自己紹介を終えた藍華は夜見と共に紫の執務室へ向かうことになった。
藍華は夜見を先頭に赤い絨毯が敷かれた長い廊下を歩いていると、たまたま通りかかった何人かの刀使の視線を集めた
「あの人が第五席に……」
「本当に真希様たちと同格の実力があるのかしら?」
刀使達は聞いていて気分が良いものではないひそひそ話をしているが、そんな話は聞こえていない藍華は笑顔で挨拶して、サムズアップをしてみせた。刀使達の反応は薄かったが会釈だけは返してくれた。
「うーん……なんか反応が薄かったなぁ……」
藍華は期待していた反応を得られなかった事に不満だったらしく、次はどんな挨拶をしようか頭の中で何通りかの挨拶の仕方を考えながら夜見の後ろをついて歩く
「剣崎さん、こちらです」
「え?あ、ああ!ごめんごめん!」
次は名刺を作って笑顔で渡して挨拶をしてみようと決意していると、藍華は夜見の声でいつの間にか紫の執務室のドアを通り過ぎていたことに気づいた。藍華が急いでドアの前に戻ったのを確認した夜見はドアをノックする
「紫様。剣崎藍華さんをお連れしました」
「ああ。入れ」
入室の許可を聞き、夜見はドアを開けて藍華と共に執務室へ入室した。執務室の中央には来客用にテーブルとその両端にソファーが向かい合って置かれており、その奥のデスクチェアにこれから藍華が警護すべき刀使が腰掛けていた。
折神紫。二天一流を極め、1998年9月に起こった相模湾岸大災厄で大荒魂を倒した英雄だ。その英雄は藍華と夜見が入室すると、藍華に視線を向けた。
「予定より遅かったな、剣崎藍華」
「はい。申し訳ありませ……ん?」
藍華は遅刻したことを謝罪しようと頭を下げようとした瞬間、なんとも言い難い違和感を覚えた。刀使なら知らぬ者はいない英雄を前にして緊張してる藍華だが、それとは関係ないことだけは理解していた。
しかし、この違和感の原因が何かは藍華は全く分からなかった。
「……どうかしたか?」
「ああ……いえ。申し訳ありませんでした!」
これ以上失礼な真似をするのはマズイと思った藍華は紫に頭を下げた。
「まあいい。大方、迷い子の親探しを手伝っていたのだろう?困っている者を助けずにはいられない刀使だと結月から聞いていたからな」
「結月って……相楽学長ですか?」
「ああ。お前の事は結月から詳しく聞かせてもらっている」
相楽結月。藍華の母校である綾小路武芸学舎の学長であり、相模湾岸大災厄当時に活躍した紫率いる特務隊メンバーの副隊長を務めた女性だ。
一見クールで近寄りがたい印象だが、彼女は生徒一人一人をよく見てくれていた。藍華も例外ではなく相談に何度も乗ってもらい、今回の様に人助けで遅刻を重ねた日は学長直々に指導された事もあった。
「剣崎さんは綾小路の生徒だったのですか?」
「うん!相楽学長ってほんといい人なんだよ!最初はちょっと恐そうだったけど、悩みとか親身になって聞いてくれたし!あと……」
紫を放っておいて相楽学長の話で盛り上がりかけた藍華だが、夜見の冷ややかな視線に気づき、紫に向き直って再び頭を下げた
「重ね重ね申し訳ありません……」
「構わない。随分結月を慕っているようだな。さて……本題に移ろう」
紫はデスクに両肘をつき、両手を口元で組んだ
「剣崎藍華。本日付で折神親衛隊第五席に任命する。僅か13歳でその御刀微塵丸(みじんまる)に選ばれ、その大太刀で多くの荒魂を蹴散らしてきたお前ならやれるはずだ」
「蹴散らしたと言いますか……みんなの笑顔を荒魂から奪わせないために必死だっただけです」
「だが、その功績を残せた実力は親衛隊幹部となるに足る。今後、私の力となり荒魂から人々を守って欲しい」
微塵丸。藍華が背負っている1メートルもの長さを持つ大太刀型の御刀は源義仲(みなもとのよしなか)が所有したと言われている物だ。「竜王作の長刀」「雲落とし」と併せて源義仲三代相伝の三宝とされており、全てを微塵に砕き、通らぬものはないことからこの名が付けられた
藍華はその微塵丸を持って数多くの荒魂と相対し、多くの仲間や民間人を守ってきた。綾小路入学時には既に御刀を所持しており、微塵丸を振るうに足る自慢の腕力と並外れた運動能力を駆使し、荒魂駆逐任務で何度も貢献してきたのだった
「はい!紫様の笑顔は私が守ります!」
藍華はつい先ほど真希達に見せた溢れんばかりの笑顔とサムズアップを見せる。紫は微かに微笑むと軽く頷く
「ああ、期待しているぞ。今日は本部内の施設を夜見に案内させた後は寮で休んでくれ。明日の真希と手合わせに備えて体力を温存してほしい」
「手合わせ…?」
「ああ。お前の親衛隊第五席任命に不服に思う折神家所属の刀使は少なくない。彼女達の前で親衛隊第一席である獅童真希と渡り合う実力を証明するのが手っ取り早い」
藍華は執務室まで来る途中にいた不満そうな表情を浮かべていた刀使達がいたことを思い出した。
折神家には刀使はエリート中のエリートのみが所属することが出来る。そこにどこの馬の骨かも分からない刀使が折神家に、ましてや親衛隊第五席に任命されるなど他の刀使達は納得がいかないだろう
「は…はい!紫様を失望させないよう頑張ります!」
「ああ、期待している。夜見、藍華の案内を引き続き頼む」
「承知しました。剣崎さん、行きましょう」
藍華と夜見は執務室から退出し、執務室には紫のみが残された。
紫はデスクチェアから立ち上がり日差しが差し込む大きな窓から見える空を眺め、怪しげな笑みを浮かべた
「剣崎藍華……忌まわしき過去を持つ刀使よ。その力がどこまで役立つか楽しみだ」
「あー……ふかふかのベッドだぁー……」
藍華は夜見に案内された自室にあるベッドにダイブし、枕に顔を埋めた。
夜見に食堂や書類仕事を行う際に使う親衛隊用の事務室などの折神家本部内部の施設の案内をされ終え、これから暮らす寮へと案内されたときには日はすっかり沈み、月明かりが本部敷地内を照らしていた
「手合わせ……か。真希さん強いだろうなぁ」
獅童真希。御前試合を二度も制覇した実力を持つ神道無念流の使い手。
藍華もテレビ中継で彼女が優勝した御前試合の様子を観たことがあった。彼女の怪力から繰り出される一撃は対戦相手の刀使の防御を削り、そして渾身の一撃を相手に叩き込む。初めの親衛隊幹部を務めた真希の実力は並外れていた。
明日の手合わせで、もし手も足も出せずに負けたら。もし紫様達を失望させてしまったら。そんなネガティブなイメージが頭に浮かんだ。
「大丈夫!恐くない!不安じゃない!紫様も信じてくれてたし、私は負けない!ね、微塵丸?」
ベッドから飛び上がり、壁に立てかけていた微塵丸を抱きしめる。微塵丸とは綾小路に在籍していた頃から荒魂との死闘と他の刀使との手合わせで勝利を勝ち取ってきた。自分と微塵丸を信じて戦ってきた藍華は直ぐに不安を頭から振り払う
「さて……ささっとご飯とお風呂済まして寝ちゃおうかな。明日の私なら大丈夫!なんとかなるよ!」
自分にそう言い聞かせた藍華は折神家職員専用の食堂へと向かった。明日に備えてスタミナが付くものを食べようと考えながら