小夜は“さえぎる”という意味の「
この山中を二人の男が歩いていた。
掛川藩武芸師範役岩本虎眼に命じられ、舟木流の舟木兵馬数馬を討たんとする、藤木源之助と伊良子清玄であった。
二人の間に会話はない。ただただ目的地に向けて足を進ませてるのみである。
山中を進む二人の前に、沓掛からの上り坂の途中にあるとされる丸石が鎮座していた。
悪霊をさえぎり旅人を
侍は妊婦を見つけて介抱していたのだが、その時、一陣の風が吹いた。
風と共に、鎌鼬と呼ばれる悪霊が、この侍に乗り移ってしまったのだ。
鎌鼬は妊婦を斬殺し、どこかへ去って行ったとされている。
それ以来、丸石は女の声で夜な夜なうめくようになったのである。
――石言遺響異聞
奇妙なおおおお、という風の音の中で、源之助と伊良子は丸石に向けて黙祷を捧げる。
だが、この二人が黙祷を捧げているのは妊婦の霊を供養するためではない。
これから殺す、双子へのものなのだ。
「「ぬふぅ」」
掛川藩領宿場町、日坂にあるかどやと呼ばれる陰間茶屋にて。
舟木道場の兵馬数馬は、その日も同時に達した。
相手を務めた男娼の身体にはいくつもの痣が残り、骨を折られた者もいる。
――というのが前までの話であった。
ここ半年、双子は一人の男を伴って陰間茶屋へ来るようになった。
いつも通り“こと”を終えたあと、男娼の負傷を見た男が怒りのままに双子を打ちのめし反省させたが故に、最近では大人しく遊ぶようになったのだ。
かどやの主人はその男に深い感謝の念を持ち、今日も双子と共に連れ立ってきた(本人は嫌そうな顔をしていたが)男には、見目麗しい男娼を複数人つけて相手をさせている。
なんせこの双子こそ、宙空の兜を両断するほどの業前を持つ、日坂最強の剣士だったのだ。
誰がそれをとがめられるというのか。
だが、双子以上に強い男がこの暴虐を止めたことで、宿場町も随分と治安が良くなったものである。元々双子の存在によって不埒な輩は少なかったが、不埒な双子には頭を悩ませていたのだから。
舟木兵馬と数馬は身なりを整えて部屋を後にした。
二人の前に主人が現れ、礼をする。
「兵馬さま、数馬さま、お楽しみであったようで」
「おうよ主人、我らは満足した故に帰るぞ」
「主人よ、裕次郎はどうした? まだお楽しみ中か?」
全く同じ顔の二人が陰間茶屋の主人に訪ねるが、主人は愛想良く笑った。
「裕次郎さまはまだお楽しみのご様子で……」
お前らと違って大人しく、行儀良く楽しんでおるわ。
主人はそんな考えをおくびに出すこともなく、内心で反吐を吐くようにして脳内で叫ぶ。
藤木裕次郎、この男こそが、今は日坂最強の剣士で双子の暴虐を止めた、どこか変な奴であるが憎めぬ男だ。
突如として舟木道場にふらりと現れた裕次郎はそのまま道場の門弟となり、双子を倒して稽古に励んでいるとのこと。
あの双子に勝つとは、今度はどんな荒くれ者だ、と主人は溜め息を吐いたほど。
しかし双子に連れられてきた男は双子よりも小柄で、髷を結わぬ総髪のままの、どこか浮世離れした男であった。
双子は「我らの義弟ぞ!」と紹介し、自分たちはさっさと楽しみに行ってしまった。
残された裕次郎はキョロキョロと落ち着きがないまま、足踏みをしている。
――ははぁ。此奴、さては女を知らぬ童だな?
一目で裕次郎の慣れておらぬ態度を見抜いた主人は、逃げようとする裕次郎をあれよあれよと言いくるめ、男娼と部屋で二人きりにさせた。
それから良い頃合いだろう、治療の用意も必要かな、と思った主人が裕次郎の部屋に行くと、なんと中から笑い声が聞こえるではないか。男娼も、いつもの客を相手にする愛想笑いではなく、本当に楽しそうである。
――女を知らぬものだが、男を愉しませる素質はあったのか。
主人はふむふむと思いながら障子の間から部屋を見ると、確かに二人とも裸ではあるが、何故か行為に至った跡がない。布団の上で裸になってるだけだ。
「いくぞ……いせので“
「外れでございますね……では! いせので、“
「あ、くそ!!! 負けたーハハハハ!」
二人とも親指を立てて何やら遊戯をしている。手遊びの一種のようだ。
そこで主人は見た、裕次郎の身体には傷一つない。だが、確かに剣士として鍛え抜いた無駄のない身体であった。
舟木道場に出入りするのに相応しく、それどころか双子よりも研ぎ澄まされた肢体である。
そういう趣味のない主人ですら、見惚れるほどの完成度であった。
「あ、そろそろ線香が尽きるな。これで終わりってこと?」
「はい。申し訳ありませぬ……お相手を務めるべきところなのに」
「いいよいいよ! オレ、男を抱く趣味がないからさ。遊び相手になってくれただけでも楽しいよ!」
「そうですか……わたしでよければ喜んでお相手させていただきますのに……」
「だーかーらー、そういう趣味はないんだって!」
うっとりと湿り気のある眼差しで男娼が誘うものの、けんもほろろ。裕次郎はさらっと断った。
その後に双子の所業を知って反省させたのだ。
裕次郎は行儀良く楽しんでいる。
しかしそれは、男娼としてではなく遊び場と認識してのことだ。
高い金子を払ってまでやることが部屋で男娼数人と酒を呑んで双六遊びだのなんだのだから、男娼にとっても主人にとってもおいしい客であるのは間違いない。
男娼たちも裕次郎と遊ぶことを楽しみにしているものが多い。中には“お相手したい”と思う者もいる。
それは、裕次郎の完成された肢体を見たが故の欲情であった。
と、ここで主人は気を取り直し、礼をし続けた。
「お待ちになられますか?」
「いや、良い」
「我らはいつも通り
「へぇ、かしこまりました」
双子はそのまま茶屋をあとにした。
主人は二人の背中を見送りつつ、思う。
裕次郎さまさまだ。
最近ではあの双子、大人しく礼儀正しくなったわ。
未だ茶屋の中で(陰間茶屋本来の意味ではないが)遊んでいる裕次郎に感謝しつつ、店に戻るのだった。
舟木兵馬と舟木数馬は、酒と色におぼれた後は
「しかし、裕次郎も変わったものよ。色に溺れるより酒に溺れ、童の如く遊ぶのが楽しいとは」
「そっちの意味でも童なのだから仕方あるまい」
「そうなれば、我らが手ほどきせねばならぬかな?」
「その前にだ、兄者。そろそろ嫁を貰って親父殿を安堵させてやってはいかがかな?」
「己とお前二人を相手する嫁だ……が、それを言えば裕次郎が怒るかな?」
「怒るだろうな。怒るなら、お前は千加の相手をちゃんとせぬかと怒ればよい」
「「ワハハハハハ!」」
双子は裕次郎のことを考え、愉快そうに笑った。
妹である千加と何やら良い仲であるのだろう裕次郎は、未だに千加に手を出した様子はない。
千加の方から夜這いをかけたはずだが、どうも行為には至ってない様子。
それどころか千加は以前よりも貞淑、というか乙女の如く初々しくなってしまった。
なにかあったのかは間違いないが、二人とも何も言わぬのだ。だから、何があったかわからない。
だが、どうも童と未通。その初夜は微笑ましく失敗したということだろう。
二人の仲は拗れることなく、むしろ前よりも仲睦まじいと思うほどに心の間合いが近い。
裕次郎が義弟になる日も近かろう、と双子は愉快に思うのだ。
かつて日坂最強の剣士として自惚れていた己たちの道を正し、再び剣を学ぶものとして道を進む楽しさと厳格さを思い出させてくれた、強く優しい男。
あの男が千加と祝言を挙げ、義弟となるならばこれほど愉快なことはないだろう。
もしかしたら裕次郎が舟木流の跡継ぎになるかもしれぬが、双子はどこか清々しくそれを認めていた。
己たちよりも強く、剣に対して真摯で強くなることに貪欲で、そして人格も備わった士なのだ。
唐突に変なこともしでかす困った男だが、それも義弟の可愛いところである。
変なことをしても、己たちと千加で支えてやれば良い。あの男に、そもそも一門を率いる教育などされていないのは周知の事実。跡継ぎとなっても、自分たちは変わらず道場の師範であろうさ。
あるいは裕次郎と共に強くなり、どこかで出世の糸口を見つけることも可能であろう。
そう思う双子の顔は、
殺気だ。
それも、二人分。
裕次郎との稽古により、さらに感覚が鋭敏になった双子の肌は、藪に隠れしもののを察知する。
ざ、とまさに藪から隠れていた男が現れた。
襲撃してきたのは、二人。
双子の前後を挟むようにして現れた二人の凶漢は、腰に差した大小に手を掛けて殺気を隠そうともしない。
「何奴! 舟木道場の数馬兵馬と知った上でか!」
「立ち会いたくばあらかじめ、時と場所を告げておくのが武士の作法!!」
双子は威嚇するように凶漢へ言うが、頭巾で顔を隠した二人の男に怯えた様子はない。
それどころか刀に手を掛けた雰囲気は、熟達した剣の使い手を彷彿とさせる気配を放っていた。
「我ら武士にあらず」
凶漢の一人が言った。
どこか艶やかな声の男であった。
「中山峠の鎌鼬なり」
もう一人の男は厳格且つ重々しく告げる。
もはや戦いは避けられまい。
双子は腰のものを抜く。
二人の刀は
妖しく輝く刃が、双子の殺気と共に凶漢二人の目に届く。
前後を挟まれた形である双子の背中合わせ。
その上段に構えた双子の姿はまさしく一心同体。
二刀を携えた金剛力士のようであった。
早馬に乗った鎧姿の牛股が現れるまで、残り僅か。
やっと原作二巻の内容に足を踏みいれました。
完結までめちゃくちゃ掛かりそう()