シグルってたまるか   作:風袮悠介

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お盆休みに入って、ようやくダウンから復活しました。


第十一景・秘剣伝授 真伝・不変譚 その四

 源之介がその場から数歩後ずさると、裕次郎が一歩前に出る。

 同時に高弟たちは目隠を付けた。

 それが源之助も同様であり、そして牛股も目隠しを着用する。

 

 本来、虎眼流印可を授かっている師範牛股ならば目隠を付ける必要はない。

 裕次郎が放とうとしているそれ(・・)が、虎眼流の秘奥『流れ星』であるならば。

 

 だが、裕次郎は違う技を使おうとしていた。それを虎眼に教えられていたからこそ、牛股は見ることを許されず目隠を付けることとなったのだ。

 

 徐々に意識が覚醒してきた伊良子が咄嗟に、近くに転がっていた木刀を手に取る。だが相手は真剣、しかも裕次郎が相手である。

 彼我の戦闘能力の差は、致命的だ。

 

「伊良子」

 

 裕次郎は話し掛けた。

 

「もう気づいてるよな? これが秘剣伝授なんかじゃないって」

 

 伊良子の頭に、冷水がぶっかけられたような衝撃が与えられた。

 これはどういうことかと疑問だらけであったが、こうしてはっきりと言われてしまうともはや疑う余地はない。

 

 裕次郎は、己を殺そうとしている、と。

 

「何故だ」

 

 伊良子は冷や汗を流しながら問うた。

 

「何故、このようなことを、こは何事!? 秘剣伝授などではないのなら、何故!」

「そっか」

 

 伊良子の必死の声かけに、裕次郎は左手で顔を覆った。

 肩を震わせている。

 

「わかんねぇか……」

 

 肩の震えは何事か? と伊良子が観察したとき。

 

 裕次郎は笑っているのだと、気づいた。顔を手で隠して、笑いを堪えているのだと。

 

「掛川藩士、角野安次郎の娘。八重」

 

 伊良子の心臓が跳ね上がった。

 その名前は――。

 

「桜井彦九郎の妹、房子。小唄師匠の子鈴。呉服屋の内儀、よし。小料理屋の娘、喜美。通寺町の後家、まん。籠屋の息子夫婦の妻、けいこ。野菜売りの娘、雪恵。店子の吉衛門の従姉妹、あき」

 

 羅列されていく名前に、伊良子は心身共に恐怖に染まっていく。

 裕次郎の口から出た言葉は、指で絡めて目で堕とした情女たち。

 はっきりと裕次郎から「止めろ」と言われていたのに、それを無視して、いや、無視できずに手を出してきた女たちの名前だ。一つ残らず、全てを詳らかにしていく裕次郎に心胆凍るような面持ちであった。

 

 最後に、

 

「研屋町の囲われ者、いく」

 

 いくの名前が出て、裕次郎の肩の震えが止まった。

 ふぅ、と溜め息を吐いた裕次郎だったが、顔から手を離したときのその表情は、ただただ虚しさを表してた。

 

「お前の夢はここまでだ」

「っ、裕次郎は、卍手裏剣は!」

 

 伊良子は必死に声を荒げて言った。

 

「そういう、権力を持って人を下に置く悪逆非道に対して、立派に立ち向かうものたちを描いていたではないか、それを! お前が!」

 

 自分でも何を言ってるのかわからない、伊良子自身も何故この言葉が出たのか、理解してきれていない。

 伊良子の心中にあるものは、卍手裏剣の描く草双紙の登場人物たち。

 そのものたちは、華麗に権力者と戦い、女子供を救い、結ばれるものだった。

 伊良子がそれをして何が悪い、と。

 

 満足させたことに変わりは無いし。

 本人としてはそれで救ったと思っている。

 

 だが、裕次郎は首を傾げた。不思議そうな顔をしている。

 

「何言ってんだ」

 

 裕次郎は言った。

 

「あんなもん、あくまで物語上のお話だろうが。こっちは現実の話をしてんだぞ」

 

 伊良子の背筋が凍る。

 

「空想の話に想いを馳せ、毎日の陰鬱な気分を吹き飛ばし、明日の現実に立ち向かう気力を奮い立たせる。それが物語で、草双紙だろうが。そういうもんだろう。

 現実と空想をごちゃ混ぜにするな。お前、歳はいくつだよ。紙の上の文字の羅列がそうだったからって、オレたちが実際にやっちゃダメだろ。

 てか、今のお前の状況と関係ねぇじゃん。お前は悪役の方だろうが」

 

 そして、足下から崩れる感覚に陥った。

 

「主人公や仲間たちの大切な女性に手を出して、あとでお仕置きされて負ける悪役側みたいなことをやらかしておいて、なに主人公気取ってるんだ」

 

 裕次郎がふむ、と顎に手を沿えて放った言葉は、伊良子の心臓と脳を破壊するようなものであった。

 

 裕次郎としては当たり前のことしか言ってないと思ってるし、目隠をしている高弟たちも顔をしかめながらも当然ではないのかと思っている。

 物語で救われるもの、導かれるもの、活力を得るものと様々なことはあるだろう。

 そうやって辛い現実から少し遠ざかり、休み、再び立ち上がるためにあるのが草双紙であると裕次郎は考えていた。

 

 高弟たちは毎日毎日体をいじめ抜き、木剣を振るい、土壇場にて命を賭けて剣の腕を磨いている。

 空想に浸っている暇もなく、ただ目の前の現実という敵を倒すために一所懸命に毎日を生きてる。

 そういうものを読んでいるのは軟弱者だ、という認識なのだ。

 口に出さず隠れて読んでいるものもいるだろうが。

 

 だが、伊良子は違う。

 少なくとも伊良子は卍手裏剣の草双紙によってその思想を得て、理想を見て、裕次郎に憧れた。

 裕次郎がどう言おうと、どんなに言い繕おうと、裕次郎はまるでそういう物語の主人公のような輝きを放っているのだ。そうでなければとうの昔に無礼打ちで殺されているではないか、と伊良子は叫びたかった。

 空想と現実をと説教を垂れる相手に、まるで空想から出てきたような存在じゃないかと言い返したかったのだ。

 

 言っていることはわかるし、言いたいことも理解できる。

 しかし本人が現実と空想をごっちゃにするなと言うのは間違っているだろう。

 お前は現実と空想がごっちゃになってるような生き方をしてるくせに。

 そういう物語を描いて、そういう生き方を貫き、そういう在り方を受け入れてもらっているだろう。

 

 それに憧れて、それになりたくて、それに――!!

 

「貴様」

「話は終わりだ。ちょっと長々と講釈を垂れすぎたわ」

 

 裕次郎は構える。

 裕次郎の右手の掴みは、源之介が伊良子を倒した際に見せたものと同様のものであったが、異なる点がある。

 

 一つは対手である伊良子の戦闘能力が、牛股と源之介両名との試合、そして真剣を持たない状況のために削がれていることだ。これはあらゆる流派に共通する勝利の鉄則である。

 

 もう一つは、刀身を挟む左手の存在である。

 

 そして、鵺は無念の涙を流した。

 

「伊良子の兄者」

 

 放とうとしてる構えが、裕次郎の今までの記憶を呼び覚ます。これを会得するまでに苦労した道のり、出会い、思い出。

 その全てが鮮明に思い出せる。

 

 あの、砂浜での交流さえも。

 昔をさらけ出し、伊良子と共にいた、あの海亀の記憶さえも。

 裕次郎と伊良子の脳裏に、昨日のことのように輝く黄金時代が走馬灯のように思い出させる。

 

「さようなら」

 

 恐怖のあまり伊良子は雄叫びを上げながら木剣にて流れを打つ。

 右手が鍔元の縁から柄尻の頭まで、見事な横滑り。伊良子が今までで使ってきた流れの中で、一番に冴えた流れであった。

 

 そして、裕次郎は綺羅星を放った。

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