糸師冴の相棒 作:まっしゅないも
「立てよ、
玉が狙われるなら、玉を無くせば良いじゃない──ってコト?
かのサエ・イトッシーはそう宣った。
潔くんの罵倒から頭が完全に
冴は俺に任せろ、みたいな満足した表情でセンターサークルへ向かう。冗談じゃないよ。
「待て」
流石に玉無しにはなりたかねえ。サポートしてくれるのはありがたいけど、玉が狙われるなら去勢魔法をかけてやるは本末転倒だよ。
「魔法はいらねえ」
「は?」
冴は思い切り眉を顰めて不機嫌そうなツラに戻る。
「勝手にやるってか?」
「自分の玉は自分で守る」
「お前だけの球じゃねえんだぞ」
明らかに俺だけの玉だよ。
そう言いかけて、ふと口をつぐんだ。
よく考えれば、冴は幼少期から『日本の至宝』として、たった一人で“玉”という名の聖遺物を背負い続けてきた男である。
その玉を巡って、幾多の戦場を駆け抜け、数えきれぬ強者たちの執拗な襲撃に晒されてきたはずだ。
潔くんの
それどころか、冴が戦ってきたのは、ただの敵ではない。
世界だ。
国境を超えた怪物たち、世界最高峰のフィジカルモンスターたちの猛攻の中、冴はたった一人で“玉”を守り抜いてきた。
戦場では、幾度も粉砕されかけたはずだ。それでも彼は立ち上がり、ただひとり、たったひとりで戦い続けた。
……俺は、その冴に向かって「玉は自分で守る」なんて、軽々しく口にしていたのか?
なんということだ。俺は今、この戦場の片隅でようやく気付いた。
冴は、俺の知らない戦場で、すでに何度も“死線”を越えてきたのだ。
冴……、お前苦労してたんだな。
友の苦労にじんわりと共感する。ただでさえあんな面倒なベロ出し弟に粘着されてるのに、玉潰魔王まで相手にしてたなんて、MFってマジで大変なんだ。
でも。いや、だからこそ俺はFWとして潔くんを抑えるべきだと思う。
「冴、これは俺の意地だ。11番は俺が潰す」
「真澄……」
冴は少し目を開くと、「分かった」と呟いた。
審判が速くしろ、と手で合図を送る。冴は思い切り舌打ちすると、今度こそセンターサークルへ向かった。
イエローカード出してもいいんですよ、審判さん。
11番、潔世一。
冴はセンターサークルから、真澄と潔のデュエルを観察する。
なぜ真澄は、潔のフェイントにかかった?
これまで、真澄にマークをつけてフェイントを仕掛けようとした選手は数えきれないほどいた。
だが、真澄はそのたびに直感的なポジショニングで裏をかき、ほとんど引っかかることなく抜け出してきた。
なのに、潔のフェイントには引っかかった。
潔は、俺にも理解しきれない真澄のポジショニングを、ある程度理解している節がある。
ならば、これまでのフェイントと潔のフェイントの違いは……?
冴は、目を細めながら思考を巡らせる。
──そうか。言葉か。
潔は、フェイントと同時に、日本語で「思い通りに動くなよ」と言葉を投げかけた。
その一言が、真澄の無意識の判断を狂わせたのだ。
真澄には、科学的に証明された「無思考反射」がある。
視覚から思考を飛ばして行動に移行することで、冴より約0.5秒動き出しが速いのだ。『そっか俺、考えてないから速いんだー』と言われた時は衝動で殴ったが、これは真澄の持つ確かな強みだ。
通常なら、フェイント動作に隠された本動作を確実に読み取って反射的に裏を取るのが真澄のやり方だった。
だが、潔はそこに「言葉」というフェイントをもう一枚重ねた。
二重フェイント。
相手の動作に加え、言葉によるフェイントで思考を妨げられた結果、真澄は普段なら引っかからないはずの罠に足を取られた。
冴は静かに息を吐く。
「……なるほどな」
潔は、合理的なプレーを重視するタイプだ。合理的であるがゆえに、彼の選択肢は常に「最適解」に収束する。それを真澄は、無意識の反射によって先読みしていた。
しかし、潔はそれを逆手に取った。
言葉を用いて、真澄の反射を狂わせ、意識を一瞬でも遅らせたのだ。
だが、真澄はそこで終わらない。
5番がフォローに入ろうとしたその刹那、真澄は球を潔の股下を通して、鋭く前へ抜けた。
「……
冴の眉がわずかに動く。
真澄が普段使わない手を使ったことに、意外性を感じた。
股抜きドリブルは、真澄のプレースタイルからすると珍しい。
潔のフェイントにかかったことで、一時的に流れを奪われたかと思われたが違う。
プレースタイルを変えることで、潔の読みを超えたのだ。
オラっ!股抜き!股抜きじゃあ!
玉潰ドリブルで威嚇しながら潔くんをかわす。グラサンボーイも寄せてくるので股下でサイドラインギリギリにボールを通し、ぶつかられた勢いのままライン外を走って回収。
そう、これはレオナルド・ルナ大先輩と1on1することにより習得したドリブルテクである。向こうが股抜き縛りでひたすら攻めてきたので察した俺も股抜き縛りで頑張ったのだ。
今思えばあれもレ・アールの
つまり玉潰しは定番戦術!
後で唯一無二のレ・アール友達ことゴンちゃんに聞いてみよう。彼も冴と同じでスペインの
よし、玉で思考を満たすことにより、身体を反射で動かせる。調子が戻ってきたぞ。
周りの声も意識的にシャットダウンできるようになった。
「この単細胞が」
「こんにちはベロ凛まつげ」
無理だった。
弟様に対しては返答するのがデフォルトなので思わず声を出してしまう。小学生の時にうっかり無視してお兄様にブチ切れされた傷が疼く。
真正面に凛が立つ。
とうとう来てしまった。
ひたすら走り回って拒否してたガンギマベロ凛とのマッチアップである。
通常時の手を抜いてるイキ凛なら、ここからでも速さで抜ける。だが、覚醒中のベロ凛にはそれが通用しない。
その場に張り付いたかのような圧倒的存在感。
動かないのに、全方位を塞がれているような錯覚。
どうしよう、勝てる気がしない。
だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。抜かなければ、攻撃は始まらないのだ。
考えても無駄だ。
俺には速さがある。
それを活かして突破するしかない。
ボールを一気に前に蹴り出し、相手を振り切ろうとした瞬間、凛の視線がわずかに細まる。
その瞬間、全てが終わった。
俺が蹴り出したボールは、凛の足によって完全に止められていた。
体の動きに無駄がない。
そして、次の瞬間──体が弾き飛ばされた。
俺は宙を舞い、1回転して背中から地面に落ちる。
「邪魔だ」
地面に転がったまま、俺は空を見上げた。
どう見てもファウルだろ。イエローカード出してくださいよ審判さん。
ボールを取った後なら何してもいいのか?こんなの許されるなら、DFなんて何でもアリじゃねえか。
凛がターンし、試合を次の展開につなげようとした瞬間、ハーフタイムのホイッスルが鳴った。
前半終了である。
凛は舌打ちして倒れてる俺の頭を踏もうとしてきたので、寝返りで回避した。
「ぬりぃプレーすんな雑魚」
いや、理不尽すぎる。
お前が勝ったんだから、それでいいだろ。なんでわざわざ捨て台詞吐くんだよ。
冴もだけどさぁ……自分が勝つとすぐに『ぬりぃプレー』呼ばわりすんのなんなんだ。そもそもぬるくないプレーは何だ。俺はいつも全力だよ。
特に凛は自分が勝つとすぐにキレてくる。あれか?年上の真澄が自分より弱いのは解釈違いってやつか?
理不尽だなぁ。
──それにしても、プレーを振り返って違和感はあるのだ。
考えてみれば、股抜きで潔くんを抜いたのも、そのあと凛に負けたのも、全部おかしい。
俺、今までこんなプレーしてたか?
なんでこんなに股抜きにこだわってるんだ?
思い返せば、潔くんのフェイントに引っかかったあたりから、俺の動きは変になった。
潔くんのシンプル罵倒は攻略できたと思ったが、まだまだ引っかかる。
例えば、俺の強みはスプリントとリズム変化型で相手を華麗に抜くドリブルだったはずだ。雑誌にそう書いてあった。
なのにプレーが固定化されていた。
(……まさか、思考誘導されてた?)
言葉一つで、俺は無意識のうちに潔くんのゲームに乗せられていた。
それに気づいた瞬間、さらにひとつの疑問が浮かぶ。
(玉潰ドリブルってなんだ?)
そもそも俺が股抜きを多用していたのは、潔くんが金玉狙いのサッカーをしていると考えたから。
「潰される前に潰せ」──そういう思考になっていた。
つまり、俺は潔くんの策略にハマって、知らず知らずのうちに"玉潰ドリブル"なる謎の戦術を編み出していたことになる。
股抜きに固執するようになったのも、潔くんの狙い通りだったというわけだ。
やばいな潔くん。冴でも思いつかないぞそんな戦略。
俺を言葉一つで股抜きしかできない体にした潔くん。
「やるじゃん」
これが最新のジャパニーズサッカーか。
考えてみれば、俺は今まで 直感だけでプレーしてきた。
相手の動きを見て、感じたままに体を動かす。
それで結果が出ていたし、それが俺のサッカーだった。
でも──今回の試合で初めて知った。
相手の言葉や意図ひとつで、自分のプレーが変わることがある。
ただ速く走るだけじゃない。
ただ反射的に動くわけでもない。
相手の思考に影響され、俺は知らないうちに「考えさせられていた」。
(……これが、サッカーで『考える』ってこと……?)
潔くんのフェイントにかかったことも、
玉潰ドリブルに固執したことも、
凛にボールを刈り取られたことも、
全部、俺の思考が潔くんに支配されていた結果だ。
でも、これを逆に考えれば──
俺も、相手のプレーを"支配できる"ってことか?
俺は今、試合を「頭で」分析している。
これまで無意識にやっていたことを、言葉として理解する。
「なぜ相手はこう動くのか?」
「なぜ俺はこう動かされたのか?」
「どうすれば、逆に相手を動かせるのか?」
これが、いわゆる サッカーIQってやつなのか?
(ヤバい。こんな感覚、初めてだ)
俺の中で、今までとは違う新しい感覚が生まれ始めている。
ただ速く走るだけのサッカーじゃない。
ただ直感でゴールを狙うだけのサッカーじゃない。
もっと面白いサッカーの可能性が見えてくる。
(テンション上がってきた)
サッカー歴9年目にして、俺の中に初めて「サッカーIQ」が生まれた。
「冴、俺さ……今、サッカーIQってやつを理解したかもしれない」
ロッカールームへ戻るなり、俺は真っ先に冴に報告する。
冴は静止した。
ほんの一瞬、時が止まったような気がする。
普段の無表情が、わずかに揺らいだ。
「……今?」
低く、深く、冴の声が落ちる。
俺は笑って頷いた。
ロッカールームの喧騒が遠のいた。目の前の冴が異様に静かに見える。
「今?」
もう一度、冴が繰り返す。
俺は自信を持って頷いた。
冴の手から、飲みかけのスポーツドリンクが滑り落ちる。すぐさまキャッチした。
その瞬間、冴の拳が振りぬかれる。
反射的に避けた。
空振りした拳を収め、冴は短く息を吐く。
なんでこんな『終わった……』みたいな表情してんだろ。
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