シグルってたまるか   作:風袮悠介

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追記:資格試験のために遠方の試験会場に行かねばならないので、すみませんが更新が滞ります。
8/13より連載開始予定。宜しくお願いします。


第三十六景・同胞 異聞譚 その一

「裕次郎は!?」

 

 袋井宿(ふくろいしゅく)遠州灘(えんしゅうなだ)

 この日、虎眼(こがん)(りゅう)剣士たちは水練(すいれん)……泳法の訓練を行っていた。

 虎眼に裂かれた牛股(うしまた)の口の傷がまだ塞がってはいない。

 

 船の上で錆びた(かぶと)南蛮胴(なんばんどう)――鉄製の(どう)防具を着装しているのは藤木源之助であった。

 「このあたりがよかろう」と牛股が声を掛けると、それまでペラペラと喋っていた藤木源之助の弟、藤木裕次郎の顔にさえ緊張が奔った。

 裕次郎は今回の水練、初参加であったが故のものだろう。

 源之助としてはこのような弟を見るのは初めてであり、どこか兄として頼りになる背を見せねばと気骨(きこつ)を持って海に飛び込んだ。

 その前に裕次郎が南蛮胴の不備を見つけて直してくれたことも相まって、その気合いはさらに勝る。

 

 鉄の鎧をまとった源之助はみるみる海底に没していく。

 

 虎眼流の“水練”は水圧と息苦しさの中、手探りで鎧を脱ぐ。

 訓練の目的はいかなる状況でも平常心を保つことにあり、虎子たちの稽古の中では安全な部類に入る。

 南蛮胴の()の結び目の不備もなく、源之助は鎧を脱ぎ捨てて、見事に海面に上がった。

 

 ぷぅう、と口に溜まった海水を吐き捨てて、源之助は船に上がった。

 牛股、丸子(まりこ)彦兵衛(ひこべえ)山崎(やまざき)九朗右衛門(くろうえもん)、伊良子、そして裕次郎が安心した顔を見せる。

 

「見事。次は裕次郎の番である」

「え? いや、もうちょっとお手本を……初めてだし……」

「ええい何を怯えておるっ。虎眼先生の折檻を受けるより怖いことなどなかろうっ」

「でも……オレ、泳ぎが下手だし……」

 

 え、と全員が裕次郎の顔を見た。

 意外であった。

 源之助ですら意外であった。

 

 裕次郎は剣の腕も弁も立つ。さらには、最近では最終巻を描いて仕事を減らそうとしているが売れる草双紙を描くほどの多才を示す裕次郎が、泳ぎが苦手であるとは。

 

 怯える裕次郎に、藤木源之助は微笑んだ。

 伊良子はここで初めて、このような藤木源之助の笑みを見た。

 なんというか「兄として立派なところを見せられるぞっ」みたいな無邪気な笑みだった。

 気味が悪いと伊良子は思うが、口にはしなかった。

 

「裕次郎」

 

 源之助はそのまま裕次郎に、船に積んであった南蛮胴を差し出した。

 

「大丈夫だ。兄が教えてやろう」

「アニキ、楽しそうだな。なんで?」

「大丈夫だ」

「何が????」

 

 促されるまま流されるまま、裕次郎は源之助の手によってするすると南蛮胴を着装していく。

 なんともまぁ見事な手際であり、裕次郎は諦めたように笑って船の上に立った。

 

「二番! 裕次郎! 行きまーす!」

 

 やけくそに叫んだ裕次郎が海に飛び込んだ。

 源之助以外の全員が、大きく息を吐いた。

 

「なんというか、裕次郎はいつも通りですな。牛股師範」

 

 呆れるように呟くのは丸子。いつも通り銭湯に行ったら「裕次郎さんいつ来るの?」と聞かれて顔を真っ赤にさせた過去がある。

 

「本当に。あのものの婆娑羅具合には涼之介も混乱するばかりに」

 

 次に呆れた様子を見せたのは九朗右衛門である。虎子たちには秘密にしている(つもりだ)が、懸想(けそう)する涼之介が裕次郎の一挙手一投足に影響されぬように剣術を教えるのに苦労していた。

 

「最近では草双紙の製作も一段落している様子ですが、その分だけ普段の行動の、その、範囲と言いますか規模と言いますが、それが酷くなるばかり」

 

 最後に呆れて言ったのは伊良子であった。彼は市中で三重を連れて婆娑羅なことをしたために起こった行動で、町娘たちが己の相貌を見ても引っかかることが少なくなっていた。なんだかんだで裕次郎を懸想するものは、表立って言わぬだけで多いのだ。

 あと裕次郎が喧嘩を売った浮浪者たちの後始末というか報復行動への対処もしている。

 草双紙に関して言えば、裕次郎こと卍手裏剣の草双紙の作品数が少なくなってしまい、このまま製作が終わるのだろうかと寂しく思うところもある。表立って言わぬが。

 

「うむ……うむ……」

 

 これに対して牛股は苦い顔をして腕を組み、何も言えぬままであった。

 裕次郎の行動によって虎眼流の名が畏れられることが少なくなりつつあることに、なんとか威厳を保とうと走り回っていたりもした。無双許(むそうゆる)虎参(とらまい)りで過剰なまでに周囲を威嚇するのもそのせいだ。

 

「我が弟が迷惑をおかけして申し訳ございません」

 

 弟に代わって謝罪するのは先ほどまでの笑みが消え、いつもの仏頂面(ぶっちょうづら)で頭を下げるのは兄、源之助。

 可愛い弟ではあるし普段の行動に対して是非は言わぬが、それでもいい加減落ちついて欲しいとも思っている。

 かの舟木の双子襲撃後に二人で話し合ったときでさえ「え、落ち着け? 落ちついてるつもりなんだけどなぁ……」と()頓狂(とんきょう)な回答をされて頭を抱えそうだった。

 が、それではいけないので蕩々と話をしたつもりだが、普段からあまり語らぬ源之助。

 裕次郎には伝わっておらぬな、と困ってもいた。

 

 このように全員が裕次郎の行動に迷惑を被ってはいるものの、次第に丸子と九朗右衛門はぷ、と笑い出した。

 

「しかして、どこか愛嬌のある男よ」

「まさに。舟木流の技と娘の心も盗んで帰るとは、確かに双子の首と同等の手柄であろうさ」

「手柄ではないっ!!!!!!!」

 

 丸子と九朗右衛門の話に、牛股は絶叫するように否定する。それを仏頂面のままどこか楽しそうに見る源之助。そして振り返って考えてうーむと悩む伊良子。

 いつも通りの五人ではあるが、ふとここで源之助が気づく。

 

「……裕次郎は」

 

 その一言に牛股はすぐに海面を覗く。

 本来ならここで浮かんでくるはずだ。そうでなくとも海面に水練参加者による泡が激しく立つはずだ。

 

「遅い!」

 

 牛股の声に、すぐに四人が海中に飛び込んだ。伊良子が小刀を加え、他のものたちは素潜りで海底に向かった。

 しかし、いくら潜りの技を身に付けた者でも、重りなしでは十七(ひろ)……約30メートルが限度。

 丸子、九朗右衛門と限界を迎え、伊良子と源之助だけが抜きん出る。

 しかし、次第に源之助も限界を迎え、それでも無理矢理潜ろうとして、そこで止まった。

 今度こそ伊良子だけが抜きん出た。

 

 そこで伊良子は見た。

 

 裕次郎が誰かといる。

 

 そして、その誰かとは、裕次郎と似た顔をした幽鬼である。

 

 海には魑魅魍魎(ちみもうりょう)妖怪(ようかい)話が多くあるが、まさかこの目で見ることになるとは、と伊良子は驚愕した。

 同時に伊良子は考える。

 岩本道場で双竜と呼ばれる伊良子と源之助。

 だが、二人よりも実力があり虎眼より目を掛けられ、跡目に推挙されているのが裕次郎である。

 ここで裕次郎が死ねば源之助と伊良子、二人のうち一方だけが跡目になることが出来る状況であった。

 裕次郎の首を掴む幽鬼の手が強まるのを見て、伊良子は咄嗟に行動した。

 

 幽鬼の頭を小刀にて三寸切り裂いた。

 

 ゆらゆらとゆらぐ幽鬼は裕次郎を見て嗤った。

 

 (まぁ、いつか殺さなかったことを後悔してろ)

 

 その幽鬼の声は伊良子の頭に響き、まるで己のことを言ってる錯覚に襲われる。

 だが、すぐに沈んでいく裕次郎の腕を掴み抱え、海面に向かって泳ぐ伊良子。

 

 なんだったのだ、アレは……。

 

 うすら寒いものを感じながら、伊良子は裕次郎を救出するのだった。

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