シグルってたまるか   作:風袮悠介

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第二十五景・約定――――

 立ち上がった夕雲の形相は、一変していた。

 吐瀉物と吐血にて汚れた口元、蹴られた腹に浮かぶ青痰。

 

 何よりも、浮かぶ表情は怒気である。

 

 一変していたのは形相だけではない。

 仕込み杖の鋒が向けられたのは、対手の岩本虎眼ではなかった。

 

「虎眼先生」

 

 夕雲が虎眼に声を掛けた。

 

「裕次郎先生は己のため、毒を飲み続けております」

 

 その言葉に、虎眼は目を見開いて驚いた。

 

「一杯飲めば、一合の間、己は生かされます。相当な数をすでに飲んでいるはず。しかし裕次郎先生といえど……」

 

 そして、夕雲は虎眼に向けて笑顔を浮かべた。

 

「己は忠義を理解できませぬが――――――恩義は理解できます。これにて御免」

 

 忠義を理解できぬ夕雲の本性。

 だが、夕雲はどこか心が晴れ晴れとしていた。

 

 忠義は理解できない。

 しかし、心の中にいる恩人への義理立ては、せねばなるまい。

 あの日、己を拾い鍛え上げ、立派にしてくれた裕次郎先生に、これ以上迷惑を掛けられない。

 

 そして……一人でも裕次郎先生の敵を、屠る。

 

 夕雲は一気に検校目掛けて飛び込んだ。

 

 瞬間、そこに飛び込む火傷面の大男。

 夕雲の突きがその大男の肩に突き刺さる。直前に、夕雲は構えを変えた。

 

 仕込み杖の刀身を左手で挟み握り、力を蓄える。

 それを、解放。

 

 その斬撃はまさしく虎眼流の秘奥、奥義であり、その瞬きは間違いなく骨子を得たものしか出せぬもの。

 

 流れ星。

 

 その死の流星が、大男の首を刎ねた。

 

「っ!?」

 

 源之助は驚きのあまり目を見開いた。

 流れ星を放ったのもそうだが、一連の技の流れ。

 途中までは確かに刺突であった。なのに、夕雲は途中で明らかに剣術の型そのものを変えたのだ。

 刺突剣を扱う術と、虎眼流としての術。この二つを融合させるのではなく、ハッキリと別けて使っているのだ。

 その繋ぎや誤差が、全くない。

 

 これが裕次郎が夕雲に叩き込んだ剣術。

 斬術である虎眼流と、刺突術であるイスパニア流剣術。

 この二つを切り替えながら斬り結ぶ異形の虎眼流剣士。

 それが、夕雲であったのだ。

 

 倒れる大男の影から夕雲が飛びかかろうとした、その瞬間。

 

 火薬の破裂音が、響き渡った。

 

 夕雲は体を震わせ、自分の腹部に目をやる。

 そこには、鉄砲の弾によって抉られた腹があった。

 

 友六が懐中で手にしたものは馬上筒と呼ばれる鉄砲である。

 距離五間であっても、友六の技量ならば眉間すら打ち抜く。それよりも近い位置であり、致命傷たる肝臓を撃ち抜くのならば、絶対に外すことない。

 

 腹部から流れる血を手で押さえながらも、熱が消える体から己の死を悟った夕雲。

 手から仕込み杖が落ち、後ろによろけて落ちて倒れた。

 

 空を見上げつつ、夕雲は涙を流して口を動かした。

 

「ありがとうございました。裕次郎先生」

 

 口から漏れたのは、感謝だった。

 そのまま夕雲は目を閉じ――――――動かなくなる。

 

 酸鼻なる鮮血の匂いが、美剣士の鼻をついた。

 

「さすがは裕次郎の弟子。天晴れ」

 

 誰にも聞こえぬ声で呟いた伊良子の声は、そのまま宙を漂って消えたのだった。 




 過程は変われど、結果は変わらず。
 ならばこれは異聞譚とは言えないでしょう。
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