シグルってたまるか   作:風袮悠介

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第九景・傀儡 異聞譚 裏面 その四

 裕次郎の看板分けが決まった。

 新天地で虎眼流の名を名乗り、新たな道場を開いて虎眼流を広めることになる。

 虎眼自らが認めた、免許皆伝。

 

 その夜。

 源之助は裕次郎の襲撃によって出来ずじまいであった煤払いを終えて、外出していた。

 雪が降り、積もりし夜。

 二刻半ほど、源之助は外をフラフラと歩いていた。

 

 すでに雪と夜の冷たい空気に晒され続けた指先の感覚は失っている。

 剣士の生命線である、指先が、だ。

 普段の源之助ならば、決して行わぬ愚行である。

 

 その顔は虚ろであり、どこを見てるかわからぬまま、目的さえ定めぬ放浪。

 鼻水が垂れてる中でも、源之助はぼぅっと呆けたまま歩く。

 

 ――めでたき日でござる……。

 

 源之助はぼんやりと考える。

 

 めでたき日でござる……――。

 

 先生はお選びなされた――。

 ――裕次郎……。

 

 己の半身、己の弟が道場を出て、新たな道場主となる。

 そして……同時に源之助から離れることを意味する。

 

 裕次郎が断ったことにより三重さまのお相手は未だに決まっておらぬが、その相手は伊良子となるだろうという噂だ。

 

 源之助に、何も残らぬことになる。

 

 弟の裕次郎も、慕う三重すらも。

 己から離れていく。

 

 何も残らぬ。

 

 喪失感から目覚めると、気が付けば目の前に剣士がいる。

 笠と刀を身に付けた、表情の見えぬ相手。

 相手から放たれる殺気は明確に源之助に向けられたものだ。

 

 舟木流の刺客……と言えばいいのか、信楽伊右衛門(しがらきいえもん)は居合いの名手である。

 携えた大刀の抜き討ちは見事の一言であり、一閃すればちょうど首の飛ぶ位置、距離に源之助は佇んでいた。

 

 服の裾よりぬっ、と出てきた信楽の右手は、僅かに蒸気を放っていた。

 懐中に温石を仕込み、寒さで悴むことのないように対策を行っていたのだ。

 充分に温められた右手は普段の一閃の使用を可能としている。

 

 対して、源之助の右手は凍てつき、感覚がなくなり、虎眼流にとって命となる精度を奪っていた。

 抜き討ちの勝負となれば、勝負の行末は明らかである。

 

「貴様ではないな。貴様の腕では兵馬数馬を同時に倒せぬ」

 

 声からして男であるらしい。剣士は左手を鞘に、右手を柄に添えて、抜き討ちの体勢に移る。

 

「藤木裕次郎ではないな」

 

 瞬間、源之助の目に僅かな光が宿る。

 ぼやっとしていた視界と思考が明瞭に変わった。

 

 信楽から抜き討ちが放たれる。

 カッ、という音と共に、源之助も動いた。

 いや、音よりも一拍前には動いていた。

 

 すでに鞘から抜かれた信楽の大刀。狙いは源之助の首。

 源之助が握ったのは、脇差し。

 だが悴んだ左手は鞘に添えることができず、右手など十分に動かせなかった。

 

 それは偶然か必然か。

 

 その握りは、度々裕次郎が見せていたもの。

 源之助もまた習得していたはず(・・)のもの。

 

 虎の握り。

 

 人差し指と中指で挟むように柄を掴む、猫科動物が爪を立てるが如き異様な掴み。

 

 脇差が放たれる。

 降りしきる雪を切り裂き、信楽の大刀が喉に届く前に、その小太刀は信条の喉を捉えていた。

 振り切れば確実に命を奪う一刀。

 

 源之助はそれを、寸止めにて抑えていた。

 

 信楽の首元に、雪や夜の空気よりも冷たく、恐ろしい刃が当てられる。

 いつでも命を奪えるぞ、という源之助の脅し。

 

 殺気と共に放たれる、雄弁とした事実に信条は大刀を止めていた。まだ源之助の肩口にしか届いていなかった大刀の勢いは完全に殺された形となる。

 

(馬鹿な……速すぎる!)

 

 もし、もしも。

 源之助が寸止めをしていなかった場合、その刃は信楽のあらゆる抵抗を無駄とし、無惨に喉を切り裂き終わらせていただろう。

 すぅ、と信楽の大刀が下ろされる。

 

 源之助もまた呆けていた。

 放たれた脇差の一閃はまさに神速と呼ぶべきものであったが、その速度は源之助自身も思いもよらぬものであった。

 す、と持ち上げた脇座を握った手を見る。

 それは裕次郎がしていたもので、自身が身に付けていたはず(・・)のもの。

 

 だが、源之助はその骨子をようやく理解した。

 凍えた指が偶然に生み出した新手は、剥き出しの術理のみで構成されているが故に、雄弁に源之助の剣士としての本能に意味を叩き込んだ。

 

 虎眼流奥技、流れ星の骨子となる技法が何故、この掴みでなければいけないのか。

 何故、裕次郎がこの掴みをしていたのか。

 

(そうだったのか)

 

 源之助は理解した。

 

(そうか。まだ、己には(おまえ)がいたか)

 

 裕次郎が去ることになり、三重もまた誰かへ輿入れするか自分以外の誰かと祝言の儀へ行くだろう。

 誰も彼もが源之助の元から居なくなろうとしているところで、たった一つだけ源之助に残っているものがあった。

 裕次郎と共にありながら、己から決して剥ぎ取ることのできない、剣。

 

((おまえ)はまだ、己を見放さなんだか)

 

 源之助の目に、僅かに涙が滲んだ。

 

((おまえ)となら、裕次郎がいなくなったここでも生きていける)

 

 ようやく、源之助は心から言える。

 

(ありがとう、裕次郎。己は(こいつ)と生きる。お前がいなくなっても、生きていく)

 

 それは、ある意味では源之助にとっての弟離れであり。

 ある種の一人立ちとも言える。

 藤木源之助という男が、一人で大地に立った瞬間であった。

 

「何故だ」

 

 源之助がハッとすると、目の前で信楽が刀を鞘に納めていた。

 笠の下に見えた、中性的で美しい顔つきの男の唇が怒りでわなわなと震えていた。

 

「何故、己を生かした? 手加減など、舐めておるのか」

「違う」

 

 源之助もまた、脇差を鞘に納めた。

 

「裕次郎ならば、さっさと斬っている。己は裕次郎ではない」

 

 信条はわからない、という顔をしている。

 

「裕次郎が世話になった舟木流の剣の使い手を、斬るわけにはいかぬ」

 

 信楽は驚いた顔をした。

 見抜いていたのだ。太刀筋が兵馬数馬と似ていることを。あの恐ろしい仁王のような剣の圧に似たものがあった。

 そのうえで兵馬数馬の名が出たということは、舟木流の関係者だろう。

 

「……」

「裕次郎が世話になった。礼を言う」

 

 源之助はそのまま、信楽の横を通り過ぎて帰路に着く。

 その後ろから、

 

「裕次郎に伝えておけ! 兵馬数馬を誑かしたその罪、必ず贖わせるとな!!」

 

 信楽の叫び声が源之助の背中に叩きつけられた。

 返事をすることなく、源之助は闇夜に消えていく。

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