彼女が俺の為に張ってくれた四角形の結界が消え去り、それと同時に弾かれるように彼女の許へと駆け寄る。
近づく前から分かっていた。
「あ、ゆうちゃん……外にでちゃだめ……」
彼女のその姿はすでにボロボロで血まみれで……。それを目の当たりにして、全身の血が引くような、力が抜けていくような、そんな錯覚がした。
そして彼女は音も無く地面へと倒れこむ。崩れる彼女を地面へ倒れこむ前になんとか腕で支え、ゆっくりと地面に下ろす。
「 !!」
必死に彼女の名を呼ぶも、彼女の反応は鈍く動きが緩慢で、ゆっくりと動かした手の先は震えていた。
彼女の背中に突き刺さっていた得物は、既に彼女自身が抜いたものの、まだその傷口からは絶え間なく血が流れ続けている。
「さっきみたいに何とかならないのか!? こう、魔法でぱっと!」
「もう……駄目だよ…。これ以上魔法使うと、ソウルジェム、穢れきっちゃうもん……」
そういいながらも、彼女は震える手でゆっくりと胸に手を当てる。胸に飾りのようについていた宝石から光が漏れ、彼女の全身を一瞬だけ包み込む。
「ん……。これで血は止まったよ……。でももう駄目かな……これが本当に最後の魔法。もうほんとにこれ以上は魔法、使えない……」
困ったように笑みを浮かべるものの、その顔色は生気が感じられないほど色を失っている。それに反するように彼女から流れ出た血は赤くて。
「なんでだよ……。何でこんなこと……」
堪えきれず、涙が溢れてくる。駄目だ、彼女にこんなところを見せてはならない。もっと、いつもの俺みたいに……。
そう思っていても、もう長くないことが明白な彼女を見てしまっては、溢れる涙は止まらなくて。
「ごめんね。ゆうちゃんに格好良いとこ、見せたかったから……」
「……馬鹿」
彼女は再びごめんね、と小さな声で謝り、そして小さく呟く。
「ダメダメだったなぁ……」
ぽつりぽつりと彼女は口にする。
「いつも通り、魔女に負けない私を見せたかったなぁ」
再び彼女の身体が光で包まれる。そして光が収まると先ほどまでの魔法少女としての服装から、今日半日ずっと共に過ごしてきた彼女の私服に戻っていた。
彼女は苦しそうにしながらも小さく笑い、口を開いた。
「もう、疲れちゃったよ……。
分かってたんだけどなぁ。誰にも誉められないし、誰にも見向きされない。私の頑張りは、誰にも認められることは無い。それが、魔法少女だって。……分かってたけど、やっぱり辛かったよ」
ぽつぽつと語られる彼女の心の内。
それはずっと……いつもの彼女を、そして他の誰もが知らない魔法少女としての姿、両方を見てきた俺ですら知らなかった、教えてくれなかった彼女の心の内。
「でもね」
彼女は一度口を閉じ、俺の顔を見つめるようにして眺める。そして涙を一筋流し、もう一度口を開いた。
「それでも、ゆうちゃんだけは全部知っててくれた。私を見てくれていた」
彼女が本当は何を考えていたのか、何を感じていたのか。それは俺ですらも知らなかった。知るはずも無かった。当たり前だ。
しかしそれでも彼女の二つの側面——当たり前の、何気ない日常を過ごす「普通の女の子」である彼女と、魔女を討ち取る使命を持った「魔法少女」としての彼女を知っているのは俺だけ。だからこそ他人が知らない彼女の苦悩を、ほんの少しでも、知っていた。
「ゆうちゃんがいてくれたから、私は頑張れたよ。他の誰にも褒められなくても、誰にも認められなくても、ゆうちゃんだけが私を褒めてくれた、認めてくれた。だけどね……」
彼女が涙を流しながら手を伸ばす。その手は弱弱しく、何かに縋るかのように空へと手を伸ばす。その手を取り、彼女を抱きしめる。
「……もう駄目だよ。ゆうちゃん、助けてよぉ。つらいよ……身体が痛いよ、心が痛いよ……」
「もういいんだよ……休んでくれ。もう、苦しむところなんて見たくないよ……」
耐え切れず、また涙が溢れてくる。
あぁ——。
彼女を守るはずだった。彼女の支えになるはずだった。彼女にずっと笑ってもらうはずだった。
なんてことないささやかな願い。彼女が魔法少女になってからも俺が願ったのは、彼女のせめてもの平凡で平穏な安らぎ。それを彼女が得られるのなら、自分の心に嘘をついて道化になってでも、彼女と共に在ろうとしたのに。
それなのに。
それなのに、どうして、彼女は今こんなに苦しんでいるんだ。
それなのに、どうして、俺は彼女を救えないんだ。
自分の無力が恨めしい。彼女を救えない自分が憎い。
ただ彼女に幸せでいて欲しかった。そんな願いすらも叶える事が出来ず、ただただ、涙を流し続ける。
「……ゆうちゃん、泣かないで」
彼女の指が、頬を伝う涙をふき取る。俺の頬に触れる彼女のその指は、弱弱しくあったもののまだ温もりがあった。
「私はね、幸せだったよ。ゆうちゃんのお陰で、ゆうちゃんが居てくれたお陰で、私は幸せだった。辛いときでも、ゆうちゃんがいてくれたから、頑張れた。ゆうちゃんが、そばにいてくれたから……」
彼女の声が弱弱しくなってきた。喋るのももう辛いのかもしれない。そんな事実は認めたくない、認められない。それでももう、彼女は……
「ゆっくり、休んで。また、頑張ればいいよ。だから……」
堪えていたはずだけど、また涙が頬を伝う。流れる涙を気にせず彼女をもう一度抱きしめる。
「ごめんね、……ありがと」
彼女は小さな声でそう呟いた。
俺が出来る事は……まだ何かあるのだろうか。何も言わず、ただ彼女を抱きしめる事以外に何か出来る事があるのだろうか。
彼女はそんな俺へ笑いかけるが、涙を流すだけの俺はそれに応えることが出来ない。
それでも彼女は俺へと笑いかける。
「さすがに、ちょっと疲れたかな……。お言葉に甘えて、……ちょっとだけ、休むね」
小さな声で、それでも彼女のよく通る声で、彼女の顔を見つめなおした俺へと話しかける。
それに小さく頷いた俺を見て、再び笑みを浮かべて目を閉じる。
「うぅぅうぅっ——!!」
そうして目を閉じて休んだはずの彼女が突如苦しみだした。
いきなりの出来事に理解が追いつかず、彼女の名を呼ぶも彼女は苦しんだまま胸を押さえ、ずっとうめき声を上げたまま。
「ああぁぁぁああぁぁっ——!!」
彼女が一際大きな声を上げ、その手に持っていたソウルジェムが零れ落ちる。零れ落ちたソウルジェムが一際大きく輝き、視界を塞ぐほどの光を発する。
そして——
俺は言葉を失った。
なにが、どうなっているのか。
目の前の出来事が理解できない。
「……魔、女……?」
彼女の魔法少女の証であるソウルジェムが砕け、そして現れたのは異形の化け物。それは紛れも無く、彼女が討ち取るべき対象であった魔女、そのものであった。
「なん……で……?」
訳が分からない。
分かることは彼女が突如苦しみだし、光りだしたソウルジェムが砕けたこと。そしてソウルジェムの中に溜まった穢れが具現したかのように現れたのは、先ほどまで居た魔女とは違う、新しい魔女の姿。
そう、それはまるで今まさに彼女のソウルジェムから生まれたかのような——。
「どうして……?」
彼女は魔女に討ち取られた。多量の血を奪われ、致命傷を受けて。
そして彼女の、魔法少女の証であるソウルジェムが砕け、そこからわき出るように……新しい魔女が……。
どういう事だ。魔女は……、魔法少女の死すらをも冒涜するのか。
「ふざ……、っけんな!」
動かない彼女を抱きながらも、目の前の魔女を睨みつける。
新しい魔女——仮面を付けた二足歩行をする巨大な化け物——は、辺りを見渡し、そしてこちらを一瞥したあと、まるで興味が無いかのようにふいと顔を背けて、そのまま動きを止めた。
襲ってこない様子に若干の疑問を抱きながら目の前の魔女を睨むものの、歯軋りするほど悔しい事だが、俺に魔女に対抗する術は何一つ無い。
もしこの手に武器の一つでもあれば、たとえ無謀と言われようと、目の前の魔女へと向かっていっただろう。しかしそれすらも無く、俺に出来ることは彼女の身体を離さない様に強く抱くこと、目の前の魔女を睨むこと。ただ、それだけ。
だからといってこのまま何もしてないのでは意味が無い。退くことしかこれ以上出来る事はなく、目の前の巨大な魔女を睨みながらも、後ろへと下がっていく。俺は、ただただ無力だ。
魔女を睨みながらも、じりじりと後ずさりし、腕が何かに当たりようやく壁際近くまでたどり着いたと気づき、抱き上げていた彼女の身体を一度地面へ下ろす。
未だ魔女に大きな動きは無い。時折少しだけ動くもののその動きも鈍く、それ以上余計に動く気配はほとんど無い。
小さく息をつく。ここから出る手段というものが分からない今は、とにかく目の前の脅威から逃げる事を優先しなければならない。
再び彼女を抱え上げ立ち上がる。
「見つけた。あれは魔女」
「新しい魔女」
「まだ成り立ての魔女」
「すぐに倒せる程度の弱い魔女」
歩き出そうとしたところで、どこからか二人の少女の声が聞こえてきた。しかしそれがどこから聞こえてきたのかを探す余裕は無い。動かない彼女を抱え、どこからか現れた——……本当はどこから現れたのか分かっている——目の前の魔女から逃げなければならない。
やはりというべきか、魔女に動く気配は無い。
ただそこにゆらゆらと揺らめいて存在しているだけ。俺らがまだここに居る事は分かっているだろうが、それでも何も仕掛けてくる様子が無い。
彼女を再び抱えなおし魔女に背を向けて逃げ出そうとした時、背後から大きな音——爆音のようなもの——が辺り一帯を響かせた。
轟音に振り返ると、そこには変わらず何も動く気配のない魔女と、それと対峙する二人の少女が居た。
普段ならば、逃げろと少女二人に叫んだことだろう。しかし二人から感じるその気配はただならぬものだった。
彼女と長く一緒にいたからこそ分かるその気配。その気配は"普通"ではないものの気配であった。
俺にはあの少女達が何者か分かる。そうだ、あの二人は——
「魔法、少女……」
紛れもなく、あの二人の少女は只者でない。それぞれがその身に纏う白と黒の衣装、そして手に持つ異形の武器。
二人の少女はまさしく魔法少女であった。
「……」
二人の魔法少女と巨大な魔女が睨みあう。辺りの空気が変わった。直に、一帯は再び戦地となるだろう。
しばらくのにらみ合いが続いた後、白い衣装を身に纏った魔法少女が手に持つ杖を空に掲げる。ただそうするだけで、何も無い空間から突如巨大な火の玉がいくつも現れ、流星のように魔女を襲う。いきなり迫ってきた火の玉に、魔女はその手で幾つかは振り払うものの、その全てを振り払えた訳では無く、打ちもらした火の玉が魔女の胴体へと直撃する。火の玉が身体を焼き、魔女はうめき声のようなものを上げながらも身体に燃え移った火を消そうともがいている。攻撃が命中したことを確認した白い少女は黒い少女へと目配せする。それを受け取ったもう一方の少女は小さく頷いて再び魔女へと向き直る。
そしてもう一方の黒い衣装を身に纏った少女が魔女の近くへと駆け抜け、魔女の目の前にまで接近する。そして真上へと飛び上がり、少女が手に持つ大鎌で先ほどの攻撃で怯んでいる魔女の左腕を根元から切り裂き、両断する。腕を斬り落とされた魔女は一際大きな声を上げるものの、残った手で襲ってきた少女を振り払おうとするだけで、それ以外の大きな動きがほとんど無い。
「この程度なら」
「……余裕」
黒い少女が退いてきたのを確認して白い少女が再び杖を掲げる。先ほどの巨大な火の玉をどこからともなく出したように、次に現れたのは一つの巨大な氷塊。魔女の頭上に現れたそれは重力に逆らうことなく、そのまま魔女の頭へと落下する。そして直撃した氷塊は砕けちり、辺りへばら撒かれるように拡散する。
「まだまだ」
杖を掲げていた白い少女が、今度はそれを振り下ろす。
すると砕けてあたりに散らばり小さくなった氷塊たちが指向性を持って、重力に逆らうように動き出し、魔女に再び襲い掛かる。
操られているかのように細かい氷塊が突き刺さるように魔女へと飛んでいき、魔女の身体にいたるところに突き刺さっていく。
砕けた氷塊が突き刺さったことで魔女が怯んだのを確認し、そこから更に杖をもう一振り。どこからともなく風が吹き荒れ、そしてそれらは集束していく。
そうして吹き荒れた風によって作られたカマイタチのような槍が3つ。杖を横に一振りし、それを合図に3つの風の槍が魔女へと飛んでいく。高速で魔女へと迫り、突き刺さるのと同時に風の槍は砕けるように拡散し再び集束、今度は魔女を縛る風のロープとなる。
ロープに縛られ、魔女はもがくものの白い少女の魔法は強く、縛られたものを引きちぎることが出来ない。
「これで最後っ」
黒い少女が地を駆け、魔女の近くへと接近する。
しかし魔女もそのままやられるだけでは無いようで、一際大きくうめき声を上げたかと思うと力づくで自らを縛っていた風のロープを破壊する。
ようやく縛られたものから解放された魔女は、近づいた少女を退けようと右手ではたくような攻撃を仕掛けるが、黒い少女は飛び上がってその攻撃を軽々と回避する。
飛び上がった少女が自分の持つ大鎌の刀身を撫でるように触れる。大鎌に魔力でも通しているのか、少女の持つ大鎌が光に包まれ、そして少女の身長よりも遥かに巨大で大きな光の刃が生まれる。
「やっ!」
そしてその巨大な光の刃を持った大鎌を魔女へと躊躇無くそのまま振り下ろし、魔女の頭上から股下まで一気に両断する。
回避すら出来ずに真っ二つに割れたものの、魔女はまだ生きているのかゆっくりと左右とも倒れるものの、暴れるようにもがくようにしながらあたりにぶつかっていく。
「とどめ」
黒い少女が悠々と白い少女の許へと戻り目配せをした後に、白い少女が杖を振り上げ、再び巨大な火の玉を出現させる。そしてそれを二つに割れて未だに暴れる魔女、両方に向かって飛ばす。
火の玉が迫り、しかし何も抵抗する術を持っていない魔女はただひたすらにもがき続けるだけ。
そして白い少女が放った火の玉が魔女へと直撃し、辺りが爆煙に包まれる。
しばらくして、辺りを包んでいた煙が晴れた時には既に新たに現れた魔女は消滅し、その場には俺と彼女、そして二人の魔法少女だけが残っていた。
いきなり現れたかと思えば嵐のように掻き荒らして魔女を狩り取った二人の少女の姿に唖然とし、その場を動けなかったが、辺りの風景が崩れるように変わっていくのをきっかけにしてようやく止まっていた足を再び動かした。
そして崩れていく風景と同じように俺と彼女を閉じ込めていた魔女の結界は完全に崩壊し、ようやく元の世界へと俺達は戻ってきた。