シグルってたまるか   作:風袮悠介

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第三十四景 竹槍・前半 異聞譚

 一羽流(いっぱりゅう)の使い手である(くちなわ)平四郎(へいしろう)が源之助と出会ったのは、桜の舞い散る四月であった。

 

 虎眼流道場の前で掃き掃除をしていた幼き童、それが源之助であり、若き日の(くちなわ)が道場破りで訪れた先が、虎眼流である。

 

「一手ご指南、つかまつりたく候」

「いやぁ……」

 

 道場に案内された折に応対に出た大男――――牛股権左衛門という師範だった――がしきりに頭を掻いて困っている。道場にて正座で相対し、横には門下人たちが控えている。

 一羽流の手練れである自分の力量に恐れをなしているものと(くちなわ)は自惚れた。

 

 濃尾無双は噂に過ぎぬと。

 

 門下生は百姓や町人といった顔つきの者ばかりである。

 いくらか金を握らされて帰ることになるだろうと。

 

 しかし、自分の前に出たのが、入門してまだ三年経たぬ、門の前を掃除していた藤木源之助である。

 

「お相手つかまつる」

 

 こうして源之助と(くちなわ)は木剣試合を行うことになった。

 (くちなわ)は渡された木剣に仕掛けが施されてないことを確認すると、源之助と相対する。

 相手が前髪であろうと加減する(くちなわ)ではない。

 

「いざ参ら……」

 

 無拍子。

 源之助は一歩踏み込み、左の切り上げによって(くちなわ)の木剣を跳ね飛ばす。

 同時に、左の指を数本欠損させる、凄まじき斬撃。

 

 瞬時に源之助は(くちなわ)の喉に木剣の(きっさき)を突きつける。

 

 殺気。

 自惚れていた(くちなわ)の背に、冷たい汗が流れた。

 

「ま、参った……」

 

 (くちなわ)の降参の言葉。しかして源之助が返したのは、

 

「耳か鼻か」

 

 無慈悲無惨たる、伊達にする箇所の問いかけ。

 

 ビッ。

 

 (くちなわ)の瞼に抉るようにして、源之助は(くちなわ)の右瞼を破壊した。

 夥しい程の血が流れる状況で、さらに牛股は叫ぶ。

 

「ぬるいぞ源之助! しかとえぐれ!」

 

 激痛により(くちなわ)はその言葉を聞き取れなかったが、相対する源之助がさらに攻撃を加えようとしたのがわかった。

 源之助はそのまま攻撃を加えようとして――。

 

「そこまででよくねぇ??」

 

 道場の扉から聞こえる声に、動きを止めた。

 緩い口調ではあったが、源之助の体が満ち満ちていた殺気が消えていく。

 瞬間、道場内で源之助以外の虎眼流の門弟たちから殺気が漲る。

 

 ようやく痛みに慣れた(くちなわ)が見たのは、道場に入ってくる一人の童だ。

 

 前髪どころか髷を結わず、総髪で後ろ髪を縛っている。

 どことなく源之助に似ている風貌ではあったし、背格好も似通っていた。

 

 だが、(くちなわ)にはわかった。

 眼前の小僧は、源之助よりも強い、と。

 

 着流しを身に付け、とても稽古に来た様子ではない童が道場に入り、(くちなわ)に駆け寄る。

 

「うっわ、これ大変じゃん!! すぐに水で洗って焼酎で消毒しよう! 治療するから、こっちに」

「待て」

 

 童が自身を気に掛けてくれている、その状況下で牛股が立ち上がった。

 

「裕次郎、誰の許しを得てここに居る?」

「親父」

「虎眼先生を親父と呼ぶな。先生と呼べ」

「んじゃ、虎眼先生ね」

 

 こちらに近づいてくる牛股の体から、尋常では無い怒気と殺気が放たれていた。

 先ほど負けて心が折れていた(くちなわ)にとって、とてつもなく恐ろしい状況である。

 

 牛股は立てかけられていた木刀を手にすると、(くちなわ)と裕次郎の前に立った。

 

「裕次郎、おぬしには謹慎処分を言い渡したはずだ」

「そんな処分を受ける謂われなんてないのに……なんでさ。ちゃんと稽古をしてるだろ、オレ、何も悪いことしてなーい」

「おぬしは虎眼先生のお怒りをどう思っているのだ!!」

 

 牛股は怒号を上げた。

 

「あのようなふしだらな草双紙を書き、阿漕に銭稼ぎをするのを止めろと言ってるのに止めない!! おぬしのようなものが、剣の(ひじり)を汚すのだ!!」

「んなこと言ったって……春画を入れた官能系草双紙と格好いい士の絵を入れた冒険活劇草双紙と、あと冒険活劇草双紙の設定資料集変わりに設定と絵を大量に入れた空想絵物語集と……今は三つ書いてるけど、これが売れるからさ……銭を稼いでも損はなくない?? 三重ちゃんと源之助アニキと町に行って遊ぶためにも蓄財大切、将来設計は必須」

「春画を描くな! 草双紙や絵双紙で金を稼ぐな!! 三重様に無礼を働くなと言っている!!! 三重様と源之助を連れてしょっちゅう町に繰り出しおって!!!」

「だって……三重ちゃんだってずっと家に閉じこもりっぱなしも辛くない? アニキと三重様との仲も深めたいしさ? あ、一緒に行く? 牛のおっさんも団子食べる? 最近、研屋町近くに美味い団子屋ができたよ」

「おぬしは!!! 話を聞いてたのか!!!」

「聞いてるよ……それにさ、伊達にして帰すって、やり過ぎだってずっと言ってるじゃん。将来、絶対に恨みを買いすぎて大変なことになるよ?」

「先生の教えに背くのか!!」

「親父の教えでも間違ってるなら言わないと」

「虎眼先生を!! 親父と!! 呼ぶなと!! 言っている!!」

 

 (くちなわ)はすっかり混乱していた。

 痛みが治まり、かろうじて見えるくらいには無事だった右目で、二人のやりとりを見る。

 

 裕次郎と呼ばれた童は飄々としたままで余裕でありながら、牛股はずっと怒りっぱなしなのだ。

 あの怒りを前にして平然としてられる童……何者だ? と(くちなわ)は訝しむ。

 

 二人が激しくやりとりをしている最中ではあったが、ふと裕次郎が振り返る。

 

「えーっと、あんた。名前は?」

「く、(くちなわ)で、ござる」

「他流試合心得は知ってるだろ? 稽古磨きで試合をして、結果はどうあれ恨むなって奴」

「あ、ああ」

 

 この童は何が言いたいのだ? と(くちなわ)は訝しむが、続けて裕次郎は言った。

 

「あんたの敗因は、いつも通り前後左右に対応する足の構えのまんまだったってことだ。そして、源之助アニキを普通の子供と想定して速さはないと思っちまった。

 ここが戦場や市中での斬り合いなら正解だ。敵はどこから来るかわかんねぇからな。

 だけどな。源之助アニキとオレはまだ、この道場に来て三年だ。できることは突っ込んで思いっきり剣を振ることだけだ。それだけに全力を注いだからこそ、あんたの想像を超えた。

 前に全力で動ける足をして無心だったアニキと、前後左右に力を割り振って源之助アニキへの想定速度を見誤ったのが、敗因だよ。だから咄嗟に動けなかった。

 さらに、あんたの格好と源之助アニキの格好じゃ、思いっきり動きやすいのはアニキの方だ。あんたの着流し、(いき)だと思うが剣術稽古をする格好じゃねーよ。

 あんたは力加減はしないだろうが、格好や構えからして油断はしていたのが間違いで敗因。以上、おーけー?

 わかったら治療を受けて帰りなよ。恨みっこはなし、ね」

 

 裕次郎の指摘に、(くちなわ)は顔を真っ赤にして羞恥と屈辱を覚える。

 確かにその通りだと思ってしまった自分がいる。

 他にも敗因はあるだろうが、これほど堂々と言われてしまっては反論できない。

 しかも指導までしているのだ。言外に「目の前の相手しかいないんだから、目の前の相手に突っ込めるように構えろ」と。

 無論、道場破りを行えば門弟たちに囲まれて袋叩きに遭う可能性もあるので、裕次郎の指摘は全てが的を射ているわけではない。

 

 だが、目の前の相手に勝たねばそもそも話にならないのだ。

 

 (くちなわ)は羞恥のまま動けなかったが、目の前の風で顔を上げた。

 

「今日という今日は許さん!! 裕次郎、おぬしの性根を叩き直してやる!!」

「お、牛のおっさん直々に稽古かぁ!? やってやるよ、推して参る!!」

 

 いきなり目の前で裕次郎と牛股が木剣で激しい打ち合いを始めたため、すっかり(くちなわ)は空気扱いされるハメになった。

 しかもこの打ち合い、とてつもなく激しい。

 

 小さな童が大男の木剣を体で受けて、骨が折れようと血が飛ぼうと、すぐに平気な顔をして突っ込んでいく。

 しかもその傷が、いつの間にか治るのだ。

 

 牛股の実力は見たままであるが、裕次郎の方は予想以上の、予想外の強さであった。

 まだ体が小さい童が、牛股の木剣に対して骨が折れようが肉を抉られようが、恐れることなく剣を振って戦っているのだ。

 

 しかもその木剣、牛股の体をしたたかに打ち据えている。

 稽古が続けば続くほど、牛股の体を打ち据える裕次郎の剣が増えていくのだ。

 反面、牛股の木剣が裕次郎に防がれ、捌かれ、躱されてしまい、打ち据える頻度を減らしていく。

 

 あまりにも恐ろしい強さを持った、妖怪の如き小僧。

 

 (くちなわ)はあまりの恐ろしさに、道場から這々の体で逃げ出していくのだった。

 

 その後、虎眼流の仕打ちを不服として源之助へ報復を誓うのだが、それはまた別の話。

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