異邦のグルメ   作:ぱらさいと

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ダウンタウンのアイスクリーム・ダブル/リバーサイドのアーティスティックなレストラン

「キザハシさんって、いつ食事を摂ってるんだい?」

 

 週末の演習(ゼミナール)のあとのこと。ドイツ系の同窓に誘われ、断る口実を見つけようとしているうち、半ば無理矢理にアイスクリーム・パーラーへ連れ出された。初秋の風が心地よいこの季節につつく氷菓は乙なものである。ただ、どうせなら一人でゆっくり味わいたかった。ほとんど男子学生が異性を喫茶や甘味に誘うのは食事よりも歓談が目当てである。私はあまりお喋りに花を咲かせるのは好きでない。それは女学生も同じコトだが、煩わしさの傾向が異なる。

 ダウンタウンのインディペンデンス広場――街の人々は単に“コモン”と呼ぶ。理由は知らない――の南に面するウェスト・アーミティジ・ストリートへ出て、西へ真っ直ぐ進めばデニソン氏のアイスクリーム・パーラーがある。店の雰囲気はフランス風喫茶を指向しているそうだが、私はフランスの喫茶店とドイツの喫茶店がどう違うのか、説明できないでいる。

 時間は午後三時を少し過ぎた頃合い。お茶をするのにちょうどいいタイミングである。店内は女性同士ないし男女の連れ合いで混雑していた。運よく奥のソファー席へ落ち着き、そのまま適当に注文を済ませてしまう。パートタイムの青年がいそいそとアイスクリームを盛りつけている最中に、食事のことを尋ねられた。

 正直、答えるのも億劫なくらいにバカバカしい。

 先方にしてみれば、ここの食事代を支払うのだから、その礼に……という理屈なんだろう。

 だから断りたかったのだ。まったく面倒くさい。

 

「もちろん時間があるときですよ」

 

 分かりきったことを答えておく。

 忙しいのはお互い同じ。あとは個々人の都合だ。

 私は人付き合いが不得手であるのを自覚しているし、愛想を振り撒くだけの社交を好いたことなど一度たりともない。スポーツ観戦も映画鑑賞もしない。流行りの音楽や文藝にも疎い。食事とたまの市内散策が出来ればプライベートは十分だ。それでなくとも教授から指示される業務だけで多忙なのだから……すべてを満喫するなど不可能だろう。

 逐一説明しなくとも自明である。だから「時間があるときに食事をする」という無愛想な答えになった。

 退屈な連中だ。こんなのを相手にするくらいなら黑華姉の独り言を聞いている方がよほど楽しい。

 

「ああ、聞き方が悪かったかな」

 

 聞き方でなく頭が悪い。

 

「普段、学食で見かけないからさ。いつもどうしてるのか気になってね」

 

「学外に決まっているでしょう」

 

「わざわざ? 出てくる料理は大差ないだろうに」

 

「行く価値はあります。チリコンカンとか、美味しいですよ」

 

 顔がみるみる引き攣る。料理というのは毒と人肉が入っていなくて、味がよければ究極的にはそれで満点なのだ。そこに文化的優位性とか人種的純粋性とか、曖昧な基準に基づく付加価値を求めるから余計な悩みが増える。

 ……どれだけ拒もうと、文化は自然と混ざるものなのだ。

 水面に滴る絵の具と同じ。ほんの些細な振動で境界が揺らぎ、みるみる新しい色を生み出す。

 

「キザハシさん……こう言っちゃなんだが、女性一人でイーストタウンに行くものではないよ……治安が万全ってワケじゃないんだ」

 

「危ない目に遭ったことはありません。それは偏見ですよ」

 

「そりゃあキミ、今まで運が良かったってだけさ。親御さんが聞いたら驚くぜ」

 

「家族の誰も驚きませんよ。貴族じゃあるまいし、下町の定食屋で夕飯を済ませるくらい普通です」

 

 今でも黑佳姉は立ち食い蕎麦が好きなのだろうか。実家の屋敷は近所でも群を抜いて立派だし、大勢の使用人が詰めていたが、ついぞ世間が憧れるような上流階級の暮らしぶりとは縁のない家庭だった。それでいて病院の経営が苦しいなんて話は聞いたことがない……平民なんてそんなものだとばかり思っていたのは、今となってはいい思い出である。

 運ばれてきたバニラとチョコレートのダブルは砂糖がたっぷり。

 一口でひたすら甘い。

 アイスクリームなんてアメリカに来るまでついぞ食べる機会がなく、私はてっきり貴族の食べ物だと思っていた。ふたを開けてみれば実に庶民の味覚だ。

 まあ、美味しいには違いないが。濃いカプチーノが欲しくなる。

 もう少し甘さを控えてバニラビーンズやカカオを濃くしてくれたなら、さぞ赤ワインにあうだろう……。

 渋みと酸味をアイスで和らげつつ、甘さにフルーティーさを加えて……。

 いや待て。

 そこまでする必要はない。

 イチゴかラズベリーのソースをかければ済む。

 流石になんでもかんでも酒の肴にするのは不味い。

 歳を考えろ、トシを。若いのは見た目だけだぞ黑羽よ。

 無論、和菓子と清酒は相性抜群であるけれども。

 

 アイスクリームはとても美味であった。

 この食事会で確かなことはそれくらいである。

 私がアイスを振る舞われた理由は、ついに明かされなかった。あの平々凡々な青年は単に学術的な談論を望んでいたのだろうか。彼は同郷の友人から聞いたポナペ諸島の海底遺跡について語ってくれたし、私も『魔女の家』と呼ばれる倒壊寸前のアパルトメントにまつわる伝説を紹介した。

 ダゴン秘密教団の地下聖堂で目にした光景を踏まえ、迷信にも事実に根差した背景があるのだと考えるようになった。

 であれば『魔女の家』を忌み嫌うのも理由があるはずだ。

 ただ盲目的に魔女伝説を信じるというだけの住民もいるだろうが。

 けれど、あの老朽化著しい館を調べるだけの価値はある。そうでなくとも由緒はさておき、歴史的建造物なのだ。適切に修繕を施せばより長く居住も出来うる……ハズだ。

 しかしやはり教団本部を爆薬で木っ端微塵にしてしまったのは痛い。

 あの地下聖堂と海へつながる洞窟がある以上、やむを得ない措置ではあるが……フリーメイソン・ロッジの貴重な建築物なのだから、吹き飛ばす前に写真撮影くらいさせてくれても良かったものを。

 何も完全非公開でやることはあるまい。

 署長と局長のケチめ。瓦礫の一欠片くらい欲しかった。

 思い返すと腹立たしくなって余計に空腹が気になる。アイスクリーム程度で膨れるわけがなかった。ご馳走になる手前、あまりワガママを言うのも憚られ、つい遠慮したのが裏目に出た。こんなことなら適当なダイナーでステーキでも齧ればよかった。私はどうして肝心なときに必ず判断を誤るのだ。

 等身大のインスマス住民像を見るとさらに落ち込む。

 なんだってそんなに目が大きいんだお前は。サカナじゃあるまいし。

 前衛芸術家の作品とは思えない写実性に富みながら、やはり題材が題材だけにリアリティはあっても現実性に欠ける。

 エルク・ノーバート氏と縁深いこのレストランに来ると、いつも彼の作品を目にする。店主が熱烈なファンなのだそうだ。私は現代芸術を理解するための感性を備えていないから、彼女の熱弁に曖昧な反応を繰り返すのが精一杯だったりする。

 それはノーバート氏の力説する()への()()()にも言えることだ。私は()()()()()ではなく《信仰を解き明かす者》》であって、聖職者として子羊を導きもしなければ衆生を済度もしない。ただ、教義が成り立つに至った過程を紐解き、その歴史を書き記すだけ。いくら私へ神の聖性を説いたとて、その説教が説教たり得ることはない。インタビュー記録以上のものにはなれないのだ。

 仏教徒というのも、たまたま寺の檀家に生まれただけのこと。

 こんな不信心者に新興宗教の指導者なんて務まるものか。それならいっそ宗教芸術家のほうが適任だ。

 リバーサイドの一角にあるビルディングの一階。ポツンと扉があるだけ。看板もなく、行列とはまるで無縁……いつ行っても閑古鳥が鳴いているそのレストランは、魚介類を使った料理がなかなか美味である。ただし、客層のほとんどはあの青年芸術家の支持者である。だから扉を開けるとすぐ真横に“深きもの”と称されるインスマスの民の立像が置かれているのだ。

 郷愁と困惑とが押し寄せてくる。私はいつも立ち止まってしまう。

 

「いらっしゃい、こないだぶりだね先生。今日はなんにしようか」

 

 店主は髪も肌も真っ白な御婦人である。もちろん年齢不詳だ。

 ニヤリと口の片端を歪めて、メニューの紙をカウンターに置く。年季の入った振る舞いだが声は若々しい。どこか得体の知れぬ気配を漂わせているが、彼女の作る料理を前にしては瑣末なことだ。だいたい肌の白さなら私も少々自信がある。貧血を疑われる程度には白い。酒を入れればすぐ赤くなるが。

 

「まずはタコのフリッターを。あとジンジャービア」

 

「新鮮なタラもあるよ。コイツも揚げようか?」

 

「是非。味つけは塩だけで構いません」

 

 ひとまず注文を済ませる。店主は「はいはい」と応じ、厨房へ消えていった。冷たいもので身体が冷えていたから、揚げ物はうれしい。新鮮な魚介類なら塩だけでも十分に美味しい。その上でジンジャービアの炭酸、コレがいいのだ。それに生姜の風味も強い。脂っこい料理には辛口のソーダ類でなくては。

 ここはいつでも上等な食材を仕入れている。

 常連なら、アルコール類だって注文させてくれる。にも関わらずこの空席の多さ……リバーサイドはごく狭い職人街のほか、貧窮院を兼ねた教会があるばかりの寂れた地区だ。お世辞にもレストランへ通えるような人々ではない。いつ来てもこんな調子で、よく続けられると思う。

 もしかすると本業は別にあって、こちらは道楽なのかもしれない。

 だとすれば、これはとりあえず納得のいく筋書きである。

 果たして実態はどんなだろうか。

 想像の余地がありすぎる。

 背中にインスマスからの視線を感じつつ、ゆったり料理を待つ。

 不思議と懐かしさを覚える。ああ、オブレヒト氏の店で一服しているときの感覚だ。山盛りのソーセージに少々割高のドイツビール。漁港で腸詰というのもおかしな話だが、アレは美味しかった。やはり脂たっぷりの肉にはビールだ。それを思えば、ダニッチ村で啜った家畜の肉と香辛料のスープ……そして自家製密造酒……喉が焼けるように痛かったけれど、あの重い煮込み料理には最高の一杯だった。

 振り返るとアーカムより周辺の方が楽しい記憶が多い。

 インスマスはもはや思い出の中にしかないけれど。ここにあるのは、エルク・ノーバートの記憶が創り出す()()()()()()()……のようなもの。

 私の青春の一欠片とはまた違う、異なった色彩に輝く冒涜と堕落の街。

 本当に、あの一人旅は楽しかった。長閑なアイルズベリイ街道の景色。吹きつける風の冷たさも、陰鬱なくらいに色濃い木々の影も、墓標のように佇む石垣の残骸も。あの寒々しくも歴史情緒に溢れる渓谷と谷間の絡みあう迷宮で、私は確かに少女時代に恋焦がれた『自由』を満喫したのだ。

 フリッターが煮えたぎる油でじゅわじゅわと揚げられる。

 耳に楽しいその音を聞きながら、私は次の長期休暇にはダニッチを再訪しようと心に決めた。

 また突然なくしてしまうその前に。

 なるたけ脳裏に景色を焼きつけておかねば。

 

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