かつて将軍家剣術指南役、小野忠明の弟子に体毛の一切が無い剣士がいたそうな。
今、その剣士は虎眼流剣士藤木裕次郎の一番弟子であった。
源之助らは賎機検校の屋敷に招待された。
しかし賎機検校こそは伊良子清玄と結託し、五名も同門の士を死に至らしめた黒幕と見て間違いない。
源之助も、牛股も、裕次郎も。負った傷に治療を施した状態で剣呑な表情のまま、虎眼が乗る
検校に遣わされたその果物に揺られる虎眼はこの事実を裕次郎から聞いているが、どこまで把握しているのだろうか。
盲人の自治組織、当道座の最高位者、賎機検校。
かつて東照神君徳川家康に招かれて琵琶を演奏し、過分の栄誉を賜る間柄であり、現在はその鍼術をもって駿府城主駿河大納言徳川忠長の侍医を務める。
岩本虎眼は現在、その検校屋敷の座敷にて正座していた。
その琵琶を前にして向き合う者は徳川家の威光を浴びるに等しい状況にいる。
虎眼は静かに、そして無心のままだ。耳を澄ますと、遠くから二人の足音が聞こえてきた。
目線だけでそちらを見て、音で位置を察し、虎眼は平伏した。
襖がスッ、開けられ入ってきた。
「苦しゅうない。面を上げい」
声に応じ、虎眼は面を上げる。
その顔には、へつらいが浮かんでいた。
虎眼より上座に座るは、賎機検校。
禿頭頭に白髪の眉の老人。そして、その両目は何かに抉られたように不自然な形で閉じられていた。
「虎眼。よう来たの」
「へへぇ」
門人たちの前では決して見せぬ表情。
無双の剣客が辿り着いた上役への処世術であった。
賎機検校が盲いたのは赤子時分、親に放置され鴉に目を啄まれたためと伝えられている。
同じ頃。
別室にて源之助、牛股が控えていた。裕次郎はさらに別室にて控えるように言い渡されている。
友六と名乗る中間の勧めた茶を、一切手を付けぬ忠弟二名。
同門の士を死に追いやった者たちが、この茶に何を仕込んでいるのかわからぬが故の警戒だ。
友六にしても、無理にこの茶を勧めることはしない。
下手に勧めて二人の胸中にさらなる疑心暗鬼を生むようなことはしたくないがため。
実際にこの茶に何か仕込まれているのかは、友六自身にもわからぬのだった。
さらに別室にいた裕次郎は、対面の伊良子清玄と向き合っていた。
こちらは遠慮無く茶を飲み、毒により血を吐き、そしてあっという間に体が治り、平気な顔をしている。
その様子を伊良子は、戦々恐々とした笑みで見ていた。
何も言わぬ二人がいる部屋も、何故か行動を起こさぬ裕次郎。
遠慮無く行動をするはずの裕次郎が何故か動かない。
それが、伊良子にとって恐怖であり、同時に感じる圧は。
かつて憧れ、嫉妬し、今も複雑な気持ちで敬意を持つ男のものだと、どこか喜びを感じていた。
「そろそろ
「ご心配を」
所かわって、再び座敷。
検校は虎眼へ、心配の言葉を掛けていた。
再び面を伏した虎眼の表情は窺い知れぬが、声は弱々しい老人のもの。
これもまた、虎眼が身に付けた処世術の一つである。
「はよう跡目を選んで、殿(掛川城主朝倉筑後守)を安堵させてやらねば」
虎眼の背中に、怒りから僅かに強張りが生まれた。しかし、武を学ばぬ検校には見抜くことができぬ程度の動きである。
「む、娘が臥せておりますれば今しばしの……」
「うむ、かと言ってあの裕次郎を安易に選んではならぬぞ。かの男は孕石様にとって不倶戴天の敵。そのご子息に悪い遊びを教えたとして蛇蝎の如く嫌っておるのでな」
ちょっと待て、それは聞いてない。知らないぞ、何のことだ!!!
虎眼の胸中に生まれた疑問であったが、問い質すことができない。まさかここで検校を相手に聞き返すなど無礼にもほどがあるし、当主でありながら門弟のことも知らぬのかと恥を晒すことになる。
しかし、裕次郎に関して様々な報告は聞いているが、そこは聞いたことがないぞと心中で叫んでいた。
虎眼の伏せた顔は苦虫噛み潰したような顔をしているが、幸いなことに検校には見えてない。
「孕石様のご子息、雪千代様はどこぞで出会った裕次郎と仲良くなり、二人で悪ガキのように遊んでおったと聞く……雪千代様は裕次郎と共にいたことで性欲軒昂となり下女七名を妊娠させたほどと。しかもそのうち三名は姉妹兄弟まで産んでおるとか。そのことで裕次郎と夕日を背にして喧嘩をし、男泣きしながら抱きしめあって仲直りをしたあと、裕次郎の強い勧めで雪千代様は必死に政を学び下女七名と子十二名を養っておると……孕石様は雪千代様を性欲軒昂にさせた裕次郎を嫌っておる……政はちゃんとするようになったが、あまりにも醜聞過ぎるとな」
虎眼のこめかみに青筋がこれでもかと浮かんだ。
てっきり虎眼は、裕次郎の破天荒ぶりから孕石様に嫌われているのだと思っていた。
しかし、自分や他の弟子たちの知らぬところで雪千代様に悪い遊びを教えた上、子だくさんなどという言葉が可愛くなるほどの下の緩さを発揮させてしまっていた、だから嫌われていたのだ。
これは虎眼も、源之助も、牛股でさえも知らぬことだった。
故に虎眼は誓った。
あとで裕次郎をぶん殴る、と。
「無論、虎眼もこのことは把握しておったであろう?」
「は、ははぁ」
は? 知らねぇよ。その言葉をすんでの所で堪えた虎眼は己を褒めたくなった。
遅くなってすみません。