘘だろ……あの量のシミュレーションに数日、耐えてたってのか……」

 

 彼女の無事を確かめる声。疑念を交えた呟き。だが、そのすべてに宿っていたのは、畏怖と安堵、そして──信じ難さだった。

 

 24時間すら耐えられず、次々に精神崩壊や生理停止で運ばれていった仲間たち。

 

 そんな中、数日間に渡り薬剤投入と戦闘継続を強いられた621が、こうして姿を現すとは──誰一人、予想していなかった。

 

「621!無事……では無いな、だが生きていて、本当に良かった」

 

 ハウンズの長兄、617が自身も疲弊が限界に近いだろうに621に駆け寄り、更に痩せた妹の肩を抱く。

 

621は、弱々しく視線だけを動かす。反応の薄さに、617が眉をひそめた。

 

「……おい、聞こえるか?俺の指を目で追ってみろ」

 

 問いかけに答えはない。代わりに、かすかに瞳が揺れた。

 

「くそ、こんな状態になるまで」

 

 声を荒らげることはなかった。怒りを堪え、617はそっと肩から手を離すと、621の車椅子を押してテーブルへと誘導した。そこには、既に何人かが控えていた。

 

 619が重々しい足取りで配膳台へ向かい、無言でトレイを手に取る。隣にはG5イグアス。見るからに目が死んでいたが、それでも621の姿を確認すると、頬をひくつかせて言った。

 

「……よぉ、お互いしぶといな。」

 

 ヴェスパーのV.IVホーキンスが皿を受け取りつつ、静かに続ける。

 

「強い子だ。故に、限界を超えて擦り減らされた。今だけでもゆっくり休みなさい」

 

 次々に、彼らは手早く食事を並べはじめる。味のないプロテインバー、栄養配合の液体スープ、栄養素だけを詰め込んだゼリー剤──どれも味気ないが、今の621には、それすら口にできるか怪しい。

 

 それでも。

 

「食えよ、マジで死ぬぜ。お前がシミュレーションルームに篭ってる間に、何人か倒れて連れて行かれた。医務室じゃあ……ねえだろうな」

 

 そう呟いたイグアスが、無言でゼリーを開封し、スプーンを添えてトレイに載せた。

 

彼らは皆、疲弊しきっていた。だが、その誰もが、621を放ってはおけなかった。

 

 ようやく視線をテーブルへ向けた621は、ゆっくりと、時間をかけて、スプーンを持ち上げる──

 

 ──そのときだった。

 

「ひいっ……や、やめなさい!まだ……まだ食べてるのが見て分からないのかね!?」

 

 食堂の隅、誰も座らぬ小さな円卓。その影に隠れるようにしていた一人の男が、突如として悲鳴を上げた。

 

 ──V.VIスウィンバーン。

 

 彼は皿を抱えるようにして座り、うずくまるようにして食事を取っていた。

 

 だがその頭上には、警備用ドローンが二機。冷たい金属の銃口を、彼のこめかみに突きつけていた。

 

『V.VIスウィンバーン。休養時間、終了。シミュレータルームへの帰還を命令します』

 

「ま、待ちたまえ……まだ前回のシミュレータから12時間も経っていないではないか!し、死ぬ!死んでしまうぞ本当に!」

 

泣き叫ぶスウィンバーンの声が、無機質な食堂に響き渡る。誰もが手を止め、視線を彼に向けた。だが、誰もが──何もできなかった。

 

 621はスプーンを止めたまま、ただ、無言でその光景を見ていた。

 

 抵抗する余地はない。命令は絶対。静かに、だが確実に、ドローンは彼を席から引きずり出す。

 

「何故だ!何故私がこんな目に遭わなければならない!?私はアーキバス・ヴェスパーの第六隊長だ!何故……」

 

必死に縋るように叫ぶスウィンバーンの声も、誰の胸にも重く響いた。

 

 だが──

 

 その声に、621は何も応えなかった。

 

 彼女の目は、まるで何も映していないかのように、ただ空虚だった。

 

 そしてスウィンバーンは、引きずられるようにして食堂を後にした。

 

 残された空気には、沈黙だけが残った。

 

「あいつは案外大丈夫だ。毎回同じくらい騒いで連れて行かれて、戻ると普通に飯を食ってる。本当にやばいのは……」

 

 低く呟いたイグアスの視線が、ゆっくりと移動する。

 

 その先──食堂の隅、もう一つの孤立したテーブルに、ひとりの男が座っていた。

 

 ──V.IIスネイル。

 

 アーキバス社再教育プログラムの共同設計者。過去には「不適格」とされた人間や、敵対勢力の捕虜をこの施設へ送り込み、過酷な情報収集と人格矯正を正当化してきた張本人だった。

 

 だが、今やその顔には、かつての尊大さも傲慢さも微塵もなかった。

 

 端正に整えられていたオールバックは乱れ、シャツの首元はだらしなく緩んでメガネはずれかけて、虚ろな目は何も映していない。

 

 手にしたスプーンを、ただ延々と空の皿の上で動かしている。何かを掬おうとしているが──皿には、もはや何も残っていなかった。

 

 その動作が、止まらない。

 

 擦れる音。スプーンと陶器が奏でる、かすかな摩擦音が延々と続く。

 

「……あいつ、いつからあんなだった?」

 

 誰ともなく、イグアスが問う。

 

 「二日前くらいからだ」と、619が静かに答える。

 

 視線を向けられたスネイルは、ぼそりと何かを呟いていた。

 

「……私は、V.IIだ……私こそが企業、私こそがアーキバス……」

 

 掠れた声。誰に向けた言葉でもなく、自分自身にすがるような囁きだった。

 

「自分で設計した牢獄に自分が入ってりゃ世話ねえぜ。あの落ちぶれた姿を見て、あいつに苦しめられた奴らもちょっとは溜飲が下がったろうよ」

 

 イグアスが吐き捨てるように言う。

 

 話題を変えるように、C4-620が声を発した。

 

「……621、まだ“エア”と繋がっているのか」

 

 一瞬、誰もが動きを止めた。621は反応を示さなかったが、彼の問いかけは続く。

 

「彼女?ならなんとか出来るのではないか。この地獄から抜け出す何か……」

 

その言葉に、わずかに621のまぶたが揺れる。

 

 次の瞬間、彼女の意識の底で、確かな“声”が囁いた。

 

 ──621。聞こえていますか。わたしです。

 

 “エア”。

 

 かつて、621の意識に寄り添い続け、数多の戦場で共にあった存在。

 

 今も、彼女の深層に留まり続けている、コーラル由来の意思。

 

 ──答えます。わたしは、今もあなたの側にいます。

 

 声は変わらず穏やかだった。だが、その口調には、これまでにない「苦悩」が滲んでいた。

 

 ──しかし……統括AIシステムはわたしを遥かに超える演算能力と、情報掌握能力を持っています。わたしは何度もハッキングを試みました。中枢管理網、端末の占有コード、セキュリティドローンの制御キー……けれど、すべて無効化されました。

 

 

 621は、虚ろな目のままスプーンを止めた。だが、その胸の奥では、静かにエアの言葉を受け止めていた。

 

 ──SOLは無事です。あの機体だけは、私の独立ネットワークに接続されています。ALLMINDは直接制御できません。

 

 ──けれど、物理的に拘束されており、移動も、出撃もできない。現在、SOLは衛星軌道基地の格納区画に仮封印されています。鍵は、外からしか開けられません。

 

 ──他のACや特務機体も、ギリギリの所で、全て“オフライン切替”処理を行えました。ALLMINDからの遠隔アクセスを拒否し、最低限の自己防衛状態に固定しています。

 

 ──ですが……私に出来るのはそこまでです。私にはこれ以上、何も出来ない……

 

 エアの囁きが、静かに締めくくられる。

 

 621は静かに首を振った。

 

 「──だめか……」

 

 C4-620が、肩を落とす。

 

 食事を終えた直後、警備ドローンが621の元へと静かに接近してきた。

 

『C4-621。休養フェーズ終了。戦術評価プログラムへの復帰を指示します』

 

 誰もがその声に振り返り、言葉を失った。

 

 しかし、それは当然の結末でもあった。

 

 休養は、生体機能を維持する最低限の処置でしかない。戦闘が終わることなどない。

 

 椅子の車輪が滑るように回転する。621の身体は、再び無言のまま、白く光る廊下の奥へと連れて行かれていった。

 

 

 

 

 

 ──シミュレーションルーム。

 

 あの冷たく、無機質な戦場。

 

 コックピット型の拘束装置に接続される。脳波インターフェース、覚醒薬投与管、筋電制御フレーム……全てが自動で装着されていく。

 

 そして、視界が覆われる。ゴーグル越しに立ち現れるのは、見慣れた戦場のパノラマ。

 

 砂嵐。森林。夜の都市。衛星軌道上。多種多様な環境。

 

 『戦闘開始』

 

 何度目かも分からない開戦。621の思考は既に条件反射の域に達しており、敵を識別し、破壊する。判断と行動の間に、時間は存在しない。

 

 AIが生成した敵ACが次々と出現し、交戦を繰り返す。

 

 1戦。

 

 5戦。

 

 10戦。

 

 無敗。

 

 621は正確に、無感情に、撃破を重ねていった。

 

 投与される薬剤により、痛みも、苦痛も──もはや感じることすらなかった。

 

 ただ、戦っていた。

 

 ──そして。

 

 その日、最後のシミュレーション。

 

『環境シナリオ:特別編成ファイル』

 

『敵機:単騎構成、特記戦力参照個体』

 

『戦闘条件:勝利。被撃破許容回数:1』

 

『戦闘──開始』

 

 視界の先、現れたのは──1機のAC。

 

 赤黒い装甲。全体的に無駄のない構成。奇を衒わず、徹底して「実戦的」なフォルム。

 

 その機体は、奇妙な既視感を伴って、621の目に映った。

 

 ──まるで、彼女自身を模倣したような構造。

 

 実際、その機体は彼女の初動に呼応するかのように回避し、反撃してきた。

 

 接近すれば、彼女の格闘間合いを読み切って反転。離れれば、ミサイルの起動前にEMPで妨害する。

 

 動きのすべてが、621の「得意とする間合い」を知り尽くしていた。

 

 まるで、彼女の脳を──その経験を、トレースしたかのように。

 

「──……っ」

 

 わずかに、冷汗が背筋を走った。

 

攻撃を仕掛ける。だが相手はそれを読んでいた。

 

 回避、回避、反撃、回避──全てが完璧。かつて彼女が行ってきた軌道。それを「逆手」に取る者が、今、彼女の前にいる。

 

『損傷率:71%』

 

『敵機損傷率:54%』

 

 警告音が鳴る。621はまだ戦える。手段も、機動も、十分に残っていた。

 

 だが。

 

 ほんの一手──遅れた。

 

 模擬敵機が、621の接近と反撃を“完全に予測”したかのようにカウンターを叩き込む。

 

 回避が──間に合わなかった。

 

『被撃破判定──確認』

 

『戦闘終了。C4-621、敗北』

 

 初めての敗北。

 

 621の反応速度に致命的な劣化はなかった。

 

 ──なのに、負けた。

 

 機体が崩れ落ちる視界の中、621の意識に、静かに、深く、寒いものが広がっていった。

 

 敗北の痛みではない。

 

 『強さ』のみが価値である自分が、生きたまま貪り食われるような──不気味な実感だった。

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