異邦のグルメ   作:ぱらさいと

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ウェスト・アーミティジ・ストリートの寂しきハイウェイ・カフェ 禁酒法違反のアブシンス

 アーカムの街でもノースタウンの景観はとりわけ素晴らしい。

 このピューリタニズムが思想の主流派に君臨するニューイングランドの街にあって、もっとも貴族的かつ特権的な階層が屋敷を構える。

 タイル張りされた絢爛なファサード、仰々しく主の権威を誇示する尖塔、過剰なまでに広大な庭園は徹底して自然を排している。地上のすべてを支配せんという大英帝国の覇気すら感じさせる壮麗かつ過剰なまでの装飾。まさしく前時代の精神を具現化するデザインだ。これらがさらにジョージ王朝様式、あるいはブリティッシュコロニアル様式へ移ると、王冠の如くに装飾を懲らしたゴシカルな形態がより洗練されるのである。バロック的な先のスタイルから一点、ルネサンスへの憧憬に充ちた優美な左右対称の構え。コリントの古代神殿を思わせる切妻屋根で形成されたペディメント。浮き彫り表現による円柱の装飾もあからさまに地中海文明の息吹を感じさせる。複雑に曲線を歪ませた幾何学模様を好むアール・デコは……いや、夢遊病が見せる悪夢的色彩感覚が織りなすアール・ヌーヴォーよりずっとマシだろうか。

 いちどならずアルフォンス・ミュシャのグラフィカルな作品は目にしたが、色彩が眩しくって視力に障る気がした。ミスカトニック大学の少なくない学生に加え、比較的に若い年齢層の(中には私よりずっと歳下の)教授陣はあの広告画家を賞賛していたように記憶している。こればかりは美的感覚の問題である。私はミュージカルも映画も嗜まない無粋な人間だ。レディ・ネルソンことアリス・ターナー婦人率いる学生演劇団主催の定期公演に招待されたときも疲労と二日酔いと退屈の完璧な調和によって熟睡してしまった。演目はシェイクスピアだかなんだったか。脚本を構成する原案すら分からないので翻案した箇所も忠実な箇所もサッパリであった。

 学部生というのは掃いて捨てるほどいる。やって有り難がられることは皆無である。しかしこれが院生……それも博士課程となると事情が異なる。それでなくとも多忙であるのに関わらず、だ。例えば私の場合は人間行動学科の学科主任を務めるアブラハム・ベスネル教授に指導教員を務めていただいている。大変に名誉あることだが、苦労は少なくない。教授はほとんどの場合、資料整理を指導下にある院生へ委ねる。これは大変な力仕事のうえ時間を要する。さらに講義で必要な資料作成の手伝い……であればまだ幸運で、こちらがすべて負担することもそう珍しくない。

 数少ない幸運は教授に長年連れ添った奥方がいらっしゃること。

 下手に若く活力的な独身教授に当たると洗濯物から家の掃除から夕食の準備までこなす必要に迫られる。この点、裕福な銀行一族のお生まれであるベスネル教授の奥様は使用人という選択で問題を解決なさっている。さらに秘書の地位も兼任されており、下手に学生が担うよりもよほど優れた管理能力のもと教授の職務を円滑に進行しているのだ。

 あとはまあ学部生の論文の査読とか、教授の研究の手伝いとか、ボストンで開かれる文化人類学の学会へお供したり(これは私が自家用車を持っていることが大きい。その分、現地のレストランで食事をご馳走していただけるから役得もある)とか、そのほか教授の名代として様々の学内の活動に参加したり招待されたりそんなところか。なので院生というのはとても忙しくときには食事の余裕がなかったりする。私の場合ただズボラなだけだが。購買でリンゴを買うのも惜しいくらいの日もあるのだ。

 今日ノースタウンを散策しているのも食事が目的である。

 寂れたハイウェイ・カフェというリストランテで開かれる晩餐会に招かれた。あそこは気障な感じのしない南仏料理を堪能できる名店だ。しかし値段は相応にする。いち学生の主催する会合で振る舞われるメニューなどたかが知れていよう。無論、オニオングラタン・スープも絶品ではあるが、単体で空腹を満たせるハズがない。おそらく白ワインの瓶の一本すら期待してはいけないだろう。

 だから予め胃になにかしら入れておこうと。そういう算段である。

 今朝は新鮮なブラッドオレンジを一玉、昼にライムをこれでもかと絞ったソーダ水でチーズサンドを流したのだが、やはり夕食がグラタンスープだけなのは辛い。いくらなんでも貧し過ぎる。なのでこうして飛び込む店を探し求めている。差し当たってはアーント・ルース・ダイナーが最有力候補なのだが、クラムチャウダーのあとまたスープというのも芸がない。汁物が欲しい季節でもなし。冬は冷えるが初夏のアーカムはいくらか過ごしやすく快適な気候である。まもなく猛烈な湿気と熱気がやってくるのは確かなのだが。

 ともかくほかに新しい店を見つけられればそこで良い。

 アーカムの商店はどこも午後五時には看板だ。信じ難いことであるが、日曜日は街のほとんどの商業活動が停止する。空前の好景気に沸くアメリカはどこへ行った。先の世紀の終わりにフリードリッヒ・ニーチエは神の死を叫んだが、ヨーロッパからアメリカへ引っ越しただけではないのか? 二〇世紀もそろそろ二割五分を終えようという時代に安息日を徹底する敬虔さ。下手な『未開の文明』よりよほど前時代的で進歩性に欠ける。おかげで私も気持ちが焦る。落ち着かねば。冷静を保たなくては、まだ見ぬ新世界の扉を開くこと能わぬ。頭でいくら理性に働きかけても情動が先んじては虚しいばかり。ジリジリと焦がれていくうちに時間は伊周が聖上へ射掛ける矢の如く過ぎ去り、奢る平家の権勢よろしく日が傾いていく…………。

 ああ、ダメだ。いまにも走り出しそう。

 こんなことなら大人しく屋台でホットドッグでも買うんだった。

 手痛い失策である。窮余の策を講じようにも、懐中電灯は午後五時が迫りつつあると告げる。この判断ミスは人生で三本の指に入るであろう。鶏の煮付けを作る実習の最中に鶏を()()()光景を事細かに説明したのより不味い。……あのときだけは、珍しく長兄が私を庇ってくれたのだっけ。「知ろうとしないよりは、マシでしょう」とかなんとか。あの件は黑生兄の助け船で窮地を脱せたものの今は違う。もうどうしようもない。破局だ。終末だ。よりによって約束の時間とスピークイージーの開店時間が重複しているのも口惜しい。あすこなら塩漬け肉の缶詰くらいはありつけたのに。

 万策尽きて悪足掻きに走らず大人しく指定されたリストランテへ向かう。

 晩餐会を主催するのは『象牙の塔の会』という学生団体である。宗教学部の生徒で構成され、主たる論題はカール・グスタフ・ユングとジクムント・フロイトに牽引される現代哲学。両名は西洋にない『無意識』や『集合知』なる理論を提示し、形而上学に新地平をもたらしたそうだ。宗教学部はむしろ古典的な古代ギリシア哲学や中世神学論を重視しており、現代哲学には冷ややかなのだそうだ。

 だから志を一つにする学生たちで独自に議論を交わそう、というのが『象牙の塔の会』の現在の活動目的である。

 宗教学部の院生であるエマ・コルスタッド女史に曰く、会は常に東洋思想……とりわけ仏教哲学に精通した人物を探している。私の最大の関心は仏教史であり東南アジア地域における民俗信仰との習合こそ研究の対象である。

 教義の変遷についてもごく最低限の知識は備わっていると信じたいところだが…………。

 今回の招待はいってしまえば双方が双方の品定めをする目的でセッティングされたものだ。

 そも、ミスカトニック大学で明確に仏教徒の学生なんて私ぐらいのものだし。どころか、学内の総人口のうちほとんどがプロテスタントかつアングロサクソン系の白人である。

 否が応でも目立つ。人種においても教条においても、私は少数派の最たるもの。

 おまけに私の美貌は注目を集めざるを得ないレベルだ。自分でも鏡を見ていると実年齢を忘れそうになる。

 10代20代の頃と比べて衰えたなと感じる場面は増えたが。

 

 それでも――外見だけならまだ現役の学部生に並ぶ。

 

 衰えたのもほとんど胃もたれくらいであるし。

 なんだ私、まだまだ十分現役じゃあないか。

 あと100年くらい生きられそうな気がしてきた。

 

 晩餐会はきわめておだやかに幕を下ろした。

 議論は紳士的に運び、人間という極小の『結界』を俯瞰しつつこれを解体し、その根底にあるものへ形と名前を与えようという、非常に興味深い体験が出来た。だからこそ私は丁重に参加を辞退したのである。彼らは人の心の奥深くに飛び込み、その深層へ光を当てようとしている。けれど私はもっと表層的な部分に視野を向け、かつあくまで紐解くのではなく系統的な区分を試みているに過ぎない。人の営みに対するアプローチの差異があまりに隔たっていた。

 私のような浅学の身は彼らの究理の足枷にしかならない。

 だから、お互いこれまで通り住み分けたままでいましょう――それが私なりの誠意ある答えであった。

 店先で解散したのち。学部生たちはみなそれぞれの下宿先へと帰り、残ったのは二人の院生だけ。年齢不詳のコルスタッド女史はアルカイックな微笑のまま「よろしければもう少しお付き合い願えませんか?」と申し出た。日曜日に教授から呼び出されることはあまりない。用事があるときは基本的に予め通達される。女子という生物学上の区分は院生に対する無制限の奉仕要求を緩和させるのに絶大な効果を発揮しているらしい。

 私も「構いませんよ」と了承した。

 もうスピークイージーは閉まっている。

 帰っても風呂に入って寝るだけだ。

 コーヒーで粘るのもたまにはいい。

 先ほど囲んでいたテーブルへ戻ると、そこには見慣れない瓶が鎮座していた。同じくガラス製の容器に金属の支柱と蛇口を備えた、これも不可思議な形状の器具が控えている。鮮やかな翡翠色の瓶のラベルには『ABSINTH』とある。

 

「……アブ、シンス、ですか」

 

 首を傾げる。聞いたこともない名称である。

 

「アブサン、と読みます。この店の隠れた名物なのですよ」

 

「それは初耳です。隠す理由はなんです?」

 

「あら……クロハさんならてっきりご存知かと」

 

 私が酒好きであるのは学部生時代に広く知れ渡っている。それだって同窓の前で酔ったことはない。基本、晩酌は一人に限る。介抱を望めなければ自然と自制心が働く。酔い潰れた身内を見てつくづく思い知った。医者のくせに肝臓を壊すような父は、最大の反面教師であった。もうこれ以上なにも学べないのは物悲しくある。

 コルスタッド女史の反応からするにアブサンなる酒のようだ。

 実に興味深い。緑色の酒瓶といえばグレンフィディックやラフロイグを連想するが、名前からしてウイスキーとは違うだろう。

 

「どこの国の銘柄です。イタリアとか」

 

「これはチェコスロヴァキア。本場はフランスですけれど……輸入が滞っているとかで今晩はこちらに」

 

「なるほどなるほど。珍しいお酒は大好きですよ」

 

 私は満面の笑みであった。コルスタッド女史の思惑通りであろう。

 給仕がうやうやしく瓶を開栓する。液体は若草を思わせる透き通った色彩。ミントリキュールほどの視覚的なインパクトには欠けるが、むしろ薬草の印象はこちらが強い。意匠を懲らした切子のグラスへ注がれていく。どんな香りだろうと息を吸い込む。たちまち強烈なアルコールの刺激が鼻腔の粘膜を襲い、想像もしなかった痛みに悶える。呼吸器への刺激に身体が反射して咳き込んでしまう。

 

「な、なんですかこれ……! ウイスキーよりキツい……!」

 

「度数はいくつだったかしら」

 

 とぼけた口調のコルスタッド女史が給仕に尋ねる。初老の紳士は「七〇度にございます」と応じた。

 七〇度。七〇%。七〇パーセント!?

 

「冗談でしょう。それはもう、お酒では……」

 

「もちろん希釈しますわ。こちらのファウンテンでゆっくりと、ですけれど」

 

 説明を拝聴する。曰く、アブサン酒は角砂糖と水で味をやわらげながらゆっくり嗜むものらしい。ビールやワインのように呷るのではなく、じっくり香りを楽しむものである、らしい。私はこの異様な酒にまつわる作法を心得ていない。口出しはすまい。よほど熟知していよう両名に一切を委ねることとした。

 給仕は葉っぱ状のスプーンでグラスにフタをする。その上に一粒の角砂糖を置く。そこへアブサン酒を滴らせ、白い砂糖を薄緑色に染める。さてどうするのか。いよいよまばたきすら惜しい。心臓の高ぶりを全身で感じる。給仕はいつもパイプ用に使うマッチでもって、角砂糖に火を点けた。薄暗がりの中で蒼白い炎に包まれる角砂糖。熱に溶かされてゆるやかに形が崩れていく。ほとんど形状を失ったところでスプーンを方向け、残留したものをグラスの中へ陥れる。ささやかながら面白いパフォーマンスであった。私は控え目な拍手を送った。

 

「お楽しみいただけてよかった」

 

「目で楽しめるとは素晴らしいですね」

 

 なんて面白いんだ。度数が高いからこその芸当だ。あの魅惑的な翡翠色から、幻惑性を感じさせる蒼く朧げな色の炎。心奪われるとはまさにこのことだろう。今まで目にしてきたどんなお酒よりワクワクする。瓶を開けてからここまで焦らされるのに、ここまで心が躍るなんて!

 それから『ファウンテン』なる器具からゆっくりと水滴を落とす。

 フランス発祥の酒である。しかしこの清澄な雫の音に、私は侘び寂びの風情を感じる。枯山水と鹿脅しのような。静寂の中に響く音色の心地よさは時として大洋を超えるのだ。

 水が加わるとたちまち色彩が白濁する。あまりの変化に私は身を乗り出していた。

 

「ス……スゴい。色が変わった……」

 

 さらに砕けた砂糖が舞って、グラスの中は幻想絵画の様相を呈する。

 まったく魔性の酒だ。どこまでも見る者の心を捕らえて離さない。

 ただ水を加えるだけの光景にこれほど魅了されるとは……魚屋の生簀だってこれほどではなかった。一分二分で満足して離れられたというに。恐るべしアブサン酒。そしてヨーロッパでは気兼ねなくやれるのだから、禁酒法などはアメリカの歴史の汚点でしかない。

 いくらか時間を経て水割りアブサンが適量に達した。

 ファウンテンの蛇口が閉められ、いよいよ()が巡り来た。

 厳かに各々グラスを掲げて乾杯の儀とする。そのままひやりと冷たいガラス製の縁を唇に添え、わずかに傾ける。

 ほんの一口だけ含む。えぐみのない爽やかな草の感覚。やさしい香りが瞬く間に鼻へ抜ける。しかし最初に食らったあの凄まじいアルコールはなりを潜め、舌にどしりとのしかかってくる程度まで落ち着いていた。砂糖の甘さと薬草の香りが絶妙に調和している。

 気を許すとこのまま一息に飲み干してしまいそうだ。

 あまりにも新しい味覚、あまりにも筆舌に尽くし難い経験。述べるべき言葉も失念して、ただただ見開いた目をグラスの中へ向けるしか出来ない。アブサン酒とはこれほどに替え難く、そして美味しいものなのか。唯一にして無二の存在だ。もはや恍惚の感すら覚える。

 いまや私の世界の中にはこのグラス一杯のアブサンだけが存在した。

 完全に『外界』から閉ざされ、隔たった認識の中に極上の美酒。

 仏の悟りには遥か遠かろうが私は構わない。

 極楽浄土にアブサン酒がないのなら、まだ念仏は早いと存じる。

 

 それにしても、もし墓に何か備えるならアブサンにしてもらおう……。

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