糸師冴の相棒   作:まっしゅないも

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U20日本代表戦 後半2

 

 何も言い返せなかった。

 潔くんの言葉は、論破でも正論でもなかった。ただ、意味がわからなかった。

 

 何が悪かった? 冴に合わせただけだ。俺がピエロ? 意味がわからない。

 

「なんでわかんねえんだろ」

 

 世の中はわからないことばかりだ。

 味方なのに妨害しあうチームや、冴の出典不明な「ぬりぃ」、凛の「味方も敵もぶっ壊す」発言、潔くんの罵倒や士道くんの「ゴール=受精」哲学。 

 

 みんなわかってるんだろう。だから会話が成立する。多分、俺だけが何もわかっていない。

 

 全身がじわじわ冷えていく。

 けど、不思議と、この感じに覚えがあった。

 

──そうだ、あの頃と同じだ。

 

 言葉が通じなかったスペインの下部チーム。

 冴よりも早くトップチームに上がったはいいが、新しいチームでは完全に浮いていた。パスも来ない。声もかけられない。ブーイングだけが、やけに鮮明だった。

 

 味方が全員、敵に見えた。

 世界中で、自分一人だけ取り残されていた。

 

 あのときも、ピッチを見下ろした。芝があった。どんな国にいても、どんな状況でも、足元だけはいつも緑だった

 

 ふと気づく。

 たぶん、サッカーって……芝に触ってないとダメな気がする。

 みんなと通じないのも、動きがズレるのも、芝との距離が足りてないのかもしれない。

 そういえば、昔もそうだった。スペインで誰とも通じなかったとき、芝に触れてると落ち着いた。

 

──もしかして、あれが原因だったんじゃないか?

 

 なら、試してみるしかない。

 芝と、もっと一体になる方法を。

 

 俺は芝をむしった。指先に残った草の感触が、確かにそこにいる自分の輪郭を縁取る。

 それを口元に持っていく。

 

 逃げるためじゃない。

 ふざけてるわけでもない。

 これは、俺なりの──芝との再接続だ。

 

 そして。

 ピッチの上に居続けるため、正々堂々と戦う決意をこの芝に誓おう。

 

 暴力、暴言、ラフプレーは絶対にしない。俺だけはスポーツマンシップに則り最後まで堂々と戦おう。

 

 柔らかくて青臭い香りが口の中に広がる。スペインの芝とは違う気がする。食べたことないけど。

 初めて食べたはずなのに、どこか懐かしさを覚えた。

 

 

 

 

 

 ゴールネットが揺れた瞬間、潔世一は思考を止められなかった。

 

 守備は崩れていなかった。陣形も、読みも、すべて機能していたはずだった。けれど、たった一瞬──ピッチ全体の構造が裏返ったような違和感とともに、糸師冴が"ストライカー"として現れ、ゴールを奪っていた。

 

 なぜだ、と潔は思った。

 

 冴はこの試合、開始からずっと"0トップ"の動きをしていた。少なくとも、そう見えた。シュートレンジに踏み込まず、士道や居駒のサポートに回り、中盤を支配していた。攻撃の起点にはなるが、矢にはならない。あくまで自分はコントローラーだと振る舞っていた。──それが、冴という選手の合理性であり、潔が読み取った"役割"だった。

 

 しかも、糸師冴は「必要がないことはやらない」男だ。過去の試合を思い出せば、無理をしてゴールを狙うようなことは決してしない。自身の価値を理解し、他者を活かすことに徹する冷静なプレイヤー。潔にとって、糸師冴はそういう男だった。

 

──だからこそ、潔は糸師冴が"前に出てくる"とは思わなかった。

 

 糸師冴が前線に顔を出した場面もあったが、それは凛との正面衝突を仕掛けるためであり、彼のプライドと心理戦の一環だと見ていた。あくまでプレッシャーの一手。糸師冴が本気でゴールを狙っているとは、誰も思っていなかった。

 

 だが、それは──罠だった。

 

 糸師冴は"0トップ"として振る舞っていたのではない。居駒の目線からすれば、糸師冴は最初から"1トップ"として機能していた。本人の意思など関係なく、居駒の中ではそう決まっていたのだ。

 潔は気づく。居駒は、糸師冴を「そこにいるもの」としてパスを出した。意図の共有なし。だが、それが通ってしまった。「なぜか」ではない。居駒の中では、それが最も自然な流れだったからだ。

 

 居駒真澄の中にある"完成形"。そこには、糸師冴がストライカーとしてゴールを決める未来が当然のように組み込まれていた。

 

 糸師冴は選んだのではない。選ばされたのだ。

 

 潔の思考が、重く、鋭く収束していく。

 

──これは、戦術の読み違いなんかじゃない。 そもそも、フォーメーションそのものが、居駒の中にだけ存在していた。

 

 そして、その"押しつけられた完成形"が、結果として点を生んだ。

 居駒真澄は誰ともプレーしていない。それなのに、誰よりも精密にゴールへの最短経路を用意してしまった。味方が意図的に動いて作るはずのチャンスメイクを、あいつは"自分が走って、蹴っただけ"で成立させた。

 

 誰にも伝わらないのに、すべてが成立する。

 それは、合理性でもセンスでもない。ただの怪物。

 

「なんでわかんねえんだろ」

 

(チームと共通のビジョンを持てないんだ。居駒は)

 

 潔の中で、ひとつの答えが組み上がった。

 

 

──居駒真澄と潔世一では、サッカーIQに差がありすぎる。

 

 

 戦術理解も共有もすり合わせも要らない。あいつの中には、誰にも見えていない"完成形"がある。その景色を、味方とすら共有できないまま──ただ押しつけてくる。

 

 糸師冴が不快感を示した。

 それは居駒の気分によって変わる『お膳立てされたサッカー』

 

 糸師冴もついて来れなかった居駒のパス。

 潔も凛も、相棒である糸師冴ですら、この場においては居駒真澄の手のひらで踊っているピエロに過ぎない。

 

 糸師冴は理解することを諦め、追従した。

 凛は怪物を正面からねじ伏せることを決意し、抵抗した。

 

 ならば潔は──?

 

(理解して、潰す)

 

 潔の中で、思考が凍てついたように冴え渡った。

 

 居駒真澄は、誰にも伝えず、勝手に"完成形"を押しつける。

 

 支配も、先読みも、全部解体する。

 お前の中にある"正解"を、全部言語化して、全員に見せて──壊す。

 

「この怪物は、俺が殺す」

 

 

 

 

 

 

 芝を口に含んだ真澄の表情に、感情はなかった。

 ただ、凪いでいた。

 嵐の前の海のように、どこまでも澄んで、どこまでも深く──まるで、冷静な人間が冷静なまま正気を失っていると気づかず、粛々と処刑の準備を進めているような顔だった。

 

 その横顔を、誰より近くで見ていた冴がようやく声を発する。

 

「……おい」

 

 その声には、普段のように嘲りや、苛立ちの感情はなかった。あらゆる意味で"やめてほしい"という、深い諦めが滲んでいた。……少し逡巡した後、冴はポツリと呟いた。

 

「草がかわいそうだろ」

 

 止めに入ったわけではなかった。ただ、状況を受け入れてしまった人間の声だった。

 

 審判がイエローカードを掲げる。

 

 それでも、真澄は一切の反応を示さないまま芝をもうひとつ、手のひらに乗せる。どこか儀式めいた動作だった。

 

「真澄。俺は、わかる」

 

 背後から、凛の声。

 静かで、真っ直ぐだった。

 

 真澄はようやく顔を上げ、振り返る。

 

 目の奥に宿ったのは、奇妙なまでの共鳴だった。旧友に出会ったような、あるいは同じ狂気に感染した者同士が、初めて顔を合わせたような──どこか救済にも似た渇望の光が、そこにあった。

 あの日、心に巣食った何かを見つけた子供のように。

 

「俺も……ずっと感じてた。ズレてるのは、こっちだって」

 

 凛は真澄の手から芝を取ると、ためらいもなく口に含んだ。

 咀嚼音が静かなピッチに、やけに生々しく響く。

 

 笛が鳴る。

 もう一枚、イエローカードが掲げられた。

 

 だが──誰も、それが何の反則なのか分からなかった。

 凛は芝を噛みしめて、ゆっくりと呟いた。

 

「これは、覚悟だ。正々堂々戦って、互いを潰す誓い」

「そうか」

「俺たちは同類だ。同じストライカーは──二人もいらねえ」

「そうか」

 

 言葉を交わすごとに、凛の目にはさらに強い光が宿っていく。敬意、執着、殺意、羨望──あらゆる感情が混じり合い、今や彼の瞳は一匹の獣のものだった。

 

「元から潰しあう運命なんだ。クソ兄貴のストライカーは1人でいい」

「そうか」

「世界一のストライカーは、1人だけだ」

 

──全員が、糸師冴を見た。

 

 審判も、監督も、ベンチも、観客も。

 なぜか一斉に冴のほうへ、"責任の所在"を探すような視線を送った。

 

 糸師冴は、静かに目を伏せた。

 

「……やってらんねーよ」

 

 呟いた声は風に消えたが、次の瞬間、彼は完全に視線を空に向けていた。

 

 見ているのは、ピッチではない。

 スコアでも、戦況でもない。

 

──潰すしかない。

 同じストライカーは二人いらない。

 兄の夢についていけるのは、ひとりだけ。

 

 静かに、全員の視線が集中する。

 冴は、しばらく空を見つめていたが──

 

 ゆっくりと、前を向き直った。

 そして、やや遠くにいた青い監獄の司令塔に向けて、こう言った。

 

「こいつらの狂気を目覚めさせ、日本のサッカーを変えるのはお前なのか?潔世一」

 

 答えるように、潔が振り向く。眼差しに宿るのは、揺るぎのない意志。

 

「この怪物は、俺が殺す」

 

 審判がすかさずイエローカードを掲げる。絶好調だ。

 

「……そうか」

 

 冴はそっと目を逸らした。

 ああ、そうだった。こいつも頭おかしい側だった。責任転嫁先を間違えたと静かに反省する。

 

「気にすんな、冴」

 

 芝を噛み終えた真澄が、まるで日常会話のようにそう言って、隣に並んだ。

 

「お前、マトモに──」

 

 芝を差し出す。審判がイエローカードに触れた。

 

「お前も食え。サッカー選手だろ」

 

──食うわけねえだろ、イカれ野郎。

 

 言い返したい言葉が喉元まで出かけたが、冴は飲み込んだ。今ここで刺激すれば、間違いなく上裸で踊り出す。

 真夜中にフラメンコを始めた時の悪夢がフラッシュバックする。

 

 冴は知っていた。

 真澄は半年に一度くらい、静かにメンタルが崩壊して芝を食べ、踊りだし、一晩ランニングしてくる男だ。

 そのたびにチームスタッフが騒ぎ、対戦相手がドン引きし、どこからか現れたルナが写真を撮る。

 

 芝を食べる理由は、その時々で違う。

「芝がそこにあったから」「美味しそうだったから」「虐げられてるのが共感できる気がしたから」──どれも真澄なりの理由だ。

 共通しているのは、その瞬間の真澄は、いつにも増してバカで、どうかしているということだけだった。

 

 回復するとケロッとして「落ち着けよ冴」とか言ってくる。記憶を封印して回復するのが真澄のサイクルだった。

 

 だが、今は試合中だ。

 

(……やるなら試合外でやれ)

 

 何回言っても聞かない。なぜなら記憶がないから。

 今は怒るより先に諦めが来る。過去、ジローランがこう言ったのを思い出す。

 

「冴ちゃん。あれはガス抜きなんだよ。あんまり怒らないであげて」

 

 普段ならそんなくだらないお願い全力で踏み倒す。というか試合中に芝食っちゃダメだろ。常識的に。

 だが、仮にも、こんな奇行種であっても友人である。友の狂気を無視して、サッカーに集中できるほど冴は非情じゃなかった。

 

 ちゃんと背負ってる。誰より冷静に、壊れてるあいつを──俺が一番知ってる。知っててもどうにもならないが。

 芝を食べる行為とユニフォームを脱ぐ行為が同等のペナルティなのか。一発レッドにルール変わらないかな。

 

 サッカーは残酷なまでに平等なスポーツだ。狂人でもピッチに立たせてくれる。

 

 キチガイモードの真澄を正気に戻せるのはマネージャーか、真澄と仲がいいレ・アールの予備チーム監督だけであった。

 

 

 

「おい、糸師冴」

 

 士道が、まるで一連の茶番劇を全力で堪能した観客のような顔で、ぬるっと冴の隣に並ぶ。冴の視線は正面のまま、士道の気配だけを感じ取って眉をひそめる。

 

「なんだ。くだらねえこと言うなよ。俺は今、最高に機嫌が悪い」

「発端はオマエが逆ギレしたことでしょ。まあいいや」

 

 士道は片手で髪をかき上げ、ふっと笑う。

 

「もしかしてあのバカちゃんたち──」

 

 軽い調子のまま、地獄のように重い一言をぶつけてきた。

 

「ゴマちんがメンタルクソ雑魚ボケストライカーってこと、気づいてねぇの?」

 

 冴は、心臓を素手でつかまれたような感覚に襲われた。

 

 一拍の間、呼吸が止まる。

 言葉に詰まったわけじゃない。ただ、あまりにも図星すぎて脳が処理を拒否した。

 

 ようやく言ってくれる奴が現れた。  

 何年もかけて積もらせた"どうして誰も気づかないんだ"という孤独が、たった今、音を立てて崩れた。

 

 そうだ。あいつはクソボケチキンシュートカスだ。  

 自分が何してるかもわかってねぇで、勝手に動いて、勝手に正解を引き当ててるだけの──バカだ。

 

……だけど。

 

(よりにもよって、それに気づいたのがコイツかよ)

 

 士道龍聖──下品な衝動の化身。

 サッカーを「生命活動」とほざき、ゴールを「受精」と喚く、存在自体が世界のピッチで即刻排除レベルの汚物。

 

 冴はゆっくりと目を閉じた。

 

 




感想・評価ありがとうございます!!
ゆっくりですが更新を続けていくのでお付き合いください。
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