シグルってたまるか   作:風袮悠介

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第九景・傀儡 異聞譚 裏面 その一

 武家にとって本来、婚礼とは家名を残し後 (あとつぎ)を生むための厳粛な儀式であり、恋という概念が入り込む余地はない。

 

 なんのことはない。

 相手は当主の一存で決まるのだ。

 

 虎眼が座る伊良子と三重を見下ろす中で、門弟たちも源之助も黙ったままだった。

 当主の一存にて行われたことに、口を挟む余地などない。(さむらい)はお家と名を守り、当主とその一族に尽くす。

 故に、行われた所業に誰も何も言わないのだ。

 

 ただ一人を除いて。

 

「お父上。どうせよ、と?」

 

 親族であり一人娘の三重だけが、虎眼に問うことができる。

 見上げる形となった三重の視線に、尚も虎眼は虚ろなまま答えた。

 

「た。種ぇ。ここ、に」

 

 ここに? たね?

 

「くる、こない。たねぇ」

 

 くる、こない、たね?

 三重の頭は疑問だらけである。返答の意図がわからない。

 

「おそれながら」

 

 重ねて質問をしようとした三重に、伊良子は話し掛けた。

 

「三重さま……」

 

 三重が伊良子の方を見れば、視線は三重に向けられず正面のままである。

 その顔は、沈痛な面持ちであった。

 

「先生はこの場にて、三重どのとそれがしに男女の契りを結ばれるよう、望まれておる様子」

 

 三重の頭が真っ白になった。

 

「ただし、それがしが事を及ぼうとすれば、必ず裕次郎殿が止めに来る」

 

 そして、と伊良子は続けた。

 

「間に合わずここに来なければ、契りを結べ。止めに来たのならば裕次郎と契りを結べ、とのことかと」

 

 その言葉が、静寂に包まれた道場に放たれ、次第に外の雪の降る音にかき消される。

 

(男女の契り……)

 

 静かになった道場で、三重は俯いていた。太股の上に置かれた両拳が、あまりのことに震えている。

 それを源之助は、痛ましい顔で見ていた。止めることなど、己にはできぬ。

 弟の裕次郎であれば、止められたであろうか……とも。

 

 顔を上げた三重の瞳は、涙で濡れていた。

 

「お痛ましゅうござりまする」

 

 痛々しい少女の、静かな静かな慟哭であった。

 

 武家の娘にとって貞操(みさお)とは、誇りそのものである。

 胸の中に輝く真白き打掛けの如く。

 そして、三重は思っていた。己の相手は裕次郎になるであろうと。

 恋という概念が入り込むことはないのが本来の婚礼であるが、三重が恋した裕次郎は行動は突飛であろうと人柄と実力は虎眼流道場にて随一。

 自然と、虎眼も裕次郎を相手に選ぶであろう。恋という概念が入り込む余地はないが、相応しき実力を相手が兼ね備えているのであれば、その恋の成就も夢ではない。

 三重にとって、裕次郎との楽しき思い出は、真白き打ち掛けを彩る美しき花であろう。

 

 それを実の父親が、よりにもよって裕次郎を息子と嘯き目を掛ける虎眼が。

 真白き打掛けを泥足で踏み握り、花を無理矢理むしってその上に置いたのだ。

 

 己の誇りも思いも、虎眼の一存によって望まぬ形で成就されようとしている。

 さらには裕次郎が来ないのであれば、やむなしと手折られようとしていた。

 

「下がらせていただきます」

 

 失望した三重は、虎眼の顔を見ることなく道場を後にしようとした。

 裕次郎が今、どこにいるかはわからぬが、この場にいれば間違いなく虎眼に挑んでいたであろう。

 同時にこのようなことがあってこの場にいる誰もが、三重のために虎眼に挑むことがない。

 その事実もまた、三重の心を深く傷つけていたのだ。

 

 だが、虎眼は刀を抜いた。

 

 源之助と伊良子が気付き、止める前に抜刀。

 

 後ろにいる三重を、切りつけた。

 

「三重どの!!」

 

 門弟たちと牛股が驚き、三重に駆け寄った。どこを切られたか、無事であるか。それは心からの心配であっただろう。

 曖昧な状態の虎眼が誰かを切り殺すなど、珍しくはない。裕次郎がいないところで、幾人切られたことか。

 だが、どうやら三重は無事な様子。

 

「大事ない」

 

 門弟の皆に聞こえるよう、心配を掛けぬように言った。

 

「今日のお父上は、何時にも増してお痛ましい御容態……皆もひとまず、ここを離れるが身のため……」

 

 三重は自分の着物が、臀部の辺りがはだけた感覚を憶えた。切りつけられたが、それは着物を斬るに留まった様子。

 このようなはしたない姿を見せるわけにはいかない。早く自室に戻り、身なりを整えたい。

 

 三重はそう思っていた。

 他の皆は、そう思っていなかった。

 

 牛股の視線は三重に向けられていない。

 正確には、三重を透かすようにその背後へ向けられていたのだ。

 

(ごん)……」

 

 後ろから放たれる声に、三重の恐怖は増していく。

 牛股の顔が同時に色がなくなっていった。

 

「う」

 

 身悶えしたくなるほどの恐怖を抑え口を開けたのは、ひとえに武家の娘であるからか。

 三重は声が裏返られぬように気を付けてる必要があった。

 

「牛股。道をあけよ」

 

 だが、無情であった。

 三重の命であっても、牛股と門弟たちは三重の前で両腕を広げた。

 まるでこの先通さぬ、と言わんばかりに。

 

「お戻りあそばれますよう。先生は伊良子清玄を餌に裕次郎を誘うと判断され、戻らぬようならそのまま婿にとお選びなされた。全ては虎眼流安泰のため」

 

 三重は見た。牛股の顔も、門弟たちの顔も。

 

「裕次郎様なら、虎眼流のためにこのようなことをすると言えば、全力で抵抗なさるでしょう。たとえこの場に来ても、男女の契りを行うとは……思えません」

 

 無駄とわかっていても、言わざるをえなかった。

 

「それでもか」

 

 言葉を投げかけても、牛股や他の門弟たちの表情は変わらない。

 

「牛股。このようなことをして、裕次郎が牛股を許すのか。再び牛のおっさんと呼んでくれると思うのか?」

 

 そう言われても牛股の表情は変わらない。

 表情は変わらないが、奥歯を噛みしめる音が小さく聞こえただけだった。

 

 幼き頃から嫌というほど見てきた。父の仰せとあらば意志(こころ)を無くした傀儡(くぐつ)となる門弟、高弟たちを。

 裕次郎ただ一人だけが、それに抗ってきた。

 だから三重は……。

 

 そのとき、後ろですく、と立ち上がるものがいた。

 

 三重が振り向けば、そこには源之助が。

 

「藤木……」

 

 その顔を見て、三重は固まった。

 

(あの時と同じ顔……だけど……)

 

 かつて三重が十の頃――入門したばかりの藤木源之助に、虎眼が焼け火鉢を握らせたことがある。肉の焼け臭いが部屋に立ちこめたが、源之助は手を離さず、ゆっくりと杯をかきまぜていた。

 それを見て虎眼は言った。

 ――出来ておる、と。

 ただし、そのあと裕次郎が乱入してきて火鉢を蹴飛ばし、源之助の治療をしていたが。

 

 その時と同じ顔をしているのである。

 

「源之助」

 

 三重は、言った。

 

「裕次郎がどう思うか?」

 

 同時に、三重は思い出す。

 治療を受けていた源之助に、裕次郎が怒鳴り付けるように言った。

 ――自分の体を大切にしろ! こんなバカなことを本気にしてやってたら、俺はアニキをアニキと思わねぇからな!!

 そのときに源之助は始めて、人前で泣きそうな悲しそうな顔をしたのだ。

 

 三重の言葉に、その泣きそうで悲しそうな顔を、あのときと同じ顔をした。

 鼻から血を流しながら、必死に泣きそうで悲しそうな顔を引っ込めようとする源之助。

 

 必死になる源之助を見て、三重は思う。この男も裕次郎と同じく必死に、必死になって命令に抗おうとしているのだ。

 しかして裕次郎ほどの力も自由もなく、己の出来ることが限られていることも知ってるのだ。

 

 源之助の手が、三重に向かって伸びた。

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