マサチューセッツ州アーカム。午前八時。
陽光が徹夜明けの目にまぶしい。
昨夜は大雪だった。
ベスネル教授に頼まれた書類仕事を片付けているうち、朝である。途中、窓をあけて窓枠に積もった雪を一口頬張ってみた。歯に突き刺さる冷たさが美味しかった。これをグラスにいれてケンタッキーバーボンを注いだらさぞ素晴らしい味だろう。禁酒法のおかげで手軽に自宅で洋酒を楽しめないから、想像の範疇にとどめておく。
仕方がないので食料品店で買ったアップルサイダーで代用する。しゅわしゅわとかすかに炭酸の弾ける音。ごくごく飲み干してしまった。
今朝の天気はどうだったか。歪んだレールと格闘してなんとか窓をあける。心臓が逆立ちしそうな寒さに襲われた。雪が降ったくらいでこんなに寒くならなくっていい。
慌てて窓を閉める。
さむいさむいと連呼しながら電気ストーブにかけよる。素晴らしきかな文明の利器。しゃがみ込んであたたかな空気に身体を包ませて、ふと気づいた。昨日の自分はなにを考えていたのか裸の上に黒いロングコートを一枚羽織っているだけだった。風邪を……いやこんなバカは引かないか。
年明けのアーカムは厳かな雰囲気だ。いつだってプロテスタント信徒たちは生真面目な面持ちをしているけれど、この季節だけはカトリックもほかの宗派も、みんな寒さと新年への意気込みで引き締まっている。なかなかお祭り騒ぎとは縁のない街である。私など教授がホストを務めるホームパーティの招待状作りを手伝っていたら(そもそも教授は私に丸投げしたのだが)いつのまにかニューイヤーだった。
その夜は結局、クリスマスプレゼントに教授の奥様から頂戴したブルゴーニュ・ワインを飲み、そのままベッドで寝てしまった。半分近く空けたのに翌日目覚めても二日酔いにならなかったのはうれしかった。おかげで残り半分もその日のうちにきれいさっぱり飲み干してしまった。
思い返してみると日本にいたときより気が楽だ。
はは。女子高等学校の教員を「やっていられない」と投げ出し、己は学問の道を歩むのだとアメリカへ飛び出してはや八年。
どうやら生まれる国を間違えていたらしい。
これからも楽しい生活を送りたいものだ。
いそいそと身支度を整えて、下宿先の階段を降りる。女子専用を謳うだけあってほかの住民もみんな同性だが、興味深いのは黒人がまったく見当たらないことだ。管理人の御婦人はいかにも敬虔なピューリタンで、住民が外で飲酒することさえ気に食わない。ちらりと食堂へ目を向けるとやけに育ちのよさそうな金髪碧眼たちがにこやかにお茶をしている。私も招待されたが会話が噛み合わなかった。てっきりニカイア・コンスタンディノポリス信条における『同質』と『相似』について論じているのかと思ったら、ただの社会ダーウィニズム談義だった。そりゃ食い違いが出る。
けれども根が善良な女学生たちはニコニコとこちらに手を振ってくれる。こんなとき愛想笑いが出来ないから軽く会釈を返すにとどまる。なんだか失礼だし愛想のない気もするが、ことアメリカ的なハグだのキスだのというスキンシップが馴染まないのだ。
マフラーに鼻先までうずめてエントランスを出るとぴうぴう冷えきった風が吹きつけてきた。
キャンパス通りをこのまま進めばミスカトニック大学のキャンパスに出る。植民地時代のジョージ王朝様式の家々も雪化粧をほどこされていくらか愛嬌を見せる。重々しく通りをゆく人々を威圧して憚らない古ぶるしい邸宅も、白雪が積もってあどけなさすら感じさせる。王の尖兵たちが魔女の捜索に明け暮れ、黒々とした馬の蹄鉄をけたたましく響かせた石畳も、すっかり分厚い氷に覆われてしまっている。これは用心しないと白昼に往来のど真ん中で尻餅をつくはめになりそうだ。
車道にもまだまだ雪が残っている。自動車運転免許をとってまだ日が浅いから、道路事情にももちろん疎い。せっかく買った自家用車をダメにしたくないので恐る恐る歩きながら大学の食堂を目指す。ロックスリー・ホールの大食堂なら冬季休暇中でも営業しているはずだ。由緒正しいニューイングランド流の朝食を詰め込んであとのことはそれから考える。
サラミ一つが昨日の夕飯だった。
私はいまとにかくお腹が空いている。
しっかり火の通ったベーコンやソーセージ。かた焼きのスクランブルエッグとハッシュドポテト。山盛りのベイクドビーンズとしっとりしたブラックプディングもいい。薄切りのトーストにたっぷりバターとジャムを塗りつけて、あたたかいコーヒーで流し込む。朝食はシンプルなくらいがちょうどいい。クロワッサンだのカフェ・オ・レだの鼻持ちならない気取った食事は旅先でのちょっとした贅沢のためのものだ。
とりあえず腹に詰めて栄養を補充すればそれで良いのだ。
これが白米なら納豆か生卵かとろろで十分。味噌汁は欲しいか……。
けして転ぶまいと用心しながらなんとかロックスリー・ホールまでたどり着いて、腰が抜けそうになった。扉にかけられた「CLOSED」の看板。よこの掲示板に貼りつけられた紙きれには「営業時間 AM6:30〜8:00、PM5:30〜7:00」の一文。なんだってこんな短い時間しか開いていないのだろう。敷地内にはほかにも学生寮があってそれぞれに食堂があるものの、休日はほとんどの場合が下宿生のためだけに営業している。
なんだって、こんな酷い仕打ちを。
食べられない味ではない朝食なんていつでも食べたいのに。
タイプライターでは演出できない癖のある文字がうらめしい。この看板も彫刻刀で板切れを傷つけたものだ。なんとも素朴なつくり。実家の近くにある薄汚い蕎麦屋を思い出す。あのお爺さんはまだ釜の前に立っているのだろうか。酒焼けした嗄れ声でぶっきらぼうに振る舞っていたが、あそこのかけ蕎麦はいつ食べても美味しかった。学校帰りによく立ち寄ったものだが、おそらくもうあの出汁を啜る日は来ない。
乾いた風が横殴りに吹きつける。ぶるりと身震いして立ちつくす。
つい癖で背を丸めてしまっていた。しゃんと伸ばして、現実と向き合うことにする。
さてどうしたものか。迷いはじめると決められなくなる。
煩悩の断ち切りがたさを改めて噛みしめる。
けれどこの近くならほかにアテがないではない。
とりあえず来た道を引き返す。嗚呼、冬だなあ。肌が痛くなるくらい寒い。頭が冴えてきらいじゃない。こんなときにラム酒のお湯割りがあればなおいい。シナモンも入れて……芯から温まるのに。
ウェスト・チャーチ・ストリートからサウス・ギャリソン・ストリートに出て、メイン・ストリートとの交差点が目的地。大通りに面した立地に店を構えるカフェは、意外と食べられる料理だったりする。生の食パンでハムとチーズを挟んだだけの、ピューリタニズムを曲解したような食べ物が出てきたりはしない。
よく磨かれた木の扉にこれも傷ひとつないガラスが嵌め込まれて、中の様子が少しだけ見える。店の歩道の脇には除けられた雪が積み上がっていた。ネズミ色の小高い山は膝丈くらいまである。ドアを引くと可愛らしいベルの音が鳴った。中に客はいない。一人用のスツールが並んだカウンター席と、洒落たボックス席がずらり。ランチにやってくる学生が多いのも頷ける。
カウンターにはいつものお嬢さんが立っている。私よりいくらか年少の彼女。ここの給料だけで生活できてるのだろうか。もぞもぞ上着を脱いでカウンター席に腰掛ける。「寝坊して食べ損なった?」と聞かれ、「いえ徹夜明けです」と返すと「ムチャさんだから」と苦笑いされた。
メニューを開くと目移りする。流石にクラムチャウダーはないけれど、意外にも揚げ物はじめあたたかい料理も揃っている。とりあえず主食を入れたい。昨日なんてサラミと……サラミと、いや、夕飯のサラミしか食べてなかった。迷うことなくロブスターサンドとホットコーヒーを注文する。マサチューセッツ州は海鮮が豊富だ。あのインスマスもかつては漁港として賑わっていたという……オブレヒト氏の料理屋は、まだやっているのだろうか。ドイツ産ピルスナーでヴルストの脂を流し込んだのは素晴らしい思い出なのだが。
待っているうちに腹の虫がなった。厨房にまで聞こえたのか笑いを含んだ声で「すぐ持ってくね!」とお嬢さんの溌剌とした声が飛んできた。シミひとつないカウンターを指で叩きながらラデツキー行進曲のリズムを口ずさむ。御歳83の老齢でイタリア遠征に臨んだ将軍はどのような心持ちであったろう。ナポレオンもハンニバルもアルプスを越えはしたが、二人とも若かった。そう思えばラデツキー将軍を讃えたくもなる。いい曲だ。
あのお嬢さんもいつまでも元気そうだ。
サンドとコーヒーは同時に運ばれてきた。「空きっ腹に濃いコーヒーは荒れるからね」と言いつつ、勢いよく、しかし一滴たりともソーサーに溢すことなく差し出された。よく焙煎された豆の香りがすぐに鼻へ届く。ロブスターサンドもあまりの具の大きさだ。パンからこぼれ落ちそう。
バゲットを両手でわし摑む。大きく開けた口でかぶりつくと、ぶりぶりのロブスターととろけたチーズが口いっぱいに広がる。舌にピリッとくる香辛料の刺激をマヨネーズがやわらかくしてくれた。チーズにマヨネーズにスパイスでケンカしそうなところをレモンの酸味が絶妙に仕事する。この凛々しい果汁があってはじめて完成するのだ。港町のまとめ役というのはこういう感じだろうきっと……。
二口三口と頬張って、今度はこのコーヒーの出番。酸味と苦味の効いた強気なブラックでドロドロした油分をさっと洗い流す。この繰り返しであっという間にサンドがなくなってしまった。しかし食べ足りない。最後にちゃんとした食事を摂ったのがいつかなんて、どうだっていい。まだ満腹でないから食べたいだけなのだ。
「すみません。このクラブケーキと……あとアップルドーナツをください。あとコーヒーのおかわりも」
「ドーナツにアイスクリームはつける?」
アイスクリーム……素晴らしい。そしてなんという発想力か。私はまだまだ視野が狭い。日々の生活の中にさえ驚愕が満ち溢れている。
「お願いします……」
このカフェはケーキも充実している。季節のタルトやパイに、チョコレートやミルクのクリームをたっぷり塗ったシフォン。しかしいま頼んだらドーナツとケーキで甘味が重複する。肉系を頼んでバランスを整えるか? しかし流石に食べ切れる自信がなかった。五年前なら躊躇しなかったが。もうムリだ。
とかくよく聞く「故郷の味」「お袋の味」というのは理解し難い味覚であった。実家で母親が手料理を作ってくれたことなどない。友人宅を訪ねてはじめて「母親」が作るものを口にしたものだ。それだって蒸したサツマイモである。美味しいには違いないが、料理と呼ぶにはむつかしい。それをアップルパイって……あんな手の込んだものを頻繁に作るほどアメリカの主婦は時間的経済的余裕が? イギリスでも焼き菓子を作るというし。ちょっとだけ羨ましい。
ぼんやり悶々としているうち、大人の男の握り拳ほどあるクラブケーキと揚げたてのドーナツが運ばれてきた。回転焼きを一回りも二回りも大きくしたクラブケーキは、レモンやケチャップで味を整える。アップルドーナツも大ぶりで、バニラアイスも遠慮知らずだ。
熱が冷めるてはいけない。ナイフとフォークで分厚いケーキを切り分ける。ここのクラブケーキはその名の通りカニが濃厚だから、ケチャップはなくてもペロリできる。ガーリックとシーズニングの風味が食欲をそそる。それでいてこの優しい口当たり。子供でも美味しいはずだ。二つ目は軽くレモンを絞って、一歩大人な味わいに。なにせビールが欲しくなる。完全に酒のアテだ。なんで禁酒法なんてあるんだバカタレ。
熱いコーヒーで舌を整え、ドーナツへ。ただ甘いだけでなくリンゴのほのかな酸味と脂の旨みがたまらない。無限に食べられそう。あと10歳若ければいける。とろとろのバニラアイスをのせれば今度はあたたかいドーナツと冷たいアイスで口の中が大騒ぎになる。
ここにメイプルシロップなんかかけた日には新世紀だ。
街中でドヴォルザークが鳴り響くことになる。
だったら今日もなにをかけようか。とりあえずくるみ割り人形?
日本にいてこんなに美味しいものと出会えたろうか。
洋食屋がないではあるまい。ビフテキやスパゲッティくらい、都会なら探せばすぐ見つかる。だが庶民のグルメからは程遠いだろう。姉たちはたまに外で食事をしても決まって立ち食い屋だ。二番目の兄も、英国被れだったが、倹約して年に一冊本を買うだけ。ウチは貧乏ではないのにそんな調子だ。欧米のものを食べるのは不摂生な金満家ぐらいで、世間の大半は名前だけ知っているままに違いあるまい。
やはりアメリカに来てよかった。
思う存分学問ができて、料理も酒も美味しい。
なにを不満に思う? 地上の楽園とはこのことだ。
このあと一眠りして、夕飯はイーストタウンのダイナーにしようか。
咥えた紙巻きタバコにマッチで火をつける。肺いっぱいに吸い込んだ紫煙をツマミに残ったコーヒーを啜れば、雲間からさしこむ陽の光で溶けかかった灰色の雪もキラキラ輝いていた。