「よい、もうよい虎眼」
全身にバリバリの殺気を漲らせてつつも隠しきった虎眼の頭から、検校が声を掛けた。
平伏していた虎眼はへつらいの笑みを浮かべ、顔を上げる。
「虎眼流は掛川の宝。わしの言いたき事はそれぞ」
内心で虎眼は苛立ちを覚えているが、それをおくびにも出さない。殺気もすでに引っ込めさせていた。
さすがにこれ以上殺気を出しっぱなしにしていれば、いくら相手が武を学ばぬ検校相手とはいえ悟られる可能性がある。
まぁ、殺気を向ける相手というのが、無茶苦茶なことをする裕次郎に対するものではあるが。
「本日、そこもとを召したは、一流の剣客たる虎の目を借りたきがゆえ」
ぱんぱん、と検校が手を叩くと襖を開けて一人の男が姿を現した。
一つの長い桐箱を手にして正座をした男が名乗る。
その小姓にはまつ毛すらなかった。
「夕雲と申しま」
その夕雲の声が止まった。
虎眼と、夕雲の目線が、絡まる。空気が固まる。互いに何も言わぬまま、数秒間静かな時間が流れてしまっていた。
「どうした? 何事ぞ」
「すみません、夕雲と申しまする」
夕雲が挨拶をし直した。虎眼も視線を逸らしつつ、うむ、とだけ答えただけだが。
夕雲はそのまま桐箱を一つ持ってきて、虎眼の前に置いた。夕雲の腰には、変わった仕込み杖が差してある。
直刀型で反りが全くないものだ。これがあれか、と虎眼は頭の中で納得した。
そのまま夕雲が桐箱を開けると、中には変わった刀剣が。
細い刀身に片手でしか持てないような柄。うねった表面の如き鍔。
「夕雲の太刀、いかがなものか? 無双とうたわれたそこもとの眼で鑑定を乞う」
虎眼は内心で、話には聞いていたが……と思いつつ、用意された刀剣を手にした。
頼りない柄だ。虎眼が思い切り振れば、それだけでぽっきりと折れるだろう。うねるような鍔も虎眼流の高弟たちの斬撃を受ければ破損してしまうほどに精微に作られている。
最大の問題は、その刀身だ。
「いかに。虎眼、業物か?」
鋼、鍛え、焼き。全てにおいて問題外の造りである。
まず鋼だが、これは日本刀に使われるような玉鋼ではない。そこらの山から採れたものをそのまま使っているようなものだ。精練が足りない。
鍛えだが、そもそもこれは鍛造されているものではないだろう。いわゆる鋳造、溶かした鋼を型に入れただけだろう。
最後に焼きだが、鋳造して形にしたものを冷やした、というお粗末な造りだ。
故に、常日頃から日本刀に触れ、その審美眼を磨いてきた虎眼にとって、これは刀剣というには頼りない造りだ。まともに打ち合えば折れることは間違いない。
一応、ちゃんと日頃から手入れを行っているらしく研ぎと整備は良い。しかし、それだけだ。己でできる整備をキチンとしていればこうなる、というだけ。
しかし気になることがある。
それだけ頼りない造りなのに、やたらと人の脂と血を吸っているのだ。
どうやらこれの持ち主は、相当これを使い熟している、というのが見てとれる。
どうやってこの剣で人を斬っているのかわからぬが、とにかく使い熟しているのだ。故に、虎眼の目が静かに鋭くなった。
確か裕次郎の弟子である夕雲というのが、目の前の男のはずだ、と。
話には聞いていた。変わった剣術を用いる男である。曰く、突きを中心とした技を使う虎眼流の剣士である、と。
検校の元に仕官している、とは聞いていたが……ここで会うとは。
「
嘘は言ってない。これは斬るためではなく突くためであろう。
裕次郎の話を聞かなければわからなかっただろうが、虎眼はわかっていた。
「飾り、と申したな」
検校の声が愉快そうな声色が混ざった。
虎眼の顔からへつらいの笑みが消える。夕雲の顔からも、表情が消えている。
「虎眼。そこもとにはたしか、双竜三仏と並び称えられた三人の高弟があると聞いておる」
虎眼は少し間を開けてから。
「藤木源之介、裕次郎と申しまする」
「うむ。あの裕次郎が仏とは信じられぬがな」
それはそう、と虎眼は言わぬまま頷いた。
そして、もう一人はすでに破門である。
「その裕次郎とやらに、夕雲の稽古をつけて貰えまいか?」
「失礼ながら検校様、そこの夕雲は裕次郎の弟子でこざいます」
「は?」
検校は驚いて夕雲の方を見ると、頷いてた。
「はい、師匠は藤木裕次郎です」
「そこもと、何故それを言ってなかった」
「聞かれませんでしたので」
しれっと答える夕雲の姿を見て、あぁこいつは裕次郎の弟子だな、と虎眼は思った。
「そうか、ならば源之助とうやらに夕雲の稽古をつけて貰えまいか?」
虎眼の目が見開かれた。
「まことの剣を見せてやってくれ」
相手は検校。虎眼の身分では到底、この申し出を断ることなどできない。
検校屋敷の庭園。
そこでは、藤木源之助と夕雲が相対していた。
源之助はたすき掛けで裾を捲り、準備を行う。腰の太刀は預けたままで、脇差しのみを差している状態だ。
対して夕雲は鞘に収まった細い剣を持ったまま立つ。その腰には仕込み杖が差したまま。
「藤木源之助が用いるは木剣。夕雲は“飾り”なれば。これはあくまでも興のひとつ。しからば両名とも――――――存分に戯れよ」
愉快そうな検校の声に比例するように、牛股と源之助の顔が強張る。
「藤木。木剣に細工はない」
牛股は渡された木剣を丹念に調べ尽くした上で、その柄を藤木に向けた。
こういた木剣は、果たし合いの際に細工されている可能性がある。例えば、表面は綺麗だが実は中は古くひび割れており打ち合っただけで折れる、など。
だが牛股にしてみればその程度の細工ならば見破れる。さらに丹念に調べれば、どのような細工だろうが看破可能である。その牛股をして、細工無しと判断された。
藤木はそれを受け取――――――る前に、虎眼がそれを手にした。
裃の片方を外して動き安くしている状態にし、夕雲の前に立ったのだ。
「虎眼、おぬしが?」
検校は側にいるものに、それを聞いて踊ろいたように訪ねた。
虎眼はへつらいの笑みを浮かべて答える。
「戯れなれば……」
本気でやる気だ。
源之助と牛股は驚いて声を掛けた。
「先生っ」
「下がれ」
虎眼が一言告げると、源之助の顔に緊張が奔る。
虎眼が木刀を抜く。
夕雲もまた、細い剣を抜く。
「いざ、参られよ」
虎眼の冷たい戦闘開始の声が、響いた。
対する夕雲。
抜いた細い剣――――――レイピアを、腕を内側にねじると口と同線上に。
左の手は掌を地面に向けて頤の下に。
「
夕雲の顔に、笑みは一つもない。
しかし、どこか影を帯びている。この戯れそのものに、納得していないかのような感じであった。
二人は静かに構える。虎眼は右手一本を仁王立ちの如く持ったまま、相手の呼吸を読んでいた
「いすぱには……確か裕次郎が言っていた」
「ああ。海を隔てた南蛮国の……」
源之助と牛股が状況を観察するように、この戯れのために検校の側に友六が控え、実況している。そして、源之助は結論を下した。
「斬れませぬ。あのような握りでは――――しかし」
「ああ。受けも……あのような細い太刀では、先生の木剣は刀身ごと。だが」
二人は知っている。裕次郎から聞いていた。
細剣―――レイピアの使い方はそういう受けや斬撃に非ず。
その骨子は、刺突術にある。
無論、このことは虎眼も知っている。そのうえで読みも深めていた。
夕雲が手首をしならせる。
((刀身がうねった))
裕次郎から話は聞いていたが、奇妙な風切り音と共に細い刀身がうねる姿は、さすがに面食らう。それは折れず曲がらずを心情とする日本刀に慣れた身の上にとって、この光景は話に聞いていたとしても対応は難しい。
そして、その刺突は―――虎眼の警戒網をすり抜けて、見事に左胸に突き立った。
レイピアは斬るためのものではなく、突くための剣。
知っている虎眼が、警戒しているはずの虎眼が、それを体で受けてしまうという姿。
夕雲の腕前は、その境地にまで至っていた。
だが、刹那であった。
必殺の刺突が、虎に捕獲されていた。
左胸に突き立つ瞬間、虎眼は脇を開け、そこにレイピアの刀身を通したのだ。そのまま挟み、捕獲している。
だが虎眼にして、さすがは裕次郎の弟子と内心で称えていた。
裕次郎の義父であり師である虎眼に対して躊躇のない、殺気を隠しきった殺意ある剣を向けてくる胆力。己の警戒を潜り抜ける疾さと眼力。
何よりも、何やら事情がある中でも感情を隠しきり、己を殺してそれに徹する鋼の心。
裕次郎は見事に、良い弟子を育てたようだと内心で喜ぶ。
それはそれとして、己に剣を向けてくるなら容赦はできぬ。
虎眼は木剣を振り上げ、その頭蓋を砕くべく力を込めた。