アーカムへ移り住んだ当時のことだ。私はフレンチ・ヒルなどという風変わりな名称に首を傾げていた。何故こんな嫌味でしかない名前を冠したのか。難解で傍迷惑な地形に起因するのであれば、もっとマシな形にできたろうに。わざわざ
アップタウンやキャンパス地区に見られるすきっと爽快な一直線が激変。曲がりくねった大通りと、地図に記載のない裏路地は複雑に入り組み、起伏に富んだ地形に方向感覚を狂わされるうち、何故イギリス系入植者たちがこの一帯を『フランスの丘』と呼ぶようになったのか察しがついた。
「理解し難い」
この感情が底にある。私は勝手にそう思っている。
入植者たちを悩ませた緩急のある丘陵地。道は谷間に沿わざるを得なくなる。そして合間を縫うように建てられる住居。自然と「敷地」と「敷地」の空隙が生じ、そこに道ならぬ道が現出する。
そんなものは地図に記載されない。
居住者たちすら世代をくだるうち忘れ去る。
いつしか全容を把握する人間は途絶えた。
そうして複雑怪奇な迷宮が完成し、イングランドともスコットランドとも海を隔てたフランスになぞらえ、人々は「フレンチ・ヒル」と揶揄いはじめたのだ。
嫌悪や侮蔑の情から生まれるただの悪口とは違う。
親愛を籠めた諧謔。ジョークだ。そして「フランス文化を理解出来ない」という自虐をも含む。
相手だけでなく自分にも降りかかっているのがまたいい。
とかく格式と様式を貫くイギリスと伊達と酔狂に生きるフランス。
二つの異なる文化が、ドーヴァーを隔てて向かいあっている。
なかなか面白い対比ではあるまいか。
こんなことを考えたってどうしようもない。
アーカムの地名の由来を知りたいなら在郷の歴史協会を訪ねれば済む。ただ肌感覚だけを頼りに想像を羽ばたかせてみたって、勝手に風情を感じるだけのことだ。
ちゃんと調べてみれば世の中は案外退屈なものである。
文化人類学なんてその極地だからどの口がぬけぬけと。
日曜日ともなると街中の商店が閉まってしまう。雑貨品はもちろんのこと喫茶から食事処、軽食屋までみんな店仕舞いの看板を掲げる。なのでいつもの私なら、せめて土曜日の午前中に週末の食糧を確保しておくのだが、昨日はベスネル教授のゼミ生の論文を精査し、そのあとフリーボーン教授が主催する討論会に出席して、その後の懇親会にまで同席し。気づけばとっぷり日が暮れていたのである。
なんとまあ今週はお酒を呑み損なったのである。
ノースサイドのスピークイージーも定休日なら、密かにアルコール飲料を提供しているカフェーやダイナーまでみんな全滅だ。
おかげで私は極めて清貧な一週間の最終日を迎えたわけだ。
おのれフーヴァー。
いつかケツを蹴ってやらねば。
どうにも気持ちがくさくさする。河川敷にでも行って煙草でも吸いたい。
キャビネットの引き出しを漁る。キャメルにラッキー・ストライク。
こんな気分のときはどしんと一発。ラッキー・ストライクを旅のおともに。
マッチでもいいけれど後始末が面倒くさい。オイルライターでいいや。
煙草屋で気になって買ってみたメタリックなやつ。
最初は新しい爆弾かなにかと思ってびっくりしたものだ。
部屋の扉を開け放って1回のエントランスへ。
廊下へでるとなにやらいい匂いがする。
誰ぞ厨房でケーキでも焼いたらしい。こんな朝っぱらから手間のかかるものを。
お嬢様が酔狂な生き物なのは万国共通か。
朝食にタンパク質と脂質がなくてもオーケーなんて、伊達や酔狂でなくてなんだ?
しょっちゅうジュースで片付けている私がいうのもなんだが。
よろしい、こうなればなにを構うものか。
貴重な日曜日の午前中を喫煙に費やすんだ。
鋼の決意とともに階段を降りる。早足になっている私へ、数寄者たちが声を掛ける。
人種がないまぜになった学生寮を嫌い、敢えて黒人のいなさそうな少々お高い下宿を選ぶような面々である。同じ有色人種にずいぶん気さくだなといつも思う。もしや私のことをアジアの人間だと気づいていないのか? 確かに故郷じゃそこらの男子寄り背丈はあったが……。
いくらなんでも名前で分かるハズだ。
ヨーロッパにキザハシなんて発音の人名あってたまるか。
「クロハさんもよろしければコーヒー、いかがです?」
カフェ・ロワイヤルだろうとアイリッシュ・コーヒーだろうと構わない。
なんなら紅茶にブランデーかラムでも垂らしてくれれば十分だ。
「ではお言葉に甘えて」
「焼きたてのコーンブレッドもありますよ」
「はあ。折角ですからいただきます」
コーンブレッド。トウモロコシ粉を使った田舎ケーキ。どこがブレッドなのか。全部まとめてパンでいいじゃないのか? どれも美味しいのだし。
田舎ケーキと思しきものをほかに食べたことはない。ただ、ときどき無性に食べたくなる。さっくり軽やかな食感の下からしっとり生地が。そしてほのかなトウモロコシ由来の素朴な甘さ。たしかに朝食向きかもしれない。腹持ちはダメだけども。
すすめられるがままに空いている席へ座る。こうして見ると……年頃のお嬢さんというのは、なにかと明るい色調を好むのだなあ。私なんて物心ついたときから身に着けるものぜんぶ真っ黒にしていたから、甥っ子に葬式帰りと勘違いされたほどなのに。でも似合わないんだ私には。白とか桃色とか檸檬色とか。服屋の店員がよくいう「お似合いですよ」は鶏の「コケコッコー」だからあんなもの間に受けるのはバカ者である。
気持ち厚めにカットされたコーンブレッドに、まだ冷めていないコーヒー。ピッチャーでスタンバイしている牛乳と、ポットに山盛りの角砂糖、それにてらてら艶めくイチゴのジャム。
コレは糖分をダイレクトに補充するタイプ。
効率重視のモーニング、現代的だ。イングリッシュ・ブレックファーストはもはや労働者の食事からプチ・ブルのものへ昇華された。時代はコーンブレッドにジャムとカフェ・オ・レ。ここにベーコンとソーセージがあればなおいい。甘ったるいだけではダメだ。塩分がないと。
みんなえらく瀟洒な手つきでコーヒーとケーキを用意してくれた。
妹どころか母娘くらい歳の離れた女学生たちが、だ。よっぽど立派な家庭で育ったのだろう。
ジャムをたっぷりのせて早速一口。
なんだこれ。かなり乾いた食感。ザクザクと音が鳴る。田舎ケーキというよりスコーンぽい。重たいジャムとハードな生地を紅茶で流し込むような。アレに比べたらコーンブレッドはかなり軽やかな方だけど、やはり口がパサつく。
ミルクたっぷりのコーヒーが美味しい。
「管理人さんが教えてくださったんです。薄力粉を減らすとこんなふうにビスケットみたいになるんですって」
「なるほど。私はこっちの方が好きです、コーヒーがすすむ」
誰が作ろうとレシピ通りならそんなものだ。
あの清貧第一主義者がこんな嗜好品を自ら試行錯誤したとも思えないから、親族の誰ぞから教わったか、過去の下宿人からマニュアルを譲られたのだろう。
しかしコーヒーを飲んでいるとタバコが欲しくなる。
流石に未成年者の前で堂々とと一服するのは憚られた。隠れて吸ったなら良いわけではない。
最初の二切れを胃袋に納めたところで女学生の一人が切り出した。
「クロハさん、アメリカは自由の国だと思います?」
藪から棒だな。散弾銃を突きつけられた気分だ。
「ええ。自由ですよ」
「本当に?」
「もちろん。私は自由を実現できている」
アメリカが声高に喧伝する"自由"は、路傍の石などではない。
彼女らは"自由"について、普遍的――人種も性別も区別なく生まれながらにあるべきもの、と定義している。それはあくまで題目であって、理論として非現実の域に留まる。だから自ら実現しなければならない。
「けれどほとんどの移民は不平等を強いられています」
「特にイーストタウンなどはそうです。ただ黒人というだけで街の富裕層と彼らに支持された行政は、施策を蜂起している」
「それはよく知ってますよ。あの地域のレストランもよく行きますから……」
なんなら一番通っている。安い。美味い。山盛り。スペアリブと野菜のごった煮が好み。揚げ物ばかりだと胃にもたれるお年頃だ。
話を聞けばなんとまあ社会主義運動へのお誘いである。
カール・マルクスがエンゲルスの援助で暮らす無職であったように、革命というのはありあまる時間と経済的余裕を継続させられる限られた階層の思想だ。つまることろ研究と雑務と私生活に追われて多忙な私に、社会改革やらなんやらまで取り組むヒマはないのだ。そんな時間とカネがあるならスピークイージーへ行く。もしくはセイラムまで行って魔女狩りの記録を漁る。ああ、いや、今一番やりたいことは……
「マラヤに、行ってみたいな……」
「ヨーロッパの植民地支配にご関心があるのですね!」
ありません。
「いえ、そうでなく、現地の情報を伺う機会があっただけで」
「現地民は過酷な環境で搾取され続けているとか……帝国主義による人権蹂躙……」
ちがいます。
「あくまで少数民族のことですよ……?」
「植民地政府への抗議に武力行使で応じられることも少なくないと」
なんのこっちゃ。
「ちょっとした伝説と言いますかですね」
「異文化への無理解が生んだ迷信で社会から阻害を……」
ああ、ダメだこれは。
もう適当に相槌を打って誤魔化そう。
そんなに興味があるなら親に頼んで連れて行って貰えばいいのに。どうせ学部生なんてヒマなんだから。ついでに私も船に乗せてほしい。
しっかし煙草が吸いたい。
いくら自由を実現したって、気を使う必要はあるわけで。
誰か煙のでない煙草を発明してくれないだろうか。
もし発表したら一生愛用する。
ぬるいカフェ・オ・レを啜ると、ミルクとコーヒーが分離していた。
日曜日だというのになんだってこんな目に?
部屋に帰ってあのカナディアン・ウイスキーを開封してやろうか。