第三十三景 悪童 異聞譚
掛川藩武芸師範である岩本虎眼は、悪童藤木源之介の死を事故として処理させ、跡目なき藤木家に金子を与えて養子縁組を承知させた。
その養子とは、愚鈍源之助とその弟、裕次郎。
そうしておいて源之助と裕次郎を岩本家に向かえ入れたのである。
貧農の三男と四男が、藤木源之助と藤木裕次郎という
己の前で正座し、並んで礼をする源之助と裕次郎を見て、岩本虎眼は穏やかな笑みを浮かべていた。
ただし、ここには一悶着……いや、かなりの騒動が起こった。
まず、虎眼としては源之助を藤木家の養子として迎え入れること。これは己の思い通りであった。
一目見たときより、その目の奥にある剣士としての才を見抜いていた。強靱でどのような鍛錬ですら耐えるだろう意志の強さを。
さらに、その体幹から剣を振るうものとして必要な才を秘めていることも。
木の下で行っていた、おそらくは型稽古の動きも悪くはなかった。
見たことのない組手甲冑術の類いかとも思ったが、術理はそれなりにある。
故に、藤木家に入れることは狙い通りだ。
だが、裕次郎を藤木家に入れるつもりはなかった。
なぜならば、裕次郎を藤木家に入れるなどしない。
裕次郎の方は岩本家に養子縁組を結び、岩本裕次郎として迎え入れたかったのだ。
虎眼流としての己の業を引き継げるのは、裕次郎だろうと期待したから。
岩本家の長子として、裕次郎を迎え入れるのだ。
何故か?
最初に出会った頃、裕次郎が言っていた才がある兄、と言う言葉に嘘はない。
虎眼とて長年戦働きをし、多くの死線と白刃、銀閃より生き残りし猛者。
一目見て、相手の体の特徴を見抜くなど容易い。
服の下、肌の下に存在する筋と骨を見透かす。
その観察眼で見抜いたのだ。
裕次郎の体には、常人を遙かに超えた武才が秘められていることを。
長時間の吊り下げに耐えられ、骨折すら瞬時に快復し、どれだけ親から殴られようと蹴られようと次の日には健康体となる常人を超えた体力と快復力。
源之助よりも聡く、手足縛られたままでも受け身を取り、無傷のまま立ち上がりそのまま駆けり出そうとする行動力と瞬発力、決断力。
あとで裕次郎本人から聞いた悪童の源之助との戦いも、非常に興味深い。
瞬時に間を詰め連撃を叩き込み、抜刀の空気を悟り柄尻を抑えて機先を封じる。
片腕を折られた痛覚に呻きながらも
戦場の空気を知らぬ幼子が、初めての命の果たし合いの場にてここまで動く。
しかも相手は
そのうえ、未だ幼い身でありながら己の剣を、二度も避けた。
一度目の足首への抜き打ちは、ほんの脅しのつもりであった。軽く肌を切り、逃げようとした足を止めるつもりであった。
手加減をしていた。なのに、避けた。
運が良かっただけか、奇貨であるか?
しかし、裕次郎の目は確かに己の剣の先を見ていた。
だから試した。
二度目、呼びかけてからの右手首を落とす斬撃。
手加減はしていた。しかして握りに緩みはない。
先ほどのそれが偶々であるならば、右手首は落ちていただろう。
避けた。
今度は完璧に、斬撃が手首を落とす拍子であったはずなのに、裕次郎は避けたのだ。
己の起こりを見抜いて瞬時に行動した。
幼子で剣術を習ったことなどないはずの童が、だ。
まさに武才に恵まれた、己の跡を引き継ぎ虎となれる器である。
だからこそ虎眼は、裕次郎を岩本家に迎え入れ、長子として家督を継がせたく思った。
実際そう動き、藤木家に金子を渡すことで成立させようとした。
これを拒んだのが、裕次郎である。
曰く。
「オレは兄貴の弟だ。だから、名字もおんなじになりてぇ。わりぃがジジイの言うことでもそれは聞けねぇ」
全力でぶん殴り、蹴り飛ばし、脅しても、裕次郎はこれを拒んだ。何度も何度も言い聞かせようとしても、それを拒んだのだ。
しかして虎眼はさらに裕次郎の素質に眼を眩ませることとなる。
鍛え抜き、磨き抜き、熟達に至った虎眼の拳は無刀であろうと凶器そのものである。
一撃が骨どころか、その奥の臓腑すらも容易く破裂させ絶命に至らしめることなど容易である。
全力の徒手空拳を、裕次郎に叩き込んだ。
なのに裕次郎はその全てを防ぎ、躱し、まともに受けながらも、次の瞬間にはけろりと立ち上がる。
確かに肉を裂き、骨を砕き、臓腑を割った感触を拳が覚えている。
幾百と敵の命を奪った虎の拳が、その感覚を見誤ることは断じてない。
断じてないのに、裕次郎は血だらけの顔や体でありながらも、まさしく蘇るかの如き快復力にて立ち上がる。
さらには、己に挑みかかってくるのだ。
「うるせぇジジイ、オレは兄貴の弟だ!! そこは曲げねぇ!! 否定させねぇ!!」
源之助のそれよりも、違う形での金剛石の如き意思。
それが何度も立ち上がり、己に襲いかかってくる。
とはいえ虎眼は熟達の武芸者、幼子の喧嘩など歯牙にもかけぬ。
拳を、足を、己に襲いかかるその全てをいなし、殺しかねぬ攻撃を加えた。
なのに立ち上がる。
立ち上がり、さらには己の業を見て、吸収し、己のものにしてしまう。
手首を用いた当て身、虎拳。
本来は組み伏せられた状態で使う踏み込みと全身の反りを用いて瞬時に相手の内臓に拳をめり込ませる
他多数の技を裕次郎に使用しても、裕次郎は死ななかった。次には立ち上がる。
それどころか、皮肉のつもりか使われた技を己に放ってくるのだ。
虎拳も土雷も、他の技も、覚えてしまう。己に使ってくる。
天より授けられし究極の躯体と、天から施されし神秘の眼力、天にも届きうる金剛石の如き意思。
まさしく、己の跡を任せるに足る男だ。
しかしいくら言っても聞かぬので、仕方なく虎眼は折れた。
その代わり、次の手段を考える。
源之助と裕次郎、血縁としての兄弟はそのままに、役所に提出するには裕次郎を兄とし、源之助を弟とする。
岩本虎眼には、
娘の岩本三重がそれだ。
超人の肉体と天賦の才を持つ裕次郎の種と、己の血を引く三重を番わせれば、これ虎眼流は盤石であると考えた。
しかし、源之助を兄、裕次郎を弟のままにすると、成就させるには難しい。
藤木家は元々、千石の家老職で知行地を給され年貢を徴収する立場であった。
なのに
これだけ名を落としてしまった家と掛川藩武芸師範役岩本家とでは格が合わぬのではないか、藩主に認められぬのではないか、と虎眼は思案した。
――後にこれは己の考えすぎであり、無駄な悩みであったと知るが。
ともかくとして、虎眼はそう思ってしまったのだ。
さらには藤木家は悪童源之介が死したことで、跡継ぎを考えねばならぬ。
藤木家など潰れても放っておけばよいだろうが、一応二人も藤木家に入れるのである。
多めの金子を与えてはいるが、二人もいるならどちらかを藤木家跡継ぎにせねばならぬ。
家とは、本来は簡単に潰せぬものなのだ。
なればせめて、裕次郎を兄とし、源之助を弟することにより、源之助を藤木家の跡継ぎとするのだ。
本来は家督を継ぐ立場の兄である裕次郎が婿として岩本家に来る、という体裁を用いることで、場を整えようとしたのだ。
これさえも裕次郎は固辞してしまった。
先ほどまでとは違い、今度は怒りよりも困惑の形として固辞。
虎眼が脅しつけ殴っても裕次郎の考えは変わらなかった。
もはやここまで折れぬなら放り出せばよいのだが、天賦の才を持つ裕次郎を捨てるには惜しく、また、己をジジイと呼んで慕い、本気の喧嘩ができる童が惜しかった。
己が夢見た、己の子が
そして決定打となったのが、
「わーかった、わかったよジジイ。そのー、なんだ。名字や血の繋がりはねぇけどよ、オレはもう両親に捨てられた、親という親はいねぇ。
だから、まぁ、あんたを親父と呼んで、そう慕わせてくれ。それでいいか?」
裕次郎が己を“父”と呼ぶ。
甘過ぎる決断であるが、己の夢想の中にしか存在し得ない理想の
だから、虎眼は次の手を考える。
源之助にはもちろん、虎眼流を叩き込む。虎子として相応しき腕を持つものにするために。その素質を源之助は持っている。
裕次郎には、己の技の全てを叩き込み引き継がせる。
そして三重の種とするのだ。
逼塞されるまでの落ちぶれた家から武芸師範役岩本家の一人娘に婿としてくるに相応しき、文句の言えぬ武功を裕次郎に付けさせる。
己の腕を受け継ぐ
そうして、藤木家に源之助と裕次郎が養子縁組を承知させた。
己の前で正座にて礼をする二人を前に、虎眼と、己の娘の三重がいる。
ふと三重の顔を見た。
三重の顔が、紅潮していた。
そして裕次郎の姿を見つつ、まるで乙女のように恥じらっているではないか。
この儀を迎えるに辺り少しばかり時間を要したのであるのだが、どうやらいつの間にか三重と裕次郎は知り合い、三重は裕次郎に懸想しているようなのだ。
平伏したままの裕次郎は――いや、平伏したふりで裕次郎は三重に軽く目配せして手を振り、三重は恥じらいつつ嬉しそうに笑顔で小さく手を振った。
この場にいる大人の目を掻い潜れている、などと思っている童二人の、微笑ましいやりとり。
だから、虎眼は穏やかに笑った。
素質ある二人の童を手にした。
そして、狙い通りに種と器が惹かれ合っている。
虎眼は穏やかに笑った。
己の狙い通りだ、と。
満足そうに。
裕次郎くんのチートと素質は凄いからね。
虎眼の脳が焼かれるのも仕方ないね。
これくらいしないとビターエンドにならねぇなと思える本編、マジで重すぎませんか??