月雪ミヤコの恋愛録   作:一等星の夜

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だから月雪ミヤコは認めない

 夜闇の中、星が降っていた。

 月明かりの下で、私たちは笑い合った。

 

 ……何度目になるだろうか。

 真隣の、私を見つめる彼の表情は、決まってソレを口にするときの、言葉にはなり難くもどかしいものだった。

 たとえばソレは、老人が海を眺めるような。もしくは想いを告白しようとする思春期の子どものような。あるいは花を愛でるいたいけな少女のような。

 やはり、ソレはどうしても言葉では表せなくて、私はいっそうもどかしくなる。

 

「ねえ、ミヤ──」

「それはまだ許可しません」

 

 言い終える前に彼の言葉を遮ると、彼はいつも通り困ったように口もとを引き攣らせて、すぐに取り繕うような苦笑を浮かべた。

 意外と彼のこの表情が、私は嫌いではない。

 嫌いではないといっても、当然それがイコールで好きだという感情に結びつくわけではない。

 きっと、私たちを結びつける感情はもっと複雑で、絡まっていて、そこかしこに結び目があって──そして、それを紐解いてしまえばきっと……ものすごく単純でわかりやすい答えが残るのだと思う。

 

 その答えにたどり着くまでに、この先どれほどの時間を要するのかはわからない。

 絡まった糸を、ちぎれないように優しく一本ずつほどいて、そうして私たちは笑い合えるような、お礼を言い合えるような関係になったのだ。

 一ヶ月と少しばかりの時間を共に過ごしてひとつ、わかったことがある。

 ──月雪ミヤコという女は面倒くさい。

 そして、私が言うのもなんだが、真隣で星空はそっちのけで私にばかり視線を向けているこの男も、大概面倒くさい。

 ようやく本心をさらけ出したかと思えば、私たちの手助けをするのはエゴだとか優しさのカケラもないだとかごっこ遊びだとか。

 極めつけは、私の名前を呼びたいのなら、素直にそう言えばいいのでは──と。

 どうしてタイミングを見計らって、計算して、自然な感じを装おうとするのだろうか。

 いつもみたいにふにゃりとだらしなく笑って、「ミヤコって呼んでもいい?」とか「ミヤコって呼ばせて」とか、直球で勝負すればいい。

 まあ、それを許可するかはまたべつの話にはなるのだが、少なくとも今までのような下手くそな変化球よりかはよっぽどマシだ。

 気の抜けるような笑顔で直球を投げ込まれれば、思わず空振りしてしまう可能性は私が思っている以上に高い気がする。

 べつに、そういった先生の笑顔がかわいいだなんて感情は本当にこれっぽっちも微塵も持ち合わせてはいないけれど。本当に。

 

「……」

 

 温泉旅行から帰ってきた翌日も、私たちのやることはとくに変わらなかった。

 普段通り、彼より少し早く起きた私が、〝境界線〟を踏み越えて、間抜けヅラで眠りこけている先生の頬をきゅっとつねって、それに反応した先生が目を覚ます。

 「おはよう」。そう言ってふにゃりとだらしなく笑う先生の表情が、私の返答にタイムラグを生じさせる。

 胸がくすぐられるような、いかんとも言葉では表せない感情が芽を出そうとするので、私はそれを抑えつけて、呆れたようにため息をひとつ。

 それから、「だらしない大人」などと悪態をつく。

 彼はとくに気にするふうもなく、もぞもぞと起き上がって、小さくあくびをする。

 そんな彼のハネた髪先を手ぐしで整えながら、私はさらに2、3悪態をついてから、彼に着替えを手渡して休憩室をあとにする。

 しばらく執務室で待っていると、一応の身支度は整えてから彼が寝ぼけ眼のまま遅れてやってくる。

 そうして彼と一緒に朝食を買いに出て、食べて、執務にとりかかる。

 取るに足らない、意味もなければ中身もないような言葉を幾らか交わしながら、昼になれば昼食をとって、また執務を再開して、15時にはおやつを食べて、また執務を再開して、夜になれば夕食をとって。

 そんな日々をしばらく続けていると、私の中にあった彼への嫌悪感も、いつの間にか薄れて、どころか、すっかりと消えてしまっていたことに気がついた。

 

 超法規的捜査権を持った〝シャーレの先生〟。

 彼と初めて対面したときには、疑いようの余地もないほどに、胡散くさいと肌で感じたのを思い出す。

 話には聞いたことがあった。

 数多くの生徒たちの悩みを解決し、生徒たちからとても信頼されている大人だと。

 けれど、

 

 〝──私たちは、あなたのような大人が一番嫌いです。〟

 

 〝──先生の甘くて優しいだけの、反吐が出るような性格を利用させてもらうと言っているのです〟。

 

 〝先生が、私たちに優しくする理由はなんですか〟。

 

「……」

 

 ……けれど、見返りも要求せずに、理由もなく優しくしてくる大人なんてものは、いつの時代も掛け値なしにうそつきだ。

 きっと、本当は、裏があるのだと思った。

 私たちを騙したところで得られるモノなんてそう多くはないはずなのに。彼には、私たちですら気づいていない大きなメリットが、見えているのかもしれないと。

 そう思いたくなった。

 

 だって……うそつきであってくれなければ私は困ってしまう。

 狡猾で、利己的で、貪欲で、平気で子どもを騙せるような悪い大人であってほしいと、いつからかそう願っていた。

 ──いつからか、その優しさがうそであってほしくなった。

 

 だって、もしもその優しさが本物だったなら、本当に、私は困ってしまう。

 

 〝私はね、優しくなんかないんだよ〟。

 

 それなのに、温泉旅行に行ったあの夜に、彼はぽつりとこぼした。

 

 〝エゴだったんだ。君たちの手助けをしているつもりになって、自分を納得させたかったんだ〟。

 

 自分はずるい大人なのだと、全ては自分のためだったのだと、彼は私の望んでいた答えを紡ぎ出した。

 

 〝ごっこ遊びに付き合わせてごめんね。これからはもう──〟。

 

 その先に続く言葉はすぐにわかった。

 だから彼の言葉に重ねて、私は告げられる終わりを遮った。

 ごっこ遊び? 冗談じゃない。

 最初から私は真剣で、言葉にできない──したくないこの気持ちはいつからか本物だった。

 望んでいた答え? バカバカしい。

 そんなもの、本当はこれっぽっちも望んでなんかいなかった。

 

 だから私は遮ったのだ。

 だから私はほんの少しだけ、〝本物〟を言葉にして伝えたのだ。

 

 だから──不器用でも、拙くても、格好悪くても構わないから……〝本物〟で返してほしい。

 エゴだとかごっこ遊びだとか、そういう〝優しいうそ〟なんて、欲しくない。

 私の気持ちなんて考えなくてもいいから、今だけは、願っていることをそのまま、偽らずに言葉にしてほしい。

 

「……」

 

 右手で後ろ髪を撫でて、苦笑したまま視線を伏せた彼をじっと見つめて、私は彼の言葉を待った。

 

 〝……私は情けなくて、頼りない大人だけれど〟。

 

 それは──

 

 〝それでも、もう少し──君の傍にいたい〟。

 

 〝もう少し、傍にいてほしい〟。

 

 それは望んだ答えではなかったけれど、限りなく満点に近い、赤点だった。

 

 つくづく思う。

 うそつきであってほしいだとかその優しさがうそであってほしいだとか、本物で返してほしいだとか優しいうそは欲しくないだとか。

 誰が聞いても、私が聞いても、月雪ミヤコは面倒くさいとつくづく思う。

 けれど、そんな面倒くさい月雪ミヤコの傍にいたいだとか傍にいてほしいだとか、そんなことを言ってしまう先生も、大概だ。

 

 結局私たちは、どこか似ていて、どちらもどうしようもなく面倒くさいのだと、そう思った。

 

 

 

 

 

   ×  ×  × 

 

 

 

 

 

「先生」

「どうしたの、月雪さん」

 

 温泉旅行から帰ってきた翌日も、私たちのやることはとくに変わらなかった。

 夕食も食べ終えて、時刻はすでに21時を半分ほども過ぎているけれど、温泉旅行のおかげで処理できていなかった書類が幾らか残っていた。

 

「ここ、間違っています」

「え? ああ、ごめん。直すよ」

 

 主にご飯を食べるときや、小休憩を挟んだときに使用しているテーブルに書類を並べて、ソファに腰かけた私は、手にしていた書類を隣に座る先生の膝の上に置いて、間違っていた箇所をとんとんと人差し指で叩いた。

 

「何度目ですか。いい加減にしてください」

「そうは言ってもね、これはあれだよ。ほら、」

「時間は有限ですので、言い訳ならさっさと済ませてください」

「ひどいな……。いや、まあ、全面的に私が悪いよ。いつもごめんね」

「驚きました。珍しく素直ですね」

「いつもそれなりに素直だと思うけど?」

 

 私たちは視線を交わすこともなく、お互いに書類に目を向けたまま、くだらない会話を続けた。

 

「まあいつもお世話になっていることだし、お詫びといってはなんだけど、なんでもひとつ君の言うことを聞くよ。それで手打ちにしよう」

「悪くはないですね」

「でしょ。なんでもいいよ。ひとつだけだけど」

 

 処理済みの書類に記入漏れやミスがないかのチェックをしながら、なにを頼もうかと考えた。

 言いたいことはたくさんある。ひとつでは収まらない。

 

「そうですね。……では、まず好き嫌いするのをやめてください」

「うん。……? え、なに」

「先日、温泉旅館で夕食を共にしましたが、」

「はい」

「私のお皿に玉ねぎとしいたけをコソコソと移していたこと、気づいていないとでも思っていましたか?」

「……、……あ、ああ〜……!」

 

 気づいていながら気づかないふりをして、相変わらず子どもみたいな大人だと呆れながらも、そうして甘やかしてしまった自分の落ち度を、せっかくなのでこの場で清算しておこう。

 

「ただでさえ先生の食生活では栄養が欠落しているのに、そのうえ好き嫌いまでしないでいただきたいのですが。あと、ジャージの上着もやめてください。それから──」

「ちょっと? いやたしかになんでもとは言ったけど、なんか違くない? なに、ママなの?」

「はい?」

 

 じとりと睨めつけると、彼は小さな声で「なんでもありません」と萎縮した。

 

「……ていうか、ひとつだけって言ったのに」

「……そうですね。では前提をひっくり返すため、最初の願い事は『願い事の数を増やす』にしましょうか」

「それ反則だよ?」

「でしたら最初に説明しておくべきでしたね」

「……」

「なにか?」

「いやべつに」

 

 「屁理屈だ」と、小さな声でぼやいた彼の言葉はしっかりと聞き取れた。

 

「──ふっ、あはは!」

「……」

 

 いじけてため息をついていたかと思えば、彼は急にふきだして、声をあげて笑い出した。

 なにが可笑しいのか、問いただそうとしたところで、どうせはぐらかして上手く逃げるつもりなのだろうから訊きはしないけれど。

 

「くっ……くふ……」

 

 ただ、手にしていた書類で顔を隠して肩を震わせて、未だ込み上げてくる笑いを噛み殺している彼の姿はちょっとしつこくて、少し腹が立った。

 

「……」

「……っ」

 

 だから、とんと彼の肩に私の肩をぶつけて、いい加減にしろと促しておく。

 

「いや、ごめんごめん。だって月雪さん……ふふっ」

「……」

 

 少し高い位置から私を見下ろして、目を細めて笑った彼を見て、おおよそなにが言いたいのかは理解できてしまった。

 私が彼の健康を気遣うのが、そんなにも可笑しいのだろうか。

 ……べつに可笑しくはない。

 先生はもう他人ではないし、私にとって──

 

「……」

 

『特別綺麗なのはやっぱり、〝月雪〟だと私は思うな』

 

 なぜだろうか。

 不意に、そう言ってふっといたずらに笑った彼の表情を思い出した。

 

 やっぱり、今の私はおかしいのだと思う。

 私にとって彼は……そんなのじゃない。

 彼は私が一番嫌いな大人で。うそつきで。優しくて。変な人で。

 彼は先生で。私は生徒で──

 

「……」

 

 だからそれを自覚してしまえば。それを認めてしまえば……きっと、終わってしまう。

 雪のようにいつかは溶けて、水になって流れていってしまう。

 

 だから私は……

 

「……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『だから月雪ミヤコは認めない』

 

 

 

 

 

 

 

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