「ふぅ……もうこんな時間ですのね」
「今日も深夜まで帰れそうにないな……」
寿々花が執務室の壁に架けられた時計に目をやり呟くと、真希は目頭を押さえながらぼやいた。
外はすっかり闇に包まれ、時計の短針は11時を指していた。
真希と寿々花のデスクの上には今日中に終わるのかどうか怪しい程の量の書類が積まれていた。
親衛隊の仕事は紫の警護と荒魂退治だけではない。
出現した荒魂による人的被害や物的被害、任務に当たった部隊の編成などの任務の報告書をまとめなければならない。
さらに政府高官や警察関係者との面談など国家公務員の刀使とはいえ、とても未成年の少女が行う仕事の量とは思えないほどの業務をこなしてた。
「まったく……仕事とはいえ、睡眠不足は避けたいところですのに」
「御前試合も近いせいか、書類仕事も量を増している。藍華は大丈夫だろうか……。書類仕事が無ければ同行したかったが」
「過保護すぎますわよ、真希さん?藍華さんも数をこなして、紫様から一人で部下を率いて任務にあたる許可が出たではありませんか」
まるで独り立ちした子供を心配する夫婦のような会話をしている寿々花の背後から影が忍び寄り、その影は彼女の両肩に両手を伸ばす。
「ほら、無事に帰ってきましたわ。藍華さん?やはり貴女のお家には窓から帰宅する風習があるのではなくて?」
「アレー?完璧に忍び寄れたと思ったのに……」
寿々花の背後には巨大なイチゴ大福ネコの被り物をした藍華がいた。
表情は見えなくとも、残念がる顔をしているのは声のトーンで分かる。
「藍華……今度はなんの真似だい……?」
「いやぁ、寿々花さん達を少しだけびっくりさせようかなぁって。でも大丈夫。ちゃんと任務のことは紫様に報告済みですから!」
真希にサムズアップして被り物を脱ぐと、彼女のデスク同様に書類が山積みされた自分のデスクに腰掛ける。
「真希さんったら藍華さんを心配してましたのよ?」
「はい。二人の話は聞いていましたから」
「心配するさ。前の任務では怪我をしていたじゃないか」
以前に紫から見せてもらった報告書通り、藍華は自分より他人の安全を優先する節があった。前の任務では荒魂に写シを剥がされ意識を失った部下を庇い、左腕に荒魂の牙による深い咬傷を負ったのだ。
藍華の体質なのか怪我はすぐに軽快したが、真希と寿々花から大目玉を食らった。
「うう……思い出させないでください……」
「いや、思い出した方がいい。前にも言ったが、君の身体が自分だけの物じゃないと肝に命じていて欲しい」
「自分の身があってこそ、他人の身を守れるのですから」
「はい。でも大丈夫です!結構丈夫ですから!」
「(大丈夫……ですか……)」
藍華の口癖である《大丈夫》
その言葉は周りの人間を安心させると同時に、藍華自身への心配を強める言葉でもある。
藍華の部下の刀使達は厚い信頼を寄せているが、彼女のことが心配で仕方がなかった。本人に「無茶をしないでください」と伝えても「大丈夫!」の一言と笑顔とサムズアップが返ってくるだけであった。
真希達に藍華が心配だと相談する者は少なくなかった。「藍華様に私たちの為に無茶をしないよう伝えてください」と。
「(藍華さん……一体何が貴女をそうさせますの?)」
「寿々花さん?どうかしました?」
「いえ、なんでもありませんわ。それより、いよいよ御前試合が来週に開かれますわね」
毎年に伍箇伝の各校の学内選抜試合で勝ち進んだ刀使達が、折神家に集まり試合を行う。勝ち進んだ2名が折神紫の前で決勝を行うのだ
「うぇ?もうそんな時期なんですか?」
「藍華……。以前に御前試合では会場の警備にあたるよう僕が伝えたじゃないか……」
「あ……。すいません」
「予定通りに行われますわよ?大太刀使いの刀使の方が盛大に破壊した床は修復できたようですし」
「えっと……そういえば!真希さんは二回連続優勝して、寿々花さんは二回連続で準優勝だったんですね!いやー、テレビで観てましたけど手に汗握る試合でしたー!」
真希との試合で練武場の床を微塵丸で破壊したのを思い出した藍華は、気まずくなり話題を逸らした。
「ありがとう。でも僕はまだまだ未熟さ。腕を磨き続けて、さらなる強さを得ないと」
「あら?そんな未熟な貴女に私は二度も敗れましたの?」
「いや、寿々花は強いさ。その強さに物事を俯瞰で見れる柔軟さがある。君が第二席で良かったと心から思っている」
「ッ……!褒めても何も出ませんわよ」
謙遜する真希に少し意地悪な言葉を投げかけた寿々花だが、彼女の真っ直ぐな称賛に思わず顔を赤くしてしまう。
「真希さんは寿々花さんの事を信頼してるんですね」
「ああ。親衛隊が結成して間もない頃、僕に大切なことに気づかせてくれたよ」
「大切なこと?」
「適材適所さ。それぞれの能力を最大限に発揮できる役を担うことで紫様のお役に立てれば良いってね」
真希は親衛隊とはいかなる状況でも対処できる精鋭でなければならないと考えていた時期があり、まだ中等部に上がったばかりの結芽にも強く叱咤していた。その考えを改めさせてくれたのが寿々花の言葉だったのだ。
「(もう!聞いていて恥ずかしくなることを……!)」
真希が思い出話をしている間、ずっと寿々花はリンゴのように赤くなった顔を隠すように書類に目を通していた。
「適材適所……か。真希さん、私の親衛隊での役割って何ですか?」
「そうだな……。君の笑顔にはみんな元気付けられている。僕も寿々花も夜見も結芽も、そして君に助けられた人々もね」
「藍華さんの笑顔は自然にこちらも笑顔になります。貴女が第五席となってから、笑顔になる機会も増えましたもの」
「藍華。君はその笑顔で僕たちを照らす光でいて欲しい」
「みんなを照らす光……か」
荒魂からみんなの笑顔を守る為に刀使となった藍華だが、自分を光と称してくれたのは真希が初めてだった。
そして彼女は決心した。自分を認めてくれた紫と真希達を、人々を照らす光となると。彼女達の笑顔を必ず守ろうと。
「はい!親衛隊第五席!剣崎藍華!みんなを照らす光で!笑顔の守り人です!」
藍華は何度も見ても心に安堵感が流れ込み、自然とこちらも笑顔となるとびっきりの笑顔とサムズアップを真希と寿々花に見せる。
「ふふっ。では、書類業務に励んでくださいね?笑顔の守り人様?」
「あ……すっかり忘れてた……。ちなみに明日やるのは……」
「駄目だ」
「(だいじょーぶ……ねむくなーい……つらくなーい……)」
笑顔の守り人は睡魔と死闘を繰り広げながら書類業務に励んだ。
終わる頃には朝日が窓から差し込んでいた。