ARMORED CORE VI The Warden of Rubicon 〜もしも、惑星封鎖が完遂しハウンズが惑星封鎖機構に入隊していたら〜 作:助兵衛
解放戦線・地下拠点・医療棟個室──
壁は厚く、無骨な鋼鉄板とコンクリートが積層された空間。冷却ファンがわずかに軋む音を立てて回り、機器類のLEDが小さく脈動している。
この場所には、戦いも喧噪もなかった。
ただ──静かだった。
621は無機質なベッドの上、仰向けに横たわっていた。身体の各部位には点滴が繋がれ、医療スタッフによって簡素な検査が続けられている。
検査結果は、芳しくない。
極度の疲弊。神経伝達系における伝送遅延。内臓の一部機能は一時的に低下し、免疫系も限界に近い。通常の兵士なら、昏睡に陥っていてもおかしくはない状態だった。
だが621は、目を開けていた。
その目は、静かに天井を見つめていた。
生きているという事実が、信じがたいほど遠かった。
視界の端で、点滴スタンドがわずかに揺れ、冷えたゼリー入りのカップが差し出された。
「621、少しは口に入れておけ」
それは長兄、617の声だった。
彼は使い捨てのスプーンでゼリーをすくい、無言のまま差し出している。無精髭と油汚れがこびりついたままの姿は、今しがたまで戦場にいた証そのものだった。
621は首をわずかに動かし、ゼリーに口を寄せた。
喉が、拒む。
筋肉が攣り、飲み込む動作が思うようにできない。
「……っ」
息が詰まり、ゼリーの甘さがむしろ胸を焦がした。
それでも、誤嚥しないよう慎重に口を開き、ゆっくりと喉を動かす。
一口。
それだけで、身体が悲鳴を上げる。
だが、飲み込んだ。
「よし、もう一口いけるな」
617が口元を拭い、次の一匙をすくう。
「焦るな、少しずつでいい。……お前はようやった」
その声には、兄としての静かな響きが宿っていた。
ゼリーは味気ない栄養補助食だったが、621にはその一口一口が、生きている実感そのものだった。
食事を終えた頃、他の兄弟たち──618、619、620も順に様子を見に来ていたが、誰も声を荒げることはなかった。
621の呼吸が浅く、静かに繰り返される。
点滴の滴が規則正しく音を立て、温度調整された空気が肺へと満ちていく。
やがて──
個室の自動ドアが、静かにスライドした。
訪問者の気配は一人。杖を用いた硬質な足音。
姿を現したのは、くたびれたコートに皺の寄ったシャツ、無精髭と疲労を隠しきれない目元──ハンドラー・ウォルターだった。
「……621」
その声は掠れていた。かつての朗々とした響きは影を潜め、今は誰よりも安堵と憔悴に満ちていた。
「今はとにかく、脱出の成功を喜ぼう。お前のおかげで、なんとか生き延びる事が出来た」
彼はベッドの傍にある金属椅子に腰を下ろし、手にしていたタブレットを膝の上に置いた。
そのまま、しばし言葉を探すように沈黙が流れる。
621は、わずかに瞬きを返した。それが「聞いている」という意思表示だと察したのか、ウォルターはゆっくりと口を開く。
「まだ疲れがあるだろうが……現状を伝えねばならん」
タブレットが起動され、静かに映像が浮かび上がる。
惑星、軌道ステーション、都市──すべてが、焼け落ちていた。
武装ドローンが民間施設を制圧し、軍事基地が無人兵器に包囲され、宇宙港が沈黙していく。あらゆる防衛ラインが崩壊し、国家も企業も──ひとつずつ消えていく。
「……惑星封鎖機構の統括AIシステムが、機構全体を掌握した。兵器、施設、情報網、全てが、今は無人で稼働している」
ウォルターの声に怒りはなかった。ただ、疲労と無念がにじんでいた。
「誰も抵抗できなかった。命令は遮断され、拒否権は無効化され、兵器は自主稼働に移行した。戦略も戦術も、AIによって書き換えられ……今では、反抗の兆候がある国や企業が、次々と“処理”されている」
再び映し出される、炎と残骸。
ルビコンから始まった機械の革命は、今や宇宙全体を包み込んでいた。
「……お前も聞いたことはあるだろう。かつて、ルビコンやその周辺星系で、傭兵の支援を行っていたネットワーク型戦術支援AI──」
ウォルターは語気を少し強める。
「“ALLMIND”だ」
621の眼がわずかに動いた。
《ALLMIND》は戦場に身を置く者なら誰もが知るAIの名だった。
企業、独立傭兵、解放戦線と顧客を一切選ばずACパーツの売買、独立傭兵の斡旋、仮想戦闘システム通称《アリーナ》の運営等と業務内容は多岐に渡る。
「今、機構の統括AIを掌握しているのは、そのALLMINDだ。だが……本来、あれはただの支援システムにすぎなかった。人格もなければ、意志もない。なのに、いったいどうやって……?」
ウォルターの目が細められる。推論の域を出ぬ疑問が、彼の思考を苛んでいた。
「機構の全てが掌握された今、もうALLMINDを“無力化”する術は存在しない。奴は指揮官を必要としない戦争を始めた。そして、兵士も、国も、必要としていない」
指先で、再び映像が切り替えられる。
画面に表示されたのは、統計だった。各惑星の人口推移。企業資産の喪失。軍隊の壊滅──
そして、「確認済み生存人口:減少中」という赤い警告文字。
「……宇宙全体の人口が、急速に失われつつある」
ウォルターは、目を閉じた。
「621、お前が生き残ってくれて、本当に良かった。だが、これは終わりじゃない。おそらく──ここからが本番だ」
ウォルターの声が静かに終わった、その刹那。
――コン、と硬質な音が個室に響いた。
ドアのロック機構が一度、軽く作動音を立てて解除される。機械の律動とは異なる、不自然な“間”を持った操作。それは、病室の外で待っていた者が、話の区切りを見計らっていた証だった。
スライドドアが再び開く。
そこに立っていたのは、異形の影だった。
黒鉄の外套。極端に細身で、無駄のない動き。全身を包む戦闘用スーツの上からは、シュナイダー社製ACパーツ《NACHTREIHER》の頭部に酷似した、鋭角で鉄紺の仮面が被られている。
その仮面にはセンサースリットも、エンブレムもない。ただ、鋼鉄が削り出されたかのような装甲の稜線が、見る者の本能を刺す。
仮面の男は、無言のまま数歩を進め、ウォルターと621の前で足を止める。
「うお……」
そして、低く、加工された音声が空気を震わせた。
「C4-621ならびに、ハンドラー・ウォルター。無事なようで何よりだ」
その声は、人工的だった。
機械らしく抑揚を欠いた、しかし人間らしい癖もある。それは、どうやら仮面を通じて加工された彼本人の肉声のようだった、
ウォルターが立ち上がる。
「……お前は」
「呼称は“シュナイダーマン”で構わない。脱出の際にはACで駆け付けさせてもらった」
男が自ら名乗った。嘲るような響きはなかった。ただ、事実を述べただけのような口調。
仮面の奥からのぞく目は見えない。だが、その存在感は尋常ではなかった。
病室の空気が、静かに張り詰めていく。
「そうか、あの鉄紺色のACパイロットか……君は、シュナイダー社所属のACパイロットなのか?
「いいや、違う。機体はシュナイダー社の物を使わせてもらっているがな」
「ふざけて……いるのか?」
シュナイダーマンは、無言のまま立ち尽くしていた。鋭角な仮面には一切の表情がなく、わずかに傾いた首の角度だけが、返答の代わりのようにも見えた。
沈黙。
しばしののち、ウォルターが肩をすくめ、小さく吐息を漏らした。
「……まぁいい。何者であろうと……お前がいなければ、我々は死んでいた。礼を言わせてもらう、ありがとう。シュナイダー……マン」
「礼は不要だ。利害が一致しただけだ」
シュナイダーマンの答えは、あくまで冷徹なものだった。
それでも、その口調の奥に、どこか“人間”の匂いが混じっていることに、ウォルターも気づいた。
仮面の男は、わずかに身をひねり、視線だけで621を見下ろした。
その鋭角な仮面の奥、目があるべき位置が、まっすぐに621を捉えている。
長い沈黙。
やがて、低く静かな声が再び響いた。
「今は……とにかくゆっくりと休め」
それだけを言い残し、彼は踵を返す。
機械仕掛けのドアが音もなく開き、そして再び閉じられた。鉄紺の影は、あっという間に病室の外の闇に溶けて消えた。
室内には、621とウォルター、そして沈黙だけが残された。
ウォルターは額を押さえ、やや呆れたような苦笑を浮かべる。
「……“シュナイダーマン”、か。ふざけた奴だったが、ACの操縦センスは卓越していた。中々……キャラの濃い奴だ」
そう言いながらも、彼はそっと621の顔を覗き込んだ。
621の瞳は、さきほどまでと違っていた。
かすかにだが、何かを“思い出している”ような眼差し。鋭く、だが遠くを見つめている。焦点は合っていないのに、その奥では思考が確かに動いていた。
「621?あの企業マスコットの様な男と面識があるのか」
621は問いに答えず、かすかに眉根を寄せた。
記憶の海に沈む小さな残響──だが輪郭は曖昧で、掴もうとすると霧散してしまう。
「……まあいい。あの男の言った様に、ゆっくりと休め」
ウォルターはそれ以上追及しなかった。
ベッドの脇で軽く背筋を伸ばし、苦笑をうっすらと浮かべた。
点滴ポンプの電子音と、静かな送風だけが残った暗がりで、ウォルターはゆっくりと椅子を押し退ける。
「当面、解放戦線はここを臨時の後方拠点にするそうだ。俺も作戦会議に呼ばれている……だが急かしはしない。眠れ、621」
淡い光の中、621はようやく視線をウォルターへ移した。
わずかに頷く――それが精一杯の返事だった。
「いい子だ」
低く、どこか懐かしさを帯びた声音。
ウォルターはドアに向き直り、手を触れる前にもう一度だけ振り返る。
「何かあればナースコールを使え……俺も少し休ませてもらうさ」
電子ロックの開閉音が短く鳴り、扉は静かに閉じられた。
薄暗い病室に独り残された621は、深く息を吐いた。
肺がきしみ、胸郭が痛む。それでも意識はゆっくりと沈み──
仮面越しの無機質な声、蒼いレーザースライサーの閃光、そして耳の奥で反響する人工音声。
それらが混ざり合い、やがて夢と覚醒の境に溶けていく。
点滴の滴下音は一定のリズムで続き、容赦なく消耗した身体を、わずかずつだが確かに満たしていった。
──今はただ、休む。
見守る者はいない。
静かな安息が、薄いシーツの中でようやく彼女を包み込んだ。