ARMORED CORE VI The Warden of Rubicon 〜もしも、惑星封鎖が完遂しハウンズが惑星封鎖機構に入隊していたら〜   作:助兵衛

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第89話 仮面

 解放戦線・地下拠点・医療棟個室──

 

 壁は厚く、無骨な鋼鉄板とコンクリートが積層された空間。冷却ファンがわずかに軋む音を立てて回り、機器類のLEDが小さく脈動している。

 

 この場所には、戦いも喧噪もなかった。

 

 ただ──静かだった。

 

 621は無機質なベッドの上、仰向けに横たわっていた。身体の各部位には点滴が繋がれ、医療スタッフによって簡素な検査が続けられている。

 

 検査結果は、芳しくない。

 

 極度の疲弊。神経伝達系における伝送遅延。内臓の一部機能は一時的に低下し、免疫系も限界に近い。通常の兵士なら、昏睡に陥っていてもおかしくはない状態だった。

 

 だが621は、目を開けていた。

 

 その目は、静かに天井を見つめていた。

 

 生きているという事実が、信じがたいほど遠かった。

 

 視界の端で、点滴スタンドがわずかに揺れ、冷えたゼリー入りのカップが差し出された。

 

「621、少しは口に入れておけ」

 

 それは長兄、617の声だった。

 

 彼は使い捨てのスプーンでゼリーをすくい、無言のまま差し出している。無精髭と油汚れがこびりついたままの姿は、今しがたまで戦場にいた証そのものだった。

 

 621は首をわずかに動かし、ゼリーに口を寄せた。

 

 喉が、拒む。

 

 筋肉が攣り、飲み込む動作が思うようにできない。

 

「……っ」

 

 息が詰まり、ゼリーの甘さがむしろ胸を焦がした。

 

 それでも、誤嚥しないよう慎重に口を開き、ゆっくりと喉を動かす。

 

 一口。

 

 それだけで、身体が悲鳴を上げる。

 

 だが、飲み込んだ。

 

「よし、もう一口いけるな」

 

617が口元を拭い、次の一匙をすくう。

 

「焦るな、少しずつでいい。……お前はようやった」

 

 その声には、兄としての静かな響きが宿っていた。

 

 ゼリーは味気ない栄養補助食だったが、621にはその一口一口が、生きている実感そのものだった。

 

 食事を終えた頃、他の兄弟たち──618、619、620も順に様子を見に来ていたが、誰も声を荒げることはなかった。

 

 621の呼吸が浅く、静かに繰り返される。

 

 点滴の滴が規則正しく音を立て、温度調整された空気が肺へと満ちていく。

 

 やがて──

 

 個室の自動ドアが、静かにスライドした。

 

 訪問者の気配は一人。杖を用いた硬質な足音。

 

 姿を現したのは、くたびれたコートに皺の寄ったシャツ、無精髭と疲労を隠しきれない目元──ハンドラー・ウォルターだった。

 

「……621」

 

 その声は掠れていた。かつての朗々とした響きは影を潜め、今は誰よりも安堵と憔悴に満ちていた。

 

「今はとにかく、脱出の成功を喜ぼう。お前のおかげで、なんとか生き延びる事が出来た」

 

 彼はベッドの傍にある金属椅子に腰を下ろし、手にしていたタブレットを膝の上に置いた。

 

 そのまま、しばし言葉を探すように沈黙が流れる。

 

 621は、わずかに瞬きを返した。それが「聞いている」という意思表示だと察したのか、ウォルターはゆっくりと口を開く。

 

「まだ疲れがあるだろうが……現状を伝えねばならん」

 

 タブレットが起動され、静かに映像が浮かび上がる。

 

 惑星、軌道ステーション、都市──すべてが、焼け落ちていた。

 

 武装ドローンが民間施設を制圧し、軍事基地が無人兵器に包囲され、宇宙港が沈黙していく。あらゆる防衛ラインが崩壊し、国家も企業も──ひとつずつ消えていく。

 

「……惑星封鎖機構の統括AIシステムが、機構全体を掌握した。兵器、施設、情報網、全てが、今は無人で稼働している」

 

ウォルターの声に怒りはなかった。ただ、疲労と無念がにじんでいた。

 

「誰も抵抗できなかった。命令は遮断され、拒否権は無効化され、兵器は自主稼働に移行した。戦略も戦術も、AIによって書き換えられ……今では、反抗の兆候がある国や企業が、次々と“処理”されている」

 

 再び映し出される、炎と残骸。

 

 ルビコンから始まった機械の革命は、今や宇宙全体を包み込んでいた。

 

「……お前も聞いたことはあるだろう。かつて、ルビコンやその周辺星系で、傭兵の支援を行っていたネットワーク型戦術支援AI──」

 

 ウォルターは語気を少し強める。

 

「“ALLMIND”だ」

 

 621の眼がわずかに動いた。

 

 《ALLMIND》は戦場に身を置く者なら誰もが知るAIの名だった。

 企業、独立傭兵、解放戦線と顧客を一切選ばずACパーツの売買、独立傭兵の斡旋、仮想戦闘システム通称《アリーナ》の運営等と業務内容は多岐に渡る。

 

「今、機構の統括AIを掌握しているのは、そのALLMINDだ。だが……本来、あれはただの支援システムにすぎなかった。人格もなければ、意志もない。なのに、いったいどうやって……?」

 

 ウォルターの目が細められる。推論の域を出ぬ疑問が、彼の思考を苛んでいた。  

 

「機構の全てが掌握された今、もうALLMINDを“無力化”する術は存在しない。奴は指揮官を必要としない戦争を始めた。そして、兵士も、国も、必要としていない」

 

 指先で、再び映像が切り替えられる。

 

 画面に表示されたのは、統計だった。各惑星の人口推移。企業資産の喪失。軍隊の壊滅──

 

 そして、「確認済み生存人口:減少中」という赤い警告文字。

 

「……宇宙全体の人口が、急速に失われつつある」

 

 ウォルターは、目を閉じた。

 

「621、お前が生き残ってくれて、本当に良かった。だが、これは終わりじゃない。おそらく──ここからが本番だ」

 

 ウォルターの声が静かに終わった、その刹那。

 

 ――コン、と硬質な音が個室に響いた。

 

 ドアのロック機構が一度、軽く作動音を立てて解除される。機械の律動とは異なる、不自然な“間”を持った操作。それは、病室の外で待っていた者が、話の区切りを見計らっていた証だった。

 

 スライドドアが再び開く。

 

 そこに立っていたのは、異形の影だった。

 

 黒鉄の外套。極端に細身で、無駄のない動き。全身を包む戦闘用スーツの上からは、シュナイダー社製ACパーツ《NACHTREIHER》の頭部に酷似した、鋭角で鉄紺の仮面が被られている。

 

 その仮面にはセンサースリットも、エンブレムもない。ただ、鋼鉄が削り出されたかのような装甲の稜線が、見る者の本能を刺す。

 

 仮面の男は、無言のまま数歩を進め、ウォルターと621の前で足を止める。

 

「うお……」

 

 そして、低く、加工された音声が空気を震わせた。

 

「C4-621ならびに、ハンドラー・ウォルター。無事なようで何よりだ」

 

 その声は、人工的だった。

 

 機械らしく抑揚を欠いた、しかし人間らしい癖もある。それは、どうやら仮面を通じて加工された彼本人の肉声のようだった、

 

 ウォルターが立ち上がる。

 

「……お前は」

 

「呼称は“シュナイダーマン”で構わない。脱出の際にはACで駆け付けさせてもらった」

 

 男が自ら名乗った。嘲るような響きはなかった。ただ、事実を述べただけのような口調。

 

 仮面の奥からのぞく目は見えない。だが、その存在感は尋常ではなかった。

 

 病室の空気が、静かに張り詰めていく。

 

「そうか、あの鉄紺色のACパイロットか……君は、シュナイダー社所属のACパイロットなのか?

 

「いいや、違う。機体はシュナイダー社の物を使わせてもらっているがな」

 

「ふざけて……いるのか?」

 

 シュナイダーマンは、無言のまま立ち尽くしていた。鋭角な仮面には一切の表情がなく、わずかに傾いた首の角度だけが、返答の代わりのようにも見えた。

 

 沈黙。

 

 しばしののち、ウォルターが肩をすくめ、小さく吐息を漏らした。

 

「……まぁいい。何者であろうと……お前がいなければ、我々は死んでいた。礼を言わせてもらう、ありがとう。シュナイダー……マン」

 

 

「礼は不要だ。利害が一致しただけだ」

 

 シュナイダーマンの答えは、あくまで冷徹なものだった。

 

 それでも、その口調の奥に、どこか“人間”の匂いが混じっていることに、ウォルターも気づいた。

 

 仮面の男は、わずかに身をひねり、視線だけで621を見下ろした。

 

 その鋭角な仮面の奥、目があるべき位置が、まっすぐに621を捉えている。

 

 長い沈黙。

 

 やがて、低く静かな声が再び響いた。

 

「今は……とにかくゆっくりと休め」

 

それだけを言い残し、彼は踵を返す。

 

 機械仕掛けのドアが音もなく開き、そして再び閉じられた。鉄紺の影は、あっという間に病室の外の闇に溶けて消えた。

 

 室内には、621とウォルター、そして沈黙だけが残された。

 

 ウォルターは額を押さえ、やや呆れたような苦笑を浮かべる。

 

「……“シュナイダーマン”、か。ふざけた奴だったが、ACの操縦センスは卓越していた。中々……キャラの濃い奴だ」

 

 そう言いながらも、彼はそっと621の顔を覗き込んだ。

 

 621の瞳は、さきほどまでと違っていた。

 

 かすかにだが、何かを“思い出している”ような眼差し。鋭く、だが遠くを見つめている。焦点は合っていないのに、その奥では思考が確かに動いていた。

 

「621?あの企業マスコットの様な男と面識があるのか」

 

 621は問いに答えず、かすかに眉根を寄せた。

 記憶の海に沈む小さな残響──だが輪郭は曖昧で、掴もうとすると霧散してしまう。

 

「……まあいい。あの男の言った様に、ゆっくりと休め」

 

 ウォルターはそれ以上追及しなかった。

 ベッドの脇で軽く背筋を伸ばし、苦笑をうっすらと浮かべた。

 

 点滴ポンプの電子音と、静かな送風だけが残った暗がりで、ウォルターはゆっくりと椅子を押し退ける。

 

「当面、解放戦線はここを臨時の後方拠点にするそうだ。俺も作戦会議に呼ばれている……だが急かしはしない。眠れ、621」

 

 淡い光の中、621はようやく視線をウォルターへ移した。

 わずかに頷く――それが精一杯の返事だった。

 

「いい子だ」

 

 低く、どこか懐かしさを帯びた声音。

 ウォルターはドアに向き直り、手を触れる前にもう一度だけ振り返る。

 

「何かあればナースコールを使え……俺も少し休ませてもらうさ」

 

 電子ロックの開閉音が短く鳴り、扉は静かに閉じられた。

 

 薄暗い病室に独り残された621は、深く息を吐いた。

 肺がきしみ、胸郭が痛む。それでも意識はゆっくりと沈み──

 

 仮面越しの無機質な声、蒼いレーザースライサーの閃光、そして耳の奥で反響する人工音声。

 

 それらが混ざり合い、やがて夢と覚醒の境に溶けていく。

 

 点滴の滴下音は一定のリズムで続き、容赦なく消耗した身体を、わずかずつだが確かに満たしていった。

 

 ──今はただ、休む。

 

 見守る者はいない。

 静かな安息が、薄いシーツの中でようやく彼女を包み込んだ。

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