シグルってたまるか   作:風袮悠介

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とうとう20話を超えました。頑張ります。


第三景 一虎双竜・その一 異聞譚

 裕次郎が本気を出す、そのときより僅かに時間を遡る。

 

 掛川藩武芸師範役岩本虎眼の一人娘、岩本三重は屋敷の廊下を早歩きで進む。

 現在、虎眼流道場に他流のものが道場破りに来ている。それを父親の虎眼に知らせるためだ。

 すすす、と静かに急ぎながら、さらにもう一つ知らせるべきことを言わねばと焦っていた。

 

 藤木裕次郎がとうとう、本気で相手を伊達にする気だ、と。

 

 あの優しく他者を慈しむ、己が唯一愛する男がとうとう、と。

 

 三重にとって裕次郎は何よりも愛おしい存在だ。同じく源之助は裕次郎と共に連れ立って市中へ繰り出す親しい相手である。

 出会いは幼き頃、突如として屋敷に連れられてきた無礼者。しかし、彼は誰も逆らうことができなかった老剣鬼、岩本虎眼へ唯一ハッキリと逆らって生き残った男でもある。

 

 三重にとって男は、父の仰せとあらば意思(こころ)をなくした傀儡(くぐつ)となるもの。

 幼き頃から嫌というほど見てきたものだ。

 

 なのに、裕次郎は違う。

 父の仰せとあれども「嫌だ、やりたくない」と拒否し、虎眼流の掟とあれど「嫌だ、やりたくない」と拒否して、己の意思をハッキリ示す。

 それで父と殴り合いになっても生き残って、次の日にはけろりと道場に来る。

 

 己の意思を持つ男にして、初めて父の意思に逆らう強き男。

 それが三重にとっての裕次郎だ。

 あと、暇だからと町へ連れ出して一緒に遊んでくれるのも嬉しい。何故か源之助と一緒に出て、源之助と二人きりになる時間もあるが、裕次郎との時間はとても良い。

 

 そんな優しい裕次郎が、別に過剰に相手を傷つけなくても倒せる強さを持つ裕次郎が。

 

 初めて、道場で相手を伊達にすると断言した。

 おそらく、傷ついた源之助を見て怒りに染まった結果だろう。

 

 三重は急ぐ。裕次郎が道場破りを伊達にするつもりだと。

 己の想いは隠しておき、虎眼に判断を仰がねばならぬ。

 

「お父上!」

 

 三重は部屋の前で膝を突き、中へ呼びかける。

 

「道場に他流の者が」

 

 三重の呼びかけが行われたものの、中から聞こえるのは女性の声。

 いくによる慰撫が行われているのだ。

 

「だんな様、後生ですから……あ……」

「お父上!」

 

 三重が強く呼びかけてみるが、虎眼の返答はない。それどころか、ばりっ。と、女性の足が障子を突き破り出てくる。

 あああー、といくの悩ましげな声が響く。

 

 三重は涙目でその状況を見て、立ち上がった。

 

「裕次郎様が道場破りと試合をなさります!! 伊達にすると、断言致しました!」

 

 それだけ言って、道場に戻ろうとした。

 ここにいたくない、嫌、裕次郎様の元へ。その一心で、だ。

 

「三重」

 

 が、障子の向こうで虎眼の声が出てくる。

 三重は立ち止まり、振り返る。

 

「本当か」

「本当にございます! 源之助が破れたところを見て、ちゃんと伊達にするとのこと!」

 

 三重は涙を拭ってから言葉を続けた。

 いくの足が障子の向こう側へ戻り、部屋の中が静かになった。

 少しして、再び虎眼が言う。

 

「三重よ。裕次郎に伝えよ」

「はい」

「秘伝と秘奥はもちろんのこと、“(まが)つ”と“綺羅(きら)”を使うこと、(これ)一切許さぬ、と」

「わ、わかりましたっ」

 

 三重が再び返答すると、これもまた部屋の中からいくの悩ましげな声がなりはじめた。

 これを無視し、三重は道場へ向かった。

 扉は閉じられているが、開かれてる窓から中を見れば二人の男がいた。

 

 一人は艶めいた黒髪に、横から見える顔が実に整った美丈夫。再び剣を構え直している場面だ。

 

 向かい側に立つは、藤木裕次郎。

 

 右手は血で濡れているが傷一つなく、下段に構えるところだった。

 

「あ……」

 

 三重の顔が紅潮し、思わず声が漏れる。体に熱が籠もった。

 

 あの裕次郎が、真剣な顔をして木剣を構えている。

 その姿を見るだけで、三重は満足していた。

 

 しかし、伝えることは伝えねばならぬ。三重は窓から中に向けて声を上げた。

 

「裕次郎様! お父上がいつもの縛りと、“(まが)つ”と“綺羅(きら)”を使うこと、許さないとのことです!」

「嫌だ! 使っちゃう! 危ないから三重ちゃんは下がってなよ!」

 

 あぁ、これこそ裕次郎さまだな、と。

 三重は微笑みながら、愛しさで胸が一杯になっていた。

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