シグルってたまるか   作:風袮悠介

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第三景 一虎双竜・その二 異聞譚

 骨を折ったはずなのに、折れてない指で平然とする裕次郎。

 それを見た伊良子は恐怖に駆られたが、すぐに笑みを浮かべて余裕を取り戻す。

 

 落ち着いて考えれば、相手はそもそも大人しく投げられるような未熟者だった、と気づく。

 あっさり経穴を押さえられ、指搦みを受け、投げられるような程度。

 

 何かしらの理由はあるのだろうが、こちらの攻めは通じるのだ。起き上がれないくらい、痛めつけてやれば良い。

 実力はこちらが上である。

 

 そのとき、道場の窓から誰かが覗いているのが見えた。

 若い少女だ。

 

「裕次郎様! お父上がいつもの縛りと、“(まが)つ”と“綺羅(きら)”を使うこと、許さないとのことです!」

 

 少女が中に向かって声を掛けた。牛股、源之助、門弟たちの顔が怪訝な表情に変わった。

 伊良子は予想する。どうやら“(まが)つ”と“綺羅(きら)”とやらは、裕次郎が虎眼から授けられし秘奥の類いなのだろう。

 ふ、と笑う。見てみたかったのだが、当たり前の話である。

 

 流派の秘奥とは、それすなわち流派における秘するべき術理が押し込められた技。

 これを見ること解明すること、その流派を丸裸にするに等しい。

 流派の基礎たる術理全ての行き着く先が秘奥なのだから。

 

 だが、伊良子は再び気づく。秘奥、と言うのなら名すら秘すれば良い。

 ここで少女が道場内の、高弟に至っておらぬ門弟にすら聞こえる形にしたのは奇妙である。

 事実、源之助も牛股も何のことかわかっておらぬ。

 とすると、虎眼と裕次郎の間にだけ伝わる何かだろうか。

 

「嫌だ! 使っちゃう! 危ないから三重ちゃんは下がってなよ!」

 

 しかも虎眼の命令を拒否すると来た。

 伊良子は心から驚いた、裕次郎はたかが門弟の末席に名を置く、岩本家若党かそれ以下の身分のはず。

 そんな身分の男が、掛川藩武芸師範役岩本虎眼の命を真っ向から否定する。

 

 後で処罰を受けてもおかしくないはずだ、ここで死ぬ気か、と伊良子は心の中で訝しむ。

 だが裕次郎にそんな悲壮感はない。むしろ活き活きとしている。

 

「じゃ、行くぞ」

 

 下段のまま、再び裕次郎は前に出る。

 先ほどよりも、速い。

 だが、反応できぬほどでもない。伊良子は下段からの攻撃に警戒する。

 

 下段から跳ね上がるように、裕次郎の木剣が伊良子の喉へと向かう。突きだ。

 伊良子は首を傾けることで躱す。そこから裕次郎がいくつか攻撃を繰り返す。

 どうにも要領を得ない。何がしたいのかわからない。

 

「太刀筋はお見破り申した。このあたりでやめにいたすも、武士(もののふ)のいさぎよさかと」

 

 伊良子がそう呼びかけるが、裕次郎は無視して木剣による打ち込みを繰り返す。

 躱す、躱す、躱す。太刀筋などとうに見極められても、裕次郎は懲りずに繰り返す。

 

「いかに、裕次郎どの」

「ふっ」

 

 伊良子の言葉を、裕次郎は再び無視する。

 仕方なし、一気に打ち据えて終わらせる。さすがに脳天へ打ち込めば気絶するだろう。

 裕次郎の横薙ぎを躱し、伊良子の唐竹が裕次郎の脳天へと放たれる。

 

「未だ極め尽くさぬ身の上なれど」

 

 瞬間、裕次郎の姿がぶれた。

 

「虎眼流。お見せつかまつる」

 

 裕次郎が動く。

 速い。先ほどよりも、遙かに、比べるのも阿呆らしくなるほどの速さ。

 一歩退いたことで、伊良子の唐竹は裕次郎の脳天を外し、地へ向かう。

 

 はずのそれを、裕次郎は胴の辺りの位置で木剣を横にし、(しのぎ)の部分で受け――。

 

 こ。

 

 凄く、軽い音が鳴った。

 

「っ!?」

 

 伊良子の顔から笑みが消えた。

 全力で裕次郎の脳天へ打ち込んだはずだ。裕次郎の持つ木剣で受け止めたなら、激しい音と共に砕けて折れるほどの力を込めた。伊良子の打ち込みはそれほどの威力のはず。

 

 なのに、出てきたのは軽い音。ものすごく手加減して触れあわせた程度の音。

 しかも打ち込んだ感触が、まるで束ねた稲穂の先を掠めたが如き、軽い感触。

 

 全力の一撃であるため二の太刀を打てず、一瞬だけ伊良子の動きが止まった。

 

 瞬時に裕次郎は伊良子の木剣の横合いに立ち、受け止めた裕次郎の木剣はそのままに。

 

「ぬんっっっっ!」

 

 裕次郎は全力の肘打ちを伊良子の木剣、その峰に叩き込んだ。

 

 バキャンッッ!!!

 

 伊良子の木剣が折れて砕け、刀身となる部分が勢いよく道場の床を跳ねて隅へと飛ぶ。それを慌てて躱す、門弟たち。

 

 伊良子の木剣が、一瞬にして小太刀以下の長さになってしまった。

 

 そのまま裕次郎の木剣が振るわれる。横薙ぎ一線、もはや人間が見える速度の限界に迫るほどだ。

 伊良子の背筋に、死の予感が迸った。

 慌てて背後に飛ぶ。

 

 ピッ。

 

 小さな風切り音と共に、伊良子の胴へと薙ぎ払われる裕次郎の木剣。

 着流しを切り裂き、その下の肌を斜めの線にて軽く削ぐ。肌が削がれたことで、血がプツプツと広い範囲ににじみ出た。

 

 伊良子の顔から、今度こそハッキリと余裕が消えた。 

 片手で無造作に振るわれたはずの木剣が、人の肌を、まるで真剣の如く斬る。

 さらに裕次郎は一歩詰め、今度は返す刀で袈裟切りにて伊良子の首を狙う。

 

 音すら鳴らぬ、一閃。

 

 躱せたのはほぼ、伊良子の運の良さだけだ。慌ててしゃがむと、その頭上を掠める。

 風切り音すら置き去りにした打ち込みは、伊良子の額の皮を薄く削ぎ、髪を数本切り裂いて落とす。額にも木剣の軌跡をなぞるように血が滲んだ。

 

 伊良子は再び大きく背後に飛んで、逃げた。さらに踏み込もうとする裕次郎の一歩よりも、遙かに大きく飛び退いたことで、攻防が途切れる。

 

 伊良子は切り落とされ、宙を舞っていた髪を拾う。

 木剣で千切られたとは違う、真剣で切り裂かれたが如き切れ味。

 

「殺めるは易し、伊達にするは難し。次はその額から頬に掛けて、綺麗に皮を削いでやるよ」

 

 裕次郎は息を切らすことなく、首を指でなぞった。

 その顔は、凶悪な笑みに染まっていた。

 

「その後は特別に、首にもオシャレな形で抉った跡を付けてやる。死んでも恨むなよ?」




裕次郎の肘打ちは虎眼先生が夕雲の頭蓋骨を破壊した肘の打ち下ろしみたいもので、威力はそれの数倍上のものだと思ってください。
つまり、オーバーキルというか無駄な力の使いすぎです。未だ極め尽くさぬ身の上だなぁ……戯れなれど殺す気なれば当て身にて……(棒読み)
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