シグルってたまるか   作:風袮悠介

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連日の炎天下にて、完全にダウンしてました。
更新できず申し訳ありません。


第九景・傀儡 異聞譚 裏面 その三

 伊良子の内心は暴風の如く荒れ狂って……いるわけでもなかった。

 目の前にはお膳立てされた三重、押さえ付けてるのは門弟ども、命じたのは虎眼。

 ここで手を出しても、なんら問題などないだろう。なんせ命じたのが虎眼本人なのだから。

 この結果として三重を、この未通女(おぼこ)を手に入れ、虎眼の跡目になれば――。

 

 ふと三重の顔を見れば、今にも舌を噛み切りそうであった。

 

 ここで三重が本当に舌を噛み斬り死ねば、岩本家は潰える。

 自身の出世に影響が出て、この先へ昇るための道筋を失ってしまうことになるだろう。

 

 伊良子の頭が怜悧に働く。同時に、脳裏によぎるものがある。

 

 裕次郎だ。

 あの虎の皮を被った鵺が、己を殺しに来るだろう。

 

 今の自分では、まだ裕次郎に敵わぬ。

 勝てる道筋が見えぬ。

 まだ、戦うわけにはいかない。

 合理的に考えて、怜悧に算盤を弾く。

 

 最後に、心のどこかで思うことがあるのだ。

 

 裕次郎ならきっと、こんなことに加担しない。

 三重の言う通りだ。裕次郎がこの場に駆けつけても、三重とこと(・・)に及ぶことはないだろう。

 むしろ、この場にいる全員をぶち殺しにかかる。

 

 卍手裏剣先生の『進撃する巨漢』の主人公は、自由のために苦しんだし非道に手を染めたが、最後には初志貫徹して壁を壊して人々に自由を与えた。

 

 あれに比べて、自分はそれで良いのか?

 

「やはり、お許したまわりますよう」

 

 もう一度伊良子が繰り返す。

 

「今、この場にて事に及べば、三重様は命をお絶ちになりましょう、さすればお家が絶えまする。先生のお言葉で某、契りを結ぼうとしましたが、やはり虎眼流と三重さまのため、この儀、祝言の後にあらためて。そして、裕次郎を越えたとき。祝言を挙げさせてください」

 

 平伏したまま最後にまで告げる。周りで虎子たちから剣呑な空気が漏れていた。

 虎眼が立ち上がり、虎子の刀に手を掛けた。

 

 その刀が抜かれる前に、

 

「うわああああああん!」

 

 三重が泣いた。

 

「うわーーっ! うわーん!!」

 

 まるで産まれたばかりの赤子のように、泣き声をあげた三重を前に、曖昧な状態の虎眼は笑みを浮かべた。

 

 伊良子は確信していた。

 これで三重の誇りは守られ、非道に手を染めることにならずに済み、虎子たちも引くだろう。

 自身も一目置かれることになるのは間違いない。当主を相手に一人娘の名誉を守った男として。

 卍手裏剣先生の草双紙の中にあるような誇り高い主人公たちのようになれたと。

 出世の糸口をなくさずに済んだと。

 

 伊良子清玄は傀儡ではない。

 もっと悍ましい何かだ。

 

 

 

 

 

 

 だが、虎眼流には傀儡ではなく、伊良子よりも悍ましい、虎の形をした鵺が、存在していた。

 

 

 

 

 

「てめぇら何をしてやがる!!!!!」

 

 

 

 

 伊良子の後ろで、道場の扉が吹き飛んだ。

 全員がそちらを見るが振り向かずともわかる、吹き飛んだ扉の向こう側に、鵺がいるのだろう。

 憤怒に顔を真っ赤にさせた裕次郎が。

 

 伊良子は内心安心していた。同時に舌打ちもした。

 

 これで三重を襲う大義名分を失った。虎眼も刀を完全に納めるだろう。

 しかしもう少し後でくれば良いものを。そうすれば、この場を納めたことを裕次郎に目撃される形で自身の価値が高まったろうに。

 

 だが、そんな打算は瞬時に崩壊した。

 

 伊良子の背筋に灼熱が走る。すぐに体を起こして振り返った瞬間、裕次郎の足の甲が眼前に迫っていた。

 躱す間もなく、伊良子は己の顔を蹴り抜かれ、鼻骨が砕ける音が脳髄にまで響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 源之助にとって、不服ではあった。

 以前の己なら一も二もなく従っていただろう師の命令、しかしその内容は三重を押さえ付けて伊良子に種付けさせよ、裕次郎が来る餌とするが来ぬならそのままで、と。

 三重は虎眼の娘であると同時に主の一族である。そして、当主の一存でその先が決まる駒でもある。その一存に、源之助が異議を唱えることなどできるはずがない。

 

 三重を押さえる手が震える。震えるのを、必死に抑え込み、表情を隠して涙を流さぬように堪える。鼻から血が垂れる。

 

 ここに裕次郎がいればどうしただろうか?

 決まってる、全力で抵抗していただろう。

 ここに裕次郎がいなければどうなるか??

 決まってる、こうなるだろう。

 

 誰も虎眼に逆らうことなど頭にない。

 居るならば伊良子くらいだろう、その伊良子も虎眼の命令で三重を襲おうとし、目前で止めた。

 

 何故自分は従っているのか。

 

 何もわからないまま、感じないままであれば楽であれたのに。

 

「裕次郎、己は」

 

 伊良子を蹴り倒し、他の門弟たちを瞬時に倒した裕次郎が目の前にいる。

 泣きそうな顔だった。

 己と同じ顔をしている。

 

「アニキ」

 

 己の弟が、己の半身が、己の目の前で拳を振り上げている。

 

「今は黙って寝てろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伊良子と源之助が同時に意識を覚醒させたのは、全てが終わったときであった。

 

 源之助が視線を上げると、虎眼が片腕を押さえて立っていた。遠くには、裕次郎が道場の外で倒れている。三重は乱れた襦袢を手で押さえた状態で佇んでいた。

 虎眼が壁に刺さっていた剣を引き抜き納刀すると、言った。

 

「裕次郎は、破門じゃ」

「なん、」

「同門に手を掛けた。故に、裕次郎は破門とする」

 

 虎眼が道場より去った後、呆然としていた三重に気づかれぬまま、伊良子と源之助は考える。

 

 伊良子は怒りを覚えた。

 虎眼に、己に怒りを。

 同門に手を掛けるとは? 貴様はどれだけの門弟を手に掛けたことか、当主であることを理由に同門に手を掛けることが許されるのか。あまりに自分勝手ではないか。

 比べて裕次郎は誰も殺しておらぬ、それどころか手加減までされて打ちのめされたのだ。

 本気で殺しに掛かってきたのだろうが、その実、殺す寸前で極めて高い技量によって致命傷までは加えられておらぬ。

 己では、裕次郎に殺させる気すら起こさせなかったのか。

 初めて出会って試し合ったあの時のようにはならないのか、己は裕次郎にとって殺すに値しないほどに見下されておるのか。

 胸中で屈辱と憧憬が入り混じる。

 

 源之助は絶望した。

 己の弟が、半身が。ここからいなくなってしまう。

 それも、己が弱いせいでだ。

 裕次郎はいつも己を気に掛けていたではないか。あの村で士を手に掛けたときも、火箸を握らされたときも、初めて道場破りと立ち会いしたときも、それから幾度となく、源之助を気に掛け共にいた。

 その半身がここからいなくなる。

 同門を手に掛けた、という理由で。

 己がもっと強ければ、裕次郎がこんなことにならずに済んだだろうか?

 それとも、どっちにしろ無駄であったのか?

 己に手を掛ける寸前の裕次郎のあの顔が、忘れられぬ。

 

 

 

 

 

 

 そして、話はさらに混迷を極めていくことになる。




 外で活動中に水筒のお茶を飲みきり、空調ベストの電池が切れて熱中症か脱水症状で死にかけてました。
 本気でマズいと思ったとき、突如としてにわか雨が降りました。

 まさかシグルイ九巻第四十五景 赤縄のP96の三コマ目、切り返し途中で雨が降らなかったら死んでた牛股師範の気持ちを味わうとは思ってなかったよ……。
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