シグルってたまるか   作:風袮悠介

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第四景 涎小豆・その四 異聞譚

「ゆ、裕次郎どの……それは?」

「ん? これはオレが描いてる草双紙だが?」

「もしや……裕次郎どのが、卍手裏剣先生、と?」

「あー、まーそーだな」

 

 端的に答えて裕次郎は机に向かう。

 その背中と筆を走らせる裕次郎の姿に、幻想的な何かを想起させた。

 それがなんなのか、伊良子にはわからない。

 しかし、手が動く度にあの世界が紙の上に描かれている場面を目の前にしてるのは事実だった。

 この感動の答えはなんなのか。

 

 だが、その答えが出る前に、後ろから誰か来る気配がした。伊良子が振り返れば、そこには数人の高弟を連れた牛股の姿がある。

 最初に道場で見たような、目を細めた柔い笑顔であった。

 

「おお、これは牛股どの」

 

 伊良子は感動した……のフリをしながら牛股の名を呼ぶ。

 

「伊良子清玄、先生がお会いになられる」

 

 牛股より告げられた言葉は、伊良子にとって思ってやまなかったものだ。

 これで入門できる、強くなり剣で成り上がり、そして三重をもらって岩本家に婿入りするのだ。

 しかし、そのような野心をやすやすと表に出す伊良子ではない。感極まった笑みを浮かべた。

 

「これはかたじけない。それがしの入門願い、聞き届けてくだされたか」

「それは先生がお決めになる」

 

 高弟の手によって座敷牢の鍵が開けられ……開けられ??

 座敷牢から出つつ、伊良子は首を傾げた。なんかおかしい、と。

 

「牛股どの。それがしがここに入れられたときには鍵がされており、裕次郎どのが入るときにはされていなかったような……」

「気にするな。……裕次郎がここに入るときは、自分で鍵を開けて自分で鍵を閉めるのだ。ただそれだけだ」

「座敷牢を勝手に出入(ではい)り出来る上に、勝手に鍵を開け閉めできるなぞ、座敷牢の(てい)を失っておられると思うのだが……」

「黙れ……」

 

 牛股の顔に疲れが浮かんでいた。

 どうやら牛股ですら裕次郎の扱いには、多大な苦慮があるらしい。

 

「おー、死ぬなよー。虎眼の親父、ボケ状態かー牛のおっさんー?」

「やかましいっ。本来ならおぬしも様切(ためし)の場に出なければならぬのだぞっ」

「ぼくちゃんわきゃんない……ぼくちゃん、門弟の末席、一番下だみょん……」

「気色悪い、さっさと出てこぬかっ」

 

 高弟の手によって一応は座敷牢から出してもらった伊良子なのだが、何故か牛股と裕次郎が口論を始めていた。

 外に出ろという牛股と、行きたくないと駄々を捏ねる裕次郎。

 

 (さむらい)の姿か、これが? と伊良子はなんか悲しくなった。

 

 結局、牛股が裕次郎の首根っこを、まるで猫を運ぶような形で持ち上げて連れて出た。

 そのまま全員で移動を開始する。

 

「もし……あの、裕次郎どののあの姿、誰も咎めぬので……」

「聞くな。……いつもあんな感じだ」

 

 高弟の顔に疲れが浮かんでいた。

 暗くなった廊下を蝋燭の火を片手に、もう片手に裕次郎の首根っこを掴んで運ぶ牛股の後ろ姿を見ながら、なんだか悲しくなる伊良子であった。

 

 

 

 

「三重さま。おあらためを」

 

 厨房にて料理番の小間使いと三重が、とある一品の吟味を行っていた。

 それはささ豆の甘露煮であるが、掛川の名産である葛あんのとろみに加え、当時貴重であった水あめをからめてある。

 

 こうして作られた豆の粘りを、三重は箸で摘まんで持ち上げる。糸を引く豆の表面、糸の輝きや太さ、豆の照り具合を確認し、三重は言う。

 

「このねばりならよいでしょう」

 

 様切(ためし)に使われるものであるため、一切の妥協許されぬものであるため、その場の全員の顔が緊張していた。

 もし何か不備があれば、人が死ぬ可能性すらある。

 豆を升に戻し、箸を小間使いに渡した三重は言った。

 

「……余ったら」

「ええ、わかってますよ。裕次郎どのはこの甘露煮が大好物ですからな」

様切(ためし)に使うものをもったいないからって食べたがるところは、裕次郎様らしいというかなんというか……」

 

 ふふ、と三重は笑みを溢した。

 実は裕次郎、この甘露煮が大好物であり、こんな事に使わず商品にして売ろう、そして美味しいから食べよう、と言い出す始末。

 いつもは裕次郎の言うことに耳を傾け首を縦に振ることもあるのだが、こればっかりは許さなかった。

 さすがに岩本家の伝統を美味しいからって途絶えさせるのは、三重でも躊躇われる。

 というよりもなんだかおかしな話であるな、と三重は思った。

 

「では、行きましょうか」

 

 顔を引き締め、三重は小間使いたちに告げた。

 

 

 

 

 

 玉石が敷き詰められた屋敷の庭にて、伊良子清玄は縛られ、正座させられていた。

 牛股が後ろに立ち、他の高弟たちは障子の側と伊良子の周辺にて控えている。

 異様な雰囲気の中で、伊良子は振り向き牛股に言った。

 

「う、牛股どの。このようにしばられていては、先生に礼を尽くすことはでき申さぬ」

「頭を下げてはならぬ」

 

 牛股は淡々と答えた。

 

「おぬしはただ、まっすぐに先生を見据えるのだ」

 

 腰に差した刀の鯉口を切る。

 

「決して、動いてはならぬ」

 

 刀の刃で親指を浅く切り、額にぴと、と血を塗る。

 ニヤリと笑う牛股の他、高弟たちまでもが同じ所作で額に己の血を塗った。

 

 ふと伊良子は裕次郎を見た。さすがに裕次郎はしないだろうと。

 だが、源之助の隣で同じく控える裕次郎ですら、同じ所作を行っていた。先ほどまでのふざけた様子は一片足りとて存在しない。

 さすがの伊良子も、この場の異常な雰囲気を感じる他なかった。

 

(こ、こいつら、何の(まじな)いだ……)

 

 恐れ慄く伊良子をよそに、障子の向こうに大男の影が映った。

 裃に、腰には大小を差した士。

 

「お出ましになられる」

 

 牛股の声と共に、障子が開かれた。

 すぅーっと開かれた向こうには、白髪の剣老鬼。

 どこを見ているのかわからぬ胡乱な目線、口元からは舌がまろびでて、指の先が震えている。

 

 岩本虎眼が心の平衡を失ったのは何時の頃からであろう。

 神妙である筈の指の動きを、制御できぬと自覚した時ではなかったか。

 だが、徐々に虎眼の目線がしっかりとしていく。

 

 手を貸そうとした高弟たちだったが、虎眼はふらふらとしながらも自分で庭に下りていく。

 段々と歩きがしっかりとしていった。その目線は、常に裕次郎の方を向いていた。

 とうの裕次郎は隣の源之助で同じように控えていて、虎眼の方は見ないのだが。

 

「う、牛股どの」

 

 これは何事か、と聞こうとしたときに、牛股の指が伊良子の肩口を掴み、喰い込む。

 鎖骨のくぼみに指を喰い込ませると、体に激痛が奔る。

 

 権左の骨子術が、清玄の所作を封じた。

 

 そこに源之助が駆け寄り、源之助は手に持っていた小ぶりの升に入れられていた豆を、箸でつまんで伊良子の額につけた。

 ねばりがあるため、ぴた、と額にくっついた。

 

(な……)

 

 伊良子は何がなんだかわからないままだった。

 何が起こっているのか、何が起こるのか。全く理解できぬままの伊良子の前に、虎眼が立った。

 最初よりも遙かにマシな立ち姿ではあるが、それでも指が震えたままだ。

 

「い……」

 

 ぞわ、と伊良子の背筋に鳥肌がたつ。

 

「いくぅ」

「いくさまではござりませぬ。それなるは当流の門を叩きし者」

 

 源之助が厳かに言った。

 だが虎眼はまだハッキリとしない。ぴくぴくと指が動くが、裕次郎の姿を確認し続けていると、

 

「た、種ぇ……」

 

 と、言葉が変わった。

 一斉に高弟たちが裕次郎を見る。源之助もだ。

 裕次郎は凄まじく嫌そうな顔をしていたものの、観念したのか溜め息を吐き、虎眼を見た。

 

「父上、そのものはいくさまではござりませぬ。それなるは当流の門を叩きし者です」

 

 できるだけ頑張っただろうその言葉を聞き、虎眼の視線がはっきりとなった。

 

「うむ」

 

 たった一言で虎眼の指の震えが止まった。

 

 神妙古今に比類無し。

 

 そうとまで称された虎眼の抜き打ち。

 中指と薬指の間に柄を挟む形となるその握りは、いかなる流派においても見ることなし。

 放たれた刃は瞬時に伊良子の眼前を、二回閃かせる。

 

 ちん、と音を鳴らして納刀される。ここでようやく伊良子は、己の額につけられし豆だけが斬られている事に気づいた。

 

「お美事!」

「お美事にございます!」

 

 高弟たちによる称賛。

 この様切(ためし)こそ虎眼流の入門儀式。

 涎小豆である。

 

 虎眼の目線がハッキリとしたまま、裕次郎の方に向き直る。

 

「裕次郎」

「なんすか親父殿」

 

 仏頂面で答える裕次郎に、源之助以外の門弟全員が凄まじいほどの怒りの顔を見せていた。

 すっかりこの場にて置いてけぼりをくらってしまった伊良子としては、両名のやりとりを見るしかない。

 

「さっさと離れの道場に参れ。今宵の稽古を始める」

「え~……まぁいいや。行くよ」

「それと、此度はちゃんと伊達にしたようだ喃」

 

 虎眼の目線が、伊良子の顔に残る傷跡を捉えた。

 

「ようやっと覚悟が決まったか」

「全然。アニキがやられたから、やり返そうとしただけ。勢い余って殺そうとしたけど、その前に源之助アニキと牛のおっさんに止められた」

 

 裕次郎の言葉に、虎眼の目が源之助と牛股の両名を行き来する。

 そこには殺意が宿っており、二人とも微動だにせぬままだが冷や汗が流れていた。

 

 虎眼の手元が動、

 

「待った」

 

 こうとした瞬間、裕次郎が虎眼の右手を掴んだ。

 

「時間内に殺れなかったのはオレが未熟なだけだ。今日の稽古で、それを直す」

「……ふむ」

 

 虎眼の返答を聞いて、裕次郎は虎眼の手を離した。

 のそりと振り向き、屋敷に戻っていく虎眼。

 

「すぐに参れ」

 

 とだけ告げ、障子がぴしゃりと閉められた。

 場の空気が和らぎ、誰かがふぅ、と息を吐いたことで緊張が解かれた。

 

「アニキ、すまんがそれをくれ」

「ん」

「これこれ、これがな……美味い! 美味い!」

 

 なんとすぐに裕次郎は源之助から、さきほどの豆のあまりを貰って美味しそうに食べ始めたではないか。

 源之助以外の全員が裕次郎を睨んだままの中で、ふと裕次郎は伊良子を見て、升を隠すように持った。

 

「なんだ伊良子の兄者、これが欲しいのか!? やらんぞ、これはオレの大好物なんだ!!」

「あ、兄者???」

「兄者!!!!!?????」

 

 伊良子の困惑の声と、源之助の素っ頓狂な声が重なった。

 全員がいきなり騒ぎだした源之助を、驚いた顔で見る。普段は冷静な源之助が、ここまで取り乱すとは何事か、と。

 

「だって、同じ門弟になったんだし。あんたオレより年上っしょ? なら兄者でよくない?」

「よくない!!!!!」

「源之助アニキは源之助アニキだから」

「ならいい」

「それで、伊良子の兄者、これが欲しいのか?」

「兄者はよくない!!!!」

 

 もう何がなんだかわからなくなった伊良子であったのだが、返答はせねばならぬだろうと、必死に声を絞り出した。

 

「え、遠慮しておく」

「え? そうなの? これ美味しいのに……ねだられるかと思ってたけど……まぁいいや、ご馳走様、じゃあオレはもう行くわ!」

 

 裕次郎は升を源之助に押しつけると、どこぞへやらと走って去っていってしまった。

 後ろ姿を見送った伊良子が、源之助によって縄を解かれる最中で質問をする。

 

「その、裕次郎どのはいずこへ?」

「先生と夜間の稽古である。裕次郎以外には立ち入ることは許されぬ。伊良子よ、お前も離れに近づいてはならんぞ」

 

 質問に答えてくれた牛股の顔を見た伊良子であったが、その顔が鬼のように真っ赤に染まっていたことから顔を背けた。

 背けたものの、実は背後で源之助から、

 

「……兄ではない、そうだな?」

 

 という、伊良子にしか聞こえない小さな声で脅してくるのだ。

 

 伊良子はこれからの事を考え、呆然とするしかなかった。




昨日が短かったので、頑張って書きました。
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