『ふん、まだ生き残りがいたか』
村の上空。
そこにはいつの間にか、禍々しい魔力を放つ存在が佇んでいた。
背から翼のようなものを生やし、縦に開いた爬虫類のような瞳孔と血のように赤い髪の男。
羽織のような独特な趣のある衣を身に纏うその男は、まるで虫でも見るような目でこちらを見下ろしていた。
『星よ落ちろ』
男が底冷えするような声でそう言った。
瞬間、膨大な魔力が天に渦巻いた。
そして、再び、天に蓋をする星が生まれた。
『忌むべき混血が煩わせやがって……凡人種もろとも一刻も早く消え失せろ』
再び、星が落ちてきた。
それは空に浮かぶ男から。
本来、人類圏内には現れないはずの存在。
『我が名はルルム。偉大なるパンゲア様に仕える、十一番目の眷属也』
魔法の規模が違った。
強さの次元が違った。
初めて目にしたその力は、あまりに理不尽で絶望的なものだった。
星を落とす魔法なんて人間が使えるわけがない。
魔法のイメージはできる。
アニメや漫画で隕石落としは浪漫溢れる攻撃としてよく目にしていたから。
でも、そのイメージを実現させるためには膨大な魔力が必要になる。
確かに魔力は増やせる。でも、いくらなんでも限度ってものがある。
僕が何十年、何百年かけても届くかどうか。そんな次元が違う話だ。
だから、無から星を作り落とす魔法は、僕がどれだけ願っても魔力が足りず、到底発動させること叶わない魔法だ。
その魔法を、魔人族はいともたやすく発動させて見せた。
勝てるわけがない。
一目みて、心の底からそう思った。
絶望した。
この世界の人々から魔人族と呼ばれている存在の圧倒的な力を前に僕は恐れおののき、呆然と立ち尽くした。
僕の身体は石像のように一歩も動かなかった。動けなかった。
勇気も湧かなかった。すべての感情が恐怖一色に塗りつぶされていた。
魔法も発動できなかった。
魔人族の魔法をどうにかできるイメージがまったく浮かばなかった。
何もできない、凡夫そのものだった。
「ごめんなさい……母さん」
唯一できたことは、口から謝罪の言葉を漏らすこと。
こんな生きていても何の役にも立たない、僕のために傷ついた母さんに謝罪することしかできなかった。
すると、謝罪の言葉が聞こえたのか、母さんは僕の方を向いて微笑んだ。
血まみれだ。今にも命が消えそうになっている。
痛いはずだ。辛いはずだ。それでも、母さんは微笑んだまま口を開いた。
「……大……丈……夫……母さん、もう少しだけ……頑張るから」
母さんの身体に再び魔力が宿った。
残った魔力を振り絞るように、命の炎を燃やして限界を超えた魔力を生み出した。
そして——魔法を発動させようとしていた。
「母さん!?」
魔法が構築されていくのを感じて、思わず叫んでしまった。
発動しようとしている魔法が感覚でわかった。
よく、村を出て近くの町に買い物に連れて行ってもらう時に母さんがその魔法を使っていたから。
エルフの術式魔法の一つ——
ただし、今まさに発動しようとしている魔法は、明らかにいつもより込められている魔力が少なかった。
僕は気づいてしまった。それが、僕一人でけを逃がす魔法だと。
おそらくこの魔法が発動した瞬間、僕は助かる代わりに、もう二度と母さんと会えなくなるのだと。
「なら、せめて一緒に!」
だから、どうしようもないとわかっていながら、僕は母さんへと必死に手を伸ばした。
「母さん———」
けれど、その手が届くことはない。
魔法が発動する。
僕の身体だけが虹色の光に包まれて、安全な座標へと飛ばす準備が完了した。
「どうか……生きて———」
母さんの声が聞こえた。弱弱しく、掠れていた。でも、これ以上なく慈愛に満ちたものだった。
「あ、ああ……」
声を聞いて、ようやく、恐怖が吹き飛んだ。でも、絶望は晴れない。
前世の最期に感じた、あの無力感が、あの後悔の感情が、あのどうしようもないもどかしさが——これ以上ない絶望が今までの絶望をすべて塗りつぶした。
たぶん、僕は助かる。
けれど、母さんは死ぬ。もう会えなくなる。
それは、僕に力がなかったから。勇気がなかったから。
すべては、僕がこの世界でも何もできない凡夫なままだったからこうなった。
僕のせいだ。
「元気でね……アメ——」
そして、母さんの魔法が発動した。
———世界よ、静止しろ。
はずだった。
世界が止まった。
そう表現するしかない——まるで世界が止まったような感覚に囚われた。
母さんの魔法も発動する寸前で止まった。
降り注ぐ星も上空で静止したまま落ちてこない。
母さんも、微笑みを浮かべたままピクリとも動かない。
まるで、時間の流れが進むのをやめてしまったかのように。
全てが静止していた。
———母さんを助けたいか?
その時だった。
声が聞こえた。
———答えろ。母さんを守りたいか? 助けたいか?
声は直接、脳内に響く。
初めて聞いた声だ。誰の声かはわからない。見当もつかない。
でも、その問いに対する答えだけは明白だった。
「守りたい! 助けたい! 母さんに死んでほしくない!」
僕は反射的にそう叫んだ。
まだ言い足りない感謝の言葉がたくさんある。
まだ恩返しできていないこともたくさんある。
こんな形で、母さんと離別するのは絶対に嫌だ!
そう強く思った。
———……そうか、そうだよな。
すると、謎の声の主は。
———なら、少しその身体を貸せ。そうすれば、今から俺がなんとかしてやろう。
そう僕に提案してきた。
「身体を……」
一瞬、迷った。声の主が何を望んでいるのか、何をしたいのかよくわからなかったからだ。
本当に、身体を明け渡して大丈夫なのか。正直不安だった。
それでも。
「わかった。母さんを助けられるならなんでもする! 貸す、僕の身体!!」
今は母さんを助けられる可能性に賭けるしかない。
僕は、謎の声の主からの提案を受け入れた。
———よし、契約は成立だ。これからお前には俺に協力してもらう。その代わりに、今回は俺が救ってみせよう。これから俺のことは……そうだな”ジア”にしよう。これから俺のことはそう呼べ。
謎の声の主がそう言った瞬間、僕の身体に、ナニカが入ってくるのを感じた。
そして、僕の意識はそこで途切れた。
異世界でも凡夫だった僕には、何者かもわからない存在に身体を貸すことが精一杯だった。
もうあとは願うことしかできない。
「ジア」と名乗った"誰か"に。
「どうか……助けて……母さんを……」
「ああ———任された!!」
意識が切り替わる。
眠りについたアメジアの意識から、アメジアに取り憑いた男。
ジアと名乗った存在に身体の主導権が移り変わった。
「さて———」
ジアの意識が覚醒した瞬間、世界が震えた。
アメジアの身体に宿ったジアという存在に畏怖し、怯えるように、あるいは、その存在に歓喜し、祝福しているかのように。
「一時的な肉体の置換を実行。
さらに、ジアから解き放たれた膨大な魔力が渦巻いて、瞬く間に世界を塗り潰した。
そして———
「世界よ———逆行しろ」
ジアによって時を巻き戻すという大魔法が発動された。
その魔法の力によって間も無く発動するはずだった転移の魔法も、定められていた死の運命も、刻まれるはずの悲劇の歴史も——全てがなかったことにされていく。
「ようやくだ……今度こそ、ようやく俺の願いを果たせる」
世界の時が巻き戻る。
アメジアの母レダが傷を負う前に。
魔人族によって村に隕石が落とされる前の時間に。
まだ、誰も死んでいない、村での平穏な暮らしが続いていた時に。