シグルってたまるか   作:風袮悠介

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第十一景・秘剣伝授 真伝・不変譚 その一

 その日は、朝から三重が供を連れて市場に来ていた。

 掛川の市場は食材、工芸品、民芸品などが並ぶ、なかなかに賑わいのある場所だ。

 三重はその中で、門松を見つけていた。

 立派で趣のある門松に思わず見とれるほどだ。

 これを裕次郎に送ろうか、とも思う。

 新しい道場を建てるならば、これくらいの……いや、今年になって売りに出された門松を渡されても、来年には飾れないだろう。

 そんなことを考えて、思わず笑みが零れてしまう。

 

 三重が門松に見とれ、そう考える同じ頃に牛股もまた、市場を奔走していた。

 師の命令により、急ぎ買い求めてるものがあるからだ。

 

 必要なものは、勝栗、打鮑、昆布の三つ。

 

 これらは盃と合わせることで四方膳と呼ばれ、合戦に出陣する際に武将が食するものである。

 

 

 

 

 伊良子は掛川宿の水路に降りて、己の手を洗っていた。

 綺麗な川水で手をすすぎ、汚れを落とした……つもりである。

 

 だが、その手はまるで血に染まったかのように真っ赤になっていた。

 瞬き一つで消えてなくなるその赤色は、人の命を啜ったような鮮やかなもの。

 

 何故母を手に掛けた?

 跡目を継ぐのに邪魔だから。

 本当に邪魔か?

 そうしないと裕次郎に並べないから。

 裕次郎に並ぶ必要があるのか?

 並ばなければ超えられない。

 裕次郎はこんなことをするか?

 

 ――。

 

「伊良子」

 

 ふと、水路に掛かった橋の上から声を掛けられる。

 顔を上げれば、そこには源之助が立っていた。笠を被り、伊良子を見下ろしている。

 だが、その視線はどこか伊良子を見ているようで、虚ろだ。

 

「虎眼先生がお呼びだ」

「先生が……」

「急を要するとのこと」

 

 源之助の顔からは感情が窺えない。同時に、虎眼の意図を探ることが非常に困難であった。

 

 だが伊良子は思う。これはきっと、己の吉兆である。確信していた、まさしく――。

 

「藤木」

 

 伊良子は己の手をちり紙で拭き、それを投げ捨てる。あまりの昂揚に、笑みが浮かんだ。

 

「若先生と呼べ」

 

 己が、跡目に選ばれたのだと。そう確信していた。

 裕次郎が道場を去り、源之助よりも己の方が強い。

 ならばこの呼び出し、いや、まだ早い。まだ、それを表に出し切るな。

 

 なればこその、伊良子の笑みである。もし感情を出し切っていたのならば、高笑いすらしていよう。

 

 

 

 

 源之助と藤木。二人が向かう先は、秋葉山の昆嶽神社。

 この神社は剣客、岩本虎眼が秘剣『流れ星』を開眼した場所であり、虎眼流にとっては聖地に当たる。

 

 その神社のお堂にて、牛股といくが向かい合っていた。

 いくは襦袢の上から雑に着物を着せられ帯を巻かれた上で、縄で縛られて口を塞がれている状態である。

 虎眼の怒りが爆発したあと、ここに連れてこられるのに最低限の衣服だけを纏わされ、ここに監禁されているのだ。

 

 理由など単純。

 浮気だ。

 しかも、相手の男に体も心も明け渡すという、鬼畜の所業。

 

 無論、いくを手に入れるのに虎眼がした行いは許されるわけがない。善悪の判断で言えば、虎眼の方に非があろう。

 

 しかして、虎眼は掛川藩武芸師範役の身分を持ち、どのような鬼畜を超えた外道行為が背景にあろうとも、いくを拾い可愛がり、今日まで食い扶持を与えたのは事実なのだ。

 

 残酷無惨な身分社会の構図が、この場にあった。

 

鑓痍(やりきず)によう効く金瘡薬を塗り申した。じきに高熱も鎮まりましょう」

 

 牛股が心配そうにいくに話し掛けるが、いくは牛股を睨み付けるばかりだ。

 いくが虎眼から受けた傷は深い。右乳首喪失、左胸一部中度裂創。

 使った薬の量も多く、使った包帯の量もそれに比例したものだ。

 

 それが生み出す激痛と高熱ともなれば、いくが意識を保つのも本来は難しいはずである。

 だが、いくは意識を失わなかった。

 

 これから起こる……報復が、いくの意識喪失を許さない。

 気を失っている間に何をされるかわからない。だが、何かされるのを見たくもない。

 

 そんな状況下で、牛股は懐より紙に包まれたものをいくに差し出した。

 

 開かれた中身には、取れた乳首と左胸一部の皮膚片。

 

「~っ!!」

 

 思わず顔を逸らし、目を硬く閉じるいく。己の一部とはいえ、そんなむごたらしい肉片など見せられたくもない。

 

 何より己の一部をご丁寧に綺麗な紙で包み、ここまで慎重に持ち運んだというあまりの悍ましい行為に、いくは目を向けられなかったのだ。

 

「お拾いいたしておきました」

 

 いたしておきましたではない、さっさと捨てて欲しい。いくは切にそう願った。

 なんてものを持ち歩くのか、目的はなんなのか。意味がわからない。

 理解不能の状態である。

 

「まことお痛ましや」

 

 それを摘まむと、なんと口に運ぼうとする。いくが牛股の口元から目線を逸らせなかった。

 本当に喰うつもりか、それを!?

 

「お待ちください、師範」

 

 お堂の奥から声が響く。牛股の動きが止まった。

 

「斯様なものを口に運ぶなど、してはなりませぬ。いく様への示威行為は、充分でございましょう」

 

 いくの後ろから現れた男は、そのままいくを通り過ぎて牛股の持つ乳首を奪う。そのまま外に投げ捨ててしまった。

 

「いくさまは十分に、怯えております。舐めることはないでしょう」

「……そうであるな」

 

 男が振り向く。

 

「……っ」

「いく様」

 

 男が口を開いた。

 

「オレは止めたはずだし、伊良子の兄者も止めました。警告もしました。できる限りの手を尽くしました」

 

 男の声は、いつもの明るくひょうきんで、誰かのことを気遣ったものではない。

 

「だが、あなた方は一線を越えた。越えちゃいけないものを、絶対にやってはいけないことをしました。オレの親切心も多くの人の心も、あなた方は踏みにじった」

 

 冷たく、抑揚がなく、感情がない。

 

「……師範、オレは」

「うむ……先生が呼ぶまで、控えておれ」

「承知」

 

 男はいくの肩に手を置くと、その耳に口を寄せた。

 ぽそり、となにかを告げる。牛股には聞こえないような声で。

 いくは驚きのあまり、目を見開いて男の顔を見た。だが、男はそのままお堂の奥へと引っ込んでしまう。

 

「仕置つかまつりまする」

 

 牛股は立ち上がり、腰の刀に手を掛けた。口元から涎が零れている。

 

「奥方様をかかる羽目におとしいれた、伊良子清玄に仕置つかまつりまする。そして」

 

 さらに、視線をお堂の奥で座る男へ――。

 

「ここまで心を砕き、心配し、行動をしてきた裕次郎の真心の全てを無視した伊良子清玄へ、相応の償いをさせまする」

 

 涙を流して悔しそうにしている裕次郎へ向けられていた。

 

「~っ」

 

 いくが何かを言おうとするものの、口が塞がれているために何も言えないままだ。

 伝えたいことが伝えられない。

 

 牛股はそのままお堂から出て、扉を乱暴に閉めた。残されたいくと裕次郎だけが残る形となる。

 少しの間静かになったのだが、おもむろに後ろの裕次郎が溜め息を吐いた。ずっと、泣いて小さく嗚咽を漏らしていた裕次郎が、沈んで声で言う。

 

「……結局、こうなっちまうか」

 

 いくがふりむくと、裕次郎は膝を立ててそこに顔を埋めていた。肩が震えている。

 

「伊良子の兄者がいくさんを引っかけているのは知ってた。他の女性も同様にだ。なんだかんだで兄者には情がある、だからこうなる前に止めたかった。

 でも、ダメだった」

 

 裕次郎の独白であった。

 

「どうすりゃ良かったのかな? オレは源之助アニキと三重様が、夫婦になって幸せになってくれれば良かった。伊良子の兄者も、そのまま頑張ればオレみたいに道場を持って独立できたかも知れない。牛のおっさんだってこんなことをしなくて済んだ。だから、必死に止めてたのにな。

 いくさんと、伊良子の兄者を」

 

 震える声で言われたことに、いくは目を伏せた。すぐにわかった、裕次郎はこうなるだろうことがわかっていたからこそ、必死にいくと伊良子を止めていたのだ。

 すぐ側にいくと伊良子を心配するものがいたのだ。

 

 それに気づかず肉欲に溺れ、こうなってしまったのは誰の責任か?

 無論、元凶は虎眼である。それは覆らない。

 

 最後の最後、身分を持つ虎眼に対し、筋を通した形で去ることができず、不義密通を交わしてしまった伊良子といくの不義理が、この悲劇に繋がった。

 

 それがわかったから、いくは申し訳なく思うしかなかった。

 

「オレが三重さ、いや、三重ちゃんと結ばれてれば良かったのかな。ここだけの話、三重ちゃんを一目見たときに絶対に厄介な気性を持つ女になるなって思って、ちょっと警戒してたのよ。

 それが町に連れ出したり話をする度に、惹かれていっちまったんだ。あんな可愛い子に思いを向けられて嬉しくない男はいないんだぜ? でも、アニキと三重ちゃんの、長期的な幸せを、結果的な幸福を考えたら、オレが身を引くのが正解だと思ってたんだ」

 

 これにはいくは驚いて顔を上げた。ずっと裕次郎は膝に顔を伏せたままなので、その表情は窺い知れない。

 だが、裕次郎は、この男は、己の恋慕よりも兄の幸福を、思い人の将来の幸せを祈り、身を引いていたのだ。

 

 それに比べて自分はなんだ。

 伊良子の幸せを考えたら身を引き、誘いに乗るべきではなかった。

 誰も彼もが不幸せになったではないか。

 

「教えてくれよ、いくさん。オレは三重ちゃんと結ばれて、虎眼流の跡目になって、オレなりに頑張れば幸せだったのかな? みんな、幸せなままだったかな? 伊良子の兄者も跡目を諦めて新しい道場主で満足して、源之助アニキもオレの側で支えてくれて、牛のおっさんも公私ともに諫言も交えて支えてくれて、虎眼の親父もニコニコしてて……そうなったのかな? そんな幸福な終わり方になってたと思う?」

 

 答えられなかった。口を塞がれてなくても、いくには返答ができなかっただろう。

 

 だって、それが正解だから。

 正解であっても、裕次郎はきっと悲しむ。

 

 たった一人の兄の想い人を奪う形など、裕次郎は望まなかったはずだ。

 結果として奪った方がみんな幸せでしたなんて、今の裕次郎には言えない。

 

 そうならないように頑張ってきたのに根本から間違ってたなんて、結果的に致命的な間違いを犯したいくに、言えるはずがないのだ。

 

「仏の顔も三度まで」

 

 裕次郎は涙を拭って顔を上げた。姿勢を正して、正座する。

 

「伊良子の兄者は、オレの忠告を無視した。四度目はない」

 

 その顔に涙の痕はあれども、もう悲壮な想いはない。決意を固めた男の顔であった。

 

「伊良子の兄者には、相応の罰を与える。だからいくさん……あなたも罰を受け、伊良子への罰もちゃんとしてくれ。……糞食らえだと思うけどな」

 

 裕次郎の言葉はお堂に響き、そして消えた。

 

 同時に外から木刀の打ち鳴らす音が聞こえる。

 秘剣伝授を行うための手合わせ、という名前の仕置。

 その開始の合図であった。

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