(消えた)
源之助の顔に、緊張が奔る。
(彼奴の笑み)
裕次郎による木剣破壊、その後の攻めにより、武器を失い負傷した伊良子を見て、源之助は身を固くする。
己が敵わなかった相手を前に、裕次郎は堂々と立ち会い、それどころか本当に伊達にするべく容赦なく打ち据えている。
打ち据える、というよりも、削ぐ、と言った方が正しいやもしれぬが。
裕次郎は木剣を逆手に持つと、ズンズンと伊良子に向けて歩み寄る。
「一つ言っておくが」
裕次郎の顔から笑みが消え失せ、伊良子を見下すようにした。
「道場は芝居をするところじゃねぇ。仮にここで平伏して弟子入りしたいとか抜かしても、抵抗なしと見なして首を砕いて殺す。できればやりたくねぇけどな。……抵抗してくれねぇと、こっちが悪者になるんだよ、降参の意を示し無抵抗になった相手を追撃したら、な」
伊良子の頬がひくついた。
「立て。立って戦え。そして、その顔を伊達にして帰るかここで死ぬか選べ」
伊良子の前に立ち、裕次郎は宣告する。
「どっちだ?」
道場内を静寂が包む。
裕次郎は何も言わない。伊良子の次の言葉を待つのみだ。
源之助は不思議に思った。普段の裕次郎はここまでしない。いくら己が負けたからといって、ここまでは――。
対して牛股の顔は、笑みを浮かべたままだ。
今まで自由勝手にやってきた裕次郎が、真面目に相手を伊達にすべく試合をしている。
今のところは胴と額の擦過傷。少し跡が残るかもしれぬが、伊達というには浅い。
別に裕次郎が手加減してるわけではない、伊良子の運が良かったからだ。
運が悪ければ、もう伊達にされてるだろう。
あの……あの裕次郎がようやっと虎眼流として恥じぬ姿を見せている、と思うと感動するほどである。
門弟たちは恐怖しながら試合の行く末を見ている。
裕次郎が強いのは知ってる。未だこの道場に明確な敗北をしたことがない。
あっという間に傷が塞がり、打ち据えても何をしても平気な顔をしているが故、負けることがない。
だが、その試合内容は常に綺麗な剣筋と指導に終始しており、ここまで徹底的に相手を破壊するような剣ではなかった。
伊達にすることを決めた裕次郎は、ここまで強いのかと。
これではまるで木剣に殺意を込めてるような……。
それに対して伊良子の対応は――。
「いえ、これは芝居ではござらぬ」
なんと、涙を流して感動しているではないか。
伊良子はそのまま腰に指していた小太刀と、裕次郎によって折られた木剣を床に置き、そのまま頭を下げた。
「ようやくまことの剣と、
その太刀筋、その在り方、まこと眩しく。
無頼の月日、今は悔ゆるのみ」
涙を流したまま、伊良子は続けた。
「
沈黙が下りる。
牛股は難しい顔をしたまま黙り込む。門弟たちも何も言わなかった。
だが、他の全員が伊良子の行動を見守る中で、ただ一人、源之助は見た。
「そうか」
般若の如く、怒り狂った裕次郎の顔を。
「よくわかり申した、伊良子殿」
「おお、それで――」
顔を上げた伊良子が見たのは、憤怒の表情でまさに逆手で木剣を振ろうとする裕次郎の姿だった。
「なら、死にやがれ」
ぶん!!! と振るわれた裕次郎の木剣を、慌てて伊良子は避けた。
鼻先を掠めて、いや、鼻骨をばっくりと横一文字に割られ、血が溢れ出す。さらに続けての手の内で木剣を回転させ、順手に握った木剣の一太刀が伊良子の脳天を狙う。
これも伊良子はみっともない形で避けたものの、耳が半分ほど割られてしまった。夥しい量の血が、鼻と耳から流れていた。
「道場は芝居する所じゃねえって言っただろうがクソ野郎が!!! 舐めやがって、ぶっ殺す!!! 念仏を唱えやがれ!!! ただし戒名も遺言も残させねぇぞ!!!」
伊良子は見た。
裕次郎の頭に角が生え、顔が真っ赤になり、まさに鬼と化した姿を。
一瞬で元の裕次郎の姿に戻ったものの、伊良子は恐怖のあまりに逃げ出した。
怖い、なんだあれは、妖怪の類いじゃないか!!
伊良子は恐慌状態のまま逃走を開始した。