シグルってたまるか   作:風袮悠介

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第九景・傀儡 異聞譚 表面 その一

 藤木裕次郎とはどういう男か?

 駿河大納言秘記や現存する記録において、裕次郎に関する記述や口伝、古文書等にはこう記されている。

 

 出場剣士十一組二十二名において生還した七名のうちの一人、藤木源之助の弟であること。

 現代において掛川宿があったとされる市町村に存在する伝統武芸にして古流剣術の一つ、虎眼流を極めた剣士と言われている。

 

 江戸初期、徳川家光公の時代において、かの天下一の槍使いとされる駿河藩槍術師範、「舌切り槍」の異名を持つ笹原修三郎にして「我が槍術と彼の者の剣術、全くの互角である」と言わしめ、徳川剣術指南役である柳生宗矩が「忌々しき岩本虎眼の最高傑作」と唾棄するほどの剣術家であったとされている。

 今では虎眼流宗家にだけ伝授されるという三連星、つまりは初代虎眼流当主岩本虎眼が開眼した「流れ星」を会得、そこから派生する形で天啓を得て生み出した「凶つ星」と「綺羅星」を開眼した天才剣士とのこと。

 

 最近の研究では当時として画期的な手法で描かれた草双紙、漫画の原型とも言われる作品を生み出した卍手裏剣と同一人物ともされており、研究は進められているがその人となりを探る内に、どうにも当時としては異端な考えを持つものであったと、最近の研究で判明した。

 卍手裏剣の草双紙に書かれている絵図や筆跡と、虎眼流宗家に伝わる剣術書の絵図と筆跡を鑑定に掛けたところ一致したという。

 だが、卍手裏剣こと藤木裕次郎の作品はその多くが海外へ流出してしまっており、現存する作品は非常に少ない。

 

 真剣御前試合の数日前に兄である藤木源之助と果たし合いをし、これに負けて死亡したという。

 何故兄弟で殺し合ったのか、何故殺し合う必要があったのか、それは今でも解明されていない。

 

 剣術家としての藤木裕次郎はいかな人物なのか、と問われると「当代において比肩しうるものなし」と藤木源之助が古文書で称えていたほどのものであった。

 前述の新たな奥義の開眼しかり、現代の掛川宿があったとされる市町村に現存する虎眼流ともう一つの古流剣術、舟木流の兜投げと鎧断ちを極め、また、多数の剣術を会得するほどの器用さがあったという。

 

 だが、それ以上の特異性として藤木裕次郎は非常に傷の治りが早く、致命傷足りうる傷を受けてもすぐに復活するという逸話が残っている。

 これに関しては創作の類いだろうとも言われているが、事実として藤木源之助が残した書面では「我が弟、いかなる傷を受けても幻の如く賦活せしものである」とされているので、常人よりも傷の治りが早かったのは事実であろうとされていた。

 舟木流宗家の剣術書においても「藤木裕次郎を参考にしてはならぬ。あれは化生の類いなり」とされているので、この説が主流である。

 

 藤木裕次郎を専門とする研究家によると「まだまだ謎が多い人物ですが、それでも虎と評された岩本虎眼に義理の息子として認められた藤木裕次郎を、他の兵法家たちの記録では一貫してこう評されています」とのことだ。

 

 

 

 

――あれは虎ではなく、鵺であると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蹂躙である。

 裕次郎の行いは、ただの蹂躙である。

 道場の床に転がる、あるものは骨を折られ、あるものはしこたま打たれ、あるものは失神させられた門弟たちの姿が、それを物語っている。

 雪が降る月夜の晩、本来では年越しのために祝いが行われるはずの師走の晩、稽古納めで静かになるはずだった岩本家の虎眼流道場にて、門弟の末席に名を連ねる裕次郎が、暴れ回っていた。

 

 道場に転がっているのは主に門弟たちだが、虎子と呼ばれる高弟たちの姿もある。

 皆、一様に裕次郎によって倒されたものたちだ。

 道場の隅では、三重が乱れた着物を強く握りしめ、裕次郎の所業を見ていた。

 

 私は知っていた。

 知っていた。

 知っていたはずだった。

 

 岩本三重の胸中における言葉は、これに尽きる。

 裕次郎と三重は屋敷を抜け出して、ともに町を歩き遊ぶ事があった。

 そこで裕次郎は荒くれ者や牢人者をうちのめす様を何度も見てきた。強いことは知っている。上座にて裕次郎を微笑ましく見ている己の父、岩本虎眼が認める男なのだから、当然だと思ってた。

 だが、三重は知らなかった。知っていたはずだったが、知らなかった。

 

 藤木裕次郎という男がここまで強いとは、知らなかった。

 

 父の弟子たちが成す術もなく道場の床に転がっていく様は、ある種の能のようにも見える。そのような能があるかは知らぬがそうとしか見えぬほどの強さであった。

 木剣を振れば諸共叩き伏せられ、組めば転がされて投げられる。

 

 怒りのまま振る舞う裕次郎の武は、もはや嵐のそれである。

 

 もはや立っているのは牛股一人であり、他のものは倒れ伏して気絶するか、二人の戦いを見ることしかできない。

 

「裕次郎」

 

 牛股が口を開いた。

 裕次郎はゆらり、と両手に握った木剣を握ったまま何も答えない。

 その視線は牛股に向いているようであり、はてまては背後の父、虎眼に向けられているようで、あり、それでいて不明瞭な揺らぎが見える。

 視線から、狙いを定めることができない。遠山の目付と呼ばれる基礎技術を突きつけた、視線の先から狙いを定めさせない技。

 牛股もまた片手にかじきと巨大木剣を握り、裕次郎と相対している。

 

「このようなことをして、ただで済むと思うておるまいな?」

 

 牛股の問いに、裕次郎は何も答えない。

 ふいに裕次郎は、両手の木剣の握りを変える。

 

 猫が爪を突き立てるが如き特異な握りを、両手で行う。

 

 両腕を上げつつだらりと手首から力を抜いた姿は、両手の木剣も相まって獣が爪を立てて威嚇しているようだった。そして、両膝から力を抜き、軽く首も前に傾ける。

 牛股もまた、かじきを裕次郎と同じ握りにて構え、にじりと間合いを詰める。

 徐々に間合いを詰めていく牛股に対して、裕次郎は何かする様子がない。

 

 牛股の木剣が横薙ぎに振るわれた。

 

 

 ぴう、と鋭い風切り音。

 裕次郎はそれを避ける様子がない。このままいけば、かじきの切っ先が裕次郎の頭を砕く。

 

 だが、その切っ先がまるで裕次郎の頭を素通りしたかのようにすり抜けた。

 なにごとか、と牛股が目を見張った瞬間、裕次郎は軽く一歩前に出た。

 

 そのまま思い切り、足下に転がっていた門下生の一人を牛股目掛けて枕の如く跳ね上げるように、裕次郎は脚力を持って蹴り飛ばした。

 驚いた牛股だったが、そのまま胴体で門下生を受け止める形となる。どう、と大の大人一人の重量と勢いと威力をどてっ腹に受けた牛股だった。

 だが、牛股とて虎眼流師範として日夜厳しい稽古に身を置く。大人一人を受け止めたところで、その後の戦いに支障は出さない。

 

 とはいえ後ずさる形となり、さらには門下生が邪魔となって武器が振るえない。

 

 そこを裕次郎は詰め、牛股の顎に木剣による一撃を見舞った。

 顎を掠めた一閃が、牛股の意識を瞬時に刈り取った。掠めるだけの木剣であるが故、十二分に牛股の脳を震盪せしめたのだ。

 

 門下生と共に倒れた牛股の後ろで、虎眼はまだ笑っていた。

 何も言わぬまま、裕次郎の戦いぶりをにこやかに観察するのみ。

 

 裕次郎は片手の木剣を捨て、虎眼に宣言した。

 

「立て、糞親父。俺の“凶つ星"と親父の"流れ星"。どっちが強いか比べっこしようぜ」

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