シグルってたまるか   作:風袮悠介

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第十六景・牙 異聞譚 その二

 岩本家虎眼流道場兼岩本屋敷。

 その一室にて、涼之介は青い顔をして平伏していた。

 大小を右に置き、涼之介は頭を下げる。

 

「師範。申しわけございません。涼之介は虎眼流を裕次郎さんみたいに私闘で用いたのみならず、裕次郎さんみたいに果たし合いの契りまで……」

 

 涼之介の前に座るは、師範たる牛股権左衛門。

 右に控えるのは虎子と呼ばれる高弟たち。その中には、藤木源之助もいた。

 

 涼之介は震える声で、話す。

 

「相手は無頼の牢人者七名。陣馬峠に暮六ツ。立会人を連れて参れ、と……」

 

 己の習う虎眼流の看板を名乗り、勝手に果たし合いの契りを交わす。

 看板に泥を塗るかもしれぬ、その状況に涼之介は恐怖していた。

 

 果たし合いで死すことに恐怖はない。

 ただ己の剣を、流派を、汚すかもしれぬことに恐怖しているのだ。

 

「涼……」

 

 牛股は片手に台帳を持ったまま、涼之介の名を呼んだ。しかし、涼之介はさらに畳に頭をめり込ませんばかりに下げるだけだ。

 

「何とぞお許しを。命に代えてもわたくし孤剣にて打ち果たしますゆえ!」

「涼!!」

 

 牛股の鋭い声に、涼之介は顔を上げた。

 

「でかした!」

 

 そこにあったのは、牛股の歯を見せびらかさんばかりの、満面の笑みであった。

 涼之介は驚嘆していたが、虎眼流にとって果たし合いなど問題ではない。

 

 流派の名を上げる、絶好の機会でしかないのだ。

 

 剣を極めんと日頃から稽古に励む剣士にとっての笑うという行為は、攻撃的な意味を持つ。

 そも、笑うという行為そのものが本来攻撃的なものであり、獣が牙をむく行為が原点なのだから。

 

「それはそれとして」

 

 牛股は手に持った台帳をぺらり、と捲った。

 

「その果たし合いを挑んできたものたちの名は?」

「え? その……すみません、聞きそびれました」

「ふむ……では今回は、仕方なし、としよう」

 

 牛股は台帳閉じると、立ち上がった。

 

「参るぞ」

「「「応」」」

 

 牛股と虎子たちは連れだって部屋を出て行ってしまった。残された涼之介と源之介であったが、源之介もまた立ち上がり出て行こうとする。

 ふと涼之介が台帳の方に目をやった。牛股師範はこれで何を見ていたのだ? と気になったからだ。そして、この場にいない尊敬する兄弟子のことも気になる。

 

「あの……師範代」

 

 出て行こうとする源之助の背中に、涼之介は話し掛けた。

 

「その、裕次郎さんはいずこに?」

「……今頃川に潜って魚を捕っているころだ」

 

 ぴしゃり、と障子が閉められ、そのまま源之助は去って行ってしまった。

 なんで、川で、魚? と涼之介は混乱した。

 しかし準備をせねば、と切り替えて立ち上がったが、どうにも台帳が気になる。牛股師範は何を気にしてあの台帳を見ていたのだ? と。

 

 よくないことであるのは承知していたのだが、好奇心が勝ってしまい涼之介は中身を覗いた。

 

 誰かの名前が、羅列されている。それも尋常ではない数の名が。

 

 いったいなんだこれは? と涼之介はうすら寒いものを感じたのだが、ふと台帳のすみに書いてある名前が目に留まった。

 

「……柳生宗矩、小野忠明……? なぜかの有名な剣士の名前が……?」

 

 気になった涼之介であったが、すぐに果たし合いのことを思い出し、台帳を元に戻してから部屋を出た。

 

 裏返った台帳には……『藤木裕次郎被害者名簿』と書かれていたことに、涼之介は気づかなかった。

 

 

 

 

 

 暮六ツ。陣馬峠。夕方ともなろうと、夕日が見える頃である。

 そこに、十数人の男たちが……いた。

 これから暗くなろうとしているこの峠にて、虎眼流の面々と牢人者七名が果たし合いを行っていた。

 

 果たし合いと呼ぶにはあまりにも一方的であり、し合いにすらなっておらぬ。

 

 涼之介はそれを、呆然と見ていた。

 男たちの中心に立つのは、藤木源之助。虎眼流免許皆伝の業前を持つ剣士。

 

 右手は、牢人者七名の血に染まっていた。

 なんのことはない。源之助は己の大小を涼之介に預け、徒手空拳にて相手をしていたのだ。

 結果は、ご覧の通り。

 

 伝鬼。

 右顔面陥没破壊による脳挫傷及び頭部爆散。

 

 柿右衛門。

 鼻骨陥没及び右眼下陥没骨折による脳挫傷。

 

 鎌エ門。

 肋骨粉砕による肺破裂および心臓破裂。

 

 左馬之介。

 顎部が咽頭に詰まり窒息死。

 

 軍蔵。

 頸椎捻転による頭部切断。

 

 右近。

 顎部損失。

 

 これらを拳にのみなした源之助の手には、男たちの歯や骨が突き刺さっていた。

 源之介が力を込めると、歯や骨がぶっ、と吹き出るようにして抜けて落ちる。

 

 このあまりの惨状を生み出した源之介の顔に、微塵も疲労や怪我による消耗はない。

 他の高弟たちが静かに見守る中、固唾を呑んで見ていた涼之介の額に冷たい汗が流れる。

 

(素手で……!)

 

 武器を用いて襲いかかってきた六名を、右腕一本だけで完全に制圧し、あまつさえ人体を破壊して殺害する。

 あまりの実力に、涼之介は何も言えぬほどだった。

 

「野良犬相手に表道具は用いぬ」

 

 源之助は残る一人、蝙也斎に向けて言い放った。

 ともすれば侮辱とも取れる言葉ではあるが、蝙也斎の顔に変化はない。ただただ、油断なく源之介を見据えるだけだ。

 

「掛川に竜が潜みおるとは……」

 

 虎眼流のあまりの実力を前に、蝙也斎の油断や慢心、そういった驕りは完全に消え去っている。

 油断すれば死に、慢心すれば死ぬ。それほどの相手である。

 

 蝙也斎の左手が刀の鞘を、右手が刀の柄に添えられた。

 一連の動作を静かに見る源之助だが、涼之介の体が強張った。

 

「できますよ。あの男は……」

 

 剣の腕が熟達したのものは、武器に手を掛ける動作でさえも堂に入っており、圧を感じさせるものだ。

 それは内面に封じられていた戦力が、完全に表に顔を出したことを意味するのだろう。

 

 これに対し源之助の右手が、存在しない刀を掴んだ。

 虎眼流の構えの一種であり、同時に源之助に油断など一切無いことの証左である。

 二人の間に、殺気が満ちていく。涼之介が息を呑むと、これを見守っていた虎子の一人、宗像新八郎は静かに告げた。

 

「見ておれ」

 

 と。

 兄弟子の強い、確信を持った一言に、涼之介は源之助の姿をしっかりと見た。

 

 殺気刀身に満ちる蝙也斎と、己が五体に神経を巡らす源之助。

 

 同時に動く。

 

 熟達した林崎流の居合いは、抜き打ちの音すら美しい。

 源之助はそれに対して、右手を振るった。

 狙うは、一つ。

 

 振るわれる拳が肘で畳まれ、急激に軌道変化。

 そのまま、蝙也斎の刀の峰へと、肘が叩き込まれる!!

 

 べきゃ。

 

 刀身が半ばから折り砕かれ、宙を舞う。残された小太刀以下の長さの刀身を見て呆然とする蝙也斎に対し、勢いそのまま回転した源之助。

 

 右手に封を施した左手が、解放される。

 初速から最高速に達した源之助の裏拳が、蝙也斎の頬を、顎を、鼻を削ぎ飛ばす。

 

 前年。

 師範牛股より虎眼流印可を授かった源之助の拳は無刀であろうと凶器そのものである。

 特に、弟の裕次郎より技を盗んだ肘打ちは、南蛮胴すら凹ませ人体を破壊し、そんじょそこらの刀であるならば折り砕くほどの威力を持つに至る。

 

 ちなみに弟の裕次郎が放つ肘打ちは、前年において南蛮胴に穴を開けるに至ったが、本人曰く「威力過剰で安易に使えないし意味がない。鍛える方向性を間違えた、その分の鍛錬を別に回せばよかった」と後悔していた。

 

 倒れ伏した蝙也斎を見下ろすように睨みながら、源之助は再び拳に力を込めた。

 拳に食い込んだ蝙也斎の歯がぶぴゅ、と音を立てて吹き出して地面に落ちた。

 

 蝙也斎が倒されると、失神した牢人者たちの頭部に石が落とされた。

 確実に命を奪うための処置である。

 

「一人残せ」

 

 源之助の言葉で、残る一名には石が落とされなかった。顎が砕かれていて瀕死であるが、生きている。

 この生き残った一名は虎眼流の剣名を広めるための生き証人となる。

 

 涙が自然に溢れてきた。

 涼之介は目の前の兄弟子たちの姿を見て、確信する。

 

 己が学んでいる虎眼流こそが、最強であることを目の当たりにしたのだから。

 

 いつか自分もたどり着きたい理想の剣士の姿が目の前に輝いているのだから。

 

 いつか私も……。

 

 涼之介は目から溢れる涙を止めることが、できなかった。

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

 空がまだ白み始めた頃合い。

 源之助は一人、井戸の側にてふんどし一丁となり、頭から水を被っていた。

 眠気に溺れる己の頭を覚醒させるためだ。

 

 そのまま着替えて、虎眼流道場に入る。

 虎眼流で最も早く道場に入るのは源之助であるが。

 この日は自分(おのれ)以外の者の気配を感じた。

 

 源之助は周囲を、視線だけで探る。隠れる場所のない、道場だ。入ってきた戸とは別の戸の後ろに潜んでいるのか、それとも……。

 いや、もう一つある。潜める場所が。

 

 源之助は振り向き見上げた。道場の(はり)

 源之助は……時折その場所に。

 ある男の幻影を見ていたが。

 

 

 

 

 そこにあったのは、涼之介の首であった。

 

 

 

 

「涼之介!」

 

 無惨にも顎から額に掛けて刻まれた一刀の傷跡が痛々しい、首だけとなった涼之介が、そこにいたのだった。




正直、涼之介を殺すかどうかで悩んで、書けませんでした。
ですが、やはり殺すことにしました。救えぬものは、救えない。救えなかっただけ。

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