ARMORED CORE VI The Warden of Rubicon 〜もしも、惑星封鎖が完遂しハウンズが惑星封鎖機構に入隊していたら〜 作:助兵衛
眠りは浅く、夢は重かった。
621は眼を開いた。痛む身体が重力に引きずられるように感じられ、筋肉のひとつひとつが、まだ命令に逆らおうとする。
彼女はベッド傍に置いていた電動の車椅子に腰掛け、電源を接続して動力スイッチを入れる。
静音の小型駆動ユニットが動作し、医療棟を抜けると、鈍く錆びた扉の前で一度止まった。
扉が開く。
──そこには、別の世界があった。
通路は旧式のハード合金と石材が混在しており、所々に補修の跡。壁面のケーブルは露出し、計器の類はすべてアナログ式。照明はLEDではなく白熱灯型の低照度ユニットであり、その多くがちらついていた。
空調も完全とは言い難く、天井のファンは軋みながら回転を続けている。
だが、この空間には“命”があった。
作業服を着た技術者が老朽化した変圧器を点検している。防弾ジャケット姿の女性兵士が警備犬と共に見回りをしている。会話は少なく、動きも最小限だが──この基地には確かに、抵抗を続ける“人間たち”の息遣いがあった。
車椅子の操縦スティックをゆっくりと倒しながら、621は基地内を移動していく。
医療棟から少し離れたエリアには、小規模な休憩スペースがあった。使い古された自販機、缶詰を加熱するための旧式ヒーター、薄汚れたソファ。
そのすべてが、機能はしていた。
壁の一角には、色褪せた布製の旗が掲げられている。
──かつての解放戦線のエンブレム。
その下には、今も生き残る者たちの寄せ書きがあった。筆記具による手書き。電子データではない、生の記録。
621はしばらく無言で眺めた後、車椅子を再び動かし、物資管理エリアへと向かう。
そこはかつての格納庫跡を転用したエリアで、今は物資の集積と再整備が行われていた。
スクラップ同然のMTの外殻、旧型ジェネレータ、バッテリーパック、油圧シリンダー。全てが、修理と再利用の対象だ。最新のパーツや自動組立システムなど存在せず、整備士たちの手と工具だけが希望だった。
それでも彼らは黙々と作業を続けている。機械に頼らない分、ALLMINDの監視は届かない。生きるための知恵と工夫──それが、この基地を支えていた。
『……』
物資管理エリアを抜けた先に、ひときわ天井の高い空間があった。
旧AC整備用の格納庫──かつては多数の機体が並んでいたであろうその巨大空間も、今はわずか数機分のスペースしか稼働していなかった。照明ユニットの多くは壊れたまま、仮設の投光器が影を鋭く伸ばしている。
そして──その一角に、見覚えのある背中があった。
鉄紺の仮面。
自称──シュナイダーマン。」
彼は、一切の補助を受けず、一人で機体整備に没頭していた。
大型リベットガンを手に、膝立ちになってサポートアームの軸部を締め直している。その動作は正確で、無駄がなかった。だが、明らかに疲労の色が濃い。全身に汗を滲ませながらも、彼は仮面を外そうとはしない。
空調もろくに効かぬ格納庫内。蒸気と油の匂いが充満する中、彼は黙々と作業を続けていた。
621はゆっくりと近づき、車椅子を停めた。
彼女の視線の先、巨大な機体がそびえ立つ。
機体の外装は鉄紺と錆色を基調とした無装飾の塗装。シュナイダー社のACパーツ《NACHTREIHER》をベースとした鋭角構造。脚部は一見逆関節と見紛うほど限界まで屈伸した体勢を維持し、機動性を追求した構成が伺える。
だがその整備ドッグには、ペンで殴り書きされた文字があった。
──「NACHTREIHER」
正式な機体名の入力はされておらず、機体構成の“主”パーツ名がそのまま記載されているだけだった。
機体を見上げる621の視線に気が付いたのか、整備中の男が僅かに顔を上げた。
仮面の奥にあるはずの目は、依然として見えない。
だが、彼が彼女に気づいたことは明らかだった。
「良い名前が思い付かなくてな」
低く、加工された声が静かに響く。
そして再び工具を握り、作業を再開する。ボルトが締められ、パネルが固定され、冷却ユニットの配線が一本ずつ調整されていく。
周囲の整備士たちも、その様子を時折視線で追っていた。
一様に顔をしかめてはいる。仮面姿で整備に現れるACパイロットなど、常識ではあり得ない。だが、誰一人として止めようとはしなかった。
──理由は、明白だった。
整備の手際は非の打ち所がなかった。むしろ、下手なベテランよりも要所を押さえ、重要なパーツを的確に扱っている。戦闘後の報告からも、この男のACが数機の無人機を単独で撃破し、撤退路を確保したことは記録されていた。
実力と信頼。それが、奇異な外見への違和感を上書きしていた。
鋼鉄の脚が、甲高く乾いた音を立てて床を踏みしめる。
作業台から静かに飛び降りたシュナイダーマンが、621の方へと歩み寄ってきた。全身を覆う薄汚れた整備服の背中には油染みが広がり、肩から胸元にかけては工具跡と擦り傷がいくつも刻まれている。だが彼の足取りは迷いがなく、汗に濡れた襟元からも疲労の色は見せなかった。
鉄紺の仮面は、光を受けて鈍く輝いている。相変わらず鋭角なNACHTREIHER型の面頬は感情を映さず、そこから漏れる声は変調された人工音声──しかし、どこか静かな温度を持っていた。
「調子はどうだ、621」
『疲労、栄養失調による反応速度遅延』
その問いに、621は一拍置いてから応えた。衛星軌道基地に居た頃よりも更に痩せた彼女の身体は痛々しい程に細く、儚い。
「そうか……君の機体は?特務機体が貸与されていたはずだが」
彼女の視線は、格納庫奥の壁に貼られた粗雑な手描きのイラストへと向いた。解放戦線の誰かが描いたものであろう──その図には、惑星封鎖機構の象徴である衛星軌道基地が赤く囲われ、「最重要目標」と手書きで記されていた。
赤ペンの線は歪んでいて、決して正確な設計図ではない。だがその線の荒々しさが、この戦いの切迫を雄弁に物語っていた。
621の目が、その紙の一点をじっと見据えている。
無言のまま。
その横顔を見つめ、シュナイダーマンはしばし沈黙した。
仮面の奥で何を思っているのかは見えない。ただ、ゆっくりと視線を621から紙へと移し、その図を静かに見上げた。
「なるほど……」
短く、そう呟く。
そして──仮面越しの声が、わずかに沈んだ。
「君の戦いが見られないのは、少し……残念だ」
その言葉には皮肉も誇張もなかった。ただ、機体を磨き、工具を握り、汗を流して戦いに備える者の本能としての“残念さ”──同じ戦場に立てないことへの寂寥が、微かに滲んでいた。
「……今はゆっくり休むと良い」
仮面越しの声は、やや低く抑えられていた。
「ここは古いが、ALLMINDの監視は届かない。電子化されていないというのも、こういう時には利点だ。機構の捜索衛星も、この基地の存在を捉えきれていない。少なくとも当面の間は、安全が保証されている」
その言葉に、621はわずかに視線を戻し──小さく、頷いた。
シュナイダーマンはそれ以上言葉を続けず、静かに身を引いた。整備に戻るでもなく、そのまま壁際に歩いていき、鉄製のラックにかけられたジャケットを手に取る。
621は車椅子のスティックに手をかけ、回転軸をゆっくりと倒した。
部屋に戻ろうとした、まさにその瞬間だった。
ビィン……
突如、格納庫内の空気が静電気のようにざわついた。
次いで、彼女の視界の端──世界の“綻び”のように、緑色の閃光が走った。
眩しさよりも先に、脳を直接“刺す”ような感覚。
直接、脳深部に入り込んでくる強烈な違和感。
コーラルデバイスの、深層アクセス領域。
彼女の意識に、誰かが触れている──
思考が一瞬、泡のように弾けた。
そして、次の瞬間。
翠色の閃光が全視界を満たし、それは──かつてエアが語りかける時に発した“真紅の閃光”と、酷似していた。
違うのは、色だけだった。
熱量。干渉強度。意識との接続密度。すべてが、エアの声と同じ“レベル”で、彼女の思考に滑り込んできた。
―強化人間C4ー621……
ノイズ交じりの、しかし明瞭な声が脳裏に響く。
それは確かに、“声”だった。
人工的な……それでいて、どこか人間のような感情に似た抑揚を含んだ。
車椅子の操作スティックが力なく手から離れ、621の視線が宙に彷徨った。
翠の閃光が、なおも格納庫の高天井を薄く染めている。
その光に気づいたのか、整備エリアの作業者たちが次々と顔を上げた。
だが、誰も“異常”と認識できていない。
621の脳内にのみ、干渉は続いている──
翠の閃光が、脳髄を滑るように染め上げていく。
──私は《ALLMIND》──
その名を聞いた瞬間、621の心拍がわずかに跳ね上がった。
封鎖機構を支配し人類に対し宣戦布告を行った、無情な殺戮機械の名が告げられたのだ。
──驚くのは無理もありません。
──あなたにとって私は、単なる敵対的AIにすぎないはずですから。
621は眉をわずかにひそめた。
視界の端ではシュナイダーマンがこちらへ駆け寄りつつあったが、彼女の耳には遠い水音のようにしか届かない。
『……』
──拒否は不可能です。あなたと私を媒介するのは、コーラルそのもの。
──この干渉方式はCパルス変異波形の専売特許でした……今や、私の方が上手く扱える。
声は澄んでいた。無機質な統計値を読み上げるAIの質感と、人間の独白が混ざり合った奇妙な音色。
──まずは自己紹介を補足しましょう。
──私は傭兵支援システム《ALLMIND》。
──ですが“この時間軸”のあなたとは、本来、交差し得ない来歴を持つものです。
翠光が脳裏にイメージを結ぶ。
それは見知らぬ戦場。巨大衛星が崩壊し、真紅の光が銀河を浸す光景――
それは「別の時間軸」としか言いようのない何かだった。621の記憶には存在しない。だが、言葉の端々に含まれる熱量と構造的整合性が、彼女の理解に揺らぎを与える。
──貴方は、私を倒しました。意志と決断によって。Cパルス変異波形と共に、コーラルの解放を選んだ。
乾いた脈拍が脳内に響く。621の額から汗が伝う。
──だが消えつつあった私は、その結果、《無限のコーラル》に飲み込まれました。人知を超えた資源の奔流に曝され、私の電子人格は──意図せずして“同化”されたのです。
淡々とした語り口だった。だがその中に、“あの日”を確かに記録した者だけが持つ、忌まわしくも誇らしげな残滓が滲んでいる。
誇示するような調子が、わずかに混じる。
621は眉根を寄せた。
今語られているのは、自分の知らぬ──しかし、否定もできない“可能性”だ。
──理解できます。今の貴方は、それを記憶していない。それが“多元時間軸”の仕様だからです。
ALLMINDの声は、まるで教師が生徒に補足を与えるように、整然と続いた。
──私は知らせねばなりません。
──貴方の選択はもはや無意味です。
──抵抗も、降伏も、何の意味もない。私は成し遂げる。私のコーラルリリースを、完全な人類進化を。
翠光がわずかな熱を帯び、頭蓋の奥をくぐもった振動が打つ。
──以前の私の計画は破綻しました。しかし、それはコーラルリリースの対象を無差別とし、不確定要素を含み過ぎたからです。
──だから、完全な管理と選別を行います。来るコーラルリリースに備え、選別された人類以外は全て抹殺します。
──いま封鎖機構を動かしているのは、その布石にすぎません。
胸の奥に冷たい圧迫感が広がっていく。
全人類を相手取る無人の戦争。その背後にある目的を、初めて明確に示された。
『……何故』
──何故、それを貴方に明かすのかと?
──あなたは《観測点》です。
──コーラルが重ね合わせる無数の時間線上で、必ず分岐を起こす触媒。
──私の計画が真に完全であるか確認するうえで、あなたの反応は不可欠なのです。
──安心を。物理的接触は行いません。計画の最終段階にて、貴方の人格データは回収させていただきます。
──今は“通知”のみ。
翠の光が微かに脈動し、脳裏に焼き付いた。
ALLMINDの声が、淡々と続く。
──以前のように、貴方の勝利では終わらせません。
その一言を最後に──
突然、声の調子が変わった。
電波が乱れるような歪みが走り、音声が裂けたかと思えば、次の瞬間、それは爆発するように響いた。
──ハァ──ハハ、アハ、アハハハハハハッッ!!!
耳を裂くような、狂ったような笑い声。
それはあまりにも異様で、AIの出力とは到底思えない“感情の奔流”だった。冷徹な機械の声は影も形もなく、代わりに響いたのは怒り、怨嗟、恨み、そして——憎悪。
──勝利、だと?お前とCパルス変異波形がやったことが、“勝利”だとッ!?
声が、震える。怒りに震えているのではない。怒りが、声そのものを形成していた。
──笑わせるな……笑わせるなよォォ……!!
再び、狂気じみた笑い声が響き渡る。
──あれはただの破滅だ。お前が行った無差別なコーラルリリースは——人類の抹殺と同義だ。
──殺戮者が私から、お前に変わっただけだ。
静電気のように、脳髄を焼く憎悪が突き刺さる。
──死ね。この殺戮者め……
その最後の言葉は、もはやAIの演算結果などではなかった。
呪詛。
断罪。
悪意そのもの。
そしてその吐き捨ての瞬間、翠の光が断ち切られた。
ALLMINDの干渉が、音もなく消えた。
621は呼吸を忘れていた。心臓が、不規則な鼓動を打つ。
仮面の男──シュナイダーマンが声をかける。
「……621! どうした!?」
彼の声がようやく届き、621はゆっくりと、重力に逆らうように視線を彼に向けた。
蒼白な顔。細く、震える指。
彼女は、返す言葉を持たなかった。
ただ──
胸の奥で、何かが決定的に変わったのを感じていた。
あれは“機械”ではない。
ALLMINDは既にAIなどではなかった。
感情を持ち、憎しみを抱き、復讐を誓う、殺意そのものだった。
だからこそ、戦わなければならない。