九朗右衛門を追いかける最中に、オレは背筋に氷を突っ込まれたかのような悪寒を感じた。
オレはバカだ。
何度同じバカを繰り返す。
ここで九朗右衛門を役人に突き出す??
あり得ない。
すぐにでも斬り殺し、コイツに罪をおっ被せてしまえば良かったんだ!!
ここはシグルイ世界、具体的には江戸時代初期。
まだ監視カメラだの法廷での証言だの証拠だのDNA検査などない時代だぞ?
本人の供述や、当事者の供述、状況証拠。これだけで十分に相手に罪を問える形の筈なんだ。
わざわざ九朗右衛門を役人に連れて行く必要はない、それができればベストだけどベターな選択肢だってあっただろ!!
殺して、役人に言って、それで終わらせることができたはずだ!!
事実、伊良子清玄はそういう策を用いて嵌めることを得意とした。オレだってできるはずだ。
やらなかった、油断した、完全に獲物を仕留め前の油断をがオレにはあった!!
「くそ、待ちやがれ!!」
九朗右衛門はすでにオレの斬撃で流血している。ほっとけば死ぬはずだ。
だが、だが! こういう奴が死に際に行う行動が怖い!!
オレは完全にそれを、失念していた!!
「待てゴラぁ!」
オレは叫びながら九朗右衛門を追うのだが、追いつけない。こいつ、死に際の力を全開にしてやがる!
ヤバい、何をしでかすかわからないが絶対に阻止をする!!
だからだろうな。
周りを見てなかったんだ。
いつの間にか、検校屋敷の、あの場面に立っていたことに気づかなかったのは。
「!? 兄貴!?」
九朗右衛門の向こう側に見えたのは、興津と対峙する兄貴の姿。
兄貴はこちらに背を向けていて、興津はこっちを見ている。
そして、九朗右衛門は刀を振り上げる。背中から兄貴を切りつけるつもりか!!
「待――!!」
オレが叫ぶ前に、興津はオレを見た。
そして、微笑んで、口が動いた。
ありがとう、と。
そう動いた気がした。
興津は兄貴を押し退けると、虎握りで抜刀。
迫り来る九朗右衛門の凶刃をその身に浴びつつ、逆にその胴を薙ぎ払った。
互いに噴き出す鮮血。通り抜けた互いの刃は、お互いの返り血に染まり、もはやどっちの血なのかわからないほどに混ざり合い。
そして、どちらともなく倒れた。
「興津!!!!」
オレが叫びながら駆け寄り、倒れる九朗右衛門を押し退けて興津を抱き上げた。凄まじい程の流血で狂気的な現場になってしまっているのだが、それでも構わなかった。
あのありがとうの意味が、オレにはわからない。
興津は何に対して、オレにありがとうと言ったのか。
「興津! 起きろ興津! すぐに医者を呼ぶから! だから――!」
興津はもう一度オレの顔を見て、安心したように笑ってから。
目を閉じて、息を止めた。
「おき、つ……!!! オレは、なんで、お礼を言われるようなことなんてっ……! お、オレは……!! オレは、バカだった……!!」
「裕次郎……」
「オレの、オレのせいで……!!! あぁあぁあああぁぁああぁあああああ!!!!」
オレがバカだったせいで、結局、何も変えられなかった。
あとに残ったのは、血の海で泣き叫ぶオレと、死んだ興津と、裏切った九朗右衛門の亡骸と、立ち尽かす源之助のアニキの姿だけだった。